日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

マスコミの報道の死角

2007-09-16 18:09:20 | Weblog
 小児救急の整備62%止まり 医師不足で目標困難に 乳児死亡率は地域差2倍 厚労相に改善勧告
(平成19年9月12日の共同通信社の記事より)
 入院が必要な小児救急患者に対する24時間対応の医療体制の整備率が昨年9月現在で、全国396地区の小児救急医療圏の62%に当たる245地区にとどまっていることが総務省の行政評価で分かり、増田寛也総務相は12日、舛添要一厚生労働相に原因の分析や新たな対策を検討するよう改善を勧告した。小児医療に対する行政評価は初めて。
 総務省が実施した都道府県の担当者や医師へのアンケートでは、7割が原因について「小児科医が足りない」と回答。構造的な医師不足を受け、同省は「平成21年度末までに整備率100%を目指すとした政府の子ども・子育て応援プランの目標の達成は困難」と指摘している。
 今回の行政評価ではさらに、平成17年の乳児の出生1.000人当たりの死亡数に、最大の滋賀県(3.5人)と最小の佐賀県(1.7人)で2倍の開きがあり、乳児と新生児ともに高い死亡率が栃木など8県で常態化するなど、小児医療対策に大きな地域差が生じている実態も浮き彫りになった。
 総務省は平成17年12月からことし9月まで、厚労省や自治体などを調査。その結果、396地区のうち151地区の小児救急医療圏で体制が未整備だった。また整備済みとされていた地区でも、35地区で24時間対応ができず診療の空白時間帯があることが判明。同省は「実際の整備率は62%を下回る」と推定している。
 また乳児と新生児の死亡率が高いとされた8県は、平成17年まで過去10年間の平均死亡率が全国平均を上回るなど、他の都道府県より際立っていた。このうち栃木、福井、福岡、長崎の4県では「研究手法が分からない」などの理由で原因分析も行っていなかった。
 これを受け総務省は厚労省に対し、原因分析や死亡率の改善策の検討も求めた。


 この記事を一般の人が見れば、見た人の多くは、不安に思うに違いない。小児科医が足りない、産科医が足りないと叫ぶばかりで、行政側は、何故そうなっているのかをしっかりと把握しようとしていない。
 小児科医のいる病院の小児科医は、休みも殆どない感じで拘束されて働いている。拉致と言った方がいいかも知れない。労働基準法など、どこ吹く風って感じだ。
 佐賀県と滋賀県で、2倍の差がある何て非常識な論評を出している。私に言わせると、たったそれだけ、今は、スゴイなあとなる。以前は、もっともっと差があった。
 その国の医療水準を示すと思われる、新生児死亡率、乳児死亡率、そして、周産期死亡率は、文字通り、日本は、世界一だ。正に、3冠王(そして、平均寿命にしても、トップクラスだ)。しかし、その裏には、スタッフや病院側の涙ぐましい努力があることを忘れてはいけない。
 小児科の入院の7割は、国公立だ。何故なら、個人は、採算が合わなくして医療が出来ないからだ。入院設備を持った場合、年齢が低ければ低い程、救急を整備しようとすればする程、採算が合わなくなる。
 私が小児科医になった時、部長から、「小児科医には、休みはないと思え。他の科と違って、お金儲けとは無縁の科。それで嫌なら、出来るだけ早く他の科に移った方がいい」と言われた。病院勤務の大部分の小児科医は、親御さんとのトラブルに耐え、病院側に売り上げの少ないことを気にしながら、急変する自分の患者と時間外も向き合っている。かと言って、その分、お金をもらっている訳ではない。
 どんなに日本の小児科医や産科医が頑張っても、賞賛されることはなく、何かあれば裁判沙汰になる時代だ。これ以上、今いる病院勤務の小児科医や産科医に、何をせよと言うのか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

為になるかも知れない本(その211)

2007-09-16 07:30:12 | Weblog
○昭和59年4月2日(月)晴。
 学会が終わって(西田病院での統計をよく発表していた)、風邪気味になってきつかった。頭がとても痛くて、鼻水が止まらない。それでも、220人以上頑張って診た。1人では無理だなあと思う。中津国立病院でも3人もいる。これ以上多くなると、患者サ一ビスが確実に落ちるなあ。
○昭和59年4月5日(木)雨。
 体の調子が少し良くなった。今日は、大分医大に2人送った。ダウン症候群の○○○ちゃん、経過は良くないと思う。脳腫瘍の子も、どうなるかなあ?送れる所があるから1人でも何とか出来る。死ぬ運命にある子は、どこでどう頑張ったって死んでしまう。診療中にトイレに行きたくなったが、待っている人が多いと本当に困ってしまう。一日一日があっと言う間に過ぎてしまう。
○昭和59年4月6日(金)雨。
 180人前後来た。副鼻腔炎を起こしているみたいだ。体がだらしい。月報の原稿を書かないといけない。医師は、患者さんの為には、常にベストコンディションでないといけないと思うのだが、とてもこの状態では無理だ。毎週、土・日に、大分医大と宮医大から常に来てもらわないと、本当に行き着いてしまうなあ。
○昭和59年4月8日(日)晴。
 佐伯春祭りと言うのに、家でゆっくり休んで、グッスリ眠った。こんなこと、久し振りだなあ。これも○○先生(代診で土曜の夕方から月曜の6時まで来てくれていた)のお陰だ。ハングル語を勉強した。NHKの教育テレビで語学番組でいいのが一杯あるなあ。人間って、どうして新しいことを勉強しようとするのかなあ。自分でもよく分からない。
○昭和59年4月9日(月)雨。
 体の調子、まあまあだった。200人ちょっと来た。まだ、しばらく少なくならない感じだなあ。ハングル語、文字が面白い。順番も日本語と同じだ。もっともっと勉強したいなあ。
○昭和59年4月15日(日)晴。
 昨日は、夜遅くまで働いて、今日も遅くまで働いた。忙しい日だった。きついが、代診の人がいないから仕方ない。毎日忙しく働いて、それに、土・日も平日ほどではないが、それなりに働くというのは、人間のリズムからしたら無理な話だ。他の科の先生で、自分ほど休みもこれ程までに一生懸命に仕事をしている人はいない(しかし、売り上げは、小児科は、下から常に2番目)。
○昭和59年4月16日(月)晴。
 頭が痛い。病気が完治していないせいか、睡眠不足のせいか、どちからのせいだと思う。家で寝ていてもいつ起こされるか分からないので、不安であまりよく眠れていない。実際、1人で毎日深夜もしているのだ。この状態をどうかしないといけないと思いながらも、ズルズルになっている。宮医大か大分医大かどちらから、もう1人常勤で来てもらわないともう出来ないなあ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする