小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

「クラスの価値観」への違和感 2

2012-04-10 21:01:35 | 学級生活の攻略法

前回の続きです。

「6年3組は,~なクラスになろう!」

これは,よく言う評価の観点で言うならば「意欲・態度」面のことになります。

どの教科にもこの観点があって,「何にでも意欲的で,積極的に取り組む子どもに」なんて目標が掲げられています。

私は,最近これにも違和感を感じます。

「何にでも意欲的で,積極的に取り組む子ども」って,変じゃないだろうか。

そんな人間,不自然に思いませんか…

だれにでも,関心のあること,ないこと

意欲的になれること,なれないこと

あって当然だし,「ないこと」をダメとするのは,いかがなものでしょうか。

確かに「ないこと」だらけの子だったら,「もうちょっとがんばろうよ」と諭したくはなりますが,そもそも「意欲・態度」をすべての分野で評価しようとすること自体に,最近は疑問を感じます。

学級経営の話に戻すと,

その「意欲・態度」面を学級で統一しようとするならば,それはやっぱり変なこととも言えるでしょう。

「誰とでも仲良くできるクラスになろう」

それが本当に苦手で,それを望んでいない子もいるのでは…

「夢を大きく描くクラスになろう」

まだ夢を描けない,将来のことを考えられない子はダメなんですか…

屁理屈染みた考えが浮かんでしまいます。

もちろん,クラスの価値観として挙げるものは,いい言葉ばかりです。

本当に子どもが,クラスがそうなれるならば,とてもうれしいことです。

だけど,問題は,とてもうれしいことだからといって,それを強引にクラス全員の子に当てはめてしまうことです。

以前,私は当てはめていました。

「~なクラスをつくろう!」を合言葉に,ガンガンとやっていました。

でも,今思うように,そこに疑問を感じないのは,私が未熟だったからということだけでなく,

「それで,子どもたちが満足していた」

から。

そんな一面もあるように感じます。

まだ自立できていない,自己のアイデンティティも定まらない子どもたちにとっては,そういう価値観でまとめられた集団にいることは,ある種の気楽さを感じるのかもしれません。

みんなが同じベクトルをもっている状況というのは,居心地のいいものです。

幼い子どもたちがそれに疑問を投げかけるはずはなく,担任のリーダーシップが強烈であるならば,自然とそこに乗っかるものです。

そして,そんな子どもたちを率いて,担任は

「学級をまとめている」

と,感じる。

(何か宗教的なものを感じるなぁ)

またまた文章が,考えがまとまりませんが,そういう学級経営の仕方を真っ向から否定しはしません。

私もきっとそうしてきた派でしょうし,それができる先生っていうのは,ある種の力のある先生だとも言えるでしょう。

「学級をまとめられない」先生に比べれば,立派なものです。

でも私自身,こんなことも考えるようになり,また今後の学級経営の在り方を模索していこうと思います。

教室には,子ども個々の人格がある。

子ども個々の学びがあり,個々の成長がある。

それがたくさん集まって,クラスという集団になっている。

じゃあ,クラスとしてどんな価値観をもつべきなのだろうか。

少なくとも今思いつくのは

子ども個々の成長を促す学級経営であるべき!

ということです。

結局,当たり前によく耳にする「子どもの個性を大事にする」というところなんですが,それを学級経営の柱に据えるということです。

これはなかなか難しい。

一つの価値観で子ども全員をまとめあげるよりも,何倍も難しいことだと思います。

そして,それができる先生っていうのは,かなりの腕前だと思います。

新たな目標にしたいところです。