新年度がスタートし,新しいクラスの子たちの名前と顔も一致するようになってきたころではないでしょうか。
(私の場合,今年は持ち上がりなので,その苦労はなしです)
担任は,早く学級生活が落ち着き,軌道に乗るようにと,クラスの形をいろいろな側面から整えています。
授業中の手の挙げ方
忘れ物をしたときのきまり
給食の配膳の方法
友だちどうしの名前の呼び方
リコーダーをなおす場所 ・・・・・
細かいところまで目をやれば,本当にたくさんのことがあるんですね。
学級が規律正しく,整然とした環境を保ち,そこで過ごす者がみんな
「居心地がいい」
と感じられるようにするために,工夫に工夫を重ねます。
そこで,必ず担任の頭に浮かびます。
「必要なのはルール」
毅然としたルールをクラスで設定し,それをぴしゃりと子どもたちに守らせる。
それができれば,いいクラスになる。
言わば,それができる先生は,いい担任だ。
そんなイメージがありますよね。
これは,当たっていると思います。
ただ,そうしてルールを設定する前に,考えなくてはいけないことがあると思います。
そのルールは,このクラスに本当に必要か?
ということです。
「ペンの使用を認めてしまえば,一気にめちゃくちゃなことになる。だから,このクラスでは『赤えんぴつしか使用できない!』よし,そうしよう。」
そして,そのことを子どもたちに伝え,感心にも子どもたちはそのルールをしっかりと守り,担任の意図することが形となりました。
・・・・・が,
そんなルールを決めなくても,ペンを使用する際に程度をわきまえて,必要最小限で使用できる子どもたちであったならば,どうでしょう?
「子どもたちの仲を深めさせたい!よし!2日に1回は,昼休みに学級全員で遊ぶ日をつくろう!」
そして,先生の言うとおり,子どもたちは2日に1回,ドッジボールやらけり野球やらして遊ぶようになりました。
・・・・・が,
そもそも自分たちで声をかけあって,みんなでまとまって遊べる子たちだったならどうでしょう?
もしそうならば,そのルールはいらなかったということになります。
(と,私は思えます)
先生というのは,経験を重ねるごとに,学級のまとめかたを心得ていくものです。
どんなルールを敷けば子どもたちがまとまるか,要領を得ます。
そして,
「私のクラスでは,絶対に朝はボランティア掃除をさせる。それで子どもたちの主体性が育つ。」
「私のクラスでは,給食を残す場合は1週間に2回までと決めている。それ以上したら昼休みに罰プリントです。」
過去にうまくいったルールを,また繰り返します。
でもそのルールは,そのときの子どもたちにたまたま適合したものだったのかもしれません。
受け持つ子どもは毎年変わります。
クラスが変わります。
となれば当然,適合するルールも変わってくるのです。
だから
クラスにつくるルールは,子どもの実態ありき!
そこからです。
言うまでもなく,きまりは少ないにこしたことはありません。
きまりが多すぎるクラスは,いいクラスにならない。
だから,子どもたちを見極めて,本当に必要なルールのみを,ビシッと浸透させたいものです。
ここで注意。
子どもの実態を見極めるのに,何日もかかってはいけません。
子どもたちが大変未熟な場合,なんのルールもナシに数日野放しにすることはよくないことです。
学級のスタート時,そこで崩れたしまった雰囲気は,なかなか立て直せません。
だから,最初の授業,最初の給食,最初の掃除,最初の朝の会… で,一発で見極めなくてはいけません。
できる先生なら,最初の一回を見ただけで,子どもたちの今の実態をつかめるものです。
そして,その次の時間には,ぴったりのルールをつくったり,必要なければつくらなかったり。
4月の上旬。
ほどよいルールに守られるクラスがたくさん増えるといいなと思います。