小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

そのルール,本当にクラスに必要ですか??

2012-04-12 22:01:15 | 学級生活の攻略法

新年度がスタートし,新しいクラスの子たちの名前と顔も一致するようになってきたころではないでしょうか。

(私の場合,今年は持ち上がりなので,その苦労はなしです)

担任は,早く学級生活が落ち着き,軌道に乗るようにと,クラスの形をいろいろな側面から整えています。

授業中の手の挙げ方

忘れ物をしたときのきまり

給食の配膳の方法

友だちどうしの名前の呼び方

リコーダーをなおす場所   ・・・・・

細かいところまで目をやれば,本当にたくさんのことがあるんですね。

学級が規律正しく,整然とした環境を保ち,そこで過ごす者がみんな

「居心地がいい」

と感じられるようにするために,工夫に工夫を重ねます。

そこで,必ず担任の頭に浮かびます。

「必要なのはルール」

毅然としたルールをクラスで設定し,それをぴしゃりと子どもたちに守らせる。

それができれば,いいクラスになる。

言わば,それができる先生は,いい担任だ。

そんなイメージがありますよね。

これは,当たっていると思います。

ただ,そうしてルールを設定する前に,考えなくてはいけないことがあると思います。

そのルールは,このクラスに本当に必要か?

ということです。

「ペンの使用を認めてしまえば,一気にめちゃくちゃなことになる。だから,このクラスでは『赤えんぴつしか使用できない!』よし,そうしよう。」

そして,そのことを子どもたちに伝え,感心にも子どもたちはそのルールをしっかりと守り,担任の意図することが形となりました。

・・・・・が,

そんなルールを決めなくても,ペンを使用する際に程度をわきまえて,必要最小限で使用できる子どもたちであったならば,どうでしょう?

「子どもたちの仲を深めさせたい!よし!2日に1回は,昼休みに学級全員で遊ぶ日をつくろう!」

そして,先生の言うとおり,子どもたちは2日に1回,ドッジボールやらけり野球やらして遊ぶようになりました。

・・・・・が,

そもそも自分たちで声をかけあって,みんなでまとまって遊べる子たちだったならどうでしょう?

もしそうならば,そのルールはいらなかったということになります。

(と,私は思えます)

先生というのは,経験を重ねるごとに,学級のまとめかたを心得ていくものです。

どんなルールを敷けば子どもたちがまとまるか,要領を得ます。

そして,

「私のクラスでは,絶対に朝はボランティア掃除をさせる。それで子どもたちの主体性が育つ。」

「私のクラスでは,給食を残す場合は1週間に2回までと決めている。それ以上したら昼休みに罰プリントです。」

過去にうまくいったルールを,また繰り返します。

でもそのルールは,そのときの子どもたちにたまたま適合したものだったのかもしれません。

受け持つ子どもは毎年変わります。

クラスが変わります。

となれば当然,適合するルールも変わってくるのです。

だから

クラスにつくるルールは,子どもの実態ありき!

そこからです。

言うまでもなく,きまりは少ないにこしたことはありません。

きまりが多すぎるクラスは,いいクラスにならない。

だから,子どもたちを見極めて,本当に必要なルールのみを,ビシッと浸透させたいものです。

ここで注意。

子どもの実態を見極めるのに,何日もかかってはいけません。

子どもたちが大変未熟な場合,なんのルールもナシに数日野放しにすることはよくないことです。

学級のスタート時,そこで崩れたしまった雰囲気は,なかなか立て直せません。

だから,最初の授業,最初の給食,最初の掃除,最初の朝の会… で,一発で見極めなくてはいけません。

できる先生なら,最初の一回を見ただけで,子どもたちの今の実態をつかめるものです。

そして,その次の時間には,ぴったりのルールをつくったり,必要なければつくらなかったり。

4月の上旬。

ほどよいルールに守られるクラスがたくさん増えるといいなと思います。


「クラスの価値観」への違和感 2

2012-04-10 21:01:35 | 学級生活の攻略法

前回の続きです。

「6年3組は,~なクラスになろう!」

これは,よく言う評価の観点で言うならば「意欲・態度」面のことになります。

どの教科にもこの観点があって,「何にでも意欲的で,積極的に取り組む子どもに」なんて目標が掲げられています。

私は,最近これにも違和感を感じます。

「何にでも意欲的で,積極的に取り組む子ども」って,変じゃないだろうか。

そんな人間,不自然に思いませんか…

だれにでも,関心のあること,ないこと

意欲的になれること,なれないこと

あって当然だし,「ないこと」をダメとするのは,いかがなものでしょうか。

確かに「ないこと」だらけの子だったら,「もうちょっとがんばろうよ」と諭したくはなりますが,そもそも「意欲・態度」をすべての分野で評価しようとすること自体に,最近は疑問を感じます。

学級経営の話に戻すと,

その「意欲・態度」面を学級で統一しようとするならば,それはやっぱり変なこととも言えるでしょう。

「誰とでも仲良くできるクラスになろう」

それが本当に苦手で,それを望んでいない子もいるのでは…

「夢を大きく描くクラスになろう」

まだ夢を描けない,将来のことを考えられない子はダメなんですか…

屁理屈染みた考えが浮かんでしまいます。

もちろん,クラスの価値観として挙げるものは,いい言葉ばかりです。

本当に子どもが,クラスがそうなれるならば,とてもうれしいことです。

だけど,問題は,とてもうれしいことだからといって,それを強引にクラス全員の子に当てはめてしまうことです。

以前,私は当てはめていました。

「~なクラスをつくろう!」を合言葉に,ガンガンとやっていました。

でも,今思うように,そこに疑問を感じないのは,私が未熟だったからということだけでなく,

「それで,子どもたちが満足していた」

から。

そんな一面もあるように感じます。

まだ自立できていない,自己のアイデンティティも定まらない子どもたちにとっては,そういう価値観でまとめられた集団にいることは,ある種の気楽さを感じるのかもしれません。

みんなが同じベクトルをもっている状況というのは,居心地のいいものです。

幼い子どもたちがそれに疑問を投げかけるはずはなく,担任のリーダーシップが強烈であるならば,自然とそこに乗っかるものです。

そして,そんな子どもたちを率いて,担任は

「学級をまとめている」

と,感じる。

(何か宗教的なものを感じるなぁ)

またまた文章が,考えがまとまりませんが,そういう学級経営の仕方を真っ向から否定しはしません。

私もきっとそうしてきた派でしょうし,それができる先生っていうのは,ある種の力のある先生だとも言えるでしょう。

「学級をまとめられない」先生に比べれば,立派なものです。

でも私自身,こんなことも考えるようになり,また今後の学級経営の在り方を模索していこうと思います。

教室には,子ども個々の人格がある。

子ども個々の学びがあり,個々の成長がある。

それがたくさん集まって,クラスという集団になっている。

じゃあ,クラスとしてどんな価値観をもつべきなのだろうか。

少なくとも今思いつくのは

子ども個々の成長を促す学級経営であるべき!

ということです。

結局,当たり前によく耳にする「子どもの個性を大事にする」というところなんですが,それを学級経営の柱に据えるということです。

これはなかなか難しい。

一つの価値観で子ども全員をまとめあげるよりも,何倍も難しいことだと思います。

そして,それができる先生っていうのは,かなりの腕前だと思います。

新たな目標にしたいところです。


今年はどんなクラスをつくろうか… と考えたときに1

2012-04-08 21:51:33 | 学級生活の攻略法

新年度がスタートしました。

私,今年は6年生です。

卒業生を,気合いを入れて受け持ちたいと思います。

始業式,そしてその後の入学式,クラスの子たちの表情がよかったです。

今年一年のスタートの日に,いい感触を覚えました。

これって,大事なことです。

さて

この時期担任の先生は思います。

「今年は,このクラスをどんなクラスにしようか」

子どもたちの成長に願いを込めて,できるかぎりの努力をしていこうと決意するものです。

もちろん,私も考えています。

小学校最後の一年,この子たちにどんな一年を過ごしてほしいか…

そうすると,思い出されるのはこれまでに受け持った6年生学級。

過去に4度受け持ち,今年は5度目になります。

卒業生を受け持つとなれば,自然と学級に込める熱意も担任として強くなったように思います。

そして,「絶対にいいクラスを作るんだ」と,精一杯の思い伝え,自分にできる精一杯を尽くしてきました。

一年が過ぎ,卒業のころ,クラスにはまとまりができていました。

その年その年で,クラスのカラーには違いがありました。

どのクラスも,とても印象に残っているし,正直,学級担任としてしてきた仕事にある程度の満足感を感じられるものでした。

それは先生としてとても幸せなことです。

さあ,今年。

以前の6年生学級を真似するのか。

参考にするのか。

超えるのか。

全く違うものを目指すのか…

そんなことを色々と考える中で,ふと思うことがあります。

「クラスの価値観」

このクラスで大切にしたいのはこういうことで,このクラスはこうあるべきだ。

それがクラスの価値観だとすれば,学級経営をするということは,目指す学級像を描きそれに向かうということは,その価値観に基づいて子どもたちをまとめあげることなのか…

という一つの疑問 …というか何というか。

今までにはひっかかったこともなかったような部分に,不意にひっかかってしまいました。

以前,若くエネルギッシュだったであろう私は,担任として,きっとこの価値観を強烈に固定し,それでクラスをまとめあげようとしていたと思います。

強烈なリーダーシップをもって,クラスの子たちを統率する。

クラスの組織や秩序を形成する。

そして,クラス全員のベクトルを同じにする。

何の疑いもなく,それが担任の(卒業生学級担任の)するべき仕事だと思っていたように感じます。

そして,実際にそうして,「いいクラスだった」なんて声もたくさんもらったりしましたし,今振り返っても,いいクラスだったと素直に思えます。

こないだ会った卒業生たちも,かなり大きくなっていましたが,あのときのクラスがみんな大好きだったと口々に。

でも,今年のスタートにあたり,今年もそうするべきなのかということに,なぜか引っかかっているのは,私も経験年数が増えてきたからなのか,教務や一年生担任など幅広い仕事を経験してきたからのか,それとも自分に子どもができたからなのか。

今年は,学級経営にのぞむ基本的な姿勢を,根本から見直してみようかなと思っているところです。

まとまらない文章ですみません。

続きは次回。


今年は「なんとなくがんばる」からの脱却

2012-04-04 19:09:08 | 教師力UPの攻略法

新年度のスタートが目前です。

明日まで春休みですが,明日は入学式準備のために,旧5年生,私が受け持った子たちが集まります。

正直,顔を見られるのがうれしいような,まだ早いような(笑)

さて

新年度がスタートしてしまえば,それ以降は毎日があっという間に過ぎていきます。

そしてあっという間に1月,1学期,1年・・・・ と過ぎるものです。

もちろんその中で,先生たちは子どもとの思い出をたくさんつくっていくし,仕事には精一杯取り組みます。

成功も失敗も,笑いも悲しみもたっぷり含まれた,中身の濃い一年を過ごします。

新年度を目前にして,先生たちの頭には

「受け持つクラスをいいクラスに…!」

「いい授業を…!」

「担当の校務を滞りなく…!」

という思いがいっぱいなはずです。

そしてこの思いは一年間続くわけで,それが先生としての努力につながります。

せっかくならば,その努力にしっかりとしたテーマをもってみましょう。

今年度の一年間に,自分なりのテーマを設けてみる!

例えば

学級経営に関して,「学級で男子と女子の仲が深まるようにするためには」

授業に関して,「国語の物語文をよりおもしろく授業する工夫は」

校務に関して,「学籍簿管理の係として,数ある転出入を効率的にさばく方法は」

というように,大きなテーマでも,小さなテーマでもいいと思います。

何かしら,自分なりに

「今年はこれを極めてみよう」

というものをもつことです。

それは,仕事にのぞむ意識をより高めるとともに,その仕事が楽しくできるようになります。

そして,その成果を誰に発表するわけでもないけど,1年間を終えるときには,いつも以上の達成感を味わえるようになります。

こうしたテーマが一年,また一年と積み重なっていき,確かなキャリアとなっていくものです。

この「確かなキャリア」を積み上げることが一番の目的です。

「なんとなくがんばる」ことを繰り返すだけでは,それでももちろん経験は積み重ねられていくわけですが,「確かな」ものが得られません。

それではさびしい感じがするし,たくさんの努力がもったいない。

積み重ねる経験が,確かに自分の確固たるキャリアになるように,自分で意識をしていくことが大事です。


いよいよ動き出した新年度の仕事 まずは「引き継ぎ」

2012-04-03 21:43:46 | 教師の仕事術の攻略法

今日,本校では校務分掌の発表がありました。

直前まで二転三転した部分があり,今日の発表でも

「えっ」

ってものもありましたが,そんなこんなで本年度もいよいよスタートって感じです。

新しく転入してきた先生たち。

「右も左も分かりませんが…」

とごあいさつ。

私も前年度の係としていくつか引き継ぎをしました。

「ここは… こうするんですよ」

という説明に対して

「ご丁寧に,ありがとうございます」

と謙虚な先生もいれば,

「それって,~じゃないですか?前の学校では…」

なんて牙をむいてくるような先生も(笑)

どんな先生も,同じ職場の仲間です。

これからいい関係を築いていきたいと思います。

さて,この「引き継ぎ」に関して思うこと。

結論から

引き継ぎまできちんとできてこそいい仕事!

経験を重ねるたびに思いますね。

自分の仕事に一生懸命になれる先生はいい仕事をしている。

それはもちろんそうです。

そしてその先。

その先生はその仕事を他人にきちんと引き継ぐことができるか。

言葉を付け加えれば,その先生はその仕事を,学校のために,他人にきちんと引き継ぐ意識をもっているか。

そういうことだと思います。

自分がうまくやれればそれでいい。

自分の功績として認められればいい。

その次元までしか及ばない先生は,引き継ぎをいい加減にしてしまいます。

言うまでもなく,それはさびしい仕事の仕方です。

自分が「10」の仕事をしたならば,次の先生にはそれに乗っかって「11」以上の仕事をしてほしい。

そして学校をよりよくしてほしい。

そう思って仕事をできる先生でありたいものです。

それが,引き継ぎをどれだけしっかりとするかにつながってきます。

経験上,丁寧に引き継ぎ資料を作ってくださっている先生と,ほぼ引き継ぎをしない先生と,両極端にいることを知っています。

今年度の仕事が本格的にスタートした4月。

職員室のあちこちで念入りな引き継ぎが行われていると,いいですね。