「庭いじりの愉しみ」
これはヘルマン・ヘッセの 「庭仕事の愉しみ」の捩り。
庭仕事というほど御大層な庭ではないので、庭いじり。
週末は雨だと「よそうはうそよ」(2/18)が言っていたが、今回は良い意味でハズレたおかげで、冬じまいと夏野菜へ向けた土の準備に精を出していた。
いつのことだったか、都会のアナウンサーが田舎暮らしを訪問するという番組で、企業戦士から農業に転身した人にインタビューをしていた。
アナウンサーはしきりに 「時間に追われない生活は良いですね」 「いつ何をするか、しないか自分次第で決められる自由な生活は良いですね」 「今日しなくても明日でもよい。毎日が日曜日」と言っていたが、経験がないというか物を知らないというのは恥かしい。
元企業戦士は、さすがに大人で憮然とするだけで反論はされなかったが、テレビの前の自分の方が「それは違う」と画面に向かって言っていた。
おそらく農業ほど、時間(タイミング)に追われて自由が効かない仕事もないのではないかと、たかが猫の額ほどの庭で家庭菜園をする身でも思い知らされているからだ。
例えば今頃の時期には、花水木や満天星ツツジの新芽が膨らんできて、植えっぱなしの水仙やムスカリがそこかしこで咲いている。
季節がめぐれば、時期を間違えることなく新芽をだし花を咲かせる神秘は季節ごとに感じるが、その自然のサイクルをこちら側がお手伝いさせてもらうのが「庭いじりの愉しみ」だ。
目に楽しい花は、きちんと花がらを摘んでやらないと木草が痛むし、肥料をやるタイミングも大切だ。
これから植える夏野菜のために、冬の間に生ごみ堆肥を作ったり、石灰を撒いて土の酸性度を変えたり、連作を嫌う作物の土の準備をしたりという作業もあるが、たかが猫の額ほどの家庭菜園でも、天気を見ながらタイミングを外さずしなければならない。
それは愉しみではあるが、向こうさんが時期を間違えずに新芽をだし花を咲かせるだけに、こちら側も時期をずらすわけにはいかない。
これが農業になると、さらに大変だというのは容易に想像できる。
適した時期に種を蒔き苗を植えるための準備は、事前にしておかなければ、適した時期はアッという間に過ぎてしまう。成長するにつれ、脇芽を摘んだり支柱を立てたり土寄せをしたりと日ごとに作業は増えてくる。農家でない自分には、これくらいの作業しか思い浮かばないが、とにかく農家のそれは、苗をポットから出して、ちょっと植え付け、朝夕「ロハス」とか言いながら水やりをして「ハイ、収穫」とはいかないのだ。
少々体調が悪かろうが、他に用事があろうが、お天道様も植物も待ってはくれない。
お天道様に従って、一時の適時も見逃さすに作業に勤しんできた農耕民族だからこその、日本人の勤勉さではないだろうか。
そんなことを思いながら、思いがけない晴れ間を惜しんで週末は、夏野菜へと向けた土いじりをしていた。
そういえば、昨年いつまでもペチュニアが咲いていてくれるので、軒下で保護していたら、ついに越冬して蕾を出している。
ペチュニアは一年草だとばかり思い込んで、いつも初秋にパンジーと植え替えていたが、調べてみると、これは多年草。
今年は二年越しのペチュニアでトレリスボックスを飾ろう、嬉しい発見だ。
こんな庭いじりの愉しみを教えてくれた本や、さつまいもを掲げて弾けんばかりの笑顔で収穫の喜び示された(4歳の誕生日に公開された写真)、豊穣のアルテミス敬宮愛子様を思いながら・・・・・・・つづく
ところで、「あいこまち」という名のサツマイモがあるらしい。
2012年に登録された新品種というから、あのサツマイモを掲げもつ敬宮愛子様のお姿から、実り多い収穫を願ってネーミングされたのかと楽しい想像を働かせている。糖度が高く美味しく、お菓子作りにも向くというが生憎と我が家の猫の額には、サツマイモを植える場所はないが、
いつも愛子様の御活躍を待ち望み応援している
これはヘルマン・ヘッセの 「庭仕事の愉しみ」の捩り。
庭仕事というほど御大層な庭ではないので、庭いじり。
週末は雨だと「よそうはうそよ」(2/18)が言っていたが、今回は良い意味でハズレたおかげで、冬じまいと夏野菜へ向けた土の準備に精を出していた。
いつのことだったか、都会のアナウンサーが田舎暮らしを訪問するという番組で、企業戦士から農業に転身した人にインタビューをしていた。
アナウンサーはしきりに 「時間に追われない生活は良いですね」 「いつ何をするか、しないか自分次第で決められる自由な生活は良いですね」 「今日しなくても明日でもよい。毎日が日曜日」と言っていたが、経験がないというか物を知らないというのは恥かしい。
元企業戦士は、さすがに大人で憮然とするだけで反論はされなかったが、テレビの前の自分の方が「それは違う」と画面に向かって言っていた。
おそらく農業ほど、時間(タイミング)に追われて自由が効かない仕事もないのではないかと、たかが猫の額ほどの庭で家庭菜園をする身でも思い知らされているからだ。
例えば今頃の時期には、花水木や満天星ツツジの新芽が膨らんできて、植えっぱなしの水仙やムスカリがそこかしこで咲いている。
季節がめぐれば、時期を間違えることなく新芽をだし花を咲かせる神秘は季節ごとに感じるが、その自然のサイクルをこちら側がお手伝いさせてもらうのが「庭いじりの愉しみ」だ。
目に楽しい花は、きちんと花がらを摘んでやらないと木草が痛むし、肥料をやるタイミングも大切だ。
これから植える夏野菜のために、冬の間に生ごみ堆肥を作ったり、石灰を撒いて土の酸性度を変えたり、連作を嫌う作物の土の準備をしたりという作業もあるが、たかが猫の額ほどの家庭菜園でも、天気を見ながらタイミングを外さずしなければならない。
それは愉しみではあるが、向こうさんが時期を間違えずに新芽をだし花を咲かせるだけに、こちら側も時期をずらすわけにはいかない。
これが農業になると、さらに大変だというのは容易に想像できる。
適した時期に種を蒔き苗を植えるための準備は、事前にしておかなければ、適した時期はアッという間に過ぎてしまう。成長するにつれ、脇芽を摘んだり支柱を立てたり土寄せをしたりと日ごとに作業は増えてくる。農家でない自分には、これくらいの作業しか思い浮かばないが、とにかく農家のそれは、苗をポットから出して、ちょっと植え付け、朝夕「ロハス」とか言いながら水やりをして「ハイ、収穫」とはいかないのだ。
少々体調が悪かろうが、他に用事があろうが、お天道様も植物も待ってはくれない。
お天道様に従って、一時の適時も見逃さすに作業に勤しんできた農耕民族だからこその、日本人の勤勉さではないだろうか。
そんなことを思いながら、思いがけない晴れ間を惜しんで週末は、夏野菜へと向けた土いじりをしていた。
そういえば、昨年いつまでもペチュニアが咲いていてくれるので、軒下で保護していたら、ついに越冬して蕾を出している。
ペチュニアは一年草だとばかり思い込んで、いつも初秋にパンジーと植え替えていたが、調べてみると、これは多年草。
今年は二年越しのペチュニアでトレリスボックスを飾ろう、嬉しい発見だ。
こんな庭いじりの愉しみを教えてくれた本や、さつまいもを掲げて弾けんばかりの笑顔で収穫の喜び示された(4歳の誕生日に公開された写真)、豊穣のアルテミス敬宮愛子様を思いながら・・・・・・・つづく
ところで、「あいこまち」という名のサツマイモがあるらしい。
2012年に登録された新品種というから、あのサツマイモを掲げもつ敬宮愛子様のお姿から、実り多い収穫を願ってネーミングされたのかと楽しい想像を働かせている。糖度が高く美味しく、お菓子作りにも向くというが生憎と我が家の猫の額には、サツマイモを植える場所はないが、
いつも愛子様の御活躍を待ち望み応援している