学生時代に「森の生活 ウォールデン」(ヘンリーDソロー)を愛読していた時期がある。
大学受験のために皆が街中の予備校の夏季講習へ行くところを、自分は山奥での講習(合宿)に参加させてもらった。
たった3週間ほどとはいえ、初めて家族と離れて、見知らぬ山奥で過す一夏。
新聞もテレビもなく、休憩時間には本を読むか、同じ目標をもつ者同士で夢を語り合うしかないという、ニュースから隔絶された場所で過している3週間の間には、世界を揺るがす出来事が起こっていたのだと、帰宅して初めて知った驚き。
この経験が、自分の中の何かを変えたと感じていたので、その後の学生時代に「森の生活」を愛読したのは必然であったともいえる。
ハーバード大学で学んだソローは森へ行って自給自足の生活を送る時期があり、その経験の集大成が「森の生活」である。
数ページごとに心を打つ言葉に出会うが、その幾つかを記してみる。
『私が森に往ったわけは、私が慎重に生きようと欲し、人生の根本的な事実にのみ対面し、それが教えようと持っているものを私が学ぶことが出来ないものかどうか知ろうと欲し、私がいよいよ死ぬ時に、自分は生きなかったということを発見することがないように欲したからである。
私は人生でないものを生きるのを欲しなかった。』
完全自給自足の生活で人間の衣食住や孤独を見つめ直し、森を去る時に得た結論も印象深い。
『もし人が自分の夢の方向に自信をもって進み、そして自分が想像した生活を生きようと努めるならば、彼は平生には予想も出来なかったほどの成功にであうであろう。
~中略~
生活を単純化するにつれて、宇宙の法則はより少なく複雑に見え、孤独は孤独でなく、貧困は貧困でなく、弱さは弱さでなくなるであろう。
もし君が空中の楼閣を築いたとしても、君の仕事は失敗するとはかぎらない。楼閣はそこにあるべきものなのだ。今度は土台をその下に挿し込めば良い。』
ソローも 「他に生きるべき幾つかの別の生活があって、そこの(森の)生活にはこれ以上時間をさくことができな」くなり、人間生活に戻ってくるが、凡人である自分には最初から「森の生活」など出来るはずもない。
しばらくは浮世をあくせく東奔西走していたが、検視官シリーズの主人公ドクタースカーペッタが超多忙ななか庭仕事に精をだすのを読んで、庭いじりに関心をもち、「森の生活」とまでいかないものの「庭の生活」を楽しむようになった。
庭をウロウロしていると、自分好みの庭を作っているようで、人間も命の営みのごく一部でしかないと分かり、それが嬉しく感じられるときがあるが、それを言葉で教えてくれたのが「庭仕事の愉しみ」(ヘルマン・ヘッセ)だ。
「一区画の土地に責任を持つ」 園芸は、不思議な感動をもたらす。わずかばかりの土地に、自分の意思で好きな野菜や果実を植え、好きな色と香りをつくることが出来るという「創造の喜びと、創造者の思い上がり」を教えてくれる。
ヘッセはいう 「結局のところ私達は、どんなに欲張っても、想像力を働かせても、やはり自然が望むところのものを望まざるを得ず、自然に想像させ、自然に任せるほかはない。」
四季を通じて自然に接していると自然のサイクルが感じられるが、それが猫の額ほどであれば尚更はっきりと見えてくるものがある。
「数か月のあいだに、さまざまな生き物が花壇の中で成長し、繁栄を誇り、生きて、枯れて、死んでいく」
「(死んでいった植物や台所の生ごみから作られた堆肥である) 塵芥と屍の中から新たな若芽、若枝が伸びてくる。腐敗し分解されたものが、力強く、新しい、美しい、多彩な姿になって甦ってくるのだ。そして、この単純で確実な循環全体が、どんな小さな庭でも、ひそかに、すみやかに、まぎれもなく進行している。」
この循環について人間は難しいことを考えて、すべての宗教はこれを畏敬をこめて解釈している、とヘッセは語っている。
そして、この循環のなかに身をおく「土と植物を相手にする仕事は、迷走するのと同じように、魂を解放し、休養させてくれます。」とも語っている。
長々と私の「庭いじりの愉しみ」を書きながら、皇太子御一家と自然について考えていた。
学習院での皇太子様のあだ名は「じい」であったと何かで読んだが、その理由は、樹木を御覧になっていた皇太子様がしみじみと「いい枝振りだな」とおっしゃったからだという。
おそらく本職の庭師が庭をつくる東宮御所では、浩宮様が四季折々に好きな花を植えたり、木を好みの姿に剪定したりという自由はお持ちではなかったと思われる。広大な敷地にあって、「一区画の土地に責任を持つ」という園芸の楽しみ自由はお持ちではなかったかもしれないが、じっくりと庭を御覧になるなかで、命の循環のなかの一部である御自分という感覚は感じておられたのではないだろうか。
皇太子様の精神力の強さとしなやかさについて感嘆の思いを抱くとき、それは何所からくるのかと考えるのだが、
皇太子様の御歌 「頂きに たどる尾根道ふりかへり わがかさね来し 歩み思へり」 を思い出し、登山という自然の直中に身をおく時間が果たしている役割は大きいのではないかと、考えている。
ソローも語っている。
自然のただなかに住み、まだ感覚を失っていない人間にとっては非常に暗い憂鬱症はあり得ない。
お心がお疲れの雅子妃殿下を癒しているのも、自然なのだと思う。
お誕生日の会見が行われていた頃には毎年のように、自然のなかで過す喜びを語られている。大いなる自然をもってしても、雅子妃殿下のお心が病むのを防ぐことが出来ないほどのストレスに遭われたのだと思うと心が痛むが、今も雅子妃殿下を支えているのは自然の中で過ごされる時間なのであろう、雅子妃殿下の御病名が発表されて初のお出かけは那須の御用邸であったし、かつて歌にも詠まれている。
君とゆく 那須の花野にあたらしき 秋草の名を 知りてうれしき
皇太子ご夫妻はただ自然にひたり癒されるのを求めておられるだけではないと思う。
東日本大震災のあと、那須は放射能のホットスポットとして大きく取り上げられた。豊かな自然がかえって放射能を堆積させる原因となってしまったのだという。
那須に住む人、那須で観光業を営む人、皆さん不安が大きかったと思うが、そこへ皇太子ご夫妻はまだ小学生の敬宮愛子様をともなって、
例年通り長期滞在をされたのだ。
ホットスポットと伝えられるやキャンセルが続出した中で、皇太子御一家が例年と変わらず那須を訪問されたことは、那須の人々を勇気づけたと伝えられた。
皇太子ご夫妻が那須のホットスポットをご存知なかったはずがない。
しかし、那須という自然の一部である人々を勇気づけるため、そして、どんな時も元気をくれる那須の自然に感謝を示すために、
例年通り那須を訪問されたのだと思っている。
恵みと同時に厳しさも引き受ける、それが自然の中に身を置くということ、自然の循環のなかに入っていくということ
皇太子御一家が大切だと思われる日本の自然が守られていくことを願っている。
大学受験のために皆が街中の予備校の夏季講習へ行くところを、自分は山奥での講習(合宿)に参加させてもらった。
たった3週間ほどとはいえ、初めて家族と離れて、見知らぬ山奥で過す一夏。
新聞もテレビもなく、休憩時間には本を読むか、同じ目標をもつ者同士で夢を語り合うしかないという、ニュースから隔絶された場所で過している3週間の間には、世界を揺るがす出来事が起こっていたのだと、帰宅して初めて知った驚き。
この経験が、自分の中の何かを変えたと感じていたので、その後の学生時代に「森の生活」を愛読したのは必然であったともいえる。
ハーバード大学で学んだソローは森へ行って自給自足の生活を送る時期があり、その経験の集大成が「森の生活」である。
数ページごとに心を打つ言葉に出会うが、その幾つかを記してみる。
『私が森に往ったわけは、私が慎重に生きようと欲し、人生の根本的な事実にのみ対面し、それが教えようと持っているものを私が学ぶことが出来ないものかどうか知ろうと欲し、私がいよいよ死ぬ時に、自分は生きなかったということを発見することがないように欲したからである。
私は人生でないものを生きるのを欲しなかった。』
完全自給自足の生活で人間の衣食住や孤独を見つめ直し、森を去る時に得た結論も印象深い。
『もし人が自分の夢の方向に自信をもって進み、そして自分が想像した生活を生きようと努めるならば、彼は平生には予想も出来なかったほどの成功にであうであろう。
~中略~
生活を単純化するにつれて、宇宙の法則はより少なく複雑に見え、孤独は孤独でなく、貧困は貧困でなく、弱さは弱さでなくなるであろう。
もし君が空中の楼閣を築いたとしても、君の仕事は失敗するとはかぎらない。楼閣はそこにあるべきものなのだ。今度は土台をその下に挿し込めば良い。』
ソローも 「他に生きるべき幾つかの別の生活があって、そこの(森の)生活にはこれ以上時間をさくことができな」くなり、人間生活に戻ってくるが、凡人である自分には最初から「森の生活」など出来るはずもない。
しばらくは浮世をあくせく東奔西走していたが、検視官シリーズの主人公ドクタースカーペッタが超多忙ななか庭仕事に精をだすのを読んで、庭いじりに関心をもち、「森の生活」とまでいかないものの「庭の生活」を楽しむようになった。
庭をウロウロしていると、自分好みの庭を作っているようで、人間も命の営みのごく一部でしかないと分かり、それが嬉しく感じられるときがあるが、それを言葉で教えてくれたのが「庭仕事の愉しみ」(ヘルマン・ヘッセ)だ。
「一区画の土地に責任を持つ」 園芸は、不思議な感動をもたらす。わずかばかりの土地に、自分の意思で好きな野菜や果実を植え、好きな色と香りをつくることが出来るという「創造の喜びと、創造者の思い上がり」を教えてくれる。
ヘッセはいう 「結局のところ私達は、どんなに欲張っても、想像力を働かせても、やはり自然が望むところのものを望まざるを得ず、自然に想像させ、自然に任せるほかはない。」
四季を通じて自然に接していると自然のサイクルが感じられるが、それが猫の額ほどであれば尚更はっきりと見えてくるものがある。
「数か月のあいだに、さまざまな生き物が花壇の中で成長し、繁栄を誇り、生きて、枯れて、死んでいく」
「(死んでいった植物や台所の生ごみから作られた堆肥である) 塵芥と屍の中から新たな若芽、若枝が伸びてくる。腐敗し分解されたものが、力強く、新しい、美しい、多彩な姿になって甦ってくるのだ。そして、この単純で確実な循環全体が、どんな小さな庭でも、ひそかに、すみやかに、まぎれもなく進行している。」
この循環について人間は難しいことを考えて、すべての宗教はこれを畏敬をこめて解釈している、とヘッセは語っている。
そして、この循環のなかに身をおく「土と植物を相手にする仕事は、迷走するのと同じように、魂を解放し、休養させてくれます。」とも語っている。
長々と私の「庭いじりの愉しみ」を書きながら、皇太子御一家と自然について考えていた。
学習院での皇太子様のあだ名は「じい」であったと何かで読んだが、その理由は、樹木を御覧になっていた皇太子様がしみじみと「いい枝振りだな」とおっしゃったからだという。
おそらく本職の庭師が庭をつくる東宮御所では、浩宮様が四季折々に好きな花を植えたり、木を好みの姿に剪定したりという自由はお持ちではなかったと思われる。広大な敷地にあって、「一区画の土地に責任を持つ」という園芸の楽しみ自由はお持ちではなかったかもしれないが、じっくりと庭を御覧になるなかで、命の循環のなかの一部である御自分という感覚は感じておられたのではないだろうか。
皇太子様の精神力の強さとしなやかさについて感嘆の思いを抱くとき、それは何所からくるのかと考えるのだが、
皇太子様の御歌 「頂きに たどる尾根道ふりかへり わがかさね来し 歩み思へり」 を思い出し、登山という自然の直中に身をおく時間が果たしている役割は大きいのではないかと、考えている。
ソローも語っている。
自然のただなかに住み、まだ感覚を失っていない人間にとっては非常に暗い憂鬱症はあり得ない。
お心がお疲れの雅子妃殿下を癒しているのも、自然なのだと思う。
お誕生日の会見が行われていた頃には毎年のように、自然のなかで過す喜びを語られている。大いなる自然をもってしても、雅子妃殿下のお心が病むのを防ぐことが出来ないほどのストレスに遭われたのだと思うと心が痛むが、今も雅子妃殿下を支えているのは自然の中で過ごされる時間なのであろう、雅子妃殿下の御病名が発表されて初のお出かけは那須の御用邸であったし、かつて歌にも詠まれている。
君とゆく 那須の花野にあたらしき 秋草の名を 知りてうれしき
皇太子ご夫妻はただ自然にひたり癒されるのを求めておられるだけではないと思う。
東日本大震災のあと、那須は放射能のホットスポットとして大きく取り上げられた。豊かな自然がかえって放射能を堆積させる原因となってしまったのだという。
那須に住む人、那須で観光業を営む人、皆さん不安が大きかったと思うが、そこへ皇太子ご夫妻はまだ小学生の敬宮愛子様をともなって、
例年通り長期滞在をされたのだ。
ホットスポットと伝えられるやキャンセルが続出した中で、皇太子御一家が例年と変わらず那須を訪問されたことは、那須の人々を勇気づけたと伝えられた。
皇太子ご夫妻が那須のホットスポットをご存知なかったはずがない。
しかし、那須という自然の一部である人々を勇気づけるため、そして、どんな時も元気をくれる那須の自然に感謝を示すために、
例年通り那須を訪問されたのだと思っている。
恵みと同時に厳しさも引き受ける、それが自然の中に身を置くということ、自然の循環のなかに入っていくということ
皇太子御一家が大切だと思われる日本の自然が守られていくことを願っている。