何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

不苦者有知 ワンコ

2016-02-03 09:51:25 | ひとりごと
節を分ける、つまり季節を分けることをもって「節分」と云うそうだが、季節が変わり前に進んでいくことが、哀しい。

悲しいけれど確実に変化は訪れるもので、ワンコがいた頃は(ワンコが)庭に撒かれた節分豆を食べてお腹をこわしてはならないという理由で、豆を入れた小袋を撒いていたものだが、今年はバラバラと豆を撒くそうだ。
「鬼は外 福は内」

これで、森下典子氏「日日是好日」の「不苦者有知」を思いだした。
(参照、「祝号外12年ぶりのご出席 不苦者有知」 「長い目で見てSeize the Day」

「日日是好日」にあるのは「不苦者有知」の掛け軸の話だったので、「鬼は外」にあたるものをと調べると、「遠仁者疎道」(仁に遠き者は道に疎し)とある。
慈しみの心から遠ざかるようでは人の道に疎くなってしまう、という意味らしいが、今は人の道よりワンコの道。
そんな私には、クリスチャンの上司のよる「不苦者有知」を思い起こさせる話が沁みた。
「不苦者有知」とは、当然のことながら、「苦しみのない者に智慧が宿る」という意味ではなく、「苦しみを超越した人は悟りの智慧を持つ」という意味だが、上司の言葉もこれに繋がるような気がしている。
「神を信じたからといえ、幸せだけが訪れるわけでも、不幸な出来事を避けることが出来るわけでもない。
 しかし、神を信じておれば幸せに感謝することで喜びが増し、
 悲しみのなかに神の御心を感じることで、心の平穏を保つことができる。
 神を信じることで、苦しい事がなくなるのではなく、苦しい事を苦しいままにおかない心を得ることができるのだ」そうだ。
これは、上司がワンコのために下さった哀悼(お香典)に記された聖句とともに話された言葉。

そして、哀しみに打ちひしがれる我が家に贈って下さった聖句とは。
『父なる神と主イエスキリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように』

私にとっては、神をワンコに置き換えることができるワンコと過ごした、17年と2か月の日々。
辛いことがなかったわけではないが、独りで悲しみたい時に、傍らにワンコだけが寄り添ってくれることで、どれほど心の平穏を得られたか。
それなりに苦しいことも辛いことも多かった17年だが、ワンコと散歩し語り合うことで、どれほど明日への元気をもらえたことか。

ワンコがいない新しい季節を歩いてゆく元気は、まだない。

だが、学校を早退したり仕事を遣り繰りをしてりして皆でワンコを見送ることができた、それを温かく見守り又協力もして下さった多くの方の為にも、元気にならねばと思う節分の今日である。

ワンコ 不苦者有知 
ワンコ 福は内

ところで、「どんな形でも帰っておいで、ワンコ」と思わない日はないが、偶然目にしたブログで、ワンコがしばらく旅する世界が書かれていて、泣けた。
「フランダースの犬」(英作家 ウィーダ)
偶然目にとまったという最終回の感想が書かれていた。

世界名作劇場
「アルプスの少女ハイジ」は再放送の度に何度も見たが、「フランダースの犬」はその主題歌を今でも口ずさむことができるというのに、再放送を見たことがない。
『ミルク色の夜明け 見えてくる真っ直ぐな道 忘れないよこの道を パトラッシュと歩いた 空に続く道を』
 (作詞・岸田衿子 作曲・渡辺岳夫 唄・コーラス前川陽子 アントワープ・チルドレン)

それは、善良で賢く無垢な少年と少年と共にいるワンコの最期に救いがないと、子供心に感じたからかもしれない。
だから、特に今は、「フランダースの犬」というタイトルを見ただけで、逃げ出したい気がしたが、読み進めて涙がでた。
『ネロとパトラッシュは、天使達と共にお父さん、お母さんの待つ場所へと旅立ちました。
 そこは、痛みも悲しみも苦しみもない世界・・・』

ネロの最期の言葉は、たしか「パトラッシュ、僕たちはいつまでも一緒だね」ではなかったか。

ワンコ 痛みも悲しみも苦しみもない世界を旅しているワンコ
そっちは住み心地が良いかもしれぬが、頻繁に帰って来ておくれ
いつまでも一緒にいておくれ ワンコ

ワンコ 不苦者有知

上司の御心遣いとネロとパトラッシュが抱かれた世界に敬意を表して



写真出展 ウィキペディア
       https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Antwerp_Cathedral_at_dusk.jpg


追記
知恩院さんへ参ったり、お伊勢さんへ参ったりする ワンコ
「HACHI」が上映された年には、出会う外国人に「Oh HACHI cute」と声をかけられ鼻高々だった侍犬Samurai dogのワンコ
天使さんと仲良くなっても、こっちに帰ってきておくれよ ワンコ
ちなみに、ワンコは英語を理解している (参照、「ワンコの愛 その2」


追記
この映画「HACHI」は皇太子御一家も御覧になり、雅子妃殿下と敬宮様はしきりと涙をぬぐっておられたそうだが、これは御一家が愛犬まりを老衰で亡くされてから半年ほどのことだったし、この映画ご鑑賞のひと月後には、やはり高齢ゆえにピッピも見送っておられる。敬宮様は学校を遅刻して「まり」を見送られたと伝えていたが、愛犬を慈しみ命の重みを実感された敬宮様の願いは「動物の殺処分がなくなること」
命の尊さと輝きを知り命を守ろうとされる敬宮様の未来を応援している。(参照 「受け継がれる命を育む御心」

永遠の今を生きる 中庸

2016-02-02 18:47:01 | 
『「かのように」を要する時代』のつづき

西洋に追い付き追い越す為なら、丁髷を切り落として散切り頭にすることも、日本の純血種の牡馬を根絶やしにすることも厭わず突き進む、その行き過ぎた「上辺だけの西欧化への専心」の反動が、行き過ぎた精神論に走らせたのではないか。

大御宝たる民から攻撃されることなど想定してない為に低い土塀に囲まれただけの京都御所で静かにお暮らしになっていた天子様を担ぎ出し、行き過ぎた「上辺だけの西欧化への専心」に対峙する「行き過ぎた精神論」の真ん中に据え、かってに持ち上げたり大逆事件の渦中においたりして、結果として「かのように」のような論法を要することとしてしまった。

「かのように」(森鴎外)は、『今の教育を受けて神話と歴史とを一つにして考えていることは出来まい』『神話と歴史とをはっきり考え分けると同時に、先祖その外の神霊の存在は疑問になって来るのである』『神が事実でない。義務が事実でない。これはどうしても今日になって認めずにはいられない』と云いながら、『僕はかのようにの前に敬虔に頭を屈める』『祖先の霊があるかのように背後を顧みて、祖先崇拝をして、義務があるかのように、徳義の道を踏んで、前途に光明を見て進んで行く』と云うが、私はそんな七面倒な頭脳回路はとっていない。
西行法師『何事のおわしますをば知らねども  かたじけなさに涙こぼるる』 が全てである。

では、涙こぼるるまでの忝さを感じさせるものとは、何なのか。
「かのように」を用いずとも頭を垂れたくなる神話とは、何なのか。

天地開闢(天地初発之時)であって、それではない。
神世七代(性別のない五柱の神と男女対となる五組十柱の神)であって、それではない。
天孫降臨であって、それではない。
そもそも伊勢神宮に御坐すのは、女神である天照大御神と豊受大御神ではないか。

「西洋に追いつけ追い越せ」の過程で、屈辱的な思いを呑み込んでまで上っ面の西洋化を取り入れた反動で東洋独特の思想(儒教)に固執した結果の、それではないか。
神話は時に残酷なものを含むとしても、男子を産めなかったという一点で存在を否定され心を病むまで追いつめられた皇太子妃や、男子でないというだけで存在を無いものとするため罵詈雑言を向けられた東宮の一粒種の姫の物語を、神代からの神話に如何に記すのか。

それが罷り通る物語はもはや、性別のない五柱と男女対となる五組十柱を祖とする神話に連なるものではないのではないか。
それが罷り通る世界はもはや、伊勢神宮とは世界を別にするのではないか。
そのような物語・世界には、「かのように」の便宜を以てしても、頭を垂れることは出来ないのではないか。

とはいえ、このように直截にものを書いてしまう私は、まだまだ修行が足りないのかもしれない。

深代惇郎天声人語によると、大隈内閣で司法相をした尾崎行雄は、第二次世界大戦後に皇居から呼ばれ31年ぶりに天皇にお会いした折、狂歌一首を奉呈している。
『今日は御所 昨日は獄舎 明日は又 地獄極楽 いづち行くらん』
『尾崎は戦争中、東条内閣の手で不敬罪として起訴されたが、この起訴には勅許が必要だった。そのことを暗に読み込んだのだろうが、この一首を見て、天皇は笑い声を漏らされたそうだ』

狂歌に諸々を託す鋭さも、それを全て承知で笑い声に変える度量も、ありはしない。

ブログをはじめて一年、まだまだ修行の日々は続く。

「かのように」を要する時代

2016-02-01 19:00:25 | 
『「かのように」を超えた処』で、明治期の世情に触れた。

「かのように」は、大逆事件を懸念した山縣有朋が危険思想対策を講じるため森鴎外に書かせたという説もあれば、この事件に怒りを覚えた森鴎外は軍医総監という職を賭す覚悟で「沈黙の塔」を書いたという説もあり、森鴎外の志向・思考は凡人の私には分からないので、明治と云う時代の空気を考えてみたいと思う。

同世代の人間は口をそろえて言うが、学校の歴史授業と云うのは、時間的都合なのか厄介事には係るまいという意図なのか、三学期に明治以降を駆け足で教え、近代現代についてはほとんど触れない。埴輪や土器の次は戦国時代で終わってるというお粗末な私の頭には、大逆事件は印象に薄いので、この機会に少しだけ調べてみた。
大逆事件の本質について理解を深めることは出来なかったが、この事件を一般国民が如何にとらえたかについては、然もアリなんという思いと驚きの気持ちで綯交ぜになっている。
永井荷風は自由な言論が弾圧される風潮を、『日本はアメリカの個人尊重もフランスの伝統遵守もなしに上辺の西欧化に専心し、体制派は、逆らう市民を迫害している。』(1919「花火」)と喝破したそうだそうだが、この風潮を、世界中が批判しようが日本の知識人が批判しようが、日本の一般人は歓迎したというのだ。一般庶民にとっての「悪」とは、大勢や権力に弾圧される側をいうのだそうだ。
その後の日本が辿る道を考えれば然もアリなんとも思えるし、現在のソーシャルメディア社会では、体制でも権力でもない者が大声で撒き散らかす「嘘も100回言えば信じる者を増やせる」的悪意の捏造までもが一定の浸透をみていることを考えれば、大声に弱いという庶民の変化の無さに驚きも覚えている。

「明治期の思想表現の自由と国民性」と銘打つこともできる一大論考を考える頭はないが、永井荷風の『日本はアメリカの個人尊重もフランスの伝統遵守もなしに上辺の西欧化に専心し』という言葉で思い出した、本がある。
「颶風の王」(河崎秋子)
本書は、明治時代から平成に至るまでの、ある馬と縁のある一族と馬との数代にわたる物語である。
この「ある馬」の子孫は、馬飼いたる主人公一族の想いと偶然の産物と嵐という天候の采配で、日本の純血種を守ることができたのだが、そうなるに至る過程は空恐ろしい。

もともと維新以前の日本人は馬の品種改良や育種についての知識は乏しかった。飼育する馬は広大な野に放し、必要な時に集めて戦に使えそうな良い馬を連れ出しては使い潰した。交配は残った形質の劣る馬で行われ、結果、種としては長い時間をかけて鈍磨されていったのである。
明治期に入り西欧文化が流入することは、家畜飼養の価値観が流入することでもあった。当然、馬についても品種改良による形質の向上が必要だと政府は理解する。同時に自覚する。この国の馬は小さい。気性が荒い。扱いづらい。これは西洋列強と国力を比較した際、明らかな弱点だった。
至急研ぎ直さなければならなかった。亀裂を埋め、錆を落とし、刃をつけ、研ぎ直さなければ、戦争も農耕も欧米のそれに追い付けない。ではどうするべきか。政府は馬に関する部署を新設して、良い馬を効果的に増やす方法を考える。そうして思い至る。実行可能でかつ最大限に効果的な方法、大型馬を輸入すればいい。体が大きく、従順で、子孫を残せる、立派な牡馬を。彼らを、国内にいる全ての牝馬と交配させる。そうすれば、国産馬全てを海外馬と入れ換えるほどでなくとも、仔馬にその形質は確実に受け継がれる。
故に、日本の小さい牡馬は、もう仔を残す人ようがないとされた。むしろ残してはならない。牝馬の腹は全て外国馬のために使われなければならない、と。
このために、日本の牡馬は悉く去勢されることが決まった。文字通りの根絶やしである。これ以上小さな形質の馬が増えることがないよう、牡馬は徹的に生殖能力を奪われた。そうすればこれ以降、全ての仔馬は外国馬を父に持ち、大きい形質を半分受け継ぐことになる。それが大きくなったら、また大きな個体同士を交配させればいい。このように計画的な交配を数代も繰り返せば、小さな馬が現出する可能性は低くなるという目論見だった。
そうして、血と行き詰まりの果てに日本の馬は外の馬と交雑した。日本にもともといた馬の純血種は完全に淘汰された。
政府の計画の下、完全に淘汰したのだと、そう思われていた。
だが実際には違う。例外はあった。

この例外となるのが「颶風の王」の血統であるが、数少ない例外を除いて、日本の純血種は政府の政策のもとに淘汰されてしまった。
淘汰という言葉では生易しい。
西洋列強に追い付くために、国家が政策的に日本の純血種である牡馬を根絶やしにしたのだ。

御一新以降、「西洋に追いつけ追い越せ」と遮二無二ひた走る言い訳に「和魂洋才」などという言葉を使ったが、永井荷風が云うように欧米の根底にある価値観を理解することなく『上辺だけの西欧化に専心』するという軽薄さは、肝心要の 和魂まで鈍刀にしてしまったのではないだろうか。
この行き過ぎた「上辺だけの西欧化への専心」の反動が、行き過ぎた精神論に走らせ、「かのように」という穏健派とも危険思想とも捉えられる微妙な作品を生ませる背景になったのではないだろか。

そのあたりについては、又つづく