何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

神だけが知る時間

2016-02-10 09:51:25 | ひとりごと
人間は人間の未来だ
もう何年もの間、言った者勝ちやった者勝ちの傍若無人が大手を振って歩いている世の中で、このまま行きつくところまで行くしかないのかと半ば諦めてもいたが、さすがにこの一月、次から次へと...


グーグルさんから一年前の記事が届いていた。

一年前のこの時期からブログを始めたことには気づいていたが、「一年前」と言葉にすると「一年前にはワンコがいてくれた」今はこの想いばかりが浮かぶ。
ブログを始めた一年前の2月4日のワンコ日誌には、「けなげに日向ぼっこ」と書いている。
その三週間後には「定期健診 エコー・心電図・血液検査ok」と花丸印を付けている。
体重も、今から考えれば減少傾向(老衰段階)に入っていたのかもしれないが、当時は「心臓の負担を考え少しダイエットしましょう」と言われていて、またワンコが自分の意思で健気に運動を増やしていたので、少し体重が減ったのをむしろ喜んでもいた。
三月に入れば、「夜中にウロウロ」「今日はぐっすり寝た」という記載が出てくるが、まだ二月はそのような気配もなく、このままワンコがいてくれる日々がずっとずっと続くと思っていた。

昨夜「一年前のワンコがいてくれた頃」と思いながら夜道を歩いていると、いつもは煌々と輝く犬星が心なしか影が薄い。
日が長くなり漆黒の夜の訪れが遅くなったのもあるかもしれないし、春独特の霞がかかっているのかもしれない。
悲しいけれど、確実に季節が移ろいゆくことを感じずにはおれない。
ワンコがいない新しい季節が始まってしまう、と思うと、一年前の「時間」について書いた「人間は人間の未来だ」が気になり始め、それと共に思い出した言葉がある。
『これからが、これまでを決める』

仕事も含め一日の圧倒的時間を読み書きに費やす私にとって、湯船につかりながらラジオを聴くのは、頭が解放される時間だ。
この年末年始は心身ともにせわしなく、特に風呂ラジオは貴重な時間だったが、そのなかで耳にし印象に残っているのが「これからが、これまでを決める」という言葉だった。

ブログ開始から一年目を迎えた日から、一週間。
ワンコがいてくれた一年前を思いながら、時間(現在・過去・未来)を考えている。
そのあたりは、又つづく



ところで、株も為替も長期金利も大変なことになっている。
<長期金利>初のマイナス 株安円高、日銀に誤算 毎日新聞 2月10日(水)0時10分配信より一部引用
9日の東京債券市場は、長期金利の指標となる新発10年物国債の市場利回りが一時、マイナス0.035%まで低下し、史上初めてマイナスとなった。日銀がマイナス金利導入を決めたことを受け、日銀にお金を預けておくと損をする金融機関が国債を買う動きを強めていたことに加え、欧米市場の株安を受けて東京株式市場でも株価が急落し、安全資産とされる国債を買う動きが広がったためだ。~中略~
日銀は1月29日の金融政策決定会合で、マイナス金利の導入を決定。中国経済の減速懸念や原油安を背景にした年明け以降の株安・円高の流れを止めたい狙いもあった。~略~ただ、市場では「世界経済の先行きに対する不透明感は強く、株安・円高・金利低下の流れは長引く可能性がある」(大手証券)との見方が強い。
9日の東京株式市場では、日経平均株価の終値が前日比918円86銭安の1万6085円44銭と急落。下げ幅は一時1000円に迫り、2013年5月以来、約2年9カ月ぶりの下げ幅を記録した。東証1部上場企業の98%超が値下がりする全面安の展開となった。~略~
(日銀が導入を決めたマイナス金利は)現状では、運用難になる金融機関の経営悪化や消費者が受け取る利息の減少の方が強く意識されており、市場の動揺は収まっていない。


「靴磨きの少年まで株の話をしだしたら相場はオシマイ」というので、心配しながらも黙っていたが、サーキットブレーカーが発動される事ここに至れば、私ごときが話題にしたところで、大勢に変化はない。
バズーカだか何だか知らないが、出口戦略あってのバズーカなのか。
「天佑なり」(幸田真音)によると、国債の日銀直接買い取りを決めた高橋是清は口を酸っぱくして忠告している。
『これはあくまで一時的な便法だ。こういう特例的な金政策を執るときは、必ずきちんと出口を設定しておくのが鉄則だ』
『国債を博打や賭事の道具に使われてはたまらないからな。』
『これはあくまで一時の便法だぞ。劇薬は一歩間違えれば毒になる。出口も作らず続ける事だけは、避けなければならぬ。』
平成の高橋是清は何処に。

追伸
靴磨きの少年ならぬ私。自分では大人しくしてきたつもりだが、読み返してみれば時々その話をしているようで、ブログを始めた三日後には早速その話題を取り上げている。(参照、「神の見えざる手」

日本が神のあたたかい御手に包まれることを祈っている。




最大公約数のユートピア

2016-02-08 23:37:55 | 
「命と純粋&責任の物語」のつづき

純粋さのなかにも責任感の萌芽がみられる12歳の少女のニュースを見て、「ユートピア」(湊かなえ)を思い出したといえば、大きなお叱りを受けるかもしれないが、この少女の作文を契機に善意のボランティア活動が立ち上がり、それがマスコミやネットの力で広がりをみせる過程は、「ユートピア」のそれと瓜二つだ。

『善意は、悪意より恐ろしい』
これは、帯にでかでか書かれている本作のキャッチコピーであり、小さく『「誰かのために役に立ちたい」という思いを抱え、それぞれの理想郷を探すが』とも書かれている。

「ユートピア」は、交通事故で足が不自由になった小1の久美香を献身的に支える小4の少女・彩也子が書いた作文を切っ掛けに設立されたボランティア基金「クララの翼」が舞台となる。

彩也子が、「足が不自由な久美香に翼があれば、車いすで生活している久美香ちゃんは、でこぼこ道も段差も気にせず簡単に進むことができるから、久美香ちゃんに翼を付けてあげたい」との願いで書いた「翼をください」という作文は新聞に掲載され反響をよぶ。

『鳥に翼があるように、昔は、人間にも翼があったんじゃないかな。
 でも今は、片方の翼しか持てなくなってしまった。
 それは神様からのメッセージ。仲良く手をつなぎ合いなさいっていう。
 わたしの翼と久美香ちゃんの翼を合せれば、二人でいっしょに飛ぶことができる。
 みんなの翼を合せれば、もっと高く、もっと遠くまで飛ぶことができる。
 そうだとしたら、私の願いごとは、みんなが自分の心の中に片方だけ持っている翼に気付くことだ』

この作文を契機に設立された「クララの翼」(足が不自由な子供達のため、翼をモチーフにしたグッズを販売し収益を寄付する団体)は、「誰かのために役に立ちたい」という純粋な願いから生まれたもののはずだったが、それと同時に、人には自分だけのユートピアを求める性や業や弱さがある。

生まれ育った古い田舎町で足の不自由な子供を守る母が心の開放感を求める、ユートピア
夫の転勤で田舎に越してきた女性が精神的充足感を求る、ユートピア
田舎暮らしと少女の作文に芸術家としての新境地を求める、ユートピア

「クララの翼」が「誰かの役に立ちたい」という善意から設立されたとしても、集う人間はそれぞれ異なる事情を抱えているので求めるユートピアも異なってくる。そこに芽生える小さな齟齬が、徐々に人の心に悪意を沁みこませ、過去の殺人事件の真相を炙り出していくあたりの筆致は、さすがイヤミスの女王。

本作は、ボランティアという一見善意の活動にある、いや善意と称するからこそ紛れ込む人の弱さや悪意と、その無自覚さ故の恐さを書いているが、同じ恐さは、誰もが胸にしまっている小さな秘密にも通じるものがある。

善意の積極的活動にはあまり縁がないと思っている人間、たとえば子供でも、小さな秘密の一つや二つは抱えている。
秘密にする理由が人を思いやる優しさであっても、その秘密が些細であっても、結果的には大きな悪を生み出すこともある、そんな恐ろしさも織り込まれているイヤミスの女王が書く「ユートピア」

「ユートピア」が書く「善意は、悪意より恐ろしい」の善意と悪意は誰の心にも潜んでいるものなので、老婆心ながら、設定をほぼ同じくしているこの度のニュースが少しばかり気になったのだが、命の大切さを子供に伝えるという意義ある活動なので、成功を心から祈っている。


ところで、本書のなかで心因性の病気の理解について書かれている場面があった。
久美香は、交通事故で足が不自由になったため車いすで移動しているのだが、歩くことができない理由は、事故による器質的疾患ではなく、心因性のものだった。
これを騙されたと感じる陶芸家を、別の芸術家が窘める言葉は、印象的だ。

『心因性の病気で苦しんでいる人たちはたくさんいるじゃない。
 関節や筋を痛めていて歩けないなら同情できるけど、心の病で動かせなくなっている人はただの仮病だって言ってるようなものじゃない。
 そんな目を向けられたんじゃ、菜々子さんも(足が不自由な少女の母)も苦しんできたでしょうね』
『私たち芸術家は人の心に届くものを作りたいと思っている。
 心を相手にしている私たちが心の病を否定するなんて一番あってはならないことだと思うの。』

この言葉が思い出されたのは、心の病に苦しまれる雅子妃殿下に対して今尚「本当の病と、自分が病と思っているものは違うのだ」などという批判が向けられていると知り、驚いたからだ。

「鬼はもとより」(青山文平)で主人公・抄一郎 が心身ともに疲労困憊している元家老・清明に「逃げ」を勧める際に言っている。
『體の深くに、無数の(精神的)疵を溜めこんでいく。
 いまは顎の震え程度で済んでいるが、遠からず、その疵は別の形で、清明を壊すかもしれなかった。
 内なる疵が重なれば、體の強い者は心を壊し、心の強い者は體を壊す。
 そうなる前に、いまの席から清明を離れさせなければならない』(参照、「責めを負う覚悟」 「生きることと見付けたり」

心に疵を受け続ければ、体が頑丈な者は心を壊し、心の強い者は体を壊すという。
にもかかわらず、長く心の病に苦しむ者に、「本当の病と、自分が病と思っているものは違うのだ」と批判するとは、何と冷たく恐ろしいことかと驚いたので、「ユートピア」のこの一節が浮かんだのだが、負のイメージだけでは情けないので、子供の純粋な想いが傷つくことがないよう良い活動となることを願っていると、再度記しておきたい。

命と純粋&責任の物語

2016-02-07 23:01:07 | ニュース
12歳くらいと云うのは、世俗の垢にまみれておらず純粋で、しかし何かを訴えることで変わるかもしれないという行動力が身に付きはじめる年齢なのだろうか。
12歳の少女が書いた作文を契機に、命の大切さを伝える活動が広がりを見せているようだ。

<少女がつなぐ「78円の命」 猫殺処分の値段「胸がはりさけそう」> 東京新聞2016年2月6日 夕刊一部引用
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201602/CK2016020602000252.html
猫の殺処分に心を痛めた愛知県豊橋市の少女の作文「78円の命」がインターネットなどで広がり、共感を呼んでいる。賛同した東京の若手アーティストらが作文を絵本やポスターにして、全国の子どもたちに命の大切さを伝えようと動きだした。
作文は、豊橋市青陵中三年の谷山千華さん(14)が小学六年の夏休みに書いた。近所の野良猫「キキ」の産んだ子猫がいなくなったのをきっかけに、殺処分のことを知った。
処分の現状を伝える動画などをネットで見たところ、映し出された「処分費一匹七十八円」の文字に言葉を失った。子猫を捜しているかのようなキキのかれた声に、眠れなくなった。
思いを書き、市内小中学生の作文大会で発表すると最優秀賞に。地元で野良猫の保護活動をする市民団体がブログで紹介し「少女の悲しみに心が痛む」「無責任な大人たちが読むべきだ」と反響が広がった。
豊橋市の漫画家鈴尾粥さんが昨夏、漫画にしてインターネットで発表すると、東京都在住のライター戸塚真琴さんや写真家、デザイナーらの目に留まり、ボランティアのプロジェクトが始まった。
インターネットを通じて不特定多数に事業資金を募る「クラウドファンディング」で印刷費を集め、命の大切さを訴える絵本や啓発パンフレット、ポスターを四月に完成させる。まずは豊橋市の小中学校に寄贈し、全国に広めていく。
クラウドファンディングは「78円の命プロジェクト」でインターネット検索。三月三十一日まで。
◆作文抜粋「命の価値がたった…」
近所に捨てネコがいる。人なつっこい性格からいつの間にか近所の人気者になっていた。2年たった頃にうれしい出来事があった。赤ちゃんを産んだのだ。行き場所のない子ネコたちを近所の○○さんが預かってくれた。
ある日、子ネコの姿が見えなくなった。○○さんは「センターに連れて行ったよ」と、うつむきながら言った。たぶん新しい飼い主が見つかる所に連れて行って幸せに暮らせるんだなと思った。
学校で友達に話したら「保健所だろ? それ殺されちゃうよ」と言った。「そんなはずない。絶対幸せになってるよ」。授業中も保健所のことで頭がいっぱいだった。走って家に帰ると、パソコンの前に座った。
想像もできないざんこくなことがたくさんのっていた。見捨てられた動物は3日の間、飼い主をひたすら待ち続けるのだ。飼い主が見つからなかった時には、死が待っている。
10匹単位で小さな穴に押し込められ、二酸化炭素が送り込まれる。数分もがき、苦しみ、死んだ後はごみのようにすぐに焼かれてしまうのだ。動物の処分、1匹につき78円。命の価値がたった78円でしかないように思えて、胸が鳴り、はりさけそうになった。
命を守るのは私が考えるほど簡単なことではない。生き物を飼うということは一つの命にきちんと責任を持つことだ。今も近所に何匹かの捨てネコがいる。このネコたちをかわいがってもいいのか、ずっと悩んでいる。(一部抜粋、原文のまま)



このニュースを見て思い出すのは、やはり敬宮様の作文。
これまで何度か記してきたが、敬宮様はニュースで紹介されている少女と同じ12歳の時に、動物の殺処分がなくなるようにと願いをこめた作文を書かれている、しかも、それは初等科卒業記念文集の「夢」という課題において、書かれているのだ。
敬宮様は、道徳の授業で「ペットの命は誰のもの」という番組を見て年間27万頭もの犬猫が殺処分されているという現実を知られたそうだが、同じ番組を見ても受け留め方が異なり、命の重みに敏感なのは、敬宮様が7~8歳の頃にピッピとまりを見送っておられたからだと思われる。
そう思いながらも、動物の殺処分を理解できていなかった私が、その酷い実態に驚いたのは「犬とあなたの物語~犬の名前」(十倉和美)を読んでのことだ。(参照、「犬と私の物語」
飼い主が飽きたという理由で動物施設に持ち込むのは論外だが、さまざまな経緯で施設に持ち込まれた動物は、新たな飼い主が見つからない限り、たった数日で殺処分されてしまう。一日たつごとに奥の部屋へと移動させることも残酷なら、その最期の処置も極めて残酷だ。
そんな残酷な現実を作り出している大人社会を、このニュースの少女は責めるのではなく、今も近所にいる何匹かの捨て猫を『かわいがってもいいのか、ずっと悩んでいる』 という。
二年間近所に居ついた捨てネコを見守るなかで、少女自身『命を守るのは私が考えるほど簡単なことではない。生き物を飼うということは一つの命にきちんと責任を持つことだ。』と理解したからこそ、殺処分の酷さに涙して尚、近所の捨て猫をかわいがっても良いのかと悩むのだと思われる。この少女の作文を中心に活動が広がったのは、ただ命の重みを理解しただけでなく、責任をもって命と向き合う姿勢が示されているからではないだろうか。

それは、敬宮様の作文と姿勢にも通じている。

この土曜日もまた私達はワンコ聖地をお参りしてきた。
あれから毎週週末は、ワンコ聖地へ花を手向けに出かけるが、人間世界は’’墓の墓’’が社会問題となっているのにワンコ聖地はいつもきれいな花が供えられ、いつも誰かが涙を浮かべてお参りしている。
それほどに辛い家族ペットとの別れを幼少期に経験された敬宮様だからこその『犬も猫も殺処分されない世の中の実現に向けて、たくさんの人に動物の良さが理解され、人も動物も大切にされるようになることを願っています。 』という願い(作文)だが、その願いに説得力があるのは、皇太子御一家が飼われるのは迷い犬・猫として保護されたものばかりであり、それらの犬や猫を敬宮様が決して野良犬・猫とは呼ばれない優しさに、強い意思が感じられるからだ。

辛い経験をすることも厳しい事実を知ることも、12歳の少女には悲しいことには違いないが、純粋で瑞々しい感性だからこそ、世に訴えるものがある、そのあたりについては、つづく


『動物達の大切な命』       敬宮愛子

 道徳の授業で、「ペットの命は誰のもの」という番組を見て、私は、年間27万頭以上もの犬猫が保健所などで殺処分されている現実を知りました。動物達にも命があるのに、なぜ殺されなければならないのか、かわいそうに思いました。
 私の家では犬一頭と猫2頭を飼っています。みんな保護された動物です。前に飼っていた二頭の犬も保護された犬でしたが、どのペットも、可愛がって育てたらとても大切な家族の一員になりました。動物がいることで癒されたり、楽しい会話がうまれたりして、人と動物の絆は素晴らしいものだと実感しています。私が飼っている犬は、病院に入院している子供達を訪問するボランティア活動に参加し、闘病中の子供達にもとても喜ばれているそうです。
 また、耳の不自由な人を助ける聴導犬や、体に障害のある人を助ける介助犬は、保健所に収容された、飼主の見つからない犬達の中から育成されて、障害のある人々の役に立つ素晴らしい仕事をしているそうです。
 私はこのような、人と動物の絆の素晴らしさや、命の大切さを広く伝えていかれたらよいと思います。そして、犬も猫も殺処分されない世の中の実現に向けて、たくさんの人に動物の良さが理解され、人も動物も大切にされるようになることを願っています。

さわやか真っ向勝負!

2016-02-05 12:58:55 | ニュース
正直なところ、KKコンビニはあまり興味はなかった。
チビッ子チームで一番ショート(控えピッチャー)だった自分が憧れ応援していたのは、宇部商だった。
宇部商の控えのピッチャー古谷君だった。

とはいえ、宇部商にも山口県にも、何の縁もゆかりもない。
夏がくれば、贔屓のチームがなくとも甲子園をとりあえず見て、見ているうちに贔屓のチームをつくり熱心に応援するというのが、我が家のスタイルだった。
そして、私はといえば子供の頃から既に、頑張っているのに報われない、だが腐らず真面目に頑張る人、を応援する気質があったのだと思う。

宇部商の古谷君にはまってしまった。
かなり昔の記憶なので曖昧な部分はあるが、たしか宇部商には知られた本格派のエースがいた。
この投手が君臨する限り、古谷君には出番はないはずだった。
しかし、控えの古谷君は、ふて腐れることなく真面目に地道に練習をしていたのだと思う。
出番は甲子園の本番に突然やってきた。
準準決勝では走者を背負ってのピンチに登場し見事に抑え、準決勝では大量得点を取られた後に登場これまた見事な好投で味方打線の反撃と勝利を呼び込んだ。
ついに決勝の日、甲子園で一度も任されたことのない先発投手となったのだ。
手に汗握り応援した。
投げても投げても、Kは打つ。
古谷君はマウンド上で頻繁にかがみこんでは、靴ひもを結びなおしていた。
靴ひもを結びなおしながら、冷静になろうとしていたのだと云う。
だが、「どこに投げても打たれてしまった、もう投げる球がないと思った」と試合後古谷君は正直に述べている。

万年控えながらリリーフとして準々決勝・準決勝とチームを勝利に導き、決勝でついに初めて先発を任され、あのKKコンビに一歩も譲らず真っ向から勝負に挑んだ古谷君を讃える記事の見出しは「さわやか真っ向勝負」だった。
この「さわやか真っ向勝負」の切り抜きと写真は、かなり後々まで私の机の上に飾られていて、私を励ましてくれたものだった。

最近世を騒がしているKKコンビの一方のニュースには関心がなかったが、宇部商や古谷君を思い出させてくれる記事を見つけた。

<PLに敗れた宇部商・藤井さん「まだ君に憧れている人たくさんいる」…清原容疑者へメッセージ> 
スポーツ報知 2月5日(金)7時5分配信より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160204-00000202-sph-soci
85年夏の甲子園決勝で清原容疑者を擁するPL学園(大阪)に敗れた宇部商(山口)の藤井進さん(47)が4日、ライバルの逮捕に思いを語った。大会本塁打記録をめぐってデッドヒートを繰り広げた同学年の英雄へ「今も憧れている人がたくさんいることを忘れないでほしい」とメッセージを送った。
あの夏から31年後に届いた衝撃の一報について、藤井さんは「なんと言ったらいいか分かりませんが、残念です。同い年の僕にとっては今も憧れ…雲の上の存在ですから」と率直な思いを口にした。
聖地に響いた球音、空高く架かった放物線を今も覚えている。85年夏の甲子園。藤井さんは準決勝までに計4本塁打の大会新記録を樹立して決勝に臨んだが、清原容疑者が大舞台で2発。通算5本塁打と記録を塗り替え、チームを全国制覇に導いた。「バックスクリーンへの打球をセンターで見送りました。ここで打ったらヒーローって場面で、本当に打っちゃうんですからね。悔しさはなかったです。ただ『さすが清原だな』と」
大会後は共に高校日本代表として日韓米対抗野球に出場。クリーンアップを打った。「バッティングのアドバイスもしてくれたり、アイドルの話をしたり。気を使ってくれる兄貴分。そんな感じでした」
その後、野球の道を諦めて会社員になった藤井さんにとって、同学年の清原容疑者は夢を託す英雄で在り続けた。「清原と戦ったことはずっと付いて回りましたけど、僕にとって誇りであり、支えでもありました」。引退するまで、常に打撃成績を気にしていたという。
今、心の中にあるのは失望だけではない。更生を期待している。「まだ君に憧れている人がたくさんいるんだということを、清原には忘れないでほしいです。吹っ切って、二度と薬に手を出さないでほしい」。切なる願いが届く日は、来るだろうか。


藤井選手のことも覚えている。
先取点を取られた後にいくら古谷君が好投しても、それだけでは勝つことはできない。
この記事にある藤井選手がホームランとヒットを量産したおかげで逆転できたのだ。
あの頃はKKコンビの活躍ばかりが報道されたが、たしか藤井選手の打点はKを上回り、長く破られていなかったはずだ。
藤井選手は豪快なスイングと男前の顔をくしゃくしゃにして笑う笑顔が印象的な選手だったが、自分が憧れ応援したのは(申し訳ないが)容貌も万年控えっぽい地味な古谷君であり、その古谷君がここ一番で主役となったことは子供心に胸を打つものがあったのだ。

このニュースを見て宇部商を検索し、あの山際淳司氏が「ルーキー」という作品を書いていること、そのなかで宇部商に触れていることを初めて知った。
あの山際氏と書くのは、山際氏には同じく高校球児を描いた「スローカーブを、もう一球」という作品があり、この作品を切っ掛けとして山岳小説を読み漁るようになったからだ。(参照、「みんな山が大好きだ」)

山際氏の視線と筆致は、功成り名遂げたが帰らぬ人となった登山家に対しても、どんなに努力しても報われなかったスポーツ選手に対しても、あたたかい。
山際氏がご存命なら、この事態をどう見て、どう書かれるかと思わずにはおれないが、それに思いを巡らせるため「ルーキー」を読んでみたいと思っている。

落ち込むばかりの最近だが、「さわやか真っ向勝負」を思い出したことで、少し元気がでた気がしている。

藤井選手は、「まだ君に憧れている人がたくさんいるんだ」とKを気遣うが、その藤井選手が活躍した宇部商の名勝負に憧れ励まされた当時のチビッ子は、今もそれを思い出しただけで元気がもらえると感じている。

そんな宇部商のナインの方々が、あの名勝負にふさわしい人生を送っておられることを願っている。

自然と命と自分たちと

2016-02-04 12:30:00 | 
「命につながる道」つづき

「生きるぼくら」(原田マハ)について「つづく」と書きながら、今の自分には題名がまぶしくて、書けないでいたが、今日は立春。
田んぼに集った人々が、元気になる話は相応しいだろうと思い、書きかけで置きっぱなしになっていた駄文を捻くりかえしている。

誰が云ったのか何で読んだか聞いたか、今となっては忘れてしまったが、「どんなに辛いことがあっても、懐かしくて胸が締め付けられそうになるような、景色(心の原風景)を持っている人は大丈夫」という言葉が、心に残っている。

「生きるぼくら」のばちゃんにとっての心の原風景は御射鹿池であり、ばあちゃんが大切にしてきた「自然の田んぼ」が登場人物すべての心の原風景となっていくからだろうか、この物語は温かく清々しい。

両親の離婚後、母親と二人暮らしになり転校先の学校でイジメにあう主人公。
繰り返されるイジメで遂に高校を中退してしまい、数年に及ぶ引きこもり生活を送っていた主人公・人生。
人生の別れた父の再婚相手の連れ子のつぐみも対人恐怖症という問題を抱えていた。
この二人が、祖母から届いた「私は余命数か月」という年賀状に驚き、ばあちゃんのいる茅野へやってきて、認知症で誰が誰だか分からなくなっているばあちゃんと三人で生活を始めるところから、この物語は始まる。

かつてアパートの薄暗い部屋で、ネットを通じて世界とつながっている気でいた人生は、ばあちゃんを訪ねるために数年ぶりにアパートから出て新宿駅に着いた瞬間から、ネットの世界から身を引く。アプリを利用して目的地へ向かう手もあったが、駅員やふと立ち寄った蕎麦屋のおばちゃんの情報を優先する。この蕎麦屋のおばちゃんとの偶然の出会いが、その後の全てに影響を与えるという都合の良さは小説特有のものだが、アナログ人間としては、そんなご都合主義もかえって好印象だった。それはともかく、バーチャル世界にどっぷり浸かっていた人生が、今どきの本職の農家さえ尻込みするような「自然の田んぼ」に挑戦する伏線は、この辺りにあったのかもしれない。

幸福の条件シリーズでも書いたが、稲作というと、水をはった田んぼに稲が植えられた絵柄とたわわに実った稲穂の絵柄が思い浮びがちだが、思いの外作業は多い。
耕起(田越し)もその一つだが、これをしない農法を、ばあちゃんはとっている。
(参照、「幸せの条件 お天道様」 「幸せの条件 知足者富」 「幸せの条件 共生と独歩」 「幸せの条件」

ひとつ作業が減ることで楽なのかというと、そうでは、ない。
『耕さない田んぼはほとんど野原のようで、雑草がぼうぼうに伸びている。稲を枯らしてしまうような雑草は取り除くけれど、それ以外の草は放っておけばやがて朽ち、肥料になるのだと。耕さなければ、そこにはミミズや微生物がたくさん棲みついて、土壌が豊かになるのだと。
しかし、野原のような田んぼに一本一本手作業で苗を植えるのは、想像を絶する重労働だった。』

それまでは、ばあちゃんの「自然の田んぼ」がほんの一反ばかりで、しかもその「自然の田んぼ」が(農薬を使う)近隣農家を脅かすものでないこと、何よりも自然の農法に近隣の農家が関心を持っていたこともあり、若い衆の協力で守られていた。が、これほどの重労働にも拘らず協力してくれる若い衆を、認知症のばあちゃんは分からなくなっていた。
認知症で人の区別はつかないのに、重労働で協力してくれる人を覚えておれないことを「申し訳ない」と思う優しさと良識が、ばあちゃんには残されていた。ゆえに、「来年からは、自然の田んぼは、しない」と宣言する。
ここで立ち上がったのが、人生とつぼみ、であり、それに協力する人々の輪が広がっていき、やがて「自然の田んぼ」は、関わる人々の心の原風景となっていくのだ。

就職活動に挫折し、実家に帰省している大学生・純平もその一人だ。
親に無理やり田植に参加させられた純平は人生に、「東京の一部上場企業でしか働く気はない。それ以外は負け組」 「両親の離婚やイジメや引きこもりとか、ガラスの十代のときに、超ネガティブなことを経験しちゃったわかだから、人生が''負け組''になっても仕方ない」と言い放ち、二度までは田んぼに来ようとはしなかった。
その純平の言葉に、人生は、かつて自分を苛め退学に追いやった人々を重ねる。
彼らはみな「あっち側」の世界に住む人間。
『「あっち側」とは、「いじめる側」だ。言い換えれば、「勝ち組」だ。そこに属する人間は、いつも高飛車で、他人に容赦がなく、自分のひと言で誰かが傷ついたり、時には再起不能なほど追いつめられたりすることを、想像することができない。人への思いやりなどというものをかけらも持っていないのに、合理的に、計算高く生き延びる。ずる賢く、打たれ強い。そして、根拠はなくとも、いつも何かに対して勝ち誇って生きているのだ。
子供の世界ばかりでなく、今は大人の世界にもはびこっているいじめが露呈しにくいのは、「あっち側」の人間がそれを周到に仕掛けているからだ。彼らは計算高いので、自分の点数が減点されるようなやり方ではしかけない。家族にも学校にも会社にも、絶対に分からないようなやり方で、誰かを傷つけ、追い詰める。それでいて、罪悪感など微塵も持たないのだ。』
純平によって思い出させられた「あっち側」の人間の存在は、ばあちゃんとの暮らしや仕事と田んぼの両立により、人に心を開き前向きに生きはじめていた人生の心に影を落とすが、それでも人生は純平に元気に育つイネの写真をメールで送り続ける。
そのメールの題名が、「生きるぼくら」なのだ。

このメールが純平を変える。

ある日、人生は「自然の田んぼ」に純平の姿を見つける。
就活が上手くいかないなか手伝った田植の時の気持ちを語る純平。
『ひょっとすると、自分はこんなふうに地面にへばりついたままで社会の負け組になる』
『狭い部屋の中に閉じこもっていたのは、過酷な社会の中で自分は伸びていけないかもしれない、と感じて怖かった』
だが、人生から届くメール「生きるぼくら」に添付される稲の写真が、純平に大切なことを気付かせる。 
『田んぼで育つ稲のように、自分たちには、空を目指してどんどん伸びていく本能が備わっているはずだ』
『自然に備わっている生き物としての本能、その力を信じること。すなわち、生きる力、生きることをやめない力を信じること』

関わる人々に生きる力と元気を与えながら、稲刈りの場面に話は収斂されていく。
同じく「自然の田んぼ」を手伝う純平の父は、『稲架けの瞬間が、毎年、いちばん嬉しい瞬間』だという。
それは、『なんだか、無性にありがたい気分になるんだよ。他の野菜の収穫のときでも、もちろんそうなんだけど・・・・・やっぱり、お米は特別だね。生きてる証しっていうか。自然と、命と、自分たちと。みんな引っくるめて、生きるぼくら。そんな気分になるんだ』
人生が純平に伝えた「生きるぼくら」の言葉は、元はと云えば、純平の父が人生に語った言葉でもあった、こんな言葉の循環も、稲作の物語にはピタリと収まり、気持ちが良い。

言葉の循環と云えば、人生の記憶に残るばあちゃんの言葉は、私の心にも残った。
子供の頃、稲刈りをしたがった人生に、「カマなんか、いっぺんも使ったことが無いんだから、できっこないよ。」と父は止めるのだが、それをばあちゃんが窘める言葉は、素敵だ。
『誰にだって「最初」はあるでしょ。だったら、今日を、その「最初」の日にしたらいいのよ』

「まだ子供だから」「もう大人のくせに」という言葉が、最初の一歩を押しとどめてしまうことがあるが、ばあちゃんの『誰にだって「最初」はあるでしょ。だったら、今日を、その「最初」の日にしたらいいのよ』という言葉は、読む私にも勇気をくれた。

最初の一歩を踏み出す勇気を与えてくれるばあちゃんの「自然の田んぼ」は、関わる人々に生きる力を与えていくが、
ばあちゃんには「自然の田んぼ」とは別に、心の原風景となる場所がある。

御射鹿池
それは認知症となったばあちゃんが発見される場所でもあり、東山魁夷「緑響く」という作品にも描かれている。
『悲しいときも、さびしいときも、嬉しいときも。
 いつもこの場所に来て、自分の人生を振り返ったり、未来を夢見たりしていた。
 人生という長い川に浮かび上がる大きな泡も小さなあぶくも、この湖は、黙ってすべてを受け止めてくれる。
 ただ静かで、どこまでも深い包容力に満ちた、一枚の絵のような風景』

 


折れそうになる心を、心の原風景を瞼に浮かべることで何とか踏みとどまらせているが、私の心の原風景がワンコの名前のにも繋がるので、つらい。
『自然に備わっている生き物としての本能、その力を信じること。すなわち、生きる力、生きることをやめない力を信じること』 『自然と、命と、自分たちと。みんな引っくるめて、生きるぼくら。』という言葉を必死で考えている、立春である。