何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

味噌汁とガンジー

2018-02-19 20:00:00 | ニュース
冬季オリンピックというと必ず思い出すエピソードがある。

1998年 長野冬季オリンピック
ノルディック複合で活躍する双子兄弟や、優勝を目前にしながら「落ちた~」とアナウンサーが絶叫したスキージャンプのリベンジなど話題に事欠かないようで、どこか盛り上がりに欠けていた長野オリンピックだが、国民の関心が一気に高まったのは、やはり清水宏保選手がスピードスケートで日本人初となる金メダルを取ったことにあると思う。

あの時の清水選手の滑りの力強さと迫力は、スピードスケートの何たるかを知らない私でも分かるほどの素晴らしいものだったが、それよりも強く印象に残ったのは、試合後のインタビューだった。

ベタというより愚問ではないかとも思えるのだが、金メダルをとったばかりの清水選手に、「今何を食べたいか」という質問が飛んだ。
「おふくろの味噌汁」
少しぶっきら棒に答える清水選手に、「お母様は、お料理が上手なんですね」との声が重なった。
それに対する清水選手の答えが、私達(一緒にテレビを見ていたウィンタースポーツ音痴達)のハートをつかんだのだ。
「誰にとっても、おふくろの味噌汁は一番じゃないですか」

長野オリンピックから20年。
時代は変わり、今ではこの答えの受け留め方は色々あるかもしれないが、当時も今も私は、はにかんだような笑顔で「誰にとっても、おふくろの味は一番」と答えたそれを、クレバーで温かいと思っている。

それ以降、清水選手の’’言葉’’に注目してきたので、この記事も記録しておきたいと思っている。

<「金は嬉しい、銀は悔しい…」五輪金・清水宏保の解説、「実に的確」と話題 選手目線の「説得力」>
withnews 2018年2月16日 7時2分 配信より一部引用
日本人のメダルラッシュで盛り上がりを見せる平昌冬季五輪。スピードスケートの女子1000メートルでは、小平奈緒選手が銀メダル、高木美帆選手が銅メダルを獲得しました。このレースを分析した長野五輪金メダリスト・清水宏保さんの解説が「分かりやすい」「実に的確」などとツイッターで評判です。番記者として追いかけた現役時代は「孤高」の存在だった清水さん。今回解説を直接聞いて、選手目線の「説得力」と本音を語る「親近感」をあわせ持った解説者に変貌していたことを感じました。
☆アウトスタートの不利、丁寧に説明
 14日の女子1000メートルを朝日新聞デジタルでの生中継で動画解説した清水さん。「ぼく、しゃべりだしたら、止まらないですよ」と最初に宣言した通り、約1時間半、レース映像を見ながらしゃべりまくってくれました。おかげで、司会として一緒に映像を見届けた私は楽をさせてもらいました。
この日、小平選手の心配点は、アウトスタートだということでした。スピードスケートの1000メートルはインスタートが有利なのです。清水さんはレースに前にそのことに触れ、理由を丁寧に説明してくれました。
「インスタートには二つの有利なポイントがある。一つ目はスタート直後の直線がアウトスタートより長く、スピードに乗りやすい。二つ目は疲れが出る最後の1周のバックストレートの交差で相手の後ろにつく形になり、相手のスピードを利用できるうえ、最後のコーナーで小さいカーブを滑ることができる。疲れた時に大きなカーブを曲がるのは、疲れるんですよ」
また、外国人選手のフォームを見ながら、「上半身、足、足首、そしてスケート靴が一直線になっている。こういうのがいいフォーム」ととっさに話す場面もありました。
小平の前に出た好タイムに「本音」
こうした内容を、笑いをまじえて話すため、ツイッターでは「わかりやすい」「金メダリストで説得力があるうえに親近感が持てる」と好反応が続々。選手の滑りを見ながら、「スピードが落ちた。もうだめですね」など、テレビ解説ではなかなか言えない「本音」も繰り出していました。
まるで居酒屋でテレビを見ながら話すような解説のなか、プロの視点が発揮されたのが、小平選手の3組前にオランダのテルモルス選手が滑った時。
1分13秒56のタイムが出ると、「うわー、小平選手に金メダルをとってほしかったのになあ。でも、まあ本番は500メートルですから」。
小平選手は、まだこれから滑るのに、「負け」を覚悟した発言。そして、画面に映った小平選手の映像を見て、「目つきがかわりました。動揺しましたね。だれだって、あのタイムを出されたら動揺しますよ。ぼくでも動揺します」と、選手の心理描写も的確に言い表したのです。
これには、ツイッターで「清水さんの解説正直すぎて、スタート前から期待もさせてもらえなかったわ」といった声もありました。
すべてのメダル獲得したからこそ言える言葉
結果はというと、清水さんの言った通り、小平選手はテルモルス選手の記録を抜くことができず、銀メダルでした。
「銀メダルは悔しいんですよ。金メダルはうれしい、銀はくやしい、そして銅はほっとする
1998年長野五輪500メートルで金、1000メートルで銅、2002年ソルトレーク五輪500メートルで銀と、すべての色を獲得した経験を持つだけに、説得力があります。「金しかとっていない柔道の野村忠宏くんは、この心理はわからないって言ってました」
☆「孤高」も笑い話に
現役時代は、報道陣にもあまり語らず、「孤高」を貫いた清水さん。私は、長野五輪後から長年取材をしましたが、「一言」をもらうために、裏から逃げる清水さんを走って追いかけたこともありました。
今となっては笑い話。当時を振り返ると、「その方がかっこいいと思っていたんですね。現役時代からいろいろ話をしておけばよかったと、今は思っています」。そうやって素直に反省するところも、好感が持てます。
清水さんは引退後、大学院で医療経営などを勉強。最近では、札幌市で訪問看護施設と通所介護(デイサービス)施設、スポーツジムを開設するなど、地域に根ざした活動に力を入れています。


この記事の後、小平選手はスピードスケートで日本人女性初となる「嬉しい金」をとることになるのだが、その小平選手が清水選手の’’言葉’’について言及している記事を見つけた。

<小平、清水宏保氏の逸話を実感「本当にその通りで…」>サンスポ2/18(日) 22:49配信より一部引用
平昌五輪第10日(18日、江陵オーバル)スピードスケート女子500メートルで、小平奈緒(31)=相沢病院=が36秒94の五輪新記録で、日本女子スピード陣で史上初の金メダルを獲得した。2010年バンクーバー五輪団体追い抜きの銀、今大会1000メートルの銀に続く、自身3個目のメダルを手にした。
日本勢として1998年長野五輪で金メダルに輝いた清水宏保氏(43)以来の快挙を達成した小平はレース後、「宏保さんから『ゴールまでがすごくスローモーションに思える。ゴールするのがもったないと思えるかもね』という話を聞いていた。本当にその通りでリンクから会場のみなさんの笑顔が見えるかなと思ったけど、目がかすんじゃって、何も見えなかった」と明かした。
その理由を問われると「こんなにたくさんの日本の方々が応援してくれて、よくないときも必ず誰かが認めてくれていたので、それがきょう、報われたと思う。うれしい気持ちを共有できた」と声を詰まらせ、うれし涙を流していた。


そんな小平選手の’’言葉’’もいい。
『明日死ぬかのように生きよ。
 永遠に生きるかのように学べ』

正確にはこれは、ガンジーの言葉なのだが、小平選手の座右の銘として今現在話題となっている。


スポーツだけでなくあらゆる分野で技術革新や変化は激しいが、偉大な先達の姿勢や言葉は、いつの時代も変わらず大きな力を持ち続けると思うので、競技の勝敗とともに、世界1を目指す選手の’’言葉’’にも注目してオリンピック後半戦も、応援したいと思っている。


続 モタモタすんな!

2018-02-18 12:00:00 | 
「プレイボール人生①」 「プレイボール人生②」 「プレイボール人生③」
「プレイボール人生④ モタモタすんな!」より

「人生のウイニングボール②」で書いたように、西穂を歩いている写真はないのだが、西穂の遠景写真でもないかと探していて見つけたのが、これだ!


これだ!と書いたが、実はこれは、それでは、ない。
この写真を撮った時には、穂高オールスターズだと感激したものだが、当時 一番西?の端にあるため西穂だと早とちりした山は、おそらく多分きっと、明神岳だ。
だが、この写真のおかげで、初めて3000メートル級の山 北穂(3106)に登った時の感動と実感 ’’一歩一歩’’ を思いだしたので、西穂Tシャツとのコラボ写真を撮ってみた。
 「プレーボール人生④モタモタすんな!」

無謀にも初めての3000m級で北穂(3106)に登った私は、森林限界から広がる世界に圧倒された。
樹林帯には樹林帯の良さが勿論あるのだが、森林限界を超えると、一歩 足を運ぶごとに、何かが変わる実感が確かに生じる。
10歩のぼれば10歩ぶん高くなり、10分のぼれば10分ぶん高くなる。
そうして、雲を越え空が近くなり、’’ 一歩一歩'' の大きさを噛みしめるとともに、圧倒的な大自然を前に、人間のちっぽけさを思い知らされる。
その感じが、すごく いい。
蝶槍より拝する槍穂の峰々

そんな感動を初めて味わった直後に焼き物をする機会があった私は、そこに迷うことなく ’’ 一歩一歩'' の字を記した。
そして、その感動は、世界最高峰を極めた人にも日本の3000mに登った人にも等しく与えられる素晴らしい教えなのだと思わせてくれる本に出会った。

「淳子のてっぺん」(唯川恵)
本の帯より
「エベレスト? 女なんかに登れるもんか」 そんな男の言葉に負けん気を発揮、 女性だけの隊で頂きを目指し、 8848メートルに立った淳子。 山頂から彼女が見たものは――。
その一歩が、夢を叶える
2016年10月に逝去した登山家・田部井淳子。男女差別が色濃い時代、女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功した彼女は、どのように山に魅入られたのかーその物語を完全小説化。
山を愛し、家族を思い、人生を慈しんだ淳子が、その’’てっぺん’’に至るまでの、辛く苦しくも、喜びと輝きに満ちた日々。


田部井氏が、悲しみと怒りと励ましと労りの気持ちで怒鳴った「モタモタすんな!」の言葉を思いながら、
つづく

号外 あっぱれ15歳棋士

2018-02-17 13:07:17 | ニュース
<注目の初対決は藤井聡太五段が勝利!羽生善治竜王下す 午後2時半ごろから中学生初優勝かけ決勝へ>
abema TIMES 2/17(土) 12:30配信より一部引用

将棋の羽生善治竜王(47)と藤井聡太五段(15)が2月17日、第11回朝日杯将棋オープン戦準決勝で公式戦では初めて対局し、藤井五段が119手で勝利し決勝へ駒を進めた。
藤井五段は優勝すれば、加藤一二三九段(78)の15歳10カ月を抜き、史上最年少の15歳6カ月での一般棋戦優勝となる。また、「五段昇段後全棋士参加棋戦優勝」の昇段規定も満たし、1日の五段昇段からわずか16日で史上最年少の六段昇段も決定する。
対局は持ち時間40分、切れたら1分の早指し戦。藤井五段の先手番で始まると、先に藤井五段が40分の持ち時間を使い切ったが、難解な終盤で攻めきった。2人はこれまで非公式戦で2度戦い、1勝1敗だった。
決勝では、準決勝のもう一局で勝利した広瀬章人八段(31)対戦する。


この日のために、というわけではないがタイミングよく読んでいた将棋関係の本がある。
それについては、近々書きたいが、速報としてこの快挙を記しておきたい。

~・~・~追記~・~・~


午前中、国民栄誉賞を最近とったばかりの羽生竜王を下した藤井五段は午後からも快進撃をつづけ、最年少での優勝!!!

<羽生竜王撃破の藤井五段が最年少棋戦優勝、六段に昇段>スポーツ報知2/17(土) 16:29配信より一部引用
将棋の藤井聡太五段(15)が17日、東京・有楽町朝日ホールで行われた第11回朝日杯将棋オープン戦で15歳6か月の史上最年少棋戦優勝を果たした。
準決勝で公式戦初対局となった羽生善治竜王(47)を破った藤井五段は、決勝でも広瀬章人八段(31)を下し、史上初の中学生棋戦優勝者に。さらに、昇段規定を満たして同日付で六段に昇段した。
今までの最年少記録は「ひふみん」こと加藤一二三九段(78)が1955年に「六・五・四段戦」(現在は廃止)を制した時の15歳10か月。

記録を塗り替えられた格好となった加藤ひふみんの温かいコメントも懐の大きさが感じられ良かったが、多くの祝福の声のなかでも、やはり師匠のコメントは師匠にしか云えない何ともいえない良さがあるので、引用させて頂きたい。

師匠の杉本昌隆七段
「準決勝の羽生竜王戦を初め、大きな注目を集めた中での優勝、そして六段昇段は見事です。おごることなく臆することなく全力で相手に立ち向かう、藤井将棋の良さが出ていました。弟子が頂点に立つ瞬間を間近で見ることができ、師匠としてもこれ以上ない喜びです。どれだけ結果を残しても、15歳の藤井六段はまだまだ学ぶべき立場。それは全く変わりがありません。今後もより一層の精進を望みます」

プレイボール 人生④ モタモタすんな!

2018-02-16 12:00:00 | 
「人生のウイニングボール①」 「人生のウイニングボール②」

「ウイニングボール」(吉村達也)の主題である ’’野球と山’’ の野球つながりで、「卒業ホームラン」(重松清)と「ゲームセットにはまだ早い」(須賀しのぶ)を読んでいたのだが(「プレイボール人生①」 「プレイボール人生②」「プレイボール人生③」)、もう一つの主題である山についても書いておきたい。

「ウイニングボール」は西穂での救助場面が読みどころの一つなのだが、「人生のウイニングボール②」で書いたように、自分が西穂付近を歩いた時の写真は一枚もない・・・ので、証拠写真というわけではないが、西穂山荘で購入した西穂山荘Tシャツに、(初めて北穂に登った喜びと実感をこめて焼いた)湯呑みをおいて、写真を撮ってみた。
  


今となっては、あまりにも無謀な挑戦だったと自分でも思うのだが、初めての3000m級の山が、北穂(3016)だった。
人を見る目にかけては自信がある私は、「技術が確かで、親切そうな登山者」を見分けるのが上手く、この時もかなりの腕前の山屋さんご夫婦が、山初心者の娘さんを伴い、ボチボチ歩いておられるのに、こっそり付き従い歩いたものだった。
それまでの樹林帯歩きとは異なり、森林限界を超えたところに広がる世界は、圧巻だった。
そして、視界を遮るものがない世界で体感できる「一歩一歩」の重みは、当時も今も変わることなく、私のなかに刻まれている。

そんな「一歩一歩」の重みを考えさせてくれる本に出会った。
それについては又つづく

追記
1、写真左、絵心が皆無なので注釈が必要な代物だが、涸沢カールから穂高連峰を仰ぎ見た光景を描いてみた。
2、山荘オリジナルの山Tシャツは、優に下界の三倍ほどの値がするので購入するのが躊躇われるのだが、登山証拠として財布と相談しつつ毎回購入している。そんな山小屋での山Tシャツは、概して吸汗速乾に優れてはいるのだが、どうも汗の臭いが(下界Tシャツに比べ)こもりやすいような気がしてならない。
それが、この西穂山荘のTシャツにはなく、肌触りも良く気に入っている・・・のだが、如何せん色が真っ赤なので、着る機会がなかなかないのが、残念だ。

プレイボール 人生③

2018-02-14 23:25:05 | 
「プレイボール 人生①」 「プレイボール 人生②」より

万年補欠で小学校最後の試合にはベンチにすら入ることができなかった息子に、監督である父は「中学校の部活はどうするのだ?」と訊ねるのだが、息子の答えに迷いはなかった。
「野球部、入るよ」
居た堪れない母は 他のスポーツを勧め、父は「レギュラーは無理だぞ、三年生になっても球拾いかもしれないぞ」と言うが息子の決意に変わりはなかった。
『だって、僕、野球好きだもん』(『 』「卒業ホームラン」(重松清)より)

ねえ君よ
文武両道に悩みながらも、より野球に比重をかけて頑張っていたのに、ベンチ入りさえ難しいと分かった頃の君には、かける言葉がなかったのだが、
いつの間にか自分で消化し、最近では「だって野球が好きだもん」というスタンスで、楽しみながら一生懸命頑張るようになっている君よ
いつまで、「好きだもん」が通用するのだろうね

いつまでが、夢の時間なんだろうね
ここからの問いは、寧ろ私の問題なのだと思う。
「ゲームセットにはまだ早い」(須賀しのぶ) の帯には、『戦力外なんかじゃない。オレたち、まだまだいけるじゃん!』と大文字が踊っているが、出版社のサイトの紹介文にも興味をかきたてられるものがある。

<幻冬舎 話題作が続々登場幻冬舎の本>「ゲームセットにはまだ早い」より引用
若いからって、夢をもたなくちゃいけませんか? 大人になったら、夢をあきらめなきゃいけませんか?
感動必至の大人のための青春小説。 プロ野球選手になりそこねるも今もその夢をあきらめきれない高階圭輔。嫌々会社の野球チームのマネージャーに任命された無気力な女子・安東心花。家族を養う父親と、弱小チームの主将という立場の狭間で悩むベテランエースのクニさん、将来を期待されるも、身体も心もボロボロになり二度と投げられなくなってしまった元プロ野球選手の直海隼人。 そんな寄せ集めのメンバーが、個性豊かな監督・片桐のもとで、自らの再生を試みる。 野球を知らない人にも120%楽しめる、大人のための青春小説!』 http://www.gentosha.co.jp/book/b8182.html

サミュエル・ウルマンは「希望ある限り若く、失望とともに老い朽ちる」と云うけれど、
叶わない希望を抱き続けるのは、しんどいね

プロ野球選手になり損ね 潜り込んだ先の社会人野球のチームも企業の業績悪化のあおりで閉鎖されるに及び、慟哭のなか覚悟を決めたときの言葉は、胸を抉られるようで、痛い。
『大人になれ。もう、夢をみる時間は終わったんだと』 (『 』「ゲームセットにはまだ早い」より)

だから、希望にも夢にも、賞味期限があるのかもしれない
だから、希望にも夢にも、本来は前提条件が必要なのかもしれない

「野球を楽しめば、爆発的に伸びる」と言う監督に、マネージャーは「(野球を本気で楽しむためには)野球以外全て擲つ覚悟が必要か」と問うのだが、その問いに対する監督の答えは、「楽しめば」という言葉とは裏腹に、厳しい。
『擲ってもいいけど~略~ ちゃんと楽しむには、いくつか前提が必要なんだ。~略~
努力はもちろん、前提となる能力と環境が揃ってなければ、楽しむことはできない』

目標を掲げる者にとって、キツイ努力を続けることは、それほどキツイことではない。
だが、キツイ努力を楽しむためには、そもそも能力と環境が必要なのだという。
これは、おそらく肝心要のものが欠如していた為に上手くいかなかった私にとって、かなりキツイ言葉なのだが、そんなキツイ現実を突き付ける監督が、弱りきった選手にかける言葉に、も一度励まされる。

『野球の試合開始の合図は、ボールで遊ぼう(プレイボール)、だろう。
 そこからやってみようじゃないか』

夢や希望には、賞味期限も前提条件もあるだろうが、実は変幻自在に姿を変えるという特徴がある、と思う。
本気で努力を傾けた夢や希望は、仮に一直線には叶わなかったとしても、廻りまわって、違う形であれ楽しめることもある、と思う。

その廻りまわる過程を、応援する人でありたいと今の私は思っている。

「卒業ホームラン」は、ホームベースという言葉を作った人への感謝の言葉で締め括っている。
野球とは、ホーム(家)を飛び出すことで始まり、ホーム(家)に帰ってくる回数を競うスポーツなのだ、と。
皆で、ホームインしよう、と。

頑張る人が、安心して飛び出し帰って来れるホームでありたい、今はそう願っている。

おそらく、もう少しつづく