何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

プレイボール 人生②

2018-02-12 15:35:37 | 
「プレイボール 人生①」より

幾つもウイニングボールを持っている君が、昨年秋、背番号「1」どころかマウンドに立つ機会も無さそうだと分かった時、それでも あれほど厳しい練習を続ける必要があるのかと、正直なところ私は思ったのだが、最近読んだ野球モノの一冊には、そんな私の気持ちが書かれていた。
「卒業ホームラン」(重松清)

自選短編集・男子編と銘打たれた本書の第二話「卒業ホームラン」は、少年野球の監督である父・徹夫と、父のチームで万年補欠の息子・智の、小学校生活最後の試合の日の物語だ。

その日の朝も、息子はいつもの試合の日と同じように、庭でウォーミングアップの素振りをしている。
息子は、おそらく今日も出番が回ってこないことは、分かっていた。
そんな息子を見ながら、最後の試合のベンチ入りのメンバーを考えていた父は、娘(智の姉)の問いかけを思い出していた。

『がんばったら、なにかいいことあるわけ? その保証あるわけ?』
『ないでしょ?』
『努力がだいじで結果はどうでもいいって、お父さん、本気でそう思ってる?』

頑張りさえすればいいことが-「ある」と答えることは、嘘とまでは言わないまでも、何か大きなごまかしをしていると、父は思う。
だが、頑張ればいいことが-「ある」とは言えなくとも、「あるかもしれない」くらいは 言えるのではないか、あるいは、「いいことがあるかもしれないから、頑張る」と言葉を並べ替えることは出来るのではないか、と父は考える。

しかし、そこまで考えたところで、もっと根源的な問題に、父はぶち当たるのだ。
それは、父には息子が理解できないということだ。
甲子園に出場したことのある父は、負けず嫌いの性格で、野球だけでなく勉強でも他のスポーツでも、負けたくないから必死に頑張った。結果的には、それが報われることもあれば、報われなかったことも勿論あるにせよ、端から報われる可能性のないことに懸けたわけではなかった。
だから、『いいことがないのに、がんばる』息子の気持ちが、父には分からなかった。

小学校最後の試合でも出番がなかった息子とベンチに座り、父は「頑張れば、いいことがある。努力は必ず報われる」そう信じさせてやりたいと痛切に願いつつ、中学の部活について問いかけた。

その息子の答えは、きっと今の君に通じるものがあるのだと思う。
それについては、又つづくとするのだが、
ねぇJ君 うっすらと積もった雪から蕗の薹が顔を出しているよ


毎年 春先には、天ぷらに蕗味噌にと蕗の薹の苦み走った香りを楽しんでいるのだが、いち早く春の到来を教えてくれる蕗の薹の花言葉が 「待望」だと知ると、寒さのなか雪をわり顔を出す姿に、深く感じるものがあるよ
ねぇJ君
そろそろ君も私も、待ってる時間にも意味はあったと思えるような形で、顔を出さないといかんね
その準備は、そろそろ整いつつあるね

つづく

プレイボール 人生①

2018-02-11 11:11:11 | 
「人生のウイニングボール①」 「人生のウイニングボール②」より

タイトルと表紙のデザインに惹かれ手に取った「ウイニングボール」(吉岡達也)の感想が、中途半端なままになっていることは、分かっていた。
分かっていながら放置していたのは、自分の忙しさしんどさに感けて、野球と勉強 文武両道にもがいている君にかける言葉を持たない自分を不甲斐なく思っていたからでもあるのだが、久しぶりに ゆっくり話し、お互い少しばかり山を越えたと思えたから、もう一度本書「ウイニングボール」を振り返ってみることにした。

「人生のウイニングボール①」でも、表紙とあらすじ(裏表紙)を掲載したが、私にとっての本書の肝は表紙のデザインにあるので再掲させて頂きたい。
   
写真 KAZUHIRO FUJII / SEBUN PHOTO  装幀 今西真紀

(上巻 裏表紙のあらすじより)
長野県の少年野球大会決勝戦、旧戸隠村チームのエース健太は完全試合達成寸前だった。だが、捕手駿介のミスで大記録を逃し、激しく仲間をなじった。健太の態度に怒ったコーチの寺尾は、投手に渡されるべきウイニングボールを遠くへ投げ捨て、父の繁は観衆の前で息子を平手打ちにした。その出来事で、健太の心は激しく歪み、両親を憎んだ。十数年後―恋愛小説家として人気絶頂の健太に警察から連絡が入った。元恋人の沙織が冬の北アルプスで、あのウイニングボールを持って凍死したのだ。
(下巻 裏表紙のあらすじより)
自分の少年時代とまったく接点のない沙織が、なぜウイニングボールを持っていたのか?謎が健太を包む一方で、健太の母は自殺を図り、父とともに戸隠を去った…。家族崩壊の責任を一身に背負った健太は、恋人が凍死した雪の穂高へ、謎の解明と死の誘惑にかられて出かける。だが、おりからの猛吹雪で滑落。山岳救助隊員となった、かつての野球仲間たちは健太を救うため、悪天候の中、ヘリと地上から決死の救出に乗り出した。そして健太を待ち受けていたのは、想像を超えた驚愕の真相。


「ウイニングボール」という題名に惹かれて本書を手に取ったが、野球物語であることを期待して読めば、少々がっかりすることは確かだ。
集団競技の球技なら、べつにサッカーでもバレボールでも構わない どころか、本書の一文を考えれば、あちこちにボールが跳ねてしまうラグビーの方が適していたのではないかとも思えてしまう。

(『 』「ウイニングボール」より引用)
『人生なんて、野球のボールの行方みたいなもんだよ。
ちょっとした弾みで、どっちの方向へ飛んでいくか分からない。
だから、過去の因果関係をいつまでも引きずっていても仕方ない。
人生は後悔するためにあるんじゃないんだ。
過去はきれいな思い出だけアルバムに貼って、あとは忘れて、現在と未来のために生きるほうが建設的だ』

だが、そこを敢えて野球「ウイニングボール」にした理由など深読みしながら、『ちょっとした弾みで、どっちの方向へ飛んでいくか分からない』ものに打ち込んでいる君と、思いがけない方向へ飛んでいってる野球のボールのような人生の新たな一歩を踏み出した自分について、思いを巡らせるため、野球の本をあと数冊読んでみた。

そんな本については、又つづく

はるかぜ こおりをとく

2018-02-08 23:58:33 | 自然
春は名のみの♪という歌もあるが、立春を過ぎたというのに、「厳寒の候」とでも書きたくなるような天気が続いている。
当地は、降り積もるような雪は今季はまだないものの、庭の睡蓮鉢の水はもう何日も凍ったまま、一向に融ける気配はない。

だが、季節が確実に移っていることは、光と植物が教えてくれる。

新年に合わせて御大が仕立てる松・梅・万両の盆栽の梅は、毎年少なくとも松のうちには咲き始めるのだが、今年は一月末になっても蕾が固いままだった。
   
   
それが、光だけは春めいてきた立春の候、一気に花開いた。
そんな今を旧暦では、如月 立春の第一候 東風凍解(はるかぜ こおりをとく)と云うそうだ。

母の実家の家紋が梅鉢だったこともあり、梅には格別な思いを持っていたが、12年前その梅に、孤独と不穏と混乱の予兆を感じて以来、私にとって梅は、どこか悔しく寂しい気持ちを象徴するものとなっていた。

梅咲けど、鶯鳴けど、一人かな

当時ライオン丸総理が進退をかけて取り組もうとしていた課題が頓挫したときに、総理が思わす呟いた小林一茶の歌である。

今現在の混乱の全ては、あの時のあのことに端を発している。
あの時 適切に対応しておれば、今頃は奇麗に穏やかに いと高き処を拝することができたものを、その場しのぎの対処療法で徒に解決を先延ばししたために、一層混乱を深め、672年以来ともいえる陰謀が大っぴらに語られるまでに落ちぶれてしまった。

東風を、’’はるかぜ’’と詠むことは知らなかったが、これは、「こち・はるかぜ」だけでなく、「とうふう」とも読むそうだ。
ならば、氷を解かす東風(はるかぜ・とうふう)のごとく、東宮・春宮に、凍りついた世を解かして頂きたい。

混乱と不穏で氷固まった世界から吹きつける風は冷たい。
まず、大元の氷を溶かす大いなる光の源が示されないかぎり、光の粒は、どちらへ向けば良いのか分からない。
光を、もっと光を!

追記
氷を「とかす」の漢字に迷った。
東風凍解(はるかぜ こおりをとく)は、「解く」を用いているが、「氷が溶ける」も、よく見受けられるので、ちょいと調べてみた。
どうも、自然に「とける」場合が「解く」で、人工的に「とかす」場合が「溶かす」となるようだ。
これを知ると尚、大元の氷が大いなる光で「解ける」のを待つべきか、適切な対処で迅速に「溶かす」べきなのか迷うところである。

煩悩具足せる凡夫なり④ 他力の風

2018-02-07 23:03:25 | ひとりごと
「煩悩具足せる凡夫なり①」「煩悩具足せる凡夫なり②立春」「煩悩具足せる凡夫なり③」


東本願寺ギャラリーで「我等は絶対的に 他力の掌中に 在るものなり」という言葉を前にして、久しぶりに「他力」(五木博之)を思い出した。
アオサギの出迎えを受けながら?阿弥陀堂門をくぐった写真から、御影堂門を後にするまでの写真を振り返っている間に、なんとか’’他力’’について理解を深めたいと思ったが、やはり難しかった。


御影堂からの御影堂門


御影堂門から拝する御影堂



以前「他力」を読んだ時は、自力で全てを解決できるとは思わないまでも、’’他力’’と言い切るには まだ青かった。
その後 年を重ねるごとに、自力の限界は身をもって知ることになるが、自分自身が’’他力’’の恩恵?のようなものに浴したことがないため、「絶対的な他力の掌中にある」という言葉は、私の中では「自分ではどうしようもないような、他からの(芳しくない)影響」と自動変換されてしまう。
こんな私が、今一度「他力」を読み返したぐらいで、親鸞・蓮如が説く’’他力’’を理解できるはずもないが、考えるヒントとなる例の一つを、とりあえずは記しておきたい。

(『 』「他力」より引用)
『エンジンのついていないヨットは、まったくの無風状態であれば走ることはできない。少しでも風があればなんとかなるでしょうが、そよとも吹かなければお手上げです。
ヨットの上で、どんなにがんばっても無駄です。他力の風が吹かなければ、私たちの日常生活も、本当は思うとおりにはいかないものです。~略~
しかし、風が吹いてきたときに、ヨットの帆をおろして居眠りしていたのでは、走る機会を逃してしまいます。ですから、無風状態がどれほど続いても、じっと我慢し、注意深く風の気配を待ち、空模様を眺めて、風を待つ努力は必要なわけです。』

ここで、「なるほど、五木氏は、風をまつ努力を<自力>と考えるのか」などと思ってはいけない。
五木氏は、それすら<自力>ではなく、<他力>の働きによるのではないかと考える。

『無風に負けず、じっと風を待ち、いつでも風に応ずる緊張感、その努力をヨットマンにあたえ、そして「いつか風は吹く」というくじけぬ信念を持続させるもの、それこそまさに<他力>の働きだと思うようになったのです。
「やる気」をおこすこと、また、「人事をつくして天命を待つ」という気に、おのずとさせる不思議な力、それこそまさしく<他力>の働きの本質でしょう。
「人事をつくして天命を待つ」
という言葉を、
「人事をつくすは、これ天命なり」
と、私は勝手な読み方をしています。<天命>を<他力>の意味に受けとめるのです。』


一見分かりやすそうな この例の理解が私に難しいのは、「落日燃ゆ」(城山三郎)で記されていた、広田弘毅の歌が思い浮かぶからかもしれない。
『風車 風が吹くまで 昼寝かな』
この歌は、文官でただ一人A級戦犯として絞首刑に散った内閣総理大臣・広田弘毅が、外交官だった時に左遷先のオランダで詠んだものだ。
その後 広田氏は吹いてきた風に乗り位人臣を極めるが、最終的には絞首刑になる。

この歌とその結末を思うせいか、五木氏が云う肯定的な意味合いでの ’’他力の風’’を信用することは難しい。
それは、ここ数日、’’他力’’の本家本元の写真を見ながら「他力」を読んだくらいでは、変わりようはない。

 

だが、尊い教えの真意が理解できないからといえ、御影堂門を後にする私の心が満たされていないわけでは決してない。
いつ訪れても、東本願寺は いいお寺だ。
東本願寺は、駅前の雑踏のなかにいることを忘れさせ、心をスッキリさせてくれる、いいお寺だ。
それこそが、’’他力の風’’の力なのかもしれない、今はそう思っている。
お堀のマガモ

煩悩具足せる凡夫なり③

2018-02-06 12:00:00 | ひとりごと
「煩悩具足せる凡夫なり①」「②立春」より

阿弥陀堂から御影堂への廊下も、相当に年季の入った素晴らしいものだが、こちらの廊下は、どうも鳴っていないように思われた。
こう書くのは、昨年末「城や寺の’’うぐいす張り’’は実は忍び返しではない」という記事に、「廊下が鳴るのは、単に金具などが緩むなどの老朽化の所為である。よって、修理を終えれば鳴らなくなるし、建築・再建から100年も経てば 鴬張りとは認定されていなかった廊下も鳴るようになる」 と書かれていたからだ。
(参照、「京の都の珍(苦行)道中①」
  
もっとも、この廊下を歩いている時は、そこに展示されている毛綱や大橇(御影堂・阿弥陀堂の再建・修復のために寄進された)が示す信仰心と宗教の力に圧倒されていたので、かすかな音色に気づかなかったのかもしれない。(参照、東本願寺ホームペーシ http://www.higashihonganji.or.jp/about/midokoro/) 

とにかく、東本願寺は何もかもが、巨大に感じられる。
それは、駅前のビルや ひょろりと高い京都タワーの近くにあることで、却ってその大きさと重厚さが強調されているのかもしれないが、それ故に、現代のモノ・者の脆さ儚さも示しているように思われる。

 
「他力」(五木寛之)によると、法然が「やさしく」説いた往生の修行の道を、親鸞がより「ふかく」究め、親鸞が「ふかく究めた」信仰を、蓮如が「広く」人々に手渡そうと生涯をかけた、という。
確かに、「善人なほもて往生をとぐ、況や悪人をや」(歎異抄)で有名な親鸞の悪人正機説の原型は、法然の「善人尚以て往生す、況んや悪人をや」(法然上人伝記 醍醐本)に見出せるし、蓮如の「うけがたきは人身 あいがたきは仏法なり」の原型は、法然の「うけがたき人身をうけて、あいがたき本願にあいて、おこしがたき道心を発して、はなれがたき輪廻の里をはなれて、生まれがたき浄土に往生せん事、悦びの中の悦びなり」(一紙小消息)に見出せる。
・・・などと、「他力」と検索の賜物をクドクド書いていても、未だ’’他力’’について理解は深まっていない。

東本願寺振り返り写真の最終回となる次回までに、少しでも’’他力’’を理解できるよう、「他力」を読み返しておこうと思う・・・つづく