中井悠美子(悠石)「四季の絵文日記」 2011/9/24~

四季を語る「絵文」と、日常を織り交ぜた小さな日記。
ご訪問頂き有難うございます。ご縁に感謝を!

vol. 54 故郷紀行 その2  西大寺縁起

2011年11月29日 13時53分06秒 | 故郷愛史
***本堂です***  ボランティアガイドさんとカメラマンがいました




「西大寺縁起」を記します

←本堂に向かって、左側の屋根に「皆足姫」

周防の国(山口)の皆足姫(みなたるひめ)は観音信仰深く。
天平勝宝三年(751年)旅の仏師に観音像を彫ってもらう。
その仏師は、実は大和国長谷の観音様の化身であったと・・・悟り。

姫は長谷へ開眼供養に向かう。その途中金岡荘で船が動かなくなる。
観音様の意向と感じた姫は、松中島に観音堂を建てた。

亀宝八年(777年)長谷寺で修行中の安隆上人に夢のお告げが!
「備前の国の観音堂を改築せよ」
 上人と皆足姫は資財を募り、備前の国を目指す。
  途中、吉井川の河口辺り・・・犀の角を持った龍神様が現れ
   「この角が自ら鎮まる所が観音の聖地なり・・・」

←本堂に向かって右側の屋根に「龍」

その言葉に従い、この地にお堂を建て金山にちなみ「金陵山犀載寺」
と名付ける。後に後鳥羽上皇の祈願文から賜り「西大寺」と改名。

以上が西大寺縁起のあらまし。

このお寺の宗教行事であった会陽(えよう)・・・今では観光に!
日本三大奇祭・・・の一つ「西大寺会陽(はだか祭り)」となり。
毎年二月の第三土曜日に行われ、数千人の裸の男達が「二本の宝木」をめぐって
激しい争奪戦を繰り広げる。
昨年は確か「501回目」であったと!!!つまり501年続いていることに。

歴史をたどれば、奥ゆかしい物語に行き着く。
こんな歴史ある故郷を持っている私は・・・きっと幸せ者!

・・・寂れたりと言えど我が街は門前町の灯りを消さず・・・~~拙作なれど

                         故郷自慢でした・・・

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4 コメント

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そんな故郷を・・・ (年下の男の子ぉ~)
2011-11-29 19:25:14
長男以外の男の子や女の子の大半は・・・離れちゃう!

♪あの道の角で すれちがい
高原の旅で 歌うたい
また 月夜の銀の 波の上
ならんでボートを 漕(こ)いだひと
みんなみんな 今はない
街に花咲く 乙女たちよ
【Chorus】みんなみんな 今はない
     街に花咲く 乙女たちよ♪

♪黒髪をながく なびかせて
春風のように 笑う君
ああ 誰もがいつか 恋をして
はなれて嫁(とつ)いで 行くひとか
みんなみんな 咲いて散る
街に花咲く 乙女たちよ
【Chorus】みんなみんな 咲いて散る
     街に花咲く 乙女たちよ♪

陳腐やけど、故郷は遠くに在りて・・・だね!
返信する
ヒットしてるね! (年下の男の子ぉ~様へ)
2011-11-29 20:11:58
そうそう・・・遠くに在るからいいのかも!
しかし・・・故郷はヒットしてるね(笑)

たまに帰れば「友人達」も「街」も優しく迎えてくれるよ。

それにしても舟木一夫・・・街に花咲く乙女たちよ!
ジンとくるよね!

返信する
Unknown (臥龍)
2011-11-29 20:15:34
楽しい同窓会でしたでしょうネ

ふる里はええもんじゃなあ~
 わしのふる里は田園風景のきれーな
ええとこじゃったけえど、いまあ
どんどん家が建って、子供の時分の
風景はもう見られんようになっとります。
返信する
同窓会以外でも! (臥龍様へ)
2011-11-29 21:05:57
よい出逢いがあって、大変ラッキーしました。
楽しいコメント有難うございます。
懐かしくもある岡山弁。
若い頃は帰省すると、すぐ岡山弁にかえったものですが。
最近は何処へ行っても「大阪弁」

どうしたんじゃろ???
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