Lester Young In Paris/Lester Young
(Verve MGV8378)
(Verve MGV8378)
テナーサックス界に目を向けると、ロリンズ,コルトレーンははずすことができないですが少し聞き込んで行くとホーキンスそしてこのレスター・ヤングにたどり着くのではないでしょうか?多くのテナープレイヤーが彼のフレージングに魅せられ影響されたと語っていますし,ベイシーバンドでの活躍も知られていますし、ビリー・ホリデイとのニューヨークでの出会いなどエピソードには事欠きませんよね。本日アップのアルバムはヨーロッパのトッププレイヤーを集めてパリのBarcley Studioで1959年3月4日に録音されたモノで、約2週間後の3月19日心臓病で息を引き取りますからプレスのラストレコーディングと言えるのではないでしょうか。
メンバーはKenny Clarke(ds), Jamil Nasser(b), Jimmy Gourley(g), Rene Urtregor(p)にレスターが加わったクインテット編成です。演奏は,各面6曲とそれぞれの曲がやや短めですがレスターが得意とした古いスタンダードが目白押しです。サイドAは”I Didn't Know What Time It Was", "Oh, Lady Be Good", "Almost Like Being Long", "Three Little Words", "I Cover The Waterfront", "I Can't Get Started"の6曲,サイドBが"Indiana", "Pennies From heaven", "New D.B. Blues", "Lullaby of Birdland", There'll Never Be Another You", "Tea For Two"の大スタンダード大会です。何れでも,ビッグトーンではないですが独特の音色でズムーズに流れて行くレスターのフレージングを楽しむには良いのかもしれません。最後の録音で、このライナーノートにレスターを評して"An Old, Sick, Abandoned Lion"とあるように好調とは言えないのかも知れません。決して高い音楽性で高評価を受けているアルバムではないですが,最晩年のレスターを記録したアルバムとしての価値は充分と思います。
所有盤はVerve Inc.のT字ラベルのモノラル盤です。横目でマウスピースを加えたレスターのおとぼけ表情が好きな一枚でもありますね。
名前は寺島さんの「ジャズ辛口ノート」で知っていましたがRENE URTREGERのピアノを初めて聴いたのがこの盤でした。最初に聴いた時はとても新鮮に感じました。いつも欧州系リズムセクションについては貶してばかりなのですがこの盤については諸手を挙げて賞賛します。もっともドラムはKENNY CLARKEですけど・・。
へろへろな晩年かも知れませんが,このアルバムはそれなりに好調ですよね。自分も古い録音をあまり所有していないので、レスターの本質を語るまで到底言ってないことは百も承知なんですがクレフから晩年にかけての録音には結構好きなアルバムが多いのです。「スイングしなけりゃ」やOPやテディ・ウィルソンとの共演盤,そして以前アップした"Lester Swings Again"などなど・・・。自分的にはレスターは音は大きくなくフレージングを聴くプレイヤーかななんて思っています。
ピアノ,ギターは欧州のプレイヤーですが,基本的にクラーク,ジョイナーはUSでしょう!このピアノのRENE URTREGER、スィンギーで良いですよね。
恥ずかしながらレスター・ヤングのIn Paris・・・こういういわゆるラスト・アルバムがあることを知りませんでした。それもパリで録音されたものとは。音の感じも(いつものVerveとは)違うんでしょうね。ヨーロッパツアーの時に録音したのでしょうかね。
それにしても・・・最晩年のレスターまでちゃんと持っているお二人に脱帽です。
ごめんなさい、JAMIL NASSERがジョージ・ジョイナーと同一人物であることをすっかり忘れていました。というかこのベースの音を聴いてもガーランドの諸作あたりで聴けるジョイナーと同一人物だとはとても思えません。ジョイナーの印象はbassclefさん御贔屓のウィルバー・ウェアのような骨太なイメージが強くて・・・・・。
しかしJAMIL NASSER=ジョイナーと即、判るあたり67camperさん、凄いな、感服いたしました。
Verveのレスター,ログにするのが難しいですよね。というのも全盛期の音源をほとんど聴いたことがないのです。自分は“プレスオンキーノート”ぐらいしか持っていません(涙)。
録音はパリですが,レスターが渡欧していた経緯はよくわかりません。この2週間後に亡くなったわけですから,演奏がどうであれある種の感慨があるアルバムですよね。
1981-82だったと思いますが,レッド・ガーランドがトリオを率いて来日したことがあります。この時は,確か夏休み期間で場所によってはルードナを加えたカルテット,ある場所はトリオだったと記憶しています。夏休みで帰省するため、トリオの新潟公演を見逃してしまい残念な思いをした経験がありよく覚えています。
この時のトリオがガーランド,ナッサー,ジミー・コブじゃなかったかなぁ・・・。とにかく古いことで記憶があやふやですがこの時にジョイナー=ナッサーが完全にインプットされてました。