Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

時は巡り 遠い“江戸の街”

2010-08-09 11:58:25 | のんびり歩いて
時は巡り また夏が来て。
広島在住3度目の夏は 暑い 熱い 炎暑酷暑のなか東京への「出張」である。いやぁ~2年振りの“江戸の街”ですよぉ これが嬉々としないでなんとする とイソイソしたのは出掛けるまでの話でした。
『全国回復期リハビリテーション病棟連絡協議会』が主催する「第8回 医師研修会」(新宿ワシントンホテル)へ参加 8月6日・7日の2日間 ぎっしりと詰まった中身の濃い講義
で目からウロコがボロボロと落ちました。「回復期リハに必要な栄養学の知識」(大村健二)は 《久々にひとの話を聴いた》気持になりました。
それにしても殆ど休憩なしの講義の飛礫(つぶて)を避け切れず 消化不良に陥るのでした。
ところで“江戸の街”です いやぁ2年間 正確には数年間にはなるのですが浦島太郎さんでした。お婆の女将 六本木の割烹市山は もう営業していない お婆のママ 渋谷のBAR桃太郎は もう営業していない やはり消化不良に陥るのでした。
時の流れは どぉ~んどぉ~んと遠く彼方へと過ぎ去って行っておりました。

今年も 熱い夏の日が

2010-08-09 07:20:54 | のんびり歩いて
今年の夏も暑い いや熱い!。
TVのテロップで“被爆65年”の文字が流れる この夏も熱い。
原爆投下は、生後間もない頃「秋田」で聴いたことになりますが私は今 広島の地でこの夏を熱く想うのです。あの頃“ピカドン”の言葉が子どもの心臓に強烈に突き刺さったものでした。モノクロで見たニュース映画のきのこ雲は はるか彼方の出来事なのか と驚きながらも思った子どもの頃。
 今年は初めて 国連の事務総長や米国の駐日大使 そして核保有国の仏蘭西と英国の代表も8月6日に広島を訪れた。いったい何をしに来たのだろうか 政治の駆け引きを否定するものではないが 熱い灼熱地獄の広島の夏を知り得たのであろうか。
 勤務先の朝 病院で原爆投下の時間にサイレンが鳴り黙祷をする 忙しく朝の出勤で門をくぐる若い医療スタッフで足を止めて黙祷を捧げたのは皆無であった。
いや、きっとそれぞれが夫々の立場と思いで 何処かで熱い祈りを捧げて そして出勤の足取りを急いでいるのであろう…と。広島は一年を通して“熱い原爆の日”なのだから。
そして今 私は広島の熱い夏の中に居るのです。これからも。
そして今日は 長崎 の日 正午前にこの街でもサイレンが鳴りました。