ヒトの記憶はこれ程までにも脆く曖昧なものであったものかと思うと寂しくも些か恐ろしいものがある
1978年と言えば確かに大分以前のこととは言え人生の軌跡のなかではかなり大きな位置を占めているのだが
その年『6th Asia Oceania Congress of ENDOCRINOLOGY』学会に数名でSingapore を訪れている
私の担当した演題は「Determination of Estrogen in Pregnancy Urine by Latex Agglutination Inhibition Reaction 」であり大学院を終えたばかりで国際学会には好んで出掛けていた時期でもある所謂血気盛んな年代であったのか
同行のリーダーは当時のY助教授であり米国留学の経験もあり英語が堪能であったそのせいか安心して(?)なんども国際学会に出かけることができたのであろうか
学会中はやはり緊張のためか余裕がなかったのかその土地の名所旧跡は行きそびれてしまうのが常であった
Singapore と言えばどうしても「昭南島」の呼称を思ってしまう
実際に前回訪れた30年前にはMerlion Park の近くにあった戦勝記念碑(?)のあたりで反日デモのグループにBusが取り囲まれた記憶がある今はそこまではしないだろうが
どうしてもMalaysia からSingapore を見てみたいのだ
そこでマレー作戦の山下奉文中将がアーサーパーシヴァル中将に『イエスか ノーか』と迫ったとされているジョホール・バルJohor Bahru へ出かけた
ジョホール海峡はコーズウェイJohor-Singapore Causeway(1,056m)によって結ばれている
コーズウェイの両側には料金所と国境検問所があり出国審査を受けてからコーズウェイを渡り入国審査を受ける
このコーズウェイは道路のほかにマレー鉄道そして水のパイプラインが通っているのです
水のパイプラインは3本ありそのうち2本でMalaysiaからSingaporeが原水を買い 1本で上水道をMalaysiaに売っているのだそうな
Busで走っていると橋のようだが土手道なのである
ところで高低差の少ないSingaporeの国土では水源が極めて乏しいため Malaysiaから原水を購入しているが必ずしも良好な関係とは言えない隣国のMalaysiaが「水の価格を100倍に上げる!」などと要求されているらしい
その解決策として日本の逆浸透膜を使った高度濾過技術を導入して国内の下水を再処理して飲用水にも利用可能とする計画が進行しているそうな オォ!日本もやるではないか!
“石油が無くてもヒトは生きていけるが水が無いとヒトは生きていけない”のだ
旅程も時間とともに遥か若い頃にいちどだけ訪れたSingaporeの断片的な記憶の一部がチラチラしてくる
ボケまくっているのをのだけれど…
D.F.C.免税店からオーチャード・ロードOrchard Rd.をブラブラ歩いてSingaporeのお土産でもと
オーチャードとは果樹園と言う意味もあるらしく街路樹は背が高くさすがに赤道直下の街である
30年程前に当時のリー・クアン・ユー首相が提案してこの地域を一大商業ゾーンに計画したのだそうな
ガーデン・シテイと言われるだけあって緑が多くそしてゴミが落ちていない
なによりも魅力的なのが街中にあの眼に汚い看板広告がひとつもないことである
Orchard Rd.の中心にはシンガポール高島屋S.C.があり紀伊國屋書店まであるのです
そこで発見!おぉそうだった!
隣にあるホテルMandarin Orchard Singapore こそ学会のときに宿泊したホテルなのでした
大きくなってショッピング・モール「マンダリン・ギャラリー」オーチャードウィングとよりモダンな造りのメインタワーの2棟からなっている
暑さに負けてヘコヘコし懐かしの探索はここまででした
Singaporeで話される英語は独特のアクセントを持っておりシングリッシュSinglishと呼ばれる現地のマレー語・標準中国語・福建語が混じった英語である
そのためにではないのだろうけれどもまたしてもなかなか会話がスムースにいかないのだが今回の宿泊先のIntercontinental Singapore(Bugis & Arab St.)はスタッフが皆優しくて殆ど日本語で通したのですが分かろうとしてくれるのが嬉しいのでした