Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

ドナウの真珠を歩いて - そのⅡ

2015-02-14 15:37:29 | ゆるゆる旅日記

ドナウの真珠を歩いて ……… そのⅡ

●第5日目 4月29日(火) CZECH
チェスキー・クルムロフ観光
チェスキー・クルムロフ城

日本からの中欧ツアーは チェスキー・クルムロフに立ち寄るのが定番 というよりも必須のコースとも言えるのかも知れません 
私自身もまた 今度の旅でもっとも楽しみにしていた 期待していた観光なのでした 
チェスキー・クロムロフ城の特徴は 様々な様式の建造物が混在していることでしょう 
城の始まりは13世紀なのですが それから19世紀の長い間に支配者が次々と変わり 何百年にも渡って増改築が繰り返したことによるのです また19世紀の産業革命期の工業化にも乗り遅れ いわば時代に取り残されていったのです
そのことが現在のタイムスリップした街並みとしてそのまま残っているのです
街並みの景観は“おとぎ話”を思わせるものであり この街に滞在してみたいものだと思うのでした
チェスキー・クロムロフの町の中にはバスの乗り入れが出来ないので 徒歩で観光することになります
ヨーロッパの観光旅行は よく歩かされますよ! 老齢には堪えますがまだ頑張れます

城の塔のある建物の手前に石橋が架かっております 
堀の中にはクマが住んでおります なんと飼われているのです
『 昔々のお話です 城主が森でクマに遭遇 慌てて逃げ帰り橋を渡った後に橋を上げると 追いかけて来たクマが堀の中に落ちて そのまま住み着いた といわれております 』
石橋は 昔々は木造の跳ね橋であったのでしょう 多分本当でしょう メルヘンです

プラハ泊 ART NOUVEAU PLACE HOTEL PRAGUE(Ex.HOTEL PALACE PRAHA)
     このホテルは かっての迎賓館だったそうです

●第6日目 4月30日(水) 
プラハ市内観光 トラム乗車
プラハ城
聖ヴィート教会 旧王宮 黄金の小路
ボヘミアグラス

市内観光は トラム(路面電車)に乗って市内をひと回り あっという間でした
観光用なのでしょうかチェコと日本の国旗を飾った貸し切りの古典的なトラムです

町全体が世界遺産となっているチェコの首都プラハの観光はプラハ城から始まった
プラハ城といっても 日本の姫路城のように「城」という建造物がそこにポツンと点在しているわけではないのです 敷地の中にいくつもの教会や王宮があるのです 広さは7万平方メートルもあり世界でももっとも大きな城であるとされております
自分がいま どこに位置しているのか なにを見ているのか 混乱してくるのでした

聖ヴィート大聖堂は ゴシック様式の壮麗な建造物で二本の塔の高さは82mもあるという
ボヘミアグラスで名高いチェコは 古くからガラス産業が発達した土地です
さすがにステンドグラスが美しいのです

旧王宮は 16世紀までは王宮として使われていたものだとされる
『 この中は写真撮影が禁止されております しかし地獄の沙汰も金次第とはよく言ったもので 撮影料を窓口で払ってチケットをもらえば 撮影することもできます 』と現地ガイド
旧王宮でいちばん広い部屋は ヴラディスラフ・ホールと呼ばれている所で 16世紀にはプラハどころかヨーロッパでいちばん広いホールだったそうです
このホールの南側に突き出た小部屋が 17世紀に起きた「三十年戦争」の引き金になったボヘミアの「プラハ窓外放擲事件」の場所なのでした 
3人を放り投げた窓がありましたよ

『 部屋の隅に陶器で出来た大きな置物のような家具があります ストーブですよ この地方は暖房が必要であったため 薪を焚いて暖をとっておりました 薪は 使用人によって部屋の裏からくべられていたのです 使用人は表の部屋には入って来ることは許されませんでした 部屋の壁には隠し扉があるでしょう… 』とガイドの説明があります うまく工夫して作られております

道中の通貨単位は3つの国を巡るので ハンガリーは フォリント オーストリアは ユーロで
チェコは コルナです
オーストリアは欧州共通通貨のユーロが通貨単位であり チェコとハンガリーはEU加盟国であるがユーロを導入していないので 目まぐるしくお金を使い分けることになるのかと思ったがユーロで事足りました
      
プラハ泊 ART NOUVEAU PLACE HOTEL PRAGUE(Ex.HOTEL PALACE PRAHA)

●第7日目 5月1日(木)
プラハヴァーツラフハヴエル空港/プラハ発 10:25  LH1393
フランクフルト国際空港/フランクフルト着 11:40
フランクフルト国際空港/フランクフルト発 13:20  LH0740
       座席は往復とも 1A と !C でした

●第8日目 5月2日(金)
関西国際空港/大阪着 07:10

ほぼ定刻通りに着いたことで 長いフライトの疲れが吹き飛ぶようです
予定より早い“はるか”に乗って 広島を目指します
家人は家路に向かうにつれて 段々元気を取り戻してきております

この時までは 早速届いた人間ドックの結果通知と その後の展開で3か月半にも及ぶ入院生活をすることになるとは考えられませんでした
そしてまた そのことを契機に人生のコースを大きく変える決断をするであろうことをも考えられませんでした
それでも ほぼ病前まで回復してQOLを維持できるであろうことはなによりも有り難いのでしょう
ドナウの真珠を歩いて 忘れ物はなかったかナ!

     


ドナウの真珠を歩いて ~ 回想

2015-02-14 15:23:02 | ゆるゆる旅日記

ドナウの真珠を歩いて  ~ 遅れて来た手紙
               昨年の もう半年以上も前のメモなのですが
                どうしても記録に残しておかなければならないのです

ツアーは 【 魅力の中欧 ブタペスト・ウィーン・プラハ8 】
               12名のグループ ツアーコンダクターは F・美穂子さん
     中欧とは 公式的には オーストリア  チェコ  ハンガリー スイス スロバキア
     ポーランド ドイツ の7カ国ですが
    今回の旅は ドナウの真珠Budapest 音楽の都Wien 黄金の街Praha の3都市を
    巡ります ほとんどがバス移動になります

●第1日目 4月25日(金)
関西国際空港/大阪発 13:15 LH0741
       Deutsche Lufthansa はTYO発に変更になっておりました
       前泊しなくて済んだのですが目的地到着が大幅に遅くなります
フランクフルト国際空港/フランクフルト着 18:00
フランクフルト国際空港/フランクフルト発 20:55  LH1342
フェレンツリスト国際空港/ブタペスト着  22:30

ベタペスト泊 NOVOTEL CENTRUM

●第2日目 4月26日(土) HUNGARY
ブタペスト市内観光
マーチャーシ教会
漁夫の砦
聖イシュトバン教会
英雄広場 くさり橋 王宮 国会議事堂 市民公園
カロチャ刺繍制作の見学

HUNGARYのブタペストは ドナウ川を挟んでブダ地区とペスト地区が合併して一つの町「ブタペスト」となったのが1873年のことである
王宮の丘では 王宮の他 マーチャーシュ教会 漁夫の砦 の散策をする
マーチャーシュ教会と周辺を取り囲むような形で ドナウ川に沿って造られている砦が「漁夫の砦」である 
ここにはかって魚の市が有り漁師のいわば組合があったため そしてその組合がこの城塞を守っていたためにこの名前がつけられた と説明がある ネオ・ロマネスク様式の尖塔が美しい
ここからの眺めが素晴らしい 
ドナウ川の対岸に国会議事堂をはじめとするペスト地区が見渡せるのです

長時間のフライトのせいか家人の具合いが好ましくないので ドナウ川のナイトクルーズはキャンセルです 
ライトアップされた くさり橋 は「ドナウの真珠」といわれているだけに少し残念でしたが…

ここで早くも事件発生 ツアーのひとりがスリにやられました
まったく気が付かなかったそうで ユーロとYENの“虎の子封筒”がショルダーバックから抜かれておりました おもわず身を引き締めました

ブタペスト泊 VOVOTEL CENTRUM

●第3日目 4月27日(日) 
ドナウベント地方観光
センテンドレ
エステルゴム大聖堂

エステルゴムは 日本でいうと平安中期から鎌倉中期までハンガリーの首都であったそうです
大聖堂はハンガリーカトリックの総本山で大きな丸屋根が眼に入ります
大きなパイプオルガンに圧倒される
近くからは“ドナウ川の曲がり角”ドナウベントを見ることができました

センテンドレにはセルビア正教の教会がたくさんあります 
土産物屋が立ち並ぶ小さな街で唐辛子を干して売っています

ウィーン泊 HILTON VIENNA

●第4日目 4月28日(月) AUSTRIA 
ウィーン市内観光
シェーンブルン宮殿と庭園
ベルベデーレ宮殿

ベルヴエデーレ宮殿には 上宮と下宮があるそうですが 上宮は現在美術館となっており 19世紀から20世紀のオーストリア絵画が展示されております
とくにグスタフ・クリムトの作品が多いことで知られておりますが クリムトの最高傑作とされる「接吻」は大きな絵画でした
事前予約してあり開館の30分前に特別に入場OK 「まぁまぁ…」

オーストリアに来たら なんといってもシェーンブルン宮殿とその庭園です
シェーンブルン宮殿は 1612年に当時の皇帝マティアスが狩りの途中に このシェーナー・ブルンネン(美しい泉)を発見したことでこの名がついたらしい
マリア・テレジアの時代に大々的に増改築され現在の姿になったそうです
シェーンブルン宮殿は 全部で1441室あり そのうちの40室が公開されております 
内部は撮影禁止である
見学最後の部屋には マリア・テレジアの家族の肖像画が飾られております
『 この中で 中心より右にいるいちばん大きく描かれているのがマリア・テレジアです 
左端が夫のフランツ1世皇帝です フランツの左手は マリア・テレジアを指しています 
子供たちが指しているのもお母さんです“ 私が中心なのよ! ”ということを表しているのです 』
マリー・アントワネットはこの時はちょうどお腹のなかにいたのだそうです

土産物屋でよく目についたのが 「オーストリアにはカンガルーはおりません!」(もちろん欧文  NO KANGAROOS IN AUSTRIA )カンガルーの背景は注意マークを図案化したTシャツです 
機微にとんだ面白さで購入しようと思いつつも失念しました
オーストラリア じゃ~ないよ オーストリー ! と現地ガイドのお兄さんの弁もまた面白い