Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

再会 友遠方より来る名古屋の夜に

2015-11-19 15:17:52 | ゆるゆる旅日記

再会 友遠方より来る名古屋の夜に

 例年この時期に学会が開催されるが 今秋は名古屋市のメルパルクホテルを会場として2日間の日程でおこなわれた
新幹線のぞみで 東京へ行くことに比べれば半分の時間で行くことができるので気楽であり疲れが軽減される
ちょうどこの日にジャニーズ嵐のコンサートが名古屋ドームであったことから混雑のため宿泊ホテルが中々決まらなかったがどうにか駅前のこじゃれたホテルを予約できた
東京またはその近郊への学会出張では 横浜在住のH氏と【夜学会】で再会することが愉しみなのであるが H氏は名古屋出身と言うことでわざわざ名古屋まで出掛けてくれて春以来の再会である
そしてまた定年退職後に愛知在住のI氏が出向いてくれて同席してくれて思いがけない再会を果たした I氏はH氏とM会社研究所の同期であり 私も随分世話になったものである
彼とは30数年ぶりか~40年ぶりの再会であろうか
お互いにその間にはいろいろなことがあったのだろう 彼は脳疾患でくも膜下出血で手術をしたと言う 最近では肺疾患で肺がんの手術をしたと言う 肺上葉部の扁平上皮がんで予後は比較的良いのだそうである それでも抗がん剤療法は大変であったと語るのです
そうだろうなぁ
まぁ健診で見つかったのだから幸運と言うべきなのだそうです
元来明るい性格のひとでしたからこのまま健康を維持できることを祈りましょう
他人事ではないか!

 夕刻には早速3人で酒宴に突入!
出身地元H氏のお勧めで中区栄に在る「蔵人厨(くろうどくりあ)ねのひ」の本店へ
蔵元「盛田」直営の本店です 東京に支店がありますなぁ
盛田の歴史は 1665年に酒造を創業してから八丁味噌・溜・醤油の醸造を行い地元食文化を340年以上担ってきた 人々の生活を豊かにするものづくりのスピリットは15代当主でありながらソニー株式会社を創業した盛田昭夫氏に続いているのだといわれます
スタッフの袢纏に“盛田”の文字が入るのが物語っております
尾張・三河の食材が酒肴に合っております
名古屋コーチンの鳥つくねや飛騨牛のステーキは美味であった
酒器にもこだわり錫の酒器を用い温度を一定に保ち雑味をとる性質を利用している
和らぎ水をいただくのを忘れた程でしたなぁ
3人は昭和18~19年生まれの同年代なのであるが M会社の研究所で私ともども診断薬の開発に携わった共通の話題もありついつい酒量オーバーかな
ゆるやかに心地よい名古屋の【夜学会】の時は流れます

病後を語るときに 鴨長明の随筆『方丈記』の書き出しに凝縮された無常観を思うのであった 
「 ゆく河の流れは絶えずして しかももとの水に在らず / よどみに浮かぶうたかたは かつ消えかつ結びて / 久しくとどまりたるためしなし / 世中(よのなか)にある人とすみかと 又かくのごとし 」
いつの頃からか生きかた 身の処し方についての自訓をさり気無く語ってしまったようです
酔いに甘えて講釈めいたことをグダグダと吠える癖がでてしまいました
まぁ久々に気を許したということでご寛容の程を~

 まだ11月の初めだというのに名古屋の街はX’masの色合いが濃かった
帰りの新幹線を待つ間に駅ビルのデパートではクリスマスソングが流され 人目を引くクリスマスデコレーションが飾られている 街はもう歳末なのです
X’masと言えば子どもの頃には 本物のモミの木でクリスマスツリーを飾ってもらい折しも初雪がチラチラ舞い季節感を覚えたものでした
 そしてHalloweanの季節でもありますが TVでは渋谷のハロウィーン騒ぎが伝えられその馬鹿騒ぎを見るためにオーストラリアから来た観光客がいた 
まぁ渋谷のスクランブル交差点の混雑は外国でも有名らしいがなんとも物好きというべきだろう
日本がハロウィーンに狂う(?)習慣は ここ数年のことであり表参道の玩具屋「キデイランド」から出たのであるという説がある
Hallowmasつまり万聖節の前夜に「騒ぐ」ことの意味を知るものがどれくらいいるだろうか
いつかアメリカの何処かで日本人の青年が他人の庭に入り込んでしまい射殺されたのがハロウィーンの夜のできごとであった 「騒ぐ」と言うことはそのようなものであろう
 そして終戦後に入って来たアメリカ文化にSt.Valentine’Dayがあります
世界各地で男女の愛の誓いの日とされているのです
バレンタインデーにチョコレートを渡すのがいいのでは?と最初に考案したのは大田区の製菓会社であったという説があります 日本独自の発展(?)を遂げたものでしょう 
ここのところ「本命」チョコは勿論のこと「義理」チョコさえも貰うことがなくなってしまった
戦後の日本の歴史の流れに沿って今日に至る身としては X’masの感傷的なメロディーを懐かしむくらいがちょうど良いのかも知れない
名古屋の街には 早くもX’masの輝きがありました