Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

そうだ 京都、行こう。 - 秋の特別公開文化財巡り

2016-11-10 14:03:02 | ゆるゆる旅日記

そうだ 京都、行こう。 - 秋の特別公開文化財巡り

“ そうだ 京都、行こう。 ”は 東海旅客鉄道(JR東海)が1993年から実施しているキャンペーンです
京都へ観光客を誘致するため映像やキャッチコピーを駆逐して京都の風景を紹介しております とくにJRの駅に掲示してあった大きなポスターはインパクトがありましたなぁ
そこで思い立って“ そうだ 京都、行こう。 ”と決めた訳ではないのですが紅葉で混雑する時期の前に訪れてみましょうか

京都定期観光バス
【 秋のイベント特別コース
      秋の特別公開文化財めぐり 】

特別公開ですので平素にはみられない4か所のスポットを巡ります

■東寺 灌頂院
東寺(とうじ)は京都市南区九条町にある仏教寺院
真言宗の根本道場であり東寺真言宗の総本山でもある
「教王護国寺」とも呼ばれ本尊は薬師如来
東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後に嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され 弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになって現在に至ることはよく知られております
この東寺の境内の西南に灌頂院(かんじょういん)があります 
ここが今日の目的地なのです
普段は門が閉ざされていて中になにが在るのか全く見えません 
人通りも少なく寂しい場所にあります
実際に中の堂は所謂がらんどうで中にもなぁ~んにもないのですよぉ
しかしながらこの場所は重要な行事を行う場所とされており
① 後七日御修法(ごしちにちみしほ): 国家安泰 五穀豊穣 万民豊楽を祈る秘儀
かっては宮中行事でしたので天皇陛下も参加していたそうな
② 伝法灌頂(でんぽうかんじょう): 修業を積んだ弟子に阿闍梨(あじゃり)という指導者の位を授ける儀式です
③ 正御影供(しょうみえく): 弘法大師の命日の法要
この3つの行事の時にのみ使われる場所と言うことになります
 堂の中は 五間四面の正堂及び七間二面の礼堂を一間の相の間で繋いでいる
堂内は暗く厳かに暗闇に浮かぶ夜叉神立像がライトアップされております
像は弘法大師 空海の作と言われ 阿形(あぎょう)と 吽形(うんぎょう)の2体があり
ともにヒノキの一木造り(いちぼくづくり)で 像高は2m前後と大きく特異な表情と蜂が巣食った跡がオドロオドロシイ妖気を放っているようで圧倒されました
もとは南大門に安置されていたのですが門を通る旅人が礼を尽くさないと罰があたったといい現在は夜叉神堂に祀られているのですが今回の特別公開のために灌頂院に移されたそうです
堂内には不動明王像と弘法大師像も公開されており それぞれの像の後方には梵字が映し出されており演出効果満点ですなぁ
さらには京都いけばな協会所属の10流派の家元らによるいけ花も添えられているのです
いけ花の原点は仏前供花だそうです

昼食は 京都東急ホテルで懐石ランチをいただきました 食べ過ぎでした

■京都ハリストス正教会
京都と言えば もっぱら日本の寺院の観光でしょうが 今回は教会がスポットに入っていることで今回のコースを選んだのでした
京都ハリストス正教会は京都府京都市中京区にある正教会(ギリシャ正教)・日本正教会の教会です
生神女福音聖堂は日本正教会西日本主教教区の主教座聖堂であり日本正教会の現存する聖堂会堂のうち最古級の本格的ロシアビザンティン建築による正教会の聖堂である
聖堂の成聖式はロシア正教会から寄付されたモスクワ製の聖像(イコン)30枚が嵌め込まれた聖障(イコノスタス)などの到着と設置をもって1903年(明治36年)に行われたという
教会の中は思ったよりも狭いものでした

■瑞泉寺
なぜ 彼は死ななければならなかったのか…!
瑞泉寺(ずいせんじ)は京都府京都市中京区木屋町通にある浄土宗西山禅林寺派の寺院である 前関白豊臣秀次公の一族の菩提寺です
今から約400年前の時は文禄4年(1959年)8月2日の昼下がり 京の三条大橋西南の河原では世にも恐ろしい悲劇が演じられた
太閤秀吉の姉の「とも」の子として生まれた秀次公は 実子に恵まれなかった秀吉に請われてその養子となり 一時は豊臣を継ぐ関白太政大臣として天下にときめいていたと言う
だがその日 秀次公の一族すなわち4人の若君と1人の姫君 そして側室として秀次公に仕えた若く美しい女性達34人は盛夏の熱気去りやらぬ三条河原の刑場に次々と引き出され刺され或いは首を討たれて命を断った その時の加茂の清流は潜血によって朱に色を変じたそうです
時の関白豊臣秀次公が悪逆の汚名と謀反の罪を着せられ高野山に追放されそして切腹させられた 次いで 一族の公開処刑が三条河原で行われたのです
文禄4年(1595年)自害させられた豊臣秀次の石塔が発見されたことから秀次の菩提を弔うために堂を営むこととなり建立されたそうです
寺内には特別公開された
・瑞泉寺秀次公縁起 : なぜ 彼は死ななければならなかったのか!
天下人豊臣秀吉の甥に生まれ関白にまで就きながら 家臣とともに切腹した秀次 その場面を描いた縁起があります
そして寺の庭には
・秀次公供養塔 : 角倉了以が石を発見した際に石塔の「秀次悪逆」の4文字を削りその上に6角形の無縁塔を建てました
このような経緯から秀次供養塔は「秀次悪逆塚」とも言うようですが現在も碑銘は削られた中空の姿の石塚です
・五輪塔婆姿 : 秀次公の幼児 妻妾たち39人と賜死した家臣10人の五輪の塔
なぜ 彼は死ななければならなかったのか!
豊臣秀次公が悪逆の汚名と謀反の罪を着せられ切腹させられたのは諸説あるものの
・秀次公の愛妾淀の君に秀頼が生まれ実子を盲愛することに豊臣秀吉公からうとまられた という説
・石田三成らの奸計(悪だくみ 悪い謀)によるもの という説
・豊臣秀吉のすすめる朝鮮征伐に秀次公が異を唱えたことによる という説 などなど
かってこの地でおこった悲しい出来事や 高瀬川とともに始まる新しい京の町の記憶をとめている寺院です

 ― ところで瑞泉寺という名前の寺院が鎌倉にもあります
こちらは臨済宗円覚寺派の“錦屏山”瑞泉寺です
“錦屏山”と言う寺号は寺院を囲む山々の紅葉が錦の屏風のように美しいことから名づけられたそうです
この瑞泉寺の境内は四季を通じて様々な花々を楽しむことができますよ
在京していた頃には家人とよく鎌倉を訪れたものでした

■妙法院
妙法院(みょうほういん)は京都市東山区にある天台宗の寺院
本尊は普賢菩薩 
天台宗の他の門跡寺院(青蓮院 三千院など)と同様に妙法寺は比叡山上にあった坊(小寺院)がその起源とされ初代の門主は伝教大師最澄と伝えられている
国宝や重要文化財として
庫裏 : 桃山時代の建築です
庫裏は寺院の台所兼事務所の役割を果たす内向きの建物なのです
豊臣秀吉が先祖のための「千僧供養」を行った際の台所として使用されたと伝えられる豪壮な建物です
龍華蔵(宝物館) : ポルトガル国印度副王信書は1588年にインド半島西側に位置するポルトガル領ゴアのインド副王から豊臣秀吉に宛てた外交文書 鮮やかな文様の文書です
羊皮紙製で出来ているのだとか
しかしながら京都国立博物館に寄託されており特別公開の時に見ることが出来るのはレプリカだそうです
大書院 : 大書院と玄関は1619年に中宮東福門院入内の際に建築された女御御所の建物を移築したものと伝えられております
木造普賢菩薩騎象像 : 本堂(普賢堂)本尊です

今回のツアーは 「京つけもの 西利」に立ち寄ってお終いです
暑からず寒からずのまずまずの空模様の行楽 徒歩が多くやや疲れ気味でJR京都駅から新幹線に乗り込みました
(2016/10/31)