ここのところ雑務が多くて辟易していたこともあるが ゴールデンウィークは年休を取り入れて“脱出”を敢行。
《 魅力の4都市をめぐる 想い出のイタリア8 》 のツアーで憧れのイタリアである。
関西空港の日航ホテルで前泊 4月29日10:00ルフトハンザ・ドイツ航空(LH)741便でフランクフルト乗り継ぎで リテーナ空港・ミラノ着 イタリアへ入る。
MICHELANGELOホテル泊 いやぁ~、やはり疲れましたよ お風呂は明朝に。
4月30日 ミラノ市内観光 ドゥオモの屋上展望台 の景観は『いよいよイタリアに来たんだなぁ~』と。スフォルツェスコ城中庭を散策する ガイドが「スリさんに気をつけて…!」としきりに言う 言葉の重大さに後になって実感することになるとは。
スカラ座の博物館を見学 舞台稽古を見ましたが観客として来なくては。
午後 ベネチアへ バスで276kmの移動 ベネチアでは水上バスでSATURNIA & INTERNATIONALホテル泊 クラシックな造りで一昔前の映画の世界 フロントは陽気なオジサンで また『いよいよイタリアにきたんだなぁ~』。
5月1日 ベネチア市内観光 サンマルコ寺院 ドゥカーレ宮 ため息の橋 サンマルコ広場でTシャツを求める 日中は暑いのです。ベネチアングラス工房でネックレスを求める 自分のです 申し訳なく妻にも。
お決まりのゴンドラ遊覧は 水上生活の知恵を垣間見たでしょうか、イカ墨のパスタを食べて バスでフィレンツェへ移動 262km。車窓の田舎風景が目に優しいですなぁ。屋外の広告看板が一つもないのです。
STARHOTELS MICHELANGELO泊 連泊なのです。
5月2日 フィレンツェの市内観光 まる4時間以上は徒歩で。
2階建ての ベッキオ橋 の辺りで小雨模様に 折りたたみの傘が役に立ちました。
フェラガモの本店を覗く と言っても 休日のため未だ開店していないようでした。フィレンツェは 京都と姉妹都市なのだそうである 京都よりもずぅ~としっとりとした佇まいでしょう。
ウフィッツィ美術館 圧巻でしたよ 『ありましたよ 本物が!』サンドロ・ボッティチェッリの ヴィーナス誕生(1484年) そして レオナルド・ダ・ヴィンチの 受胎告知(1475-1480) 本物ですよぉ、 やはりダ・ヴィンチの 東方三博士の礼拝(1481年) これは幼稚園の学芸会の演目のテーマであったことを懐かしく思い出しました。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオの ウルビーノのヴィーナス(1583年)も感動もの。
カラヴァジョの バッカス(1596-1600年)は酒の神様として必見 としました。
崇高な大伽藍を連ねる ドゥオモ(花の聖母マリアの教会)はゴシック建築の壮麗そのものである 150年費やした大聖堂の建築、「ア、後ろの人 スリに気をつけてくださいよ」とガイドが言う 油断も隙もないのだが スリを識別できるのだろうか。
ミケランジェロ広場では ダビテの像 アルノ川を隔てて花の都を一望する。
革製品工房に立ちより休憩 小さいショルダーバックを求める。
昼食はなぜか 中華料理 あぁ醤油味が懐かしくも優しく胃袋に浸透しましたよ。
午後は ピサの斜塔 観光へ 雨がひどくなりましたが敢行。
晴れていたら いいところでした ドゥオモ も 洗礼場も歴史を感じました。
ところで 本当に傾いているんですなぁ斜塔は。
5月3日 午前中にバスで ローマへ移動する 285km。
午後はローマ市内観光 サンピエトロ大聖堂 ミケランジェロ24歳の作品 ピエタ像があります。死せるキリストを腕に抱いて悲嘆にくれる聖母マリア 大理石の一塊の石材。
コロッセオ は6万人もの観客を収容できたそうな 血なまぐさい死闘に皇帝から貧民までが熱狂したと言うから どうなんでしょうか人権擁護の立場の人たちは。
トレビの泉 や スペイン広場は人でごった返している。
SOFITEL ROME VILLA BORGHESEホテルで連泊です。
5月4日 ヴァチカン市国 このために来たと言っても過言ではありません。
“もっとも大きな精神世界の中心に位置する世界最小の国家”44ヘクタールしかありません。
ヴァチカン美術館 ラファロの間 アテネの学堂 そしてミケランジェロの 最後の審判 あまりにも壮大で言葉がありませんでした。 ミケランジェロが12年の歳月をかけた 天井画の アダムの創造 イヤハヤ。
ベルヴェデーレのアポロン トロイの木馬の神話が題材の ラオコーン などカメラを覗きっぱなしでした。
午後は ローマ三越 でお買いもの。
5月5日 ローマのフィウミチーノ空港 10:10 ルフトハンザ・ドイツ航空(LH)3841フランクフルト乗り継ぎで 5月6日08:20関西国際空港に定刻に帰着。
《 魅力の4都市をめぐる 想い出のイタリア8 》 のツアーで憧れのイタリアである。
関西空港の日航ホテルで前泊 4月29日10:00ルフトハンザ・ドイツ航空(LH)741便でフランクフルト乗り継ぎで リテーナ空港・ミラノ着 イタリアへ入る。
MICHELANGELOホテル泊 いやぁ~、やはり疲れましたよ お風呂は明朝に。
4月30日 ミラノ市内観光 ドゥオモの屋上展望台 の景観は『いよいよイタリアに来たんだなぁ~』と。スフォルツェスコ城中庭を散策する ガイドが「スリさんに気をつけて…!」としきりに言う 言葉の重大さに後になって実感することになるとは。
スカラ座の博物館を見学 舞台稽古を見ましたが観客として来なくては。
午後 ベネチアへ バスで276kmの移動 ベネチアでは水上バスでSATURNIA & INTERNATIONALホテル泊 クラシックな造りで一昔前の映画の世界 フロントは陽気なオジサンで また『いよいよイタリアにきたんだなぁ~』。
5月1日 ベネチア市内観光 サンマルコ寺院 ドゥカーレ宮 ため息の橋 サンマルコ広場でTシャツを求める 日中は暑いのです。ベネチアングラス工房でネックレスを求める 自分のです 申し訳なく妻にも。
お決まりのゴンドラ遊覧は 水上生活の知恵を垣間見たでしょうか、イカ墨のパスタを食べて バスでフィレンツェへ移動 262km。車窓の田舎風景が目に優しいですなぁ。屋外の広告看板が一つもないのです。
STARHOTELS MICHELANGELO泊 連泊なのです。
5月2日 フィレンツェの市内観光 まる4時間以上は徒歩で。
2階建ての ベッキオ橋 の辺りで小雨模様に 折りたたみの傘が役に立ちました。
フェラガモの本店を覗く と言っても 休日のため未だ開店していないようでした。フィレンツェは 京都と姉妹都市なのだそうである 京都よりもずぅ~としっとりとした佇まいでしょう。
ウフィッツィ美術館 圧巻でしたよ 『ありましたよ 本物が!』サンドロ・ボッティチェッリの ヴィーナス誕生(1484年) そして レオナルド・ダ・ヴィンチの 受胎告知(1475-1480) 本物ですよぉ、 やはりダ・ヴィンチの 東方三博士の礼拝(1481年) これは幼稚園の学芸会の演目のテーマであったことを懐かしく思い出しました。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオの ウルビーノのヴィーナス(1583年)も感動もの。
カラヴァジョの バッカス(1596-1600年)は酒の神様として必見 としました。
崇高な大伽藍を連ねる ドゥオモ(花の聖母マリアの教会)はゴシック建築の壮麗そのものである 150年費やした大聖堂の建築、「ア、後ろの人 スリに気をつけてくださいよ」とガイドが言う 油断も隙もないのだが スリを識別できるのだろうか。
ミケランジェロ広場では ダビテの像 アルノ川を隔てて花の都を一望する。
革製品工房に立ちより休憩 小さいショルダーバックを求める。
昼食はなぜか 中華料理 あぁ醤油味が懐かしくも優しく胃袋に浸透しましたよ。
午後は ピサの斜塔 観光へ 雨がひどくなりましたが敢行。
晴れていたら いいところでした ドゥオモ も 洗礼場も歴史を感じました。
ところで 本当に傾いているんですなぁ斜塔は。
5月3日 午前中にバスで ローマへ移動する 285km。
午後はローマ市内観光 サンピエトロ大聖堂 ミケランジェロ24歳の作品 ピエタ像があります。死せるキリストを腕に抱いて悲嘆にくれる聖母マリア 大理石の一塊の石材。
コロッセオ は6万人もの観客を収容できたそうな 血なまぐさい死闘に皇帝から貧民までが熱狂したと言うから どうなんでしょうか人権擁護の立場の人たちは。
トレビの泉 や スペイン広場は人でごった返している。
SOFITEL ROME VILLA BORGHESEホテルで連泊です。
5月4日 ヴァチカン市国 このために来たと言っても過言ではありません。
“もっとも大きな精神世界の中心に位置する世界最小の国家”44ヘクタールしかありません。
ヴァチカン美術館 ラファロの間 アテネの学堂 そしてミケランジェロの 最後の審判 あまりにも壮大で言葉がありませんでした。 ミケランジェロが12年の歳月をかけた 天井画の アダムの創造 イヤハヤ。
ベルヴェデーレのアポロン トロイの木馬の神話が題材の ラオコーン などカメラを覗きっぱなしでした。
午後は ローマ三越 でお買いもの。
5月5日 ローマのフィウミチーノ空港 10:10 ルフトハンザ・ドイツ航空(LH)3841フランクフルト乗り継ぎで 5月6日08:20関西国際空港に定刻に帰着。
どうやら親には仕送りをさせておいてアルバイト代をへそくっていたようです
そしてイタリア土産がナント!「最後の晩餐」のジグソーパズル
なんでだァァァ~なんでイタリアまで行ってジグソーパズルなんだァァァ