Dr.K と 優しさの夢物語

輝きの明日のために、思春期と思秋期の更年期障害の女性のための健康余話/ときには蕎麦談義とワン子のお話を

なにはともあれ新春!京の初詣

2018-01-03 09:26:56 | ゆるゆる旅日記

なにはともあれ新春!京の初詣

 今年もよいことがありますように と初詣に出掛けて来ました
京都定期観光バス の 新春!初詣コース 都七福神めぐり のBUSツアーです
  【 新春!京の初詣と京風おせち弁当 】
初詣のコースは
北野天満宮[学業成就] = 神泉苑(昼食 神泉苑平八) = 下賀茂神社[縁結びと開運招福]千支参り

■北野天満宮
京都府京都市上京区馬喰町931
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は京都市上京区にある神社 旧称は北野神社
通称として“天神さん” “北野さん”とも呼ばれる
混雑で本殿まで辿り着くまで一苦労です
北野天満宮は福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で 学問の神様として多くの受験生の信仰を集めているのは知られたとおりです
  延喜3年(903年) 菅原道真が無実の罪で配流された大宰府で没した後に都では落雷などの災害が相次いだ 
これが菅原道真の祟りであるとされ御霊信仰と結びついて恐れられたのである
そこで没後20年目に朝廷は菅原道真の左遷を撤回して官位を復し正二位を贈ったのである
天慶5年(942年) 右京七条に住む多治比文子という少女に託宣があり5年後には近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があったそうな
それに基づいて天暦元年(947年)に現在地の北野の地に朝廷によって菅原道真を祀る社殿が造営された

 北野天満宮や菅原道真は 梅 及び 牛 との関連が深い
     東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな
                     - 菅原道真 拾違和歌集
菅原道真は梅をこよなく愛でて 大宰府左遷の際に庭の梅に上記の和歌を詠んだことや
その梅が菅原道真を慕って一夜のうちに大宰府に飛来したと言う伝説により梅が神紋となり約20,000坪の敷地には50種1,500本の梅が植えられているのです
 牛は天満宮に於いては神使(祭神の使者)とされておりますが そのことについては「菅原道真は牛に乗って大宰府に下った」「牛が刺客から菅原道真を守った」「菅原道真の墓所(つまり大宰府天満宮)の位置は牛が決めた」等など伝承にすぎないので本当のところはわからない これらの伝承に因み北野天満宮には臥牛の像が多数置かれておりますなぁ

北野天満宮の文化財で国宝は
「紙本著色北野天神縁起8巻」
天神縁起を題材とした鎌倉時代の絵巻
各巻それぞれ縦52.1cm 全長は8.419mから12.116m
天神縁起絵巻は菅原道真の栄華と左遷そして菅原道真の怨霊による都に於ける変異と北野天神の利生記で構成され天神信仰の成立に伴い数多く制作された
延長8年(930年)6月16日の清涼殿に於ける落雷の様子を描いた巻六の場面では中央に黒雲と雷神を配してその左右に清涼殿の内部や庭に於いて倒れ逃げ惑う公家の様子を描いた特徴的な構図が指摘されます 
これを見ることは叶いませんでしたが教科書にも出てきましたなあ

 北野天満宮では期間限定?の授かりもので 招福の梅の枝「思いのまま」を求めました
北野の境内領域で育った梅の小枝に厄除け玄米入りひょうたんがついたものです

 北野天満宮の門前 御前通りに「たわらや」の看板が眼にとまりました
江戸時代から店を構える老舗手打ちうどんの店です
驚く程太くて長い「一本うどん」です  以前に家人と訪れましたなぁ

◎昼食は二条城の南側前にある 神泉苑平八でいただきます
この料亭の創始者が煮込んでも煮くずれせず歯触りのよいうどんをつくるため秋田のきりたんぽやすいとん等をもとに造ったという日本一太いうどん元祖うどんちりが名物なのですが

■神泉苑
京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町166
神泉苑(しんせんえん)は京都市中京区にある東寺真言宗の寺院
本尊は聖観音 不動明王 弘法大師
平安京創建時に設けられた禁苑(天皇のための庭)で 天皇や貴族が舟遊びや管弦の宴を楽しみ花見も催した
雨乞いの儀もたびたび行われ 824年に淳和天皇の勅命により東寺の空海つまり弘法大師と西寺の守敏が祈願を競ったところ 空海が祈ると北天竺(チベット)の無熱池から勧請した雨の神である龍神(善女龍王)が現れたちまち雨が降った
それ以降東寺は栄え西寺は滅びたと言う伝承があります
空海が呼びよせた雨をもたらすと言う龍神の善女龍王を本殿に祀る
都に疫病が大流行し東北に巨大地震と大津波があった貞観11年(869年)に清和天皇は神泉苑の南端に当時の国の数である66本の鉾を立て神輿を繰り出し国の平安を祈った これが祇園祭の起源とされる御霊会なのだそうです
歌舞を歌い舞う遊女である白拍子だったとされる静御前が源義経に見染められ愛妾になった静御前と源義経の出会いの場としても知られております
源義経を追って平泉へ逃げる途中で越後栃堀で病に倒れ没したそうな
係留されている龍頭鷁首の舟を眺めて龍神の棲む池で願い事をしたためてみました

■加茂御祖神社
京都市左京区下鴨泉川町59
加茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)は京都市左京区にある神社 通称は“下鴨神社”
加茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は京都市北区にある通称“上加茂神社”とともに加茂氏の氏神を祀る神社であり両社は加茂神社(加茂社)と総称される
両社で催す加茂祭 通称“葵祭”が知られております
本殿には 右に加茂別雷命(上加茂神社祭神)の母の玉依姫命 左に玉依姫命の父の加茂建角身命を祀ることから加茂御祖神社と呼ばれるのだそうな
金鷄及び八咫鳥は加茂建角身命の化身だということである

糺すの森
高野川と加茂川が合流する一帯の樹齢200年を超える木々が茂る原生樹林で下鴨神社の参道はこの森の中を真っすぐに通っております
糺すの森を抜けると鮮やかな朱色の門が現れます 楼門は国の重要文化財です
本来はこの参道からお参りするのでしょうが横の参道からはいりました

下鴨神社には大勢の神々が祀られているそうです
可合神社(かわいひんじゃ)― 女性守護で知られている玉依姫命 美麗の神
相生社(あいおいのやしろ)― 神皇産霊神はあらゆる良縁の結びの神
言社(ことしゃ)― 千支の守護神 自分の守り神をみつけて参拝

御手洗池(みたらしのいけ)
“みたらし団子”の由来になった聖なる池
御手洗池に祀られる御手洗社では土用の丑の日の前後に無病息災を願って足つけ神事が行われる そしてこの湧水の泡をイメージしたのがみたらし団子だそうな
串にさされた団子は人の五体に見立てられているそうな
 下鴨神社もまた押すな押すなの混雑で池まで辿り着くことはできませんでした

初詣とは 年が明けてから初めて神社や寺院などに参拝する行事とされております
元々は年籠りと言い家長が祈願の為に大晦日の夜から元日の朝にかけて氏神の社に籠る習慣であったらしい
そう言えば幼い頃に 大晦日の夜の雪道を歩いて大平山秋田三吉神社にお参りしたのは“除夜詣”と“元日詣”だったのだろうなあ
 初詣は祈願と言うことなのですが新年の誓いを立てる機会でもありましょう
英国や米国でも新年の決意New Year’s resolution と言ってこれを立てる習慣があるようです
受験期には初志貫徹などと大書したものですが
新年の抱負は『今年こそは!』と実現が困難なものが多いせいか諦めてしまうことが多い
私などは門松注連縄がとれる頃には抱負自体すら忘れてしまっている
そこで祈願と言うことになってしまうのだろうか
君は初詣に行ったかな

    

    


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