2012年のG.W.は『世界の歴史と文化を知るためにはなんと言ってもSPAINなのです』 と決めつけてお休みをたくさんいただいて行って来ましたSPAIN!
【 オーレ エスパーニャ8 】旅のメモ帳です
第1日目 4月28日(土曜日)
関西国際空港は 久々である イタリア以来なのです
フィンドランド航空(FINNAIR) AY 0078 10:45発
最も安全な航空会社と言われている飛行機である 事故が極めて少ないと言うことであろう
そのせいかクルーがみな穏やかな感じがするのは気のせいかしら
約10時間のフライトでヘルシンキ空港です
北廻りですので眼下の河が凍りついていました
ヘルシンキ空港で乗り継ぎです フィンランド航空 AY 3183 でバラハス空港へ
約5時間でマドリードのバラハス空港着 現地時間で20:25 時差は6時間です
おぉ!Spainです Hola! いやぁ~長かったですよぉ
ホテルは MELIA MADRID PRINCESA 泊
第2日目 4月29日(日曜日)
スペイン紀行の始まりハジマリです ここで時差は7時間なるのですが長旅にしては疲れを感じておりません
マドリッド MADRIDからスタートです
◆スペイン広場 PLAZA DE ESPANA
1930年にセルバンテスを記念して造られた広場
さして広くない広場であるが 中央にはセルバンテス像が ドン・キホーテとサンチョ・パンサ像を見下ろすように立っているのです
◆王宮 PALACIO REAL
フランスのヴェルサイユ宮殿で生まれ育ったブルボン王朝第1代の国王フェリペ5世は フランス・イタリア風の王宮の建設を命じ1764年に完成
150m四方の建物の中には 2700を超える部屋があり 現在も公式行事に使われているそうである
◆国立ソフィア王妃芸術センター
おもに20世紀の現代アートを所蔵する美術館である
ピカソ ダリ ミロ タピエスなど教科書や美術全集で観た“本物”に圧巻
戦争の悲惨さを描いたと思われる(?)ピカソの大作「ゲルニカ」Guernica の展示室は警備が厳重なのです
◆プラド美術館 MUSEO NACIONAL DEL PRADO
スペイン王室の美術コレクションを中心として1819年に開館
エル・グレコ ベラスケス ゴヤの3大巨匠に眼を奪われた感がしました
ゴヤのミステリアスな微笑みを浮かべた同じポーズの2枚の絵画「着衣のマハ La Maja Vestida 」と「裸のマハ La MAja Desnuda」 を
楽しみにしていたのであるが 裸のマハ は“出張”中で残念
「マハ Maja」とは流行の先端をいく伊達女と言うマドリード方言 モデルが誰なのかは今も謎のままであるが セクシーな肢体や謎めいた
微笑から様々な憶測が絶えないのです ウゥ~ム!
名画と言われている絵画は 美術誌で知識を得ることはできるが その真価は眼の前で鑑賞しなければわからないのだなぁと思う
午後は トレド TOLEDO へ
三方をタホ川に囲まれ ギリシャ生まれの画家エル・グレコが後半生を送った頃のたたずまいを今も残す街
1561年に首都がマドリッドに移るまで政治・経済の拠点として繁栄し『16世紀で歩みを止めた町』と言われるがその通りだと実感
キリスト ユダヤ イスラム の3つの文化なくしてこの町は語れない
ホタ川の南側の高台からトレドの街を望む あぁ来てよかった!町の頂きにそびえる城アルカサルは11世紀に始まる
BUSは街へおりて 大聖堂 Catedral とサント・トメ教会 lglesia de Santo Tome を見物
トレドはオプションだったのであるが参加してよかった スペインの旅はワクワクして始まったのでした
MELIA MADRID PRINCESA で2連泊です
第3日目 4月30日(月曜日)
マドリードから AVE新幹線で約2時間 アンダルシア第3の都市のコルドバへ
ホームに降りる前に手荷物検査があります 家人はコートをも脱いで機械に通されました 安全を思えば本来そうあるべきですかな
ここでは ホームでのアナウンスがいっさいありません もちろん発車の合図のベルもなりません
時間になったら音も立てず静かに走り出します
何処ぞの国の駅のアナウンスと車内の案内はうるさ過ぎなのです
コルドバでは メスキータ そしてユダヤ人街を散策します
そして午後は BUSでセビリアへ向かいます(約139km)
そうです セビリアへ来ましたので夜は“フラメンコディナーショー”でしたなぁ
◆メスキータ MEZQUITA
785年に建設が始められコルドバの発展と歩調を合わせるように3回にわたって拡張されついには2万5000人を収容する大モスクが完成
内部は 大理石と楔形の赤レンガを交互に組み合わせたアーチが限りなく広がり眼がくらんでしまう程
「円柱の森」と呼ばれるのです かっては1000本以上の柱があったが現存するのは約850本とガイドの説明 それだけでもすごいのだ
コルドバを再征服したカトリック教徒による改造で 入口は5つの門を残してすべてふさがれてしまっている
イスラム教とキリスト教が共存しているのです
◆ユダヤ人街 LA JUDERIA
メスキータの北側に広がる 迷路のように道が入り組んだ地域
かって西カリフ帝国の経済を支える存在として歴代カリフに厚遇されたユダヤ人はレコンキスタ終了後の1492年に布告されたユダヤ
人追放令によってこの街から姿を消したのだと言う
小道ごとに様相を変える白壁の街並みには花々の小鉢が飾られております 窓々に飾られているのはゼラニウムでしょうか
各家々にはアンダルシアの暑い夏を快適に過ごすための“パティオ”が設けられている ブーゲンビリアが零れるように花をつけている
「花の小道 Calleja de las Flores」写真スポットして名高いのです もちろん撮りましたですよ
細い路地の終点には小さな広場 振り向くとメスキータの尖塔が見えました
路地を曲がると若いギタリストが「アルハンブラの想い出」を奏でるのでした
セビリアの宿は GRAN MELIA COLON
第4日目 5月1日(火曜日)
午前中は セビリアの市内観光です カテドラル アルカサール スペイン広場 マリア・ルイサ公園と廻ります
セビリアは セビーリャ Sevilla なのですなぁ
午後はBUSで いよいよグラナダへ(約245Km)
◆アルカサル REALES ALCAZARES
荘厳なイスラム風の宮殿です
◆カテドラル Catedral
「後世の人々が我々を正気の沙汰ではないと思うほど巨大な聖堂を建てよう」1401年にモスクの跡地に建設を開始 約1世紀後の
1519年に完成
内部は聖霊の降臨を表すステンドグラスが眩い
4人の王が棺を担いでいるコロンブスの墓がありました
モスクのミナレットとキリスト教の鐘楼が融合したヒラルダ(風見)の塔は高さが97m 登りましたよハイ “心の臓”が爆発寸前でした
『アルカサルで 歩かされーる』と親父ギャグを一発 家人の失笑をかいましたが
◆スペイン広場 PLAZA DE ESPANA
かってサン・テルモ宮殿の一部だったマリア・ルイサ公園内に位置する
1929年に開かれたイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られたと言う
広場を囲む柱廊がある半円形の建物の下には歴史的場面をタイルで描いたベンチが置かれて寛げる
水路に架かる橋の欄干や建物に使用されている陶器が綺麗なアクセントとなっているのです
セビーリャのCoria del Rio と言う小さな町に約600人のハポン(日本)姓を持つスペイン人がくらしているとガイドの説明
その由来は17世紀の慶長遣欧使節にさかのぼり 1614年伊達政宗の命を受けた一行30名の日本人の子孫なのです
グラナダでのホテルは SARAY
夜ご飯の席に ギターのトリオがやって来て LA PALOMA BESAME MUCHO そしてRECUERDOS D LA ALHAMGRA を唄って奏でる
いやぁ~盛り上がりますねぇ アンダルシアに来ているのです
ご祝儀です CDを買い求めました
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