そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トハアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの手の力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山(さん)てんでしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
-高村光太郎の詩集から-
光太郎の詩のなかでも
この「レモン哀歌」は
とくに好きでした。
よく暗誦したものです。
昔は、深く意味を考えることもなく
読んでいましたが…。
身近な大切なひとたちが
次々と旅立っていくと
言葉のひとつひとつが
じんわりと深く
胸にしみてきます。
高村光太郎なのでしょう?
実は、先週娘が家にあった智恵子抄が読みたくなったといって、家に会った本を読み始めました。私はそのとき瑞巌寺には父の高村光雲の作った大きな観音像があるのよ・・と
話したばかり。友人は一緒にいて、智恵子は病気にいいので美しい切り絵をたくさん作ったのよ、という。でも娘は智恵子ばかり出てくるのでこんなに智恵子、智恵子いわれたから病気になったんじゃないかしらと思うほどよ、と娘。久しぶりの一緒になった電車で3人で盛り上がりました。ほんと、ユウさんもいれると4人だぁ。ごめんなさい、レモン哀歌
なのにね・・・。
ご友人は切り絵…の話ですか。
そうでした、切り絵でしたね。
私もなぜだか、光太郎の詩が気になったのです。
父光雲は著名な彫刻家。その父の肖像を造りましたね。光太郎の「鯰」の木彫が印象に残っています。
今、思ったのですが、
精神を病んだ智恵子のことが
今の時代だから話題になるのでしょうか。
そういえば、
「博士の愛した数式」や「明日の記憶」など
若年痴呆症を題にとった作品が多くなりましたね。