山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

ゴルフで想い出した北京からの体験

2007年12月01日 14時04分24秒 | Weblog
遡れば9年前12月の30時間の耐久鉄道の旅、北京/香港鉄道の旅。今は10時北京出発となってるが、当時は朝7時北京発で香港は翌日午後1時半頃着の特急寝台車に乗った。京九鉄道といわれる。北京の"京"、九龍の"九"からがいわれだろう。コンパ-トメントで4人部屋。朝から親父4人でトランクを膝の上にのっけて、トランプの賭けを延々とやった。食堂車は、お世話になったが、中味は飯ぶっかけ中華よりやや上。食事はこれしかない。座席は1等だが国鉄時代の1.5等寝台。30年近く前にモスクワ-サンクトペテルブルグ間の"赤いXXX号"の上から落ちそうだった寝台よりマシか。脱線気味。列車から見る風景は寒々とした赤茶けた畑の連続。駅は下車なしで、僅かな数の弁当売りしかいない。長江渡る迄は本当に長くてシンドイ。トイレには一番閉口した。床が鉄板で、真ん中に穴が開いてるシンプル系、用を足したら鉄板の上に散水すれば終わりだが、体動かさず食べるだけだからトイレにお世話になりたいが・・・・・・・便秘気味になった。暗闇でも吐く息が白い北京から、半袖で快適な香港到着は、気の緩みか風邪引きになっていたが。飲茶の昼飯はビ-ルがドンドンいけた。当時の写真お蔵入りで、面倒だから中国のサイトからパクリ。しかし、中国は交通関係の情報は公開しない-----軍事国家だ。
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先週の日曜ゴルフ観戦

2007年12月01日 10時41分42秒 | Weblog
先週は目移りゴルフ観戦。同じ時間帯に3つ。日本男子・女子にWorld Cup。日本男子会場の高知の黒潮カントリ-は2年前に二日酔いでプレ-したことも。しかし、ここは広東の香港隣接の深圳で行われた世界戦=World Cupが面白かった。10年近く前に深圳でゴルフをしたことがあるが、貸し道具はブランド名が消された、どこかの委託製造品流用ものだった。各ホ-ルが世界各地の有名ゴルフ場の名物ホ-ルの模倣になっており、距離も表示より概ね長いが、結構面白かった記憶がある。世界戦は深圳のMission Hillsオラザバルコ-スだった。スコットランドの赤鬼組が優勝。夕闇迫る中、力と技の応酬はプレ-オフを3回で決着。久しぶりでプロゴルフが堪能できた。ファンであったフレッド・カプルスとデ-ビス・ラブⅢの最強組4連勝は懐かしい。日本は28組中25位は無様だ このト-ナメントは起源は『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用。 1953年から毎年行われている国別対抗の団体戦で、国を代表する2人の選手がチームを組み、世界24ヶ国が出場する。最初は「カナダ・カップ」の名称。2000年から本大会は世界ゴルフ選手権シリーズに編入され、2005年から「アルガーブ・ワールドカップ」という名称に。金額は賞金ランキングに加算されない。2001年日本ゴルフ100年祭の最高潮をなすイベントとして「太平洋クラブ御殿場コース」に誘致された。この時はアメリカ代表として、世界ランキング1位のタイガー・ウッズと同3位のデビッド・デュバルが来日。アメリカ・チームは大会3連覇を逃したが、最終日の18番ホール(パー5, 517ヤード)でウッズが放った“ミラクル・チップイン・イーグル”は強烈な印象を残した。この時は4チームのプレーオフになり、アーニー・エルスとレティーフ・グーセンのコンビによる南アフリカチームが優勝した。日本チームは1957年に小野光一と中村寅吉のコンビで初優勝を飾り、日本の人々にゴルフを紹介する大きなきっかけをつくった。その後、2002年に丸山茂樹と伊沢利光のコンビがメキシコ開催の大会で日本チームに45年ぶり2度目の優勝をもたらした‐
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