山崎 喬

加賀生まれ(金澤)

来るとき見た手取川ダムの威容

2008年07月15日 07時09分47秒 | Weblog
子供の頃、梅雨時期の渇水の際は加賀平野のお百姓さんは相当水で難渋していたのを地元新聞でよく見ていた。管理人が東京で社会人になった頃にこのダムは出来たらしい。石をを積み上げたダムは否応なく目に焼きつく。写真では迫力に欠くが実物は見てのお楽しみ。帰り道に撮影。帰り道、地元民愛用の銭湯タイプの源泉掛け流し温泉を楽しみにしていたが、遅くなってお百姓さんで混みあってて、敬遠。残念。温泉は鶴来にあるが、温泉のメッカだからここは名を伏せておこう。
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城下町大野に

2008年07月15日 07時09分28秒 | Weblog
周囲の山々からの水が集まる大野まで来ると、水が豊かできれいだ。何もない水辺に沿って健脚を試してみたくなる。町に入っても、城下町の雰囲気が薄い。たどり着いたのが、ようやく街並み保存か、かろうじて城下町をしのばせる町人街、七間町がある。朝市が有名らしいが、着いた頃は午後。残った僅かな観光資源、まばらな古い民家を現代人好み風に補強して通りをオ-プンモ-ルにして残している。商家風の町の観光協会に入って少し物をお尋ねしたが、そのぞんざいな言葉は僅かに残っている家々に申し訳が立たない。大野、勝山へ出てきたが、吉村昭の小説天狗争乱に記されている水戸天狗党の終焉の地の足跡が何もないのが残念。利家公と越前攻めの金森氏が開いた大野もまたコンクリ-トの城が。わが、加賀の国では城跡と城門しかないが・・・・・・・・。母親から、天狗争乱の話は聴かされており、幼子心でおぼろげに記憶があったが。幕末当時はの加賀藩では一大事であったろうから母親の代まで話が伝わったろうに。、400名近くが加賀藩お預かりで斬首などされているのに、何もないとは。
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勝山の地名はあまたあるが、ここは

2008年07月15日 07時08分53秒 | Weblog
石川県と県境の恐竜化石の宝庫の町だ。山麓を抜け盆地になると、そこが勝山の町だ。大野の町に向かう途中、信仰に厚き人が建立した有名な越前大仏のお寺が見えてくるが、隣の勝山城もすぐに視界に入ってくる。写真の通りのコンクリ-トで固まったお城で、中は武具などの博物館となっているようだ。お城の周囲は田圃であまりにも殺風景なので、田圃ナシをアップ。いずれも見学は勘弁してもらって一路勝山へ。
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白峰で栃餅を買いすぎ

2008年07月15日 07時08分26秒 | Weblog
元金沢人は栃餅は食べたことがない。餡子が中にあるものと外にあるものがあっが、一折に計5つだからお店の姉さんの愛嬌で6つにした。馬鹿はバラバラ買いで4つで折り合いをつけるが、賢人のわれらは蕎麦で腹ポンなのに食べることもできないのに、なんと・・・・。白山神社の和田屋の鮎なら、多分それぐらいの数は食べられる。そういえば、12日の夜の魚はちび鮎だけはいけた。
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