白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

言語化するジュネ/流動するアルトー75

2020年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム
ピエロの過剰な身振り仕ぐさは転倒していた隊長の目をいともたやすく元に戻した。ピエロは「天の声」ではもはやない。ただ単にどこにでもいる不良少年の位置に引きずり降ろされた。が、引きずり降ろしたのはピエロ自身の身振り仕ぐさの過剰さである。ますますふてぶてしくなりますます不良じみてくるばかりの一人のちんぴらの振る舞い。堂々としてぶれのない冷静尊大だったピエロの権威は急速に失墜して見える。この過剰なちんぴらぶりが逆に、隊長の目を不意に正気に戻してしまう。隊長にとって、一旦は大人を騙して調子に乗っていた少年ピエロの姿が、急速に唾棄すべき軽蔑そのものが歩いているかのように見えてくる。ところが隊長はピエロがやってのけた囚人仲間に対する裏切り行為に或る共通点を重ね合わせて見ることで一転してピエロの裏切り行為から或る価値を引き出し高く評価するに至る。フランス人でありながら同胞フランスのしかも同世代の囚人仲間を気まぐれに裏切り告発すること。フランス人でありなおかつフランス語でものを考えながらフランス国内でナチスドイツに奉仕する対独協力義勇兵としての資質である。獄中でのピエロの振る舞いとフランスでの対独協力義勇兵との構造的一致が、いったんは転倒から戻された隊長の目をさらにもう一度別のものへと転倒させた。ところがそんなことには気づかないピエロはパニックにおちいっている。仲間を刑務所の側へと売り渡すという許しがたい裏切り行為に対して憎悪と軽蔑のすべてを籠めてピエロの言動を注視している他の囚人たち。その囚人たちの中に連れ戻されそのまま放置されることにでもなればもうその後のピエロの人生は決定してしまったに等しい。

「このような裏切り行為のあと、断われば命はないと脅してそれを強制した権力が彼の敵側に廻れば、いや囚人たちの憎しみの前に彼を放棄するだけで、もはや彼は永遠の屈辱にたえ、階段を洗う雑巾の上にいつまでもかがみこみ、涙を呑みつづけるほかないだろう」(ジュネ「葬儀・P.308」河出文庫)

そのような状態が続けばピエロの精神状態は獄中から出る機会を失ったままいずれ崩壊し去ってしまうだろう。隊長の質問は多少なりとも残酷な調子を含んでピエロの上から振り下ろされる。ピエロは動揺を隠しきれない。返事はしどろもどろだ。

「牝犬のようにふるえる、あらゆる気まぐれを堪え忍ぶ、すごくつつましい哀れな女中の気分で彼は答えるのだった。『はい、はいーーー』その声は《この男だけです》という言葉を口にする勇気がなく、途中でとぎれてしまった。なぜならその文句は《この男がおります》という断定を含んでおり、そしてその男を彼は摘発する勇気がなかったからだ」(ジュネ「葬儀・P.308」河出文庫)

ピエロはおもう。想像を絶するありとあらゆる爆発的「高笑い」の集中を。人間を社会的最底辺の位置に置き据えそこに縛り付ける最大限の軽蔑の力の集中の怖さを。恥辱まみれになってそのうち崩壊していくだろう自分の姿を思い浮かべて宙吊りになる。

「これほど途轍もない恥知らずな言葉を聞けば、突然空中に、すなわちあらゆる物から、扉の中に、壁の中に、眼の中に、恐ろしい高笑い声が爆発するのではないかと不安だった」(ジュネ「葬儀・P.308」河出文庫)

慈善事業に乗り出す。といってもピエロ自身が、である。たった一度のやさしさの表現が、それが内面ではまったくの偽善であっても他人の目には慈善事業に見えることはしばしばある。

「恐くなり、残っていた四つの監房ではひとりの罪人の顔も見つけ出そうとしなかった。十六歳ぐらいの一人の若者に近づいたときは肩に羽織っていただけの上衣が落ちた。ピエロはたいそうやさしくそれを拾い上げ、少年が袖に手を通すのを手伝ってやるのだった。ーーー溺れる者は藁をもつかむように、ピエロはこのたった一つの慈善行為で一切が帳消しにされることを心得ていた。悪の階段を登るのに彼がかくも難渋し、手助けをしたとしても、べつだん驚くにはあたらない。彼はごまかさなかっただけのことだ」(ジュネ「葬儀・P.309」河出文庫)

卑劣極まりない若造の一人に戻ったピエロの行為などますます隊長の心情をより一層救いようのない軽蔑へと導くだけだ。しかし隊長の心づもりはもう決まっている。対独協力義勇兵に必要なのはピエロのように正直な卑劣さだからだ。この種の卑劣さをもっと徹底化させれば裏切り行為のための戦士になれると隊長は先を見据えている。だが単なる若造に戻って処罰を待つばかりのピエロはもうほんのわずかであれちょっぴり皮膚を突かれただけで泣き崩れてしまいそうなのだ。隊長の態度は満足げだ。そして隊長は躊躇なく次のように振る舞う。

「怯えきって、身じろぎもせず、恐ろしい判決が下るのを彼は待ち受けた。隊長は若者に近づくと、手をさしのべて、握手した。『小僧、お前は義務を果たした。お前のやったことは勇気のいる行為だ、関心だ』それから、所長に向かって、この密偵(スパイ)を看守たちが丁重に扱うように言い渡した」(ジュネ「葬儀・P.310」河出文庫)

ピエロの慈善事業に隊長の慈善事業が重なり慈善事業の二重化が果たされる。とはいえここまでは、隊長とピエロとの意識の流れをただ単に追ってきたに過ぎない。けれどもこのときのピエロの意識と行動は十代半ばのジュネの姿であり、隊長の行動は三十歳の頃のジュネの意識と行動である。分割して描かれている。

「司法記録のためのわたしの写真が二葉見つかった。その一つでは、わたしは十六歳か十七歳ぐらいである。人民救助局支給の上着の下に、破れたジャケットを着ている。わたしの顔容はきわめて純正な楕円形(だえんけい)であり、今では記憶にない喧嘩(けんか)の際に拳骨(げんこつ)でなぐられたために鼻は潰(つぶ)れている。眼はすべてに倦(う)み疲れたような、悲しげでいて熱烈な、非常にまじめな表情をしている。髪の毛は濃くて、乱れている。この年齢の自分の顔を見たとき、わたしはほとんど大声でわたしの気持を吐露した。『かわいそうに、まだ若いのに、ずいぶん辛い思いをしたんだなあ』わたしは同情をこめて、自分とは別のジャンという子についてそう呟(つぶや)いた」(ジュネ「泥棒日記・P.118」新潮文庫)

「もう一つの写真では、わたしは三〇歳である。わあしの顔は厳(いか)つくなっている。顎骨(あごぼね)が強く張り出ている。口には苦い、意地悪な表情がある。眼は依然として非常に優しいが、わたしは無頼漢の顔つきをしている。それにこの眼の優しさも、官衙(かんが)の写真師に凝視することを命じられたために、よほど注意して見ないと気がつかないだろう」(ジュネ「泥棒日記・P.120」新潮文庫)

この分割あるいは分裂。もっとも、ジュネの身体はただ一つしかない。ところがその物質的神経伝達細胞網は無数の多様性で溢れかえっている。にもかかわらず人間の目はジュネの身体が一つの身体としてまとまって見えるということだけで精神もまた一つだと信じて疑わない。年齢の違いなど実は問題でも何でもない。問題はむしろ見る側の「目」にある。「目」が問題なのだ。慣習化されて一元的にものを見ることに慣れてしまい、馴致し、一般化し、平板化し、凡庸化し、家畜化してしまった「目」という認識装置の暴力的機能。それはいったいどのような過失を犯してしまうか。あるいはいつも犯しているか。遂には過失そのものになってしまったか。しかし人間の目がそのように変化したのはなぜだろう。

「どうして、私たちが私たちのより弱い傾向性を犠牲にして私たちのより強い傾向性を満足させるということが起こるのか?それ自体では、もし私たちが一つの統一であるとすれば、こうした分裂はありえないことだろう。事実上は私たちは一つの多元性なのであって、《この多元性が一つの統一を妄想したのだ》。『実体』、『同等性』、『持続』というおのれの強制形式をもってする欺瞞手段としての知性ーーーこの知性がまず多元性を忘れようとしたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一一六・P.86」ちくま学芸文庫)

その直後、意識は言語形式を取って始めて「なんらかの連鎖の最終項として」意識にのぼってくる。

「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの結末である。或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる。諸感情、諸思想等々の、現われ出てくる諸系列や諸継起は、この本来的な出来事の《徴候》なのだ!ーーーあらゆる思想の下にはなんらかの情動がひそんでいる。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆる意志は、或る特定の衝動から生まれたものでは《なく》て、或る《総体的状態》であり、意識全体の或る全表面であって、私たちを構成している諸衝動《一切の》、ーーーそれゆえ、ちょうどそのとき支配している衝動、ならびにこの衝動に服従あるいは抵抗している諸衝動の、瞬時的な権力確定からその結果として生ずる。すぐ次の思想は、いかに総体的な権力状況がその間に転移したかを示す一つの記号である」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・二五〇・P.148~149」ちくま学芸文庫)

さらに言語は貨幣のように立ち働く。それまでに通過してきた多様な過程から《多様》なもの、あるいは《差異》を「抜き取り」《単一》なものへと加工=変造する。

「習慣は、反復から、何か新しいもの、すなわち(最初は一般性として定立される)差異を《抜き取る》」(ドゥルーズ「差異と反復・上・P.207」河出文庫)

加工=変造過程は意識にのぼらない。逆に加工=変造過程が意識にのぼらないことを条件として始めて言語化ならびに意識化は可能になる。言語化あるいは意識化されるやいなや、言語は貨幣のように立ち働き、そのあいだの全連鎖は消えてしまって跡形もない。

「一商品は、他の商品が全面的に自分の価値をこの一商品で表わすのではじめて貨幣になるとは見えないで、逆に、この一商品が貨幣であるから、他の諸商品が一般的に自分たちの価値をこの一商品で表わすように見える。媒介する運動は、運動そのものでは消えてしまって、なんの痕跡も残してはいない」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・P.169」国民文庫)

隊長は隊長を演じる。次の描写は演技であり身振り手振りで現わされる。意識の流れをながながと描写する必要はない。

「つぎに彼を仕返しから、囚人たちの《いたぶり》から守るために、どのような措置を講ずべきかたずねた。早急の恩赦によって放免になるまで彼は図書係をつとめることにその場で決められた。看守の一人が彼を図書室へ連れて行った」(ジュネ「葬儀・P.310~311」河出文庫)

ピエロには結果報告だけでよい。

「二時間後に、別の看守が、憎悪と嫌悪のこもった声で、いずれもみな未成年の、まだ子供のような二十八人の犠牲者に、所長と、隊長と、そして治安当局から派遣された役人とから成る臨時法廷がひとからげに銃殺刑を言い渡したことを、彼に告げた」(ジュネ「葬儀・P.311」河出文庫)

さて、アルトー。ヘリオガバルスの「後ずさり」は有名らしい。もっとも、アルトーがそれを強調してから有名になったようだが。

「彼は後ずさりしてそこに入る」(アルトー「ヘリオガバルス・P.182」河出文庫)

新しい皇帝は「三月の中日の最初の日の明け方にローマに入城する」。ローマから見れば奇妙な変則的行為である。ヘリオガバルスは変則者、差異的情動、ボーダーとして、ローマに感染しローマを感染させる。宗教の違いといってしまえばそれまでのことかもしれない。けれども「違う」ということ。意味はもちろん違うわけだが、その行為が意味する現実は余りに突拍子もなく実現された決定的身振りによって果たされる。

「ヘリオガバルスが三月の中日の最初の日の明け方にローマに入城するということ、それにはローマ的見地からではなく、シリアの聖職的見地からすれば、力強い祭式となったひとつの原理の婉曲な適応がある」(アルトー「ヘリオガバルス・P.183」河出文庫)

それはそれとして。アルトーが言いたいのは後にまとめて言いたいことがあるから、という事情があるにせよ、ヘリオガバルスという少年皇帝がそう振る舞って見せたからこそアルトーは、当時の歴史家たちとまったく異なる目を獲得することができたことは確かだろう。演劇家としての目の地平がそれだ。アルトーはただ単なる行為を書き写したわけではない。ヘリオガバルスの演劇的身振りに、身振りを通して皇帝の詩を見た。そして詩はいつものように善悪を知らない。

「宗教的見地からすれば、とりわけそれが意味するところをそのまま意味するひとつの祭式があるにしても、しかしローマの風習からすれば、ヘリオガバルスが支配者としてローマに入ることを意味してはいても、後ろ向きに入ったからには、彼はまずローマ帝国におかまを掘られることを意味する」(アルトー「ヘリオガバルス・P.183~184」河出文庫)

ヘリオガバルスによって演じられたこの詩は、アルトーを差し置いてあえてジュネにいわせるとすれば、間違いなく天空から音楽が降ってくるということを意味する。ヘリオガバルスはローマ帝国全土に異教の音楽を降らせる。ヘリオガバルスは音楽家だ。無限に変化するヘルメスである。なお、ヘリオガバルスのパフォーマンスは徹底的に象徴化され或る種のダンスのように極限まで記号化されている。けれども太陽の神になるためには徹底的な反緊縮財政を実行しなくてはならない。実際そうする。ローマの古い頭脳はそれに耐えることができなかった。だがローマの民衆は、とりわけ後に、といっても千年後だが、資本主義へ移行していく人々はそれを歓迎したのだった。というのは、アナーキーする統一性の生産という具体的実践は近代社会成立の条件であり、なおかつ資本主義は制度の解体と再領土化とを同時に行わなくては延命することができない以上、ヘリオガバルスを認めないわけにはいかないからである。


タマから新年のご挨拶。ひさしぶりに写真を撮ってもらいました。陽だまりが好きなタマです。今年もどうぞよろしくお願いします。

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