白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

言語化するジュネ/流動するアルトー102

2020年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム
ミニョンは獄中で放屁するとき「俺は真珠をひとつ放つ」とか「真珠がひとつ落ちた」という。音を立てることを良しとしない。獄中で取るべき態度としてそう決めている。だから他の囚人が大きな音を立てて屁をすると一体なにごとかとばかりに抗議する。「下品」だとして抗議するのだが、その抗議の言葉は屁をするよりも遥かに「下品」である。とするとミニョンは、他の囚人たちを徹底的に下品な言葉で罵るためにわざと自分の「すかしっ屁」を「真珠」へ祭り上げ、逆に他人の「音のする屁」を爆発物ででもあるかのように取り扱うことにしていたのかもしれない。

「監獄のなかで彼がそっと噴射させた臭いには真珠の鈍い艶があって、その臭いは彼のまわりにからみつき、彼の全身を後光で包み、彼を孤立させるが、彼の美しさが恐れず口にした表現ほどには彼を孤立させはしない。『俺は真珠をひとつ放つ』が示しているのは、屁は大きな音を立てなかったということである。音を立てるとすれば、それは下品である、そして間抜けがおならをすると、ミニョンは言う、『俺のちんぽこのムショが崩れちまうぜ!』」(ジュネ「花のノートルダム・P.50」河出文庫)

ジュネ的感性からみれば、ミニョンの激怒と罵倒の嵐はニーチェのいう「稲妻/閃光」に匹敵する。それはほんの一瞬、宗教用語を用いればそれこそ「奇蹟」のように美しく光り輝く。ミニョンの周囲はもはやアフリカのサバンナだ。獰猛な力が天空に満ちる。地上を黒々と染め上げる。

「驚くほど見事に、背が高く金髪である彼の美しさの魔法によって、ミニョンはサバンナを出現させ、黒人の人殺しが私に対してきっとそうするよりもっと深く、もっと横柄に、黒い大陸の中心にわれわれを追いやるのだ。ミニョンはさらにつけ加えて言う、『くっせえ臭いだぜ、われながら自分のそばにはいられねえーーー』要するに、彼は自分の汚辱を真っ赤な焼きゴテでむき出しの肌につけられた傷跡のように身にまとっているのだが、この貴重な傷跡が、往時のならず者たちの肩の上の百合の花と同じように、彼を気高くする」(ジュネ「花のノートルダム・P.50~51」河出文庫)

なお「百合の花」とあるが、そもそもフランスで始まった刑罰の印として犯罪者の肌に施されるタトゥーのこと。もっとも最初は「焼きごて」でじゅうじゅう焼いて刻印したらしい。それが洗練されタトゥーに代わった。さらにジュネの仲間たちのように自分から進んでタトゥーを施す人間が出てきた。世間一般の人間とは違うということを誇示するためのタトゥーである。だが自分でタトゥーする場合は意匠を自分で考案したり選択したりできるためデザイン性に重点が置かれるようになっていく。しかしそれを「百合」と呼ぶ場合、多くは同性愛者の称号として用いられる。ところが同性愛にしてもデザインがたとえライオンであっても周囲があえて「百合」と呼ぶ場合は諸説あるようで、起源的には男性同性愛者が先なのかそれとも女性同性愛者が先なのか判然としない。ところでジュネはミニョンのことを悪くおもってはいない。たとえば或るとき、ミニョンが出所する際に警察の警部の目にとまったのだろう。警部はミニョンの耳元に近づき、出所したら警察の「ヒモ」にならないかと囁く。ミニョンは迷い一つ見せず受諾する。ジュネは感動の余り、こう書き付けている。

「他人を売ることが彼の気に入っていたのだ、というのもそれは彼を間化するからだった。俺を間化することは俺の奥深い性向である彼は夕刊の第一面に、売国行為を働いたために銃殺刑に処された中尉、私がすでに話したあの軍艦旗の写真を見る思いがした。ミニョンは思った、『古い仲間だぜ!兄弟』」(ジュネ「花のノートルダム・P.52」河出文庫)

裏切り行為はそれほど穢(けがら)らわしい行為として囚人仲間からも毛嫌いされていた。自分が裏切れば他の誰かから裏切られるのは当然の成り行きだ。自分から裏切らなくても誰かが自分のことを手前勝手に警察に売り飛ばしている可能性はいつだってある。にもかかわらず堂々と裏切り者として出世しようとは見上げた野郎だとジュネは感歎の念を抑えきれないのである。自分で自分自身を一挙に「間化」するにはどうすればよいか。もっとも安直で安価で手間もかからず、暗殺される危険はいつもあるものの、身も蓋もなく裏切り行為を是として買って出ることで自分を「間」という一方の極端へ移動させた技術に、ジュネは目まいを覚えるのだ。
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さて、アルトー。芸術として公認され世間一般の観衆をまったく驚かせなくなり整理整頓された演劇と絶縁しようと考える。新しい演劇を創設しようと試みる。演じられる演劇の中に観衆が観衆自身の似姿を見つけて安心を見出し、安全地帯の内部へ内向きに立てこもってしまい、現存の社会的秩序をより一層確固たるものへと打ち固め、ただ単なる社会的管理装置の一部分と化した演劇と絶縁しようと考える。しかし演劇は身体を用いるがゆえにありきたりの身体表現によってすでにステレオタイプ化されているありふれた意味を語ってしまう。さらに演劇の台詞はどれを取っても一つ一つがどこでも日常的に用いられているごく普通の形而上学的な言語であることは明白である。観衆が持っている固定観念を物質的な根底的次元から土台ごと揺さぶり動かすわけではない。舞台上で突然発せられる「叫び」一つ取ってみてもそれは世間一般で観衆が理解可能な形而上学的な言語として受け止められるほかない。デリダはその点でアルトーの主張する脱形而上学の試みに最初から絡みついて離れない逆説があることを指摘している。

「私から私を剥奪し、私から遠ざけるもの、私自身に対する私の近接性を壊すものは私を汚すのだ。そのため私は私の固有性=清潔さを失ってしまう。自己に近い主体ーーーおのれがそれであるところの主体ーーーの名前は清潔(プロプル)だが、客体の名前や漂流している作品の名前はおぞましい。私は自分が清潔(プロプル)であるときに固有(プロプル)名をもつ。清潔であるときにだけ、子供は自分の名のもとで西洋社会のなかにーーーまず手始めに学校にーーー入っていくのであり、清潔であるときにだけ、きちんと真に名づけられるのだ。これらの複数の意味作用の統一性は見かけ上は分散して隠されているが、この意味作用の統一性、つまり、自己に絶対的に近接している主体の、汚(けが)れなきこととしての固有=清潔という統一性は、(〔固有の〕が〔近く〕に結びつけられた)哲学のラテン時代以前には生じることはなかった。そして同じ理由から、哲学のラテン時代以前には、狂気を疎外の病とみなす形而上学的規定が熟し始めることもなかった。(言うまでもないことだが、われわれは言語学的現象を原因や症候に仕立てあげているのではない。狂気の概念が、簡単に言えば、固定されるのは、固有=清潔な主体性の形而上学の時代においてでしかないのだ)。アルトーがこの形而上学を《煽動し》、それを《揺さぶる》のは、この形而上学がおのれ自身をあざむくときである。そのとき、この形而上学は、ひとが自分の固有性=清潔さをきれいに捨て去ること(つまり疎外の疎外)を固有性=清潔さという現象の条件に仕立て上げる。これに対してアルトーは依然としてこの形而上学を《必要としている》。アルトーは依然としてこの形而上学の奥底にある価値をくみ取り、一切の分離の前日に固有性=清潔さを絶対的に復元することで、この形而上学自身がそうである以上に、この形而上学に対して忠実であろうとしている」(デリダ「エクリチュールと差異・P.368~369」法政大学出版局)

形而上学から絶縁しようとすればするほどかえって形而上学的な場で形而上学的理論を用いて反論を展開しないわけにはいかなくなってくる。すると必然的にアルトーは形而上学から絶縁しようとして逆に繰り返し形而上学的理論を濫発し、したがってますます形而上学を強化し保管する装置と化してしまうという逆説をデリダは指摘している。しかしデリダはアルトーの試みの射程がもっと遥か遠くの地平を目指す悪戦苦闘だったことを見抜いている。そのことは皮肉にも、アルトーの理解者は政治的運動でなく芸術的運動でもなく種々の経済学でもなく、ただデリダが身を置いていた場所、哲学/思想の場所にいたということになる。そしてさらにデリダはアルトーの絶望的試みの中にアルトー自身が究極的に目指していた地平を指し示すことでアルトーの格闘がけっして無駄ではなかったことを証明する。このデリダの態度もまた逆説的な形を取ってしか述べることのできないアポリア(困難)のうちにある。アルトー自身の言葉に戻ろう。

「それを読む者たちよりはるかにずっとそれを書く者たちを利する個人的な詩などもうたくさんだ。閉鎖的で利己的で個人的な芸術の示威などこれを最後にもうたくさんだ」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.128』河出文庫)

アルトーが表明しようとしていること。それはこれまで大袈裟に幅を利かせてきた演劇界における「通称-アナーキー」との決別である。演劇にもかかわらず十年一日のごとく日常からの解放空間を自称しつつ実は救いようのないステレオタイプ(固定観念、同一物の繰り返し)のうちに安住するまでに堕落の一途をたどってきた演劇との決別である。というのはアルトーにとって演劇とはこれまでとは「別様の感覚」へ意志すること、「別様の感覚」へ意志することでその全力を前代未聞の起動力として立ち働かせようとするまったく新しい「アナーキーの機能」という観念の解放に賭ける態度を表明している。こういうタイプは非常に稀に出現するが、大抵の場合、芽を出すやいなやたちまち摘み取られてしまいがちだ。ところがアルトーの提唱した「残酷演劇」は世界的に成功した。

「われわれのアナーキーとわれわれの精神の無秩序はそれ以外のもののアナーキーの機能であるーーーというかむしろそれ以外のものがこのアナーキーの機能である」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.128』河出文庫)

なぜ残酷にもかかわらず成功したか。舞台上で演じられる身振り仕ぐさが残酷である必要性をまったくないとアルトーはいう。それでもなお舞台上で演じられる身振り仕ぐさが多少なりとも残酷性を指し示していたとしても、むしろそれは問題ではない。アルトーは「演劇が変化するには文明が変化しなければならないと信じる者たちの一員ではない」といっている。簡単にいえば、アルトーは自分は俗にいう「唯物論者あるいはマルクス主義者ではない」といったのである。ブルトンらと共に立ち上げたシュルレアリズム運動が政治色の強いものだったのに比べ、アルトーの演劇活動は政治色などないに等しい。ところが「可能な限り最も困難な演劇は、物事の局面と形成に影響を及ぼす」と自分の思想信条を明確に述べている。

「私は演劇が変化するには文明が変化しなければならないと信じる者たちの一員ではないが、高度な意味で活用された、可能な限り最も困難な演劇は、物事の局面と形成に影響を及ぼすと信じている」(アルトー「傑作と縁を切る」『演劇とその分身・P.129』河出文庫)

そしてそれは挫折続きの政治運動と比較して何ら遜色なく世界的規模で巨大なインパクトを与えることになる。もちろんそこにはニーチェ思想が抜きがたく響いていたからだが。

「きわめて多くの《空費された》不幸がある、ーーーそれは太陽の熱の大部分が宇宙のうちで空費されるのと同様に空費されたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・一〇三〇・P.540」ちくま学芸文庫」)

確かに空費されたし今なお空費され続けている。だからそれを取り戻すということではない。「高度な意味で活用され」るべき演劇は、これまでの後ろ向きの演劇ではなく、これから来るべき未来の演劇であり、人間は自分の身体を用いてその力を次々と獲得していくことができる。

「身体を手引きにして私たちは人間をもともとの生命体の一個の数多性として認識するのだが、それらの生命体は、一部はたがいに闘争し合いながら、一部はたがいに順応したり従属したりしながら、それら個々の生命体を肯定することにおいて思わず知らず全体をも肯定する」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七三三・P.360~361」ちくま学芸文庫)
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

BGM