白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

言語化するジュネ/流動するアルトー94

2020年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム
ジュネのいる独房の扉が開くとそこには、独房の扉の形に合わせたかのように明確な線で縁取られた「額縁」にぴたりと収まったかのようなミニョンがいる。ジュネにとってミニョンの姿はカーネーションが一杯に敷き詰められた庭で気まぐれに寝転がる「やさしさ」そのものが立っているように見える。ジュネの身体はそんな魅力を放つミニョンの強度によってたちまち占領されてしまう。

「たちどころに私は彼のものになった、あたかも(そんなことを言うのは誰なのか?)彼が口から心臓にいたるまで私に精液をぶちまけたかのように。もはや私自身のための場所が残らなくなるまで彼が私のうちに入ってくるので、そのために私は自分をギャングや強盗やヒモと混同してしまい、警察も誤って私を逮捕してしまう。三ヶ月の間、彼は力いっぱい私を殴って、私の肉体をひとつの祝祭に変えた」(ジュネ「花のノートルダム・P.19~20」河出文庫)

とはいえ、ミニョンは気の向くままにジュネを殴り倒し蹴り上げておもちゃにしたわけではない。ミニョンは何一つ動いていない。ものを言っているのはミニョンに備わっている「しなやかな物腰」、身振り仕ぐさの一つ一つである。いつものことだがジュネがそうされることを欲し、ジュネ自身の想像力から発した豪華な暴行シーンの回転によってジュネは自分が様々な姿態へ変化するという「祝祭」を開催する。創造性のうちに夢うつつのあいだを何度も繰り返し彷徨するというまたとない貴重な時間を送ることができた。実際のミニョンは卑怯者の一人である。だがジュネたちの世界では、卑劣さとはまた別の、ミニョン固有の、周囲にとやかく言わせない暴力的魅力が承認されている。

「場の包丁のように無関心で明るい彼は、全員を二つの肉片のように押し分けながら通り過ぎ、彼らはまた音もなく元に戻ったが、誰ひとり気づかぬままうっすらとした絶望の香りを発散させていた」(ジュネ「花のノートルダム・P.21」河出文庫)

ミニョンの魅力的強度についてジュネはともすればそれを天空へまでも上昇させる。

「ミニョンは二段ずつ階段を登った、ゆったりとして、確かな登り方だったが、階段は屋根を過ぎると、青い大気のステップに、空にまで通じているのかもしれない」(ジュネ「花のノートルダム・P.21」河出文庫)

ニーチェはいう。

「《忘れるな!》ーーーわれわれが高く上昇すればするだけ、飛ぶことの出来ない人々にとっては、一層われわれが小さく見える」(ニーチェ「曙光・第五書・五七四・P.462」ちくま学芸文庫)

ジュネは上昇していくミニョンをさらに天高く飛ばすことで知らず知らずのうちにミニョンが「小さく見える」ことを防ぎ、むしろミニョンに接近する。接近への誘惑から身を遠ざけることができない。

ニーチェはまたこうもいう。

「どれほど高いところに私は住んでいるのか?私が昇って行きながら私のところまでの階段の数を数えたことは、いまだかつて一度もない。《すべての階段がなくなるところ、そこで私の住み家が始まるのだ》」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・一二一四・P.608」ちくま学芸文庫)

超克とはそういうことだ。地上にありながらありとあらゆる因果系列を消し去り忘れ去ってしまうこと。非-歴史的あるいは反-記憶としての生成変化。各瞬間に自分は常に違った何ものかでしかない。この生成に耐え続けること。ジュネたちはどのようにこの生成-変化を成し遂げていくだろうか。
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さて、アルトー。バリ島演劇の俳優の身体を包み込む「象形文字的な側面」を持つ「衣装」。民族衣装といってしまえばそれまでかもしれない。しかし民族衣装が持つ強度について、それが俳優に与える力の方向性について、明確な答えを得られた研究者はどこにもいない。ただ、その独特の衣装は、衣装に包まれた俳優の身体を変化させることは確かなのだ。衣装はその独特の「線や線分でいっぱい」である。トランス状態におちいっているということだけなら専門家でなくても誰にでもいえる。しかしそのとき俳優はなぜ衣装を通して、さらに衣装から「切り離された幾何学にしか見えな」くなるのか。

「彼らの衣装の象形文字的な側面に注目しなければならないのだが、その水平の線はあらゆる方向に身体を越えてしまう。彼らは、自然の何かわからない眺望に結びつけられるのにうってつけの線や線分でいっぱいになった大きな昆虫のようだが、もう彼らはそこから切り離された幾何学にしか見えない」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.102~103』河出文庫)

なぜかはわからないのだが、とにかくそうなるし、バリ島演劇では「それを行う」。そして「それを行う」やいなや普段は時間的な継起しかけっして示さない人間の意識が途端に「広がった音の巨大な空間」へと拡張される。

「これらの腹わたからの叫び、これらの転がる目玉、この絶えざる抽象、これらの枝のざわめき、これらの木を伐採し転がす音、そういったすべては広がった音の巨大な空間のなかにあり、いくつかの泉から吐き出され、そういったすべてが、抽象的なものの新しい構想、あえて言うなら、具体的な構想のようなものを、われわれの精神のなかに立ち上がらせ、結晶化させるのに協力する」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.103』河出文庫)

構想力について。カントはアプリオリに形成される形象的構想について次のようにいう。

「形象的綜合は、統覚の根源的-統合的統一にのみ、即ちカテゴリーにおいて思惟せられる先験的統一にのみ関係する場合には、純粋に知性的な綜合から区別せられて《構想力の先験的綜合》と呼ばれねばならない。《構想力》とは、対象が《現在して》〔現に存在して〕《いなくても》この対象を直観において〔即ち直観的に〕表象する能力である。ところで我々の直観はすべて感性的直観であるから、構想力は《感性》に属する、その理由は感性こそ悟性概念に、これに対応するような直観を与え得るための唯一の主観的条件だからである。しかしまた構想力による綜合は、自発性のはたらきである、この自発性は、規定するものであって、感官のように単に規定せられるのではない。つまり構想力の綜合は、感官をその形式に関して、統覚の統一に従ってア・プリオリに規定することができる。それだから構想力はその限りにおいて、感性をア・プリオリに規定する能力である。構想力が《カテゴリーに従って》直観〔における多様なもの〕を結合するところの綜合は、《構想力》の先験的綜合でなければならない。これは感性に及ぼす悟性の作用であり、また我々に可能な直観の対象に対する悟性の最初の(同時にまた他の一切の適用の根拠であるところの)適用である。構想力のかかる綜合は形象的であって、知性的綜合(構想力をまったく援用せずに、悟性のみによるところの)から区別せられる。構想力が自発的である限り、私はかかる構想力を《産出的》構想力と名づけて、《再生的》構想力から区別する。再生的構想力による綜合は、経験的法則即ち連想の法則のみに従うものである」(カント「純粋理性批判・上・P.193~194」岩波文庫)

このような構想力はアプリオリに常識として前提されている形象を具体的に把握するために働く力である。ところが一方、アルトーのいう「抽象的なものの新しい構想、あえて言うなら、具体的な構想のようなものを、われわれの精神のなかに立ち上がらせ、結晶化させる」ために必要とされる構想力は、紀元前からヨーロッパで常識とされてきたアプリオリな前提をいったん破棄してまったくの自由な状態から《始める》ことで初めて発揮される構想力でなくてはならない。そのことはカント自身もヒュームを通じて知っていた。

「ヒュームは、形而上学だけにある唯一の、しかしこの学にとって重要な概念ーーーすなわち《原因と結果との必然的連結》という概念(従ってまたそれから生じる力及び作用の概念等)を、彼の考察の主たる出発点とした。そして彼は、この〔因果的連結の〕概念を自分自身のうちから産出したと称する理性に対して弁明を要求した、つまり理性は、何か或るもの〔原因〕が設定されるとそれによってまた何か他の或るもの〔結果〕が必然的に設定されると言うが、しかし理性はいかなる権利をもって、最初の何か或るものがこのような性質をもち得ると思いなすのか、と問うのである、なぜならーーーこれがすなわち原因の概念だからである。ヒュームの証明はこうである、ーーー概念だけからアプリオリにかかる〔因果的〕結合を考え出すことは、理性にはまったく不可能である、この結合は必然性を含むからである、とにかく何か或るものが存在するからといって、何か他の或るものまでが存在せねばならぬという理由や、それだからまたかかる必然的連結の概念がアプリオリに導入せられるという理由は、まったく理解できないことである。ヒュームのこの証明は、反論の余地のないものであった。ついでヒュームは、このことから次のように推論した、ーーー理性は、〔必然的連結という〕この概念をもって、みずから欺いているのだ、かかる概念は想像力の産んだ私生児にすぎないのに、理性はこれを誤って摘出子と認めているのである、或る種の表象の連想の法則を適用し、そこから生じる主観的必然性すなわち習慣を、〔アプリオリな〕洞察にもとづく客観的必然性とすり換えたのである、と。更にまたヒュームは、こうも推論したのである、ーーー理性は、このような必然的連結を、一般的にすら考える能力をまったく持合わせていないのである、そうだとしたら、かかる事柄に関する理性の概念なるものは、単なる仮構にすぎないであろう。そして理性がアプリオリに存立する認識と称するものは、けっきょく偽印(にせいん)を捺(お)した普通の経験でしかないだろう、と。彼のこの推論はーーーおよそ形而上学なるものは存在しない、またいかなる形而上学も存在し得るものではない、と言うに等しい」(カント「プロレゴメナ・P.14~15」岩波文庫)

というふうに因果的連結には何らの必然性もない。それは「想像力の産んだ私生児にすぎないのに、理性はこれを誤って摘出子と認めている」のと違わない。しかしなぜ一定の期間に限り一つの因果的連結は有効性を保つことが可能なのか。マルクスは古代ギリシア芸術に触れつつ、諸要素の必然的連結を成立させるのは、一定期間に限りその当時に採用されていた社会的諸条件にほかならないと述べる。

「困難は、ギリシャの芸術や叙事詩がある社会的な発展形態とむすびついていることを理解する点にあるのではない。困難は、それらのものがわれわれにたいしてなお芸術的なたのしみをあたえ、しかもある点では規範としての、到達できない模範としての意義をもっているということを理解する点にある。おとなはふたたび子供になることはできず、もしできるとすれば子供じみるくらいがおちである。しかし子供の無邪気さはかれを喜ばさないであろうか、そして自分の真実さをもう一度つくっていくために、もっと高い段階でみずからもう一度努力してはならないであろうか。子供のような性質のひとにはどんな年代においても、かれの本来の性格がその自然のままの真実さでよみがえらないだろうか?人類がもっとも美しく花をひらいた歴史的な幼年期が、二度とかえらないひとつの段階として、なぜ永遠の魅力を発揮してはならないのだろうか?しつけの悪い子供もいれば、ませた子供もいる。古代民族の多くはこのカテゴリーにはいるのである。ギリシャ人は正常な子供であった。かれらの芸術がわれわれにたいしてもつ魅力は、その芸術が生い育った未発達な社会段階と矛盾するものではない。魅力は、むしろ、こういう社会段階の結果なのである、それは、むしろ、芸術がそのもとで成立し、そのもとでだけ成立することのできた未熟な社会的諸条件が、ふたたびかえることは絶対にありえないということと、かたくむすびついていて、きりはなせないのである」(マルクス「経済学批判序説」『経済学批判・P.328~329』岩波文庫)

バリ島演劇はバリ島の村落共同体の維持継続のためになくてはならない儀式である。しかしそれを演じる人々はなぜ自分たちがそうするのか、知らないが、「それを行う」。そして「それを行う」ことで共同体は永続的に存続されていくのである。なお、「知らないがそれを行う」という行為は異種の共同体同士の商品交換過程を述べた次のマルクスの言葉に通じるものがあると考えられる。

「人間が彼らの労働生産物を互いに価値として関係させるのは、これらの物が彼らにとっては一様な人間労働の単に物的な外皮として認められるからではない。逆である。彼らは、彼らの異種の諸生産物を互いに交換において価値として等値することによって、彼らのいろいろに違った労働を互いに人間労働として等値するのである。彼らはそれを知ってはいないが、しかし、それを行う」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.138」国民文庫)
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さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

BGM