処刑が決まった二十八人はピエロの気まぐれによって指摘された十代半ばの若年者ばかりだった。銃殺を実行する人員は治安管理にあたる刑務所関係者のあいだで決定された。が、決定するに際して、それが気まぐれに選ばれた人員に過ぎないことをリトンは見抜いていた。刑務所管理者の気まぐれによって、リトンは銃殺を実行する人員の中に含まれていた。だからといってリトンは驚かない。ジュネはリトンについてこう述べる。
「陋巷の水で育てられたために、彼は陋巷の魂が死ぬまで抜けきれないのだ。彼はやくざが好きで、強い者を敬い、弱い者を蔑んでいた。彼を対独協力兵にしたてたのは飢えだったが、飢えだけともいえない」(ジュネ「葬儀・P.317」河出文庫)
もちろん「陋巷の水で育てられた」すべての人間がごろつきになるわけではない。さらにフランス人リトンをフランスの裏切り者「対独協力兵にしたてたのは」確かに「飢え」が要因だといえようが、ただ「飢えだけともいえない」。この箇所はリトンに代わってジュネ自らが述べるとわざわざ注釈が施されている。
「彼より以前にそこへ入った仲間たちから、<対独強力軍>がごろつきのあいだから募兵することを彼は聞き知っていた。隊長たちにしてもけっして眼鏡をかけた薄鈍(うすのろ)や、負けた軍隊の下士官や、ぺしゃんこの胸をした役人だったりすることはなく、マルセーユやリヨンのあんちゃんあがりで占められるその場所は仲間同士の再会所だった」(ジュネ「葬儀・P.317~318」河出文庫)
監獄生活の長かったジュネは刑務所の内情を知り尽くしている。といっても制度面だけの問題ではなく、その制度が制度自身の持つ社会的意図を裏切って作り上げる刑務所という場の機能についてだ。
「対独協力軍は編制される以前から市民たちに嫌われていた。その目的は恐怖をまきちらすことーーー無秩序をまきちらすことだったーーーそれはすべての泥棒が望んでいることを実現するみたいに思われた。つまり、どの泥棒もーーーまたどの人殺しもーーーおおっぴらに、そしてもっぱら泥棒としての、或いは人殺しとしての値打だけをもとに評価される、まさしく刑務所内の理想を実現した、自由な、たくましい社会」(ジュネ「葬儀・P.318」河出文庫)
一般社会から拒否された価値観の持ち主ばかりで構成されたユートピア。それこそが刑務所だと。
「警察は悪人たちの組合を成り立たせず、新聞記者や推理小説家の空想の産物として意外、大がかりな犯罪集団はたちまちたたきつぶされる。連中の値打がやっと認められ、受け入れられ、報われ、敬われる刑務所の奥で、はじめて泥棒と人殺しは仲間意識を体験する」(ジュネ「葬儀・P.318」河出文庫)
今でもそうだが、刑罰は、重罪を重ねれば重ねるほど犯罪者を逆に殉教者として神格化してしまう作用を持つ。前科の多さがその人間に「貫禄」を与えるという価値概念がある。もはやくつがえすことのできない「貫禄」あるいは「重み」を与える。しかしジュネの時代にはもう「大がかりな犯罪集団」は治安維持のために叩き潰されるようになっていた。たとえばナチスドイツの場合「ならず者」が「ならず者」のまま政権の座に就いたため、ドイツの犯罪集団はその傘下に収容されて狡猾に利用されたわけだが、同時にドイツ当局からの厳しい監視対象にもなった。ナチスの警察から見れば「大がかりな犯罪集団」は利用価値を持ってはいるものの、その反面、いつ裏切るかわからないからである。ただ単なる犯罪者の中からいかなる「英雄」も出現させてはならないという監視網が隅々まで張り巡らされていた。ナチスのドイツにいる以上、どんな犯罪者であっても単独犯として栄光に光り輝き、その価値が証明される機会はことごとく奪われていた。ゆえにたまたま新聞に犯罪者として自分の「写真の下に自分の名前が出たり」すると「強盗にせよ殺人にせよ」、あたかも自分が実現させた犯罪は「見事な芸術品に変」って見えるのだ。
「写真の下に自分の名前が出たり、仲間の連中がこの栄光をやっかむだろうと想像したりする素晴らしい楽しみは、身柄の自由を、ときには生命をも犠牲に供させ、その結果、強盗にせよ殺人にせよ、ひとつひとつの仕事がいうなれば見事な芸術品に変る場合も考えられる」(ジュネ「葬儀・P.318」河出文庫)
その意味で、犯罪者は犯罪者なりの芸術家であり、芸術家への意志として存在することができる。彼らは犯罪を残酷に彫刻し精錬し磨き抜く。
「私たちが事物のうちへと《変貌》や《充実》を置き入れ、その事物を手がかりに創作し、ついにはその事物が私たち自身の充実や生命欲を反映しかえすにいたる状態とは、性欲、陶酔、饗宴、陽春、敵を圧倒した勝利、嘲笑、敢為(かんい)、残酷、宗教的感情の法悦にほかならない、とりわけ、《性欲》、《陶酔》、《残酷》という《三つの》要素である、ーーーすべてこれらは人間の最古の《祝祭の歓喜》に属しており、すべてこれらは同じく最初の『芸術家』においても優勢である」(ニーチェ「権力への意志・下巻・八〇一・P.314」ちくま学芸文庫)
そしてそこから始めてこういえる。
「最後のものとなりかねないその仕事から諸君の死と栄光が出現する」(ジュネ「葬儀・P.318」河出文庫)
国家の正当性を前提するとそうなる。ところで、国家という前提をまず問題にしてみる。括弧入れしてみなくてはならない。すると国家は様々な姿形を取って繰り返された戦場で勝利するという暴力的行動の反復によって成立したきた、或る特権的な合成物(モンタージュ)だといえる。あるいは少なくとも「野蛮人」によって始めて成立することができたものでなくてはならない。それはどのように出現したか。
「彼らは運命のように、理由も理性も遠慮も口実もなしにやって来る。電光のようにそこに来ている。余りに恐ろしく、余りに突然で、余りに説得的で、余りに『異様』なので、全く憎いと思うことさえできないほどである。彼らの仕事は本能的な形式創造、形式打刻である。それは存在するかぎりの最も無意的な、最も無意識的な芸術家である。ーーー要するに、彼らの出現する所にはある新しいものが、《生きた》支配形態が成立する。そしてこの支配形態のうちでは、諸部分や諸機能はそれぞれ限局されつつしかも関係づけられており、また全体に関して『意味』を孕(はら)んでいないものには決して場所を与えられない」(ニーチェ「道徳の系譜・P.101~102」岩波文庫)
しかしなぜ「野蛮人」なのか。
「真理は冷酷である。われわれは、これまであらゆる高度の文化がどのようにして地上に《始まった》か、を容赦することなく言おう!なお自然のままの本性をもつ人間、およそ言葉の怖るべき意味における野蛮人、なお挫(くじ)かれざる意志と権力欲を有している略奪的人間が、より弱い、より都雅な、より平和な、恐らく商業か牧畜を営んでいた人種に、或いは、いましもその最後の生命が精神と頽廃との輝かしい花火となって燃え尽きんとしていた古い軟熟した文化に襲いかかったのだ。貴族階級は当初には常に野蛮人階級であった」(ニーチェ「善悪の彼岸・P.265~267」岩波文庫)
とすれば、当初は「野蛮人」として国家を創設した「貴族階級」だが、現在採用されている法律について、未来の法律について、次のように語ることは十分可能である。
「《考えうる将来から》。ーーー犯罪者が、自分でつくった法をいたく尊敬し、自らを処罰することにより自分の力すなわち立法者の力を行使するという誇り高い感情を抱いて、自分自身を告発し、自分自身にその罰を公に課すという状態は、考えられないことであるか?彼は一度過ちを犯し得る。しかし自発的な処罰によってその過ちに打ち勝つ。彼は率直さ、偉大さ、平静などによって過ちをぬぐい取るばかりではない。彼はひとつの公共的な善行を付け加えるのである。ーーーこれが、考えうる将来の犯罪者である。それはもちろん将来の立法、すなわち『ひとつひとつとしても、全体としても、私は自分でつくった法だけに屈服する』という根本思想の立法をも、前提する。まだまだ多くの実験がなされる必要がある!まだまだ多くの将来が明るみに出る必要がある!」(ニーチェ「曙光・一八七・P.210」ちくま学芸文庫)
ここでニーチェは極めて逆説的に語っている。十九世紀後半すでに数知れない戦争の暴力による虐殺者集団だけが生き残っており、そしてそれらによって定められた法律のみが肩を寄せ合って互いに庇い合い調整され幅を効かせて世界中を牛耳っているという事実をよく見ろといっているわけだ。さらに歴史が終わることなく今後もこの調子で進行していけば、たいへん面白い、究極的に珍妙な世界が出現するだろうというのである。だからもっと実験を、とニーチェはいう。二十一世紀に入って二十年も経つとなるほど世界はずいぶん変わったように見える。誰が加害者で誰が被害者なのか見分けもつかないような社会を国家みずからが組織している。さらに先進諸国といっても国家機能はほとんどどれも名ばかりであって、種々の公理系として資本に従属する整流器の働きを果たすだけで精一杯のようだ。賃金労働者の群れの低賃金重労働の従事者はもう溶けてなくなってしまいそうなのだが、溶けてなくなると今度は雇用者の側が血と汗にまみれて労働力商品化せざるを得なくなる。ごく一部ではすでにそうなっている。日本はいずれ壊れる。その前に打つ手はないのか。ないわけではない。しかし政府は真面目にそれを考えようとしない。反緊縮財政の実現に賭けるのは何もわるいことでないと思うわけだが。
さて、アルトー。次の一節についてはすでに述べた。「道徳解体」はヘリオガバルスによって打倒されたマクリヌス時代にもはや堕落の一途を辿っていた。ローマを支配していたのはマクリヌスではなく無政府状態だった。ところがこれまでの様々な皇帝が実行してきた乱痴気騒ぎと比較してヘリオガバルスが実行する「道徳解体」とのあいだには決定的違いがある。それはこれまでローマを支配してきた価値観そのものを価値転倒するという「企て」としての「道徳解体」であり、したがってそれは同時に新しい価値創造の実践だという点に見られる。
「彼は陰茎の巨大さにもとづいて大臣を選ぶことで、結局価値の下落と途方もない道徳解体の企てを続行する」(アルトー「ヘリオガバルス・P.188」河出文庫)
アルトーは古代ローマの博学の歴史家ランプリディウスから引用する。ランプリディウスの歴史記述は自分ががむしゃらに信仰している善悪の判断基準にしがみ付いて離れるということを知らない。もっとも、特定の判断基準にしがみ付くのは記述者の自由であり自分本位で構わない。さらに当時の歴史家にはその傾向が少なくなかった。むしろ多かった。けれども、しがみ付けばしがみ付くほど歴史記述から急速に遠ざかるばかりか逆にカルト化する、自分で自分自身を歴史家の立場から退場させていく、ということをランプリディウスは知らない。
「『彼は御者ゴルディウスを』、とランプリディウスは言う、『夜間警備隊長に据え、風紀検閲官だったクラウディウスなる人物を食糧幹事に任命した。他のすべての役職は、彼らの陰茎の巨大さが推奨するに値するのにしたがって割り当てられた。彼は騾馬曳き、飛脚、料理人、錠前屋を二十分の一税の財務長官の職につかせた』」(アルトー「ヘリオガバルス・P.188」河出文庫)
ランプリディウスは沸き起こる憤怒のあまりに激昂している。アルトーはヘリオガバルスについて激昂しつつ書かれたランプリディウスの記述を引用した後でこういう。
「だからといって彼自身この無秩序を、この恥知らずな風紀の弛みを利用し、猥褻行為をひとつの習慣にすることに変わりはないし、まるで強迫観念にとり憑かれた人や偏執狂のように、普段は隠されたままになっているものをしつこく明るみに出そうとする」(アルトー「ヘリオガバルス・P.189」河出文庫)
なるほどヘリオガバルスは「普段は隠されたままになっているものをしつこく明るみに出そうとする」。ところがその態度を逆の立場から見てみる。どのように見えるだろうか。ローマ帝国出現以来「しつこく」、そして「まるで強迫観念にとり憑かれた人や偏執狂のよう」な道徳的態度と他の諸地域への侵略戦争とによって「五賢帝」の筆頭として描かれているマルクス・アウレリウスの言動はどうだったかをたちまちあぶり出さずにはおかない。さらにヘリオガバルスには「五賢帝」には見られない多様性で充満した生産力の解放がある。流動する力の流れをわざわざローマ帝国の倫理という制度で堰き止めて自分で自分自身の身体を土地に縛り付け土地化し拘束するという倒錯におちいったりしない。だからといって、倒錯しているのはどちらなのかが問題ではない。そうではなく、湧き溢れる融合的多様性の力を侵略戦争へ振り向けたり数々の法律を打ち立てることで帝国支配のための無数の卑劣さを覆い隠す、というこれまでの皇帝の身振りそのものが問題なのだ。ヘリオガバルスは「五賢帝」の筆頭であるマルクス・アウレリウスを含むこれまでのローマ皇帝自身が自分で取ってきた欺瞞性を、法律ではなく戦争でもなく、自分の《身体において》転倒させて見せることを課題とするのである。
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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「陋巷の水で育てられたために、彼は陋巷の魂が死ぬまで抜けきれないのだ。彼はやくざが好きで、強い者を敬い、弱い者を蔑んでいた。彼を対独協力兵にしたてたのは飢えだったが、飢えだけともいえない」(ジュネ「葬儀・P.317」河出文庫)
もちろん「陋巷の水で育てられた」すべての人間がごろつきになるわけではない。さらにフランス人リトンをフランスの裏切り者「対独協力兵にしたてたのは」確かに「飢え」が要因だといえようが、ただ「飢えだけともいえない」。この箇所はリトンに代わってジュネ自らが述べるとわざわざ注釈が施されている。
「彼より以前にそこへ入った仲間たちから、<対独強力軍>がごろつきのあいだから募兵することを彼は聞き知っていた。隊長たちにしてもけっして眼鏡をかけた薄鈍(うすのろ)や、負けた軍隊の下士官や、ぺしゃんこの胸をした役人だったりすることはなく、マルセーユやリヨンのあんちゃんあがりで占められるその場所は仲間同士の再会所だった」(ジュネ「葬儀・P.317~318」河出文庫)
監獄生活の長かったジュネは刑務所の内情を知り尽くしている。といっても制度面だけの問題ではなく、その制度が制度自身の持つ社会的意図を裏切って作り上げる刑務所という場の機能についてだ。
「対独協力軍は編制される以前から市民たちに嫌われていた。その目的は恐怖をまきちらすことーーー無秩序をまきちらすことだったーーーそれはすべての泥棒が望んでいることを実現するみたいに思われた。つまり、どの泥棒もーーーまたどの人殺しもーーーおおっぴらに、そしてもっぱら泥棒としての、或いは人殺しとしての値打だけをもとに評価される、まさしく刑務所内の理想を実現した、自由な、たくましい社会」(ジュネ「葬儀・P.318」河出文庫)
一般社会から拒否された価値観の持ち主ばかりで構成されたユートピア。それこそが刑務所だと。
「警察は悪人たちの組合を成り立たせず、新聞記者や推理小説家の空想の産物として意外、大がかりな犯罪集団はたちまちたたきつぶされる。連中の値打がやっと認められ、受け入れられ、報われ、敬われる刑務所の奥で、はじめて泥棒と人殺しは仲間意識を体験する」(ジュネ「葬儀・P.318」河出文庫)
今でもそうだが、刑罰は、重罪を重ねれば重ねるほど犯罪者を逆に殉教者として神格化してしまう作用を持つ。前科の多さがその人間に「貫禄」を与えるという価値概念がある。もはやくつがえすことのできない「貫禄」あるいは「重み」を与える。しかしジュネの時代にはもう「大がかりな犯罪集団」は治安維持のために叩き潰されるようになっていた。たとえばナチスドイツの場合「ならず者」が「ならず者」のまま政権の座に就いたため、ドイツの犯罪集団はその傘下に収容されて狡猾に利用されたわけだが、同時にドイツ当局からの厳しい監視対象にもなった。ナチスの警察から見れば「大がかりな犯罪集団」は利用価値を持ってはいるものの、その反面、いつ裏切るかわからないからである。ただ単なる犯罪者の中からいかなる「英雄」も出現させてはならないという監視網が隅々まで張り巡らされていた。ナチスのドイツにいる以上、どんな犯罪者であっても単独犯として栄光に光り輝き、その価値が証明される機会はことごとく奪われていた。ゆえにたまたま新聞に犯罪者として自分の「写真の下に自分の名前が出たり」すると「強盗にせよ殺人にせよ」、あたかも自分が実現させた犯罪は「見事な芸術品に変」って見えるのだ。
「写真の下に自分の名前が出たり、仲間の連中がこの栄光をやっかむだろうと想像したりする素晴らしい楽しみは、身柄の自由を、ときには生命をも犠牲に供させ、その結果、強盗にせよ殺人にせよ、ひとつひとつの仕事がいうなれば見事な芸術品に変る場合も考えられる」(ジュネ「葬儀・P.318」河出文庫)
その意味で、犯罪者は犯罪者なりの芸術家であり、芸術家への意志として存在することができる。彼らは犯罪を残酷に彫刻し精錬し磨き抜く。
「私たちが事物のうちへと《変貌》や《充実》を置き入れ、その事物を手がかりに創作し、ついにはその事物が私たち自身の充実や生命欲を反映しかえすにいたる状態とは、性欲、陶酔、饗宴、陽春、敵を圧倒した勝利、嘲笑、敢為(かんい)、残酷、宗教的感情の法悦にほかならない、とりわけ、《性欲》、《陶酔》、《残酷》という《三つの》要素である、ーーーすべてこれらは人間の最古の《祝祭の歓喜》に属しており、すべてこれらは同じく最初の『芸術家』においても優勢である」(ニーチェ「権力への意志・下巻・八〇一・P.314」ちくま学芸文庫)
そしてそこから始めてこういえる。
「最後のものとなりかねないその仕事から諸君の死と栄光が出現する」(ジュネ「葬儀・P.318」河出文庫)
国家の正当性を前提するとそうなる。ところで、国家という前提をまず問題にしてみる。括弧入れしてみなくてはならない。すると国家は様々な姿形を取って繰り返された戦場で勝利するという暴力的行動の反復によって成立したきた、或る特権的な合成物(モンタージュ)だといえる。あるいは少なくとも「野蛮人」によって始めて成立することができたものでなくてはならない。それはどのように出現したか。
「彼らは運命のように、理由も理性も遠慮も口実もなしにやって来る。電光のようにそこに来ている。余りに恐ろしく、余りに突然で、余りに説得的で、余りに『異様』なので、全く憎いと思うことさえできないほどである。彼らの仕事は本能的な形式創造、形式打刻である。それは存在するかぎりの最も無意的な、最も無意識的な芸術家である。ーーー要するに、彼らの出現する所にはある新しいものが、《生きた》支配形態が成立する。そしてこの支配形態のうちでは、諸部分や諸機能はそれぞれ限局されつつしかも関係づけられており、また全体に関して『意味』を孕(はら)んでいないものには決して場所を与えられない」(ニーチェ「道徳の系譜・P.101~102」岩波文庫)
しかしなぜ「野蛮人」なのか。
「真理は冷酷である。われわれは、これまであらゆる高度の文化がどのようにして地上に《始まった》か、を容赦することなく言おう!なお自然のままの本性をもつ人間、およそ言葉の怖るべき意味における野蛮人、なお挫(くじ)かれざる意志と権力欲を有している略奪的人間が、より弱い、より都雅な、より平和な、恐らく商業か牧畜を営んでいた人種に、或いは、いましもその最後の生命が精神と頽廃との輝かしい花火となって燃え尽きんとしていた古い軟熟した文化に襲いかかったのだ。貴族階級は当初には常に野蛮人階級であった」(ニーチェ「善悪の彼岸・P.265~267」岩波文庫)
とすれば、当初は「野蛮人」として国家を創設した「貴族階級」だが、現在採用されている法律について、未来の法律について、次のように語ることは十分可能である。
「《考えうる将来から》。ーーー犯罪者が、自分でつくった法をいたく尊敬し、自らを処罰することにより自分の力すなわち立法者の力を行使するという誇り高い感情を抱いて、自分自身を告発し、自分自身にその罰を公に課すという状態は、考えられないことであるか?彼は一度過ちを犯し得る。しかし自発的な処罰によってその過ちに打ち勝つ。彼は率直さ、偉大さ、平静などによって過ちをぬぐい取るばかりではない。彼はひとつの公共的な善行を付け加えるのである。ーーーこれが、考えうる将来の犯罪者である。それはもちろん将来の立法、すなわち『ひとつひとつとしても、全体としても、私は自分でつくった法だけに屈服する』という根本思想の立法をも、前提する。まだまだ多くの実験がなされる必要がある!まだまだ多くの将来が明るみに出る必要がある!」(ニーチェ「曙光・一八七・P.210」ちくま学芸文庫)
ここでニーチェは極めて逆説的に語っている。十九世紀後半すでに数知れない戦争の暴力による虐殺者集団だけが生き残っており、そしてそれらによって定められた法律のみが肩を寄せ合って互いに庇い合い調整され幅を効かせて世界中を牛耳っているという事実をよく見ろといっているわけだ。さらに歴史が終わることなく今後もこの調子で進行していけば、たいへん面白い、究極的に珍妙な世界が出現するだろうというのである。だからもっと実験を、とニーチェはいう。二十一世紀に入って二十年も経つとなるほど世界はずいぶん変わったように見える。誰が加害者で誰が被害者なのか見分けもつかないような社会を国家みずからが組織している。さらに先進諸国といっても国家機能はほとんどどれも名ばかりであって、種々の公理系として資本に従属する整流器の働きを果たすだけで精一杯のようだ。賃金労働者の群れの低賃金重労働の従事者はもう溶けてなくなってしまいそうなのだが、溶けてなくなると今度は雇用者の側が血と汗にまみれて労働力商品化せざるを得なくなる。ごく一部ではすでにそうなっている。日本はいずれ壊れる。その前に打つ手はないのか。ないわけではない。しかし政府は真面目にそれを考えようとしない。反緊縮財政の実現に賭けるのは何もわるいことでないと思うわけだが。
さて、アルトー。次の一節についてはすでに述べた。「道徳解体」はヘリオガバルスによって打倒されたマクリヌス時代にもはや堕落の一途を辿っていた。ローマを支配していたのはマクリヌスではなく無政府状態だった。ところがこれまでの様々な皇帝が実行してきた乱痴気騒ぎと比較してヘリオガバルスが実行する「道徳解体」とのあいだには決定的違いがある。それはこれまでローマを支配してきた価値観そのものを価値転倒するという「企て」としての「道徳解体」であり、したがってそれは同時に新しい価値創造の実践だという点に見られる。
「彼は陰茎の巨大さにもとづいて大臣を選ぶことで、結局価値の下落と途方もない道徳解体の企てを続行する」(アルトー「ヘリオガバルス・P.188」河出文庫)
アルトーは古代ローマの博学の歴史家ランプリディウスから引用する。ランプリディウスの歴史記述は自分ががむしゃらに信仰している善悪の判断基準にしがみ付いて離れるということを知らない。もっとも、特定の判断基準にしがみ付くのは記述者の自由であり自分本位で構わない。さらに当時の歴史家にはその傾向が少なくなかった。むしろ多かった。けれども、しがみ付けばしがみ付くほど歴史記述から急速に遠ざかるばかりか逆にカルト化する、自分で自分自身を歴史家の立場から退場させていく、ということをランプリディウスは知らない。
「『彼は御者ゴルディウスを』、とランプリディウスは言う、『夜間警備隊長に据え、風紀検閲官だったクラウディウスなる人物を食糧幹事に任命した。他のすべての役職は、彼らの陰茎の巨大さが推奨するに値するのにしたがって割り当てられた。彼は騾馬曳き、飛脚、料理人、錠前屋を二十分の一税の財務長官の職につかせた』」(アルトー「ヘリオガバルス・P.188」河出文庫)
ランプリディウスは沸き起こる憤怒のあまりに激昂している。アルトーはヘリオガバルスについて激昂しつつ書かれたランプリディウスの記述を引用した後でこういう。
「だからといって彼自身この無秩序を、この恥知らずな風紀の弛みを利用し、猥褻行為をひとつの習慣にすることに変わりはないし、まるで強迫観念にとり憑かれた人や偏執狂のように、普段は隠されたままになっているものをしつこく明るみに出そうとする」(アルトー「ヘリオガバルス・P.189」河出文庫)
なるほどヘリオガバルスは「普段は隠されたままになっているものをしつこく明るみに出そうとする」。ところがその態度を逆の立場から見てみる。どのように見えるだろうか。ローマ帝国出現以来「しつこく」、そして「まるで強迫観念にとり憑かれた人や偏執狂のよう」な道徳的態度と他の諸地域への侵略戦争とによって「五賢帝」の筆頭として描かれているマルクス・アウレリウスの言動はどうだったかをたちまちあぶり出さずにはおかない。さらにヘリオガバルスには「五賢帝」には見られない多様性で充満した生産力の解放がある。流動する力の流れをわざわざローマ帝国の倫理という制度で堰き止めて自分で自分自身の身体を土地に縛り付け土地化し拘束するという倒錯におちいったりしない。だからといって、倒錯しているのはどちらなのかが問題ではない。そうではなく、湧き溢れる融合的多様性の力を侵略戦争へ振り向けたり数々の法律を打ち立てることで帝国支配のための無数の卑劣さを覆い隠す、というこれまでの皇帝の身振りそのものが問題なのだ。ヘリオガバルスは「五賢帝」の筆頭であるマルクス・アウレリウスを含むこれまでのローマ皇帝自身が自分で取ってきた欺瞞性を、法律ではなく戦争でもなく、自分の《身体において》転倒させて見せることを課題とするのである。
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
BGM