白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

言語化するジュネ/流動するアルトー76

2020年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム
刑務所勤務のキリスト教司祭について。意識の流れに準ずる記述方法が取られている。十代の少年ばかり二十八人の処刑が決定したと聞かされた神父の心境。早朝のトイレで神父はおもう。

「尻を拭くときになって、なに気なくトイレットペーパーに手をのばした。ところで、彼の家政婦は、またしても、釘に『週刊宗教』の頁をちぎって吊るしていた。普段なら司祭は気にもとめないほうだった。今朝は、イエスの名前もマリアの名前も糞まみれにする勇気がなかった」(ジュネ「葬儀・P.311」河出文庫)

糞がどうしたこうしたということはジュネ的感性による読者向けサービスに過ぎない。問題はまだもう少し先になって、言語によって解決される。だがそこへの過程を知っておく必要がある。だから読者は嫌でもジュネ的嗜好性に付き合うことを余儀なくされる。しかしそれはそれでジュネにとっては一つの満足であり創造された満足の生産的提供でありそもそも作者の特権である。

「糞で汚れた穴を彼は人差し指でこすって、ときどきやるように便所の扉になすりつけようとした(水泳中の人間が岩でやったり、運動選手が囲い板でやったりするように)、とそのとき彼は自分の指がそこに描き出したコンマ形が、雪隠の扉にうがたれたハート形の刳(く)り窓の上に、燃えあがる炎のようなものを描(か)き加え、そのためその空っぽのハートが<イエスの聖心>そっくりに見えるのに気がついた、そしてそれをとおしてその奥に暁の光のなかの司祭館の庭が、もっと正確にいえば白い草夾竹桃の茂みが覗けるのだった」(ジュネ「葬儀・P.311~312」河出文庫)

ところで、<イエスの聖心>はなぜハート形をしているのだろう。聖書に中にそんなものは一つも出てこない。「聖心」や「聖痕」といった観念的記号がヨーロッパ世界に急速に広まったのは十二世紀から十六世紀にかけて、近代医学の黎明期に当たる。解剖学は十六世紀すでにかなりの程度で熱心に取り組まれていた。とりわけ哲学分野であるにもかかわらず一六三七年に出版されたデカルト「方法序説」を見ると、人間の心臓の働きについて詳細な記述があることは有名だ。その記述は心臓から始まる。心臓と動脈静脈の関係。また心臓は右心室左心室に分類が可能であり、脳が先に動いているわけではなく心臓から動脈を通して送り込まれた血液が脳を動かし活性化させ想像力を発揮すること。さらに他の臓器である胃や肺を起動させるのもまた心臓から送られる血液であるという記述に及んでいる。そして心臓の形は言うまでもなく「ハート形」だ。もっとも、一三四〇年代後半に八五〇〇万人の死者を出したペスト流行は聖書に載っている「神のお告げ」とは何の関係もない人口流動によるれっきとした感染症だということがわかっており、一四五九年のグーテンベルクの金属活字印刷技術の発明による科学的研究の場の発展、一五四五年のコペルニクス「天球回転論」(地動説)発表、さらに気象観測(気象情報)は紀元前のギリシアやインドで行われていたものの、気象観測における気圧の測定に欠かせない今でいう「気圧計」(当時は水銀使用)は一六四三年にトリチェリによって発明されている。貨幣を介して黒人を売買する奴隷貿易が始まったのもこの頃。資本主義の胎動期に当たっている。

「この焔に見まがうものをとおして心臓は、突如常ならぬ崇高な姿を完備して燃え上がり、こうして神父は炎の洗礼を授けられたのである。この単純な奇蹟を前にして、彼はいかにすべきか躊躇(まよ)わなかった。考えを飛びこえ、実行に移るのだった」(ジュネ「葬儀・P.312」河出文庫)

刑務所付きの神父は「ハート形」をした<イエスの聖心>がいきなり出現するとは夢にも思っていなかった。気持ちの準備ができていなかった。そういうとき人間は、神父でなくとも、これは何か特別な「恩寵」ではないかと思ってしまう。自分は何か特別な「恩寵」を授かるに値する、選ばれた特別な人物であり他の人間とは違う偉大な人物なのではないかといとも容易に勘違いする。

「神の姿を拝して怯えあがりーーーといっても神が空洞と糞のかたちを変貌させて便所に出現し給うたからではなくーーー授けられた恩寵の突飛さのせいで、それと彼の魂は、思うに、恐ろしい過失のせいで、神を迎える準備がまったくできていなかったからだが(そのくせこの過失のおかげではじめて彼は恩寵を授かる状態に置かれたわけであるが)、司祭はひざまずこうとした」(ジュネ「葬儀・P.312」河出文庫)

他人より自分を社会的上位に置くと同時に他人を自分より社会的下位に置くことができれば、そのための方法など「恩寵」であれ「恩寵」でなかれ何でも構わないのだ。とはいえ人間はそれほどまでに浅ましい、と言いたがっているわけではない。むしろジュネは汚辱を目指して汚辱そのものになるべく生きているというのに、神父の言動の前ではジュネの汚辱に満ちた汚辱への意志さえ、ややもすれば霞んでしまいそうになるほど神父の権力意志は驚くべきものだ感じている。トイレの「暗がり」の中で燦然と光り輝いた<ハート形>。しかしトイレのドアを開けて朝の強烈な陽光に晒されるやいなやそれはただ単に「みすぼらしく、汚ならしい、糞で飾られたハート形」へと溶け去ってしまう。

「ところがそうするつもりなのに膝は扉に突き当った、そして扉が開いて、ありふれた夜明けのなかない、便所の暗がりのなかでは輝いて見えたが、朝の光の下ではみすぼらしく、汚ならしい、糞で飾られたハート形をさらけ出した。この新たな奇蹟ーーー最初のものの消滅ーーーを目の前にして、彼の動揺はいっそう深まった」(ジュネ「葬儀・P.312」河出文庫)

もっとも、一人の神父の意識の動きを描写して揶揄するのがジュネの目的ではない。たとえばヒットラーを演じるヒットラーを総統たらしめていた特定の身振りとそれに結びつけられていくことになる無数のフェチ的物品。宗教的礼拝に用いられる種々の物品もまた同様の効果を有することをジュネは証明しようとするのである。

「思い違いなさらないように、或るカトリック司祭の内面の動きを描写したからといって私は宗教的霊感のからくりの秘密を探るだけでことたれりとする者ではない。私の目標は神である。私は彼にねらいをつけているのだ、そして神は、どこよりも、さまざまな礼拝のがらくたの背後にひそんでいる以上、そこで彼を暴き出すかたちにしておくのが巧妙なやり口というものだろう。司祭たちは<神>とともにいるつもりでいる、いちおう彼が<きゃつ>と一緒にいるものとしておいて、連中のなかへ入り込んで見よう」(ジュネ「葬儀・P.313」河出文庫)

隊長は神父が怒鳴り込んでくることを計算に入れており、むしろそのときを待っている。そしてこう考える。

「(手ごわいときは)と隊長は考えるのだった。(この国旗にくるまればいい)」(ジュネ「葬儀・P.313」河出文庫)

どの「国旗」なのか。フランス国旗である。隊長は卑劣である。神父の攻撃意志が隊長に向かうことはわかりきっている。そのときは神父の目の前でキリストの神を取るのかそれとも、ランボーの言葉を借りれば「キリスト教会の長女たる」フランス国旗を取るのか、神の名において二者択一せざるを得ない位置に一挙に叩き込むための言葉のやりとりについて思索する。

さて、アルトー。興奮して止まない歴史家の見解に目を通した上でアルトーはこう述べる。

「ヘリオガバルスのなかに私が見るのは、ひとりの狂人ではなく、ひとりの叛徒である」(アルトー「ヘリオガバルス・P.187」河出文庫)

ヘリオガバルスをただ単なる「狂人」として取り扱ってしまうと、もうそこでヘリオガバルスに関する歴史研究は終わる。それで終わるなら始めから何もしていないのと変わらない、とアルトーは考える。むしろヘリオガバルスは「狂人」でなく紛れもない「確信犯」として取り上げるに値する非凡さを発揮した。

「第一に、ローマの多神教的無政府状態に抗して。第二に、身をもって彼がおかまを掘らせたローマの君主制に抗して」(アルトー「ヘリオガバルス・P.187」河出文庫)

太陽信仰という紀元前エジプトのピラミッドを彷彿させる円錐の象徴化。しかしそれはほんの一部に過ぎない。ローマ帝国への挑戦。そのためにはまず何より自分がローマの神として帝国の神を演じることができなければならない。《身体において》それを可能にしなければならない。しかし人間でありながら同時に神でもあるということをどのようにして実現するのか。少年皇帝はそんじょそこらの不良少年ではないし、ましてや形式的なだけの名ばかりの皇帝であってはなおいけない。このダブルバインド(相反傾向、板ばさみ)について生涯苛まれつつ思考するのである。

「彼のうちには、二つの反逆、二つの反乱が混じり合っていて、それらが彼の行動すべてを導き、彼の四年間の統治のあいだ、最も小さな部分にいたるまで彼の行為のすべてを要請する」(アルトー「ヘリオガバルス・P.187」河出文庫)

ただ「要請する」だけでなく実現する。実現させる。というのは、この「混じり合い」について、世界の諸要素として世界を構成する身体という名の「混じり合い」について、考えなければならないし、実際ヘリオガバルスは考えているからである。なるほどアルトーの言葉を経て翻訳されてはいても、けっして転倒していない、という意味で実質的にニーチェの言葉を通過してくるほか手に入れることができなかった思想であろう。

「《衝動》は、私の理解するところでは、《高級の機関》である。行為、感覚、および感情状態が、たがいに組織し合い、養い合いながら、入りまじって緊密に融合している」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・三一五・P.179」ちくま学芸文庫)

衝動はいつも「緊密に融合している」だけでなく、必然的な闘争状態にあり、闘争状態という避けられない必然性のうちに流動している偶然性である。この状態は意識化されない。意識にのぼってくるのはすべての連鎖の最終項に過ぎない。

「意識にのぼってくるすべてのものは、なんらかの連鎖の最終項であり、一つの結末である。或る思想が直接或る別の思想の原因であるなどということは、見かけ上のことにすぎない。本来的な連結された出来事は私たちの意識の《下方で》起こる。諸感情、諸思想等々の、現われ出てくる諸系列や諸継起は、この本来的な出来事の《徴候》なのだ!ーーーあらゆる思想の下にはなんらかの情動がひそんでいる。あらゆる思想、あらゆる感情、あらゆる意志は、或る特定の衝動から生まれたものでは《なく》て、或る《総体的状態》であり、意識全体の或る全表面であって、私たちを構成している諸衝動《一切の》、ーーーそれゆえ、ちょうどそのとき支配している衝動、ならびにこの衝動に服従あるいは抵抗している諸衝動の、瞬時的な権力確定からその結果として生ずる。すぐ次の思想は、いかに総体的な権力状況がその間に転移したかを示す一つの記号である」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・二五〇・P.148~149」ちくま学芸文庫)

そしてさらに「諸衝動」はいつも全宇宙の実在とともに共演している。引力は絶え間なく磁力もまた絶え間ない。人間はその全運動から逃れることができない。

「人間は諸力の一個の数多性なのであって、それらの諸力が一つの位階を成しているということ、したがって、命令者たちが存在するのだが、命令者も、服従者たちに、彼らの保存に役立つ一切のものを調達してやらなくてはならず、かくして命令者自身が彼らの生存によって《制約されて》いるということ。これらの生命体はすべて類縁のたぐいのものでなくてはならない、さもなければそれらはこのようにたがいに奉仕し合い服従し合うことはできないことだろう。奉仕者たちは、なんらかの意味において、服従者でもあるのでなくてはならず、そしていっそう洗練された場合にはそれらの間の役割が一時的に交替し、かくて、いつもは命令する者がひとたびは服従するのでなくてはならない。『個体』という概念は誤りである。これらの生命体は孤立しては全く現存しない。中心的な重点が何か可変的なものなのだ。細胞等々の絶えざる《産出》がこれらの生命体の数を絶えず変化させる」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・七三四・P.361~362」ちくま学芸文庫)

というふうに。したがって、絶対的中心というものは《ない》。もっとも、一定期間にかぎり仮設することはできる。しかし中心は常に可変的でなければ世界は瓦解する。事実上瓦解している。にもかかわらず瓦解が瓦解に見えないのはなぜか。流動する中心に合わせて人間社会は変化してきたからである。瓦解の後によろよろと創設されるわけではない。瓦解はすでに創設と重なっている。人間社会はいつも《仮に》創設された中心を事実上の中心と《思い込む》ことで社会の安定を図ってきた。ところが仮に創設された中心は常に《幻想的なもの》でしかないからこそ、いつでも器用に次の変化に対応可能なのだ。その意味で世界はもとから絶え間なく流動する無数の変動相場制の総体だといえる。資本主義がそれに気づいたのはいったいいつ頃だったか。資本主義の誕生日はそれに気づいた瞬間をおいてほかにない。資本のシステムは古代の高利貸しの論理とは根本的に異なっているのである。この気づき。そして最も早くその事業を宿命化しようと動いた人々がいた。それらの人々によって、さらに一七八九年のフランス革命での大袈裟な銃撃戦とギロチンを用いた処刑の連発によって、とめどなく湧き起こる噴煙の中でそれは勝ち取られた。しかし資本主義が諸階級へと、主に三大階級への分裂という形態を取って出現するのはさらに後になってから、一八四八年フランス二月革命で生じた資本家、土地所有者、賃金労働者の激突によってである。それまでは、あらかじめ資本家、土地所有者、賃金労働者はまだ疑いの余地のない明確な境界線によって三大階級を形成していたわけではなく、この激突によって、激突した瞬間、資本家、土地所有者、賃金労働者という三大階級が目に見える諸階級として歴史上始めて可視化されたのである。ヘリオガバルスの行動をアルトーは「反乱」と名づける。古代の歴史家らの目には「悪徳」に映って見えているのだが。どちらでも構わないように思えもする。ところがアルトーの言葉の側がより一層深く鋭く事態の内情を見抜いていることは次の文章によって明らかだと言うほかない。

「彼の反乱は一貫していて明敏であり、彼はまずそれを自分に向ける。ヘリオガバルスが娼婦の格好をし、キリスト教会やローマの神々の神殿の門の下で、四十スーで自分を身売りするとき、悪徳の満足だけを追い求めているのではなく、彼はローマの君主制を辱めているのだ」(アルトー「ヘリオガバルス・P.187」河出文庫)

歴史家の多くはそうなのだが、たとえばヘリオガバルスをどう見るかという議論になったとき、あらかじめ凝固し固定しステレオタイプ化された善悪の価値判断に縛り付けられており、自分で考えているように見えながら、実はすでに社会的規模で一般化された善悪の基準を前提して判断してしまう。だから同時代の世界の中で何らの疑いもなく事物を見ているかぎり、その目に映っている事態はその同時代の社会的諸制度を越えて見ることも考えてみることもできない閉鎖性によって自分で自分自身の頭脳を同時代の価値観の桎梏に繋ぎとめてしまうほかない。ところがアルトーは近現代社会の産物である。近現代の側から古代世界を眺めることができる。同時にニーチェがいうように「古代の側から現代を見ること」もできる。するとその目に見えてくるのはヘリオガバルスによる悪徳というよりずっと遥かに重要な意味を持つ、現実に実行に移されている事態である。傲慢な悪徳の《誇示》によって、連発される悪徳の《誇示》を通して、真昼の太陽のもとに隈なく照らし出されたローマ帝国の「君主制」が持つ偽善性の暴露、ならびにそれへの孤独な挑戦であるということがようやく見えてくるのである。

さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。

「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)

ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。

BGM