夜間。エリックとリトンは隠れ家にしている建物の屋上で情交に励んでいる。情交は終わる。エリックは性行為の後、すぐさま我に返る。急いで戦闘用の服装を整え始める。というのも、おそらく明日になればもうエリックの命はないだろうからだ。エリックとの情交を済ませて一体化を果たしたリトンはエリックの背後に立つ。
「片隅で、リトンはズボンの前ボタンをはめた、それからおもむろに彼は軽機関銃を取り上げた。ねらいを定め、ぶっ放した。エリックはくずおれ、屋根の斜面の上にころがり、墜落して行った」(ジュネ「葬儀・P.388」河出文庫)
リトンは何ものからも自由になるため、ありとあらゆるものを見捨て見捨てられる唯一固有の立場を創設しようと決意する。そしてその決意は他者の介入を一切許さない孤独の境地へリトンを一挙に移動させる。必要なものは一丁の軽機関銃のみ。ここでもなおジュネ的フェチの系列の中になくてはならないものがある。リトンの汗でこめかみに張りついた「絶望の乱れ毛」がそうだ。
「徐々にわれに返り、ゆっくりと別の屋上へ移った。ひと晩じゅう、そして八月二十日の午前中もずっと、友人から、両親から、愛から、フランスから、ドイツから、全世界から見捨てられ、負傷のためではなく、疲労のため、汗で絶望の乱れ毛がこめかみにはりつき、力つきて倒れるまで、射ちまくった」(ジュネ「葬儀・P.389」河出文庫)
日付けが付してある。「八月二十日」はドイツ西部戦線で米仏連合軍がようやくパリ=セーヌ川に到達した日。米仏連合軍による「パリ入城式典」挙行は二十五日。その前後なおフランス各地ではドイツ兵とフランスレジスタンスとの間でゲリラ戦が散発している。一方、ドイツ東部戦線ではソ連軍が勢いを増す。一月二十七日レニングラード解放、七月二十四日ルブリン解放、マイダネク強制収容所解放、十月二十日ベオグラード解放、十月二十四日ドナウ渡河。切迫する危機を感じたナチス党幹部ヒムラーは十一月一日、アウシュヴィッツでのガス室殺害中止と証拠隠滅を命令。証拠は公文書として世に出るものだが、それはあくまでドイツが勝利した場合に限り、栄光の闘いの記録として読み上げられるために保存されるものだ。逆に敗北濃厚となってしまったとき、証拠隠滅は至上命令と化す。今の形式民主主義における政権党がやっているように。翌一九四五年四月三十日ヒットラー拳銃自殺。とはいえ、ジュネの言葉を借りて述べるとすれば、「ヒットラーを演じるヒットラー」がヒットラー拳銃自殺を演じたということになる。ヒットラーを演じるヒットラーは個人アドルフ・ヒットラーへ戻ることなく永遠に象徴化されたヒットラーを演じるヒットラーを演じきった。そして象徴を象徴たらしめ、首相官邸の前面に掲げられていたドイツ帝国最大の象徴ハーケンクロイツはソ連軍の大砲による爆破で終わりを告げた。ところで、一九四四年六月六日に開始されたノルマンディー上陸作戦は有名だが、七月十七日、ノルマンディーの上空から米軍機が歴史上始めてナパーム弾を投下している。大戦後のベトナム戦争で広大な森林地帯を焦土と化した米軍のナパーム弾による空爆はベトナムでの使用が最初ではなかった。フランスのノルマンディー地域で一度実験されている。そして原爆は日本が実験対象とされた。次の文章には一度触れた。
「新聞の報ずるところによれば、日本軍はその兵士らに、魂魄(こんぱく)が生者らを護り導くよう、死してのちもなお戦いつづけるよう訓告を垂れたというーーーかかる敢闘精神の美わしさが(これは発砲の努力をつづける死者たちで充満した、《鬱然たる》活動にみちあふれた天界を私の眼前にくりひろげる)私を励ましリトンの口からこんな言葉を吐かせるのだった。『俺が死ぬのに手をかしてくれ』」(ジュネ「葬儀・P.389」河出文庫)
この「ーーー」の部分には日本の戦時用語「死して護国の鬼となれ」が引用された。残された兵士は「『俺が死ぬのに手をかしてくれ』」という呼び声を発する。とともに死者は死んでなお戦いつづける義務を与えられる。ジュネはそうした「力の移動/移動の力」を次のように適用させて用いる。対独協力兵のリトンに向かって愛人ジャンを殺してほしいと願う。
「『彼を殺(や)ったのはきみであってほしい!』ーーー『彼を殺してくれ、リトン、ジャンをきみにやる』」(ジュネ「葬儀・P.62」河出文庫)
そのリトンはナチスドイツ兵士エリックに背後から尻の穴を犯されつつこう叫ぶ。
「『僕をずたずたに引き裂いて!そう、殺して!』」(ジュネ「葬儀・P.384」河出文庫)
エリックに犯された後、リトンは一つのステレオタイプ(常套句)を反復する。
「リトンは囁いた『前よりもっとあんたが好きになったみたい』」(ジュネ「葬儀・P.386」河出文庫)
それはジャンがジュネに始めて体を許したときに漏らした言葉の反復である。ジャンはこう言っていた。
「『前よりもっときみが好きだよ』」(ジュネ「葬儀・P.74」河出文庫)
それは機銃掃射を受けて血まみれになった二十歳の美貌のレジスタンス闘士ジャンが発した余りにも残酷な死にざまが、美とその力ゆえにジュネの中で詩と化した瞬間から始まった「葬儀=喪の作業」の中を一貫して流れていた言葉だったのである。「死して護国の鬼となれ」。この戦時用語はジュネの中で「ジャンへの愛にはげまされる」という形で活用された。
ところで、作品「葬儀」の総括はたまたまかもしれないが、男性によって行われるのではない。女性である。覚えているだろうか。女中ジュリエットだ。ジャンとのあいだに生まれたが嬰児のうちに死んでしまった娘の葬儀を終えて帰宅した。夜中に目が覚めた。すると窓からの月光が部屋の敷物を照らしている。ジュリエットにはそれが幽玄な墓石に見える。ジュリエットの仕ぐさは実に的を得ている。
「彼女は、彼女の娘のその素晴らしい墓石のうえに雛菊の花を、しずかに、恭しく捧げ、そして服を脱いで、暁方まで眠り込んだ」(ジュネ「葬儀・P.389〜390」河出文庫)
月光なら月に一度は必ず訪れるだろう。その美しい墓石は女中身分のジュリエットと死んだ遺児にとって何よりの月命日となるに違いない。なお、小説を総括するにあたって、身分が女中だという点に注目しておきたい。作品「ブレストの乱暴者」では「淫売屋の女将リジアーヌ」だった。ごろつきどもの悪罵の応酬には付いていけないと思いながらリジアーヌはおもう。
「《たとえ離れていても、あの二人は世界の端と端から互いに呼び交わしているんだわーーー》
《兄が航海をはじめれば、ロベールの顔はいつも西の方を向いていることになるだろう。あたしは日まわりの花と結婚しなければなるまいーーー》
《微笑と悪罵が投げ交わされ、二人のまわりに巻きつき、二人を結びつけ縛りあげてしまう。二人のうち、どちらが強いかは誰にも分らない。そして彼らの子供は、二人のあいだを自由に通り過ぎるけれども、少しの邪魔にはならないんだわーーー》
何ものも切り離すことのできない二人の恋人の秘密の物語に、彼女は立会っているのだった。彼らの喧嘩は微笑でいっぱいになり、彼らの遊びは侮辱で飾られている。微笑と侮辱はその意味を変える。彼らは笑いながら罵り合う」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.392~393」河出文庫)
そしてこう考える。
「恋人たちのことを考えながら、彼女は、《彼らは歌っている》という文字を眺めていた」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.393」河出文庫)
しかしどのような「歌」なのか。明確な記述は一つもない。けれども海軍士官セブロン少尉が恥辱まみれになりながら「声にならない声で」言った言葉こそおそらくその「歌」の歌詞に妥当するであろう。男性同性愛者でありおそらく最もジュネに近い登場人物セブロンは、それを充満する湿気とともに「まき散らす」。
「彼は自分の内部に向けた、声にならない声でこう言った、《臭くしてやる!臭くしてやる!臭くしてやる!》ブレストのこの特殊な地点から霧の中心へ向って、海にそそり出た道路や倉庫に向って、軽やかな風が、サーディの薔薇の花びらよりもっとやわらかな香り高いセブロン少尉の湿気を、世界中にまき散らすのであった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.379」河出文庫)
しかし重要なのは、ずいぶん混乱し錯綜した小説を総括できるのはなぜジュリエットやリジアーヌなのか、ということでなくてはならない。一方は「女中」でありもう一方は「淫売屋の女将」である。どちらも社会の外でなく中に生きている。けれどもその位置は一般社会の中で「特異的なもの/差異的なもの」でなくてはならない。ニーチェのいう「距離の感じ」を維持できていなくては不可能な作業なのだ。
「《距離の感じ》から、彼らは初めて、価値を創造し価値の名を刻印する権利を獲得した」(ニーチェ「道徳の系譜・P.23」岩波文庫)
ーーーーー
さて、アルトー。ヘリオガバルスはとことん汚辱の底、考えられる限りで最も醜悪な汚辱の最底辺まで引きずり降ろされる。それは最上級を極めた人間が転倒するとき不可避的に通過しなければならない儀式である。ただ単にユリア・マンマエア率いる反体制勢力によるクーデタだと考えてはならない。
「『溝(どぶ)へ捨てろ!』、ヘリオガバルスの気前の良さにつけ込んだくせに、それをあまりに消化しすぎた下層民がいまやわめきたてる。『二人の死骸を溝へ捨てろ、ヘリオガバルスの死骸を、溝へ!』血と、そして、身ぐるみ剥がれ、荒らされ、しかも最も秘められた部分にいたるまですべての器官をさらけ出している二つの死体の猥褻な眺めに堪能したので、群衆は手当り次第にヘリオガバルスの死体を下水溝の口に放り込もうとする」(アルトー「ヘリオガバルス・P.208~209」河出文庫)
アルトーはローマの下層民の軽薄さに呆れ果てている。「『二人の死骸を溝へ捨てろ、ヘリオガバルスの死骸を、溝へ!』」とわめきたてる。しかしこの部分は下層民が「わめきたてる」のでなく「わめきたてる」のはいつも下層民だと捉えないといけない。貴族は何をしているか。血まみれになって内臓をずたずたに引き裂かれたヘリオガバルスの死体が、町中を引き回されるのをただ単に部屋の窓から見下ろして喝采を送っているばかりだ。見せものだとしか思っていない。せせら笑っている。腐敗した何かがすでに蔓延している。それ以前、古代ギリシア悲劇では考えられない光景だ。ところで、もっと重要なのはヘリオガバルスに、さらに新しい名前が付け加えられる、という点である。
「エラガバルス・バッシアヌス・アウィトゥス、またの名ヘリオガバルスには、多数の精液からつくられ、淫売から生まれたので、すでにウァリウス(多様)という渾名がつけ加えられていた。その後、ティベリアヌスと『引きずられた者』という名前が与えられた、なぜなら彼は引きずられたのだし、下水溝に彼を入れようとした後、ティベリス河に投げ込まれたからである」(アルトー「ヘリオガバルス・P.209」河出文庫)
ーーーーー
演劇論。数学的ともいえる機械的動きの瞬発に驚くアルトーだが、それはさらに「n乗され、決定的に様式化される」。
「現実主義的側面をわれわれは自分たちのうちに再び見出すが、しかしここでそれはn乗され、決定的に様式化される」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.95』河出文庫)
徹底的に形式化された身振り仕ぐさの反復はもちろんトランス状態を発生させているし、そもそもトランス状態から発生したものでもある。だから遊びの要素はまるでない。逆に、「娯楽といった、無用で不自然な戯れ、われわれの演劇の特徴である夕べの戯れのあの側面を消し去る」。楽しいだろうか。もちろん儀式だから楽しい楽しくないは問題外だと言い得る。ところが上演される演劇の進行とともに楽しみより悦楽が訪れる。現代人なら楽しみか悦楽かどちらを取るだろうか。何も意地悪な質問ではない。ただバリ島演劇では後者の側、悦楽が選択されてきたという事実が述べられているに過ぎない。しかしそれはあくまで規則性、周期性、回帰性、に則って行われるかぎりにおいてである。その意味でもまたただ単なる遊びでない。事態は村落共同体の維持存続に関わる儀式性を帯びているからだ。
「バリ島の演劇のようなスペクタクルには、娯楽といった、無用で不自然な戯れ、われわれの演劇の特徴である夕べの戯れのあの側面を消し去る何かがある。その舞台化は、物質のまっただなか、生のまっただなか、現実のまっただなかで削り整えられる」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.96』河出文庫)
身振り言語の使用について。《身体における》言語の発明。
「バリ島の演劇の観念が最も抽象的な主題を解き明かすために語へ訴えかけるどんな可能性も消し去るという意味において、あっと驚く舞台化をわれわれに提案するのであるーーーそしてその観念が空間のなかで発展するためにうってつけの、そしてその外では意味をなさない身振りの言語を発明するという意味において」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.98』河出文庫)
ニーチェはいう。
「美的状態は、《伝達手段》をあふれるばかり豊かにもっており、同時に、刺激や徴候に対する極度の《感受性》をもっている。この状態は生物の間で伝達と伝送のおこなわれうる絶頂である、ーーーそれは言語の源泉である。言語は、身振りや目くばせによる言語と同じく音声による言語も、ここにその発生地をもつ。より豊満な現象がつねに発端である。すなわち、私たちの能力もより豊満な能力の洗練されたものにほかならない。しかも今日でも私たちは、いまだ筋肉でもって聞き、いまだ筋肉でもって読みさえする」(ニーチェ「権力への意志・下巻・八〇九・P.325」ちくま学芸文庫)
とことん肯定の哲学を説くニーチェ。ちなみにニーチェはたいそう動物好きでもある。そして動物が肯定ではなく否定という「形式」をおぼえるのはとても手間のかかる困難な作業なのだ。ベイトソンから引こう。部分的な参照だが順を追って列挙する。
「自分で実際行動を取る代わりに、動物はそのいわば短縮形であるイコン的動作を用いることができる。そしてそれを使うことで、相互関係のパラダイムに暗黙のうちに言及し、相手の行動を制御することができる。しかし、この種のコミュニケーションはすべて《肯定的》なものだ。牙をむいて闘いを話題にしたその瞬間に、闘いそのものが提示されてしまう。闘いに言及することが闘いを仕掛けることになってしまう。否定を表現する手軽なイコン的方法はない。『オレハオマエヲ《噛マナイ》』に当たる簡単な表現を動物はもっていない」(ベイトソン「精神の生態学・P.565~566」新思索社)
「しかし否定の命令ーーー『噛ムナ』ーーーを伝える方法はある。相手がその行動を取ろうとしたそのときに、相手を脅すとか、相手の期待を裏切る行動をとるとかすれば、don’tを伝えることができるわけだ。ただその禁止されるべき行動を、自分の方から示すことはできない。一方が差し出した相互作用のパラダイムをもう一方が打ち破るーーーというのが動物における否定の形なのだ」(ベイトソン「精神の生態学・P.566」新思索社)
「しかしdon’tとnotとはだいぶ違う。動物の場合、『オレハオマエヲ噛マナイ』という相互関係の上で非常に大切なメッセージは、ふつうは(現実または儀礼上の)闘いが終わった後の両者の《合意》として発生する。つまり『噛マナイ』という結論を得るためにその逆である咬み合いを演じ、その咬み合いが実らなかった結果として『噛マナイ』を得る。この手続きは、証明における帰謬法と同じである」(ベイトソン「精神の生態学・P.566」新思索社)
「こうして得た合意の上に、動物たちは友好関係や支配関係や性的関係を築く。かれらが行なう『ごっこ』としての闘いは、おそらく、こうして得た否定形の合意をテストし、再確認するものなのだろう。動物にとって、否定を得るのは、こんなにも厄介なことなのだ」(ベイトソン「精神の生態学・P.566」新思索社)
だからニーチェはベイトソンに先立ってこういっている。
「猿どもは、人間が彼らから由来しうるにしては、あまりにも気だてがよすぎる」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・二九六・P.170」ちくま学芸文庫)
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
BGM
「片隅で、リトンはズボンの前ボタンをはめた、それからおもむろに彼は軽機関銃を取り上げた。ねらいを定め、ぶっ放した。エリックはくずおれ、屋根の斜面の上にころがり、墜落して行った」(ジュネ「葬儀・P.388」河出文庫)
リトンは何ものからも自由になるため、ありとあらゆるものを見捨て見捨てられる唯一固有の立場を創設しようと決意する。そしてその決意は他者の介入を一切許さない孤独の境地へリトンを一挙に移動させる。必要なものは一丁の軽機関銃のみ。ここでもなおジュネ的フェチの系列の中になくてはならないものがある。リトンの汗でこめかみに張りついた「絶望の乱れ毛」がそうだ。
「徐々にわれに返り、ゆっくりと別の屋上へ移った。ひと晩じゅう、そして八月二十日の午前中もずっと、友人から、両親から、愛から、フランスから、ドイツから、全世界から見捨てられ、負傷のためではなく、疲労のため、汗で絶望の乱れ毛がこめかみにはりつき、力つきて倒れるまで、射ちまくった」(ジュネ「葬儀・P.389」河出文庫)
日付けが付してある。「八月二十日」はドイツ西部戦線で米仏連合軍がようやくパリ=セーヌ川に到達した日。米仏連合軍による「パリ入城式典」挙行は二十五日。その前後なおフランス各地ではドイツ兵とフランスレジスタンスとの間でゲリラ戦が散発している。一方、ドイツ東部戦線ではソ連軍が勢いを増す。一月二十七日レニングラード解放、七月二十四日ルブリン解放、マイダネク強制収容所解放、十月二十日ベオグラード解放、十月二十四日ドナウ渡河。切迫する危機を感じたナチス党幹部ヒムラーは十一月一日、アウシュヴィッツでのガス室殺害中止と証拠隠滅を命令。証拠は公文書として世に出るものだが、それはあくまでドイツが勝利した場合に限り、栄光の闘いの記録として読み上げられるために保存されるものだ。逆に敗北濃厚となってしまったとき、証拠隠滅は至上命令と化す。今の形式民主主義における政権党がやっているように。翌一九四五年四月三十日ヒットラー拳銃自殺。とはいえ、ジュネの言葉を借りて述べるとすれば、「ヒットラーを演じるヒットラー」がヒットラー拳銃自殺を演じたということになる。ヒットラーを演じるヒットラーは個人アドルフ・ヒットラーへ戻ることなく永遠に象徴化されたヒットラーを演じるヒットラーを演じきった。そして象徴を象徴たらしめ、首相官邸の前面に掲げられていたドイツ帝国最大の象徴ハーケンクロイツはソ連軍の大砲による爆破で終わりを告げた。ところで、一九四四年六月六日に開始されたノルマンディー上陸作戦は有名だが、七月十七日、ノルマンディーの上空から米軍機が歴史上始めてナパーム弾を投下している。大戦後のベトナム戦争で広大な森林地帯を焦土と化した米軍のナパーム弾による空爆はベトナムでの使用が最初ではなかった。フランスのノルマンディー地域で一度実験されている。そして原爆は日本が実験対象とされた。次の文章には一度触れた。
「新聞の報ずるところによれば、日本軍はその兵士らに、魂魄(こんぱく)が生者らを護り導くよう、死してのちもなお戦いつづけるよう訓告を垂れたというーーーかかる敢闘精神の美わしさが(これは発砲の努力をつづける死者たちで充満した、《鬱然たる》活動にみちあふれた天界を私の眼前にくりひろげる)私を励ましリトンの口からこんな言葉を吐かせるのだった。『俺が死ぬのに手をかしてくれ』」(ジュネ「葬儀・P.389」河出文庫)
この「ーーー」の部分には日本の戦時用語「死して護国の鬼となれ」が引用された。残された兵士は「『俺が死ぬのに手をかしてくれ』」という呼び声を発する。とともに死者は死んでなお戦いつづける義務を与えられる。ジュネはそうした「力の移動/移動の力」を次のように適用させて用いる。対独協力兵のリトンに向かって愛人ジャンを殺してほしいと願う。
「『彼を殺(や)ったのはきみであってほしい!』ーーー『彼を殺してくれ、リトン、ジャンをきみにやる』」(ジュネ「葬儀・P.62」河出文庫)
そのリトンはナチスドイツ兵士エリックに背後から尻の穴を犯されつつこう叫ぶ。
「『僕をずたずたに引き裂いて!そう、殺して!』」(ジュネ「葬儀・P.384」河出文庫)
エリックに犯された後、リトンは一つのステレオタイプ(常套句)を反復する。
「リトンは囁いた『前よりもっとあんたが好きになったみたい』」(ジュネ「葬儀・P.386」河出文庫)
それはジャンがジュネに始めて体を許したときに漏らした言葉の反復である。ジャンはこう言っていた。
「『前よりもっときみが好きだよ』」(ジュネ「葬儀・P.74」河出文庫)
それは機銃掃射を受けて血まみれになった二十歳の美貌のレジスタンス闘士ジャンが発した余りにも残酷な死にざまが、美とその力ゆえにジュネの中で詩と化した瞬間から始まった「葬儀=喪の作業」の中を一貫して流れていた言葉だったのである。「死して護国の鬼となれ」。この戦時用語はジュネの中で「ジャンへの愛にはげまされる」という形で活用された。
ところで、作品「葬儀」の総括はたまたまかもしれないが、男性によって行われるのではない。女性である。覚えているだろうか。女中ジュリエットだ。ジャンとのあいだに生まれたが嬰児のうちに死んでしまった娘の葬儀を終えて帰宅した。夜中に目が覚めた。すると窓からの月光が部屋の敷物を照らしている。ジュリエットにはそれが幽玄な墓石に見える。ジュリエットの仕ぐさは実に的を得ている。
「彼女は、彼女の娘のその素晴らしい墓石のうえに雛菊の花を、しずかに、恭しく捧げ、そして服を脱いで、暁方まで眠り込んだ」(ジュネ「葬儀・P.389〜390」河出文庫)
月光なら月に一度は必ず訪れるだろう。その美しい墓石は女中身分のジュリエットと死んだ遺児にとって何よりの月命日となるに違いない。なお、小説を総括するにあたって、身分が女中だという点に注目しておきたい。作品「ブレストの乱暴者」では「淫売屋の女将リジアーヌ」だった。ごろつきどもの悪罵の応酬には付いていけないと思いながらリジアーヌはおもう。
「《たとえ離れていても、あの二人は世界の端と端から互いに呼び交わしているんだわーーー》
《兄が航海をはじめれば、ロベールの顔はいつも西の方を向いていることになるだろう。あたしは日まわりの花と結婚しなければなるまいーーー》
《微笑と悪罵が投げ交わされ、二人のまわりに巻きつき、二人を結びつけ縛りあげてしまう。二人のうち、どちらが強いかは誰にも分らない。そして彼らの子供は、二人のあいだを自由に通り過ぎるけれども、少しの邪魔にはならないんだわーーー》
何ものも切り離すことのできない二人の恋人の秘密の物語に、彼女は立会っているのだった。彼らの喧嘩は微笑でいっぱいになり、彼らの遊びは侮辱で飾られている。微笑と侮辱はその意味を変える。彼らは笑いながら罵り合う」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.392~393」河出文庫)
そしてこう考える。
「恋人たちのことを考えながら、彼女は、《彼らは歌っている》という文字を眺めていた」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.393」河出文庫)
しかしどのような「歌」なのか。明確な記述は一つもない。けれども海軍士官セブロン少尉が恥辱まみれになりながら「声にならない声で」言った言葉こそおそらくその「歌」の歌詞に妥当するであろう。男性同性愛者でありおそらく最もジュネに近い登場人物セブロンは、それを充満する湿気とともに「まき散らす」。
「彼は自分の内部に向けた、声にならない声でこう言った、《臭くしてやる!臭くしてやる!臭くしてやる!》ブレストのこの特殊な地点から霧の中心へ向って、海にそそり出た道路や倉庫に向って、軽やかな風が、サーディの薔薇の花びらよりもっとやわらかな香り高いセブロン少尉の湿気を、世界中にまき散らすのであった」(ジュネ「ブレストの乱暴者・P.379」河出文庫)
しかし重要なのは、ずいぶん混乱し錯綜した小説を総括できるのはなぜジュリエットやリジアーヌなのか、ということでなくてはならない。一方は「女中」でありもう一方は「淫売屋の女将」である。どちらも社会の外でなく中に生きている。けれどもその位置は一般社会の中で「特異的なもの/差異的なもの」でなくてはならない。ニーチェのいう「距離の感じ」を維持できていなくては不可能な作業なのだ。
「《距離の感じ》から、彼らは初めて、価値を創造し価値の名を刻印する権利を獲得した」(ニーチェ「道徳の系譜・P.23」岩波文庫)
ーーーーー
さて、アルトー。ヘリオガバルスはとことん汚辱の底、考えられる限りで最も醜悪な汚辱の最底辺まで引きずり降ろされる。それは最上級を極めた人間が転倒するとき不可避的に通過しなければならない儀式である。ただ単にユリア・マンマエア率いる反体制勢力によるクーデタだと考えてはならない。
「『溝(どぶ)へ捨てろ!』、ヘリオガバルスの気前の良さにつけ込んだくせに、それをあまりに消化しすぎた下層民がいまやわめきたてる。『二人の死骸を溝へ捨てろ、ヘリオガバルスの死骸を、溝へ!』血と、そして、身ぐるみ剥がれ、荒らされ、しかも最も秘められた部分にいたるまですべての器官をさらけ出している二つの死体の猥褻な眺めに堪能したので、群衆は手当り次第にヘリオガバルスの死体を下水溝の口に放り込もうとする」(アルトー「ヘリオガバルス・P.208~209」河出文庫)
アルトーはローマの下層民の軽薄さに呆れ果てている。「『二人の死骸を溝へ捨てろ、ヘリオガバルスの死骸を、溝へ!』」とわめきたてる。しかしこの部分は下層民が「わめきたてる」のでなく「わめきたてる」のはいつも下層民だと捉えないといけない。貴族は何をしているか。血まみれになって内臓をずたずたに引き裂かれたヘリオガバルスの死体が、町中を引き回されるのをただ単に部屋の窓から見下ろして喝采を送っているばかりだ。見せものだとしか思っていない。せせら笑っている。腐敗した何かがすでに蔓延している。それ以前、古代ギリシア悲劇では考えられない光景だ。ところで、もっと重要なのはヘリオガバルスに、さらに新しい名前が付け加えられる、という点である。
「エラガバルス・バッシアヌス・アウィトゥス、またの名ヘリオガバルスには、多数の精液からつくられ、淫売から生まれたので、すでにウァリウス(多様)という渾名がつけ加えられていた。その後、ティベリアヌスと『引きずられた者』という名前が与えられた、なぜなら彼は引きずられたのだし、下水溝に彼を入れようとした後、ティベリス河に投げ込まれたからである」(アルトー「ヘリオガバルス・P.209」河出文庫)
ーーーーー
演劇論。数学的ともいえる機械的動きの瞬発に驚くアルトーだが、それはさらに「n乗され、決定的に様式化される」。
「現実主義的側面をわれわれは自分たちのうちに再び見出すが、しかしここでそれはn乗され、決定的に様式化される」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.95』河出文庫)
徹底的に形式化された身振り仕ぐさの反復はもちろんトランス状態を発生させているし、そもそもトランス状態から発生したものでもある。だから遊びの要素はまるでない。逆に、「娯楽といった、無用で不自然な戯れ、われわれの演劇の特徴である夕べの戯れのあの側面を消し去る」。楽しいだろうか。もちろん儀式だから楽しい楽しくないは問題外だと言い得る。ところが上演される演劇の進行とともに楽しみより悦楽が訪れる。現代人なら楽しみか悦楽かどちらを取るだろうか。何も意地悪な質問ではない。ただバリ島演劇では後者の側、悦楽が選択されてきたという事実が述べられているに過ぎない。しかしそれはあくまで規則性、周期性、回帰性、に則って行われるかぎりにおいてである。その意味でもまたただ単なる遊びでない。事態は村落共同体の維持存続に関わる儀式性を帯びているからだ。
「バリ島の演劇のようなスペクタクルには、娯楽といった、無用で不自然な戯れ、われわれの演劇の特徴である夕べの戯れのあの側面を消し去る何かがある。その舞台化は、物質のまっただなか、生のまっただなか、現実のまっただなかで削り整えられる」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.96』河出文庫)
身振り言語の使用について。《身体における》言語の発明。
「バリ島の演劇の観念が最も抽象的な主題を解き明かすために語へ訴えかけるどんな可能性も消し去るという意味において、あっと驚く舞台化をわれわれに提案するのであるーーーそしてその観念が空間のなかで発展するためにうってつけの、そしてその外では意味をなさない身振りの言語を発明するという意味において」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.98』河出文庫)
ニーチェはいう。
「美的状態は、《伝達手段》をあふれるばかり豊かにもっており、同時に、刺激や徴候に対する極度の《感受性》をもっている。この状態は生物の間で伝達と伝送のおこなわれうる絶頂である、ーーーそれは言語の源泉である。言語は、身振りや目くばせによる言語と同じく音声による言語も、ここにその発生地をもつ。より豊満な現象がつねに発端である。すなわち、私たちの能力もより豊満な能力の洗練されたものにほかならない。しかも今日でも私たちは、いまだ筋肉でもって聞き、いまだ筋肉でもって読みさえする」(ニーチェ「権力への意志・下巻・八〇九・P.325」ちくま学芸文庫)
とことん肯定の哲学を説くニーチェ。ちなみにニーチェはたいそう動物好きでもある。そして動物が肯定ではなく否定という「形式」をおぼえるのはとても手間のかかる困難な作業なのだ。ベイトソンから引こう。部分的な参照だが順を追って列挙する。
「自分で実際行動を取る代わりに、動物はそのいわば短縮形であるイコン的動作を用いることができる。そしてそれを使うことで、相互関係のパラダイムに暗黙のうちに言及し、相手の行動を制御することができる。しかし、この種のコミュニケーションはすべて《肯定的》なものだ。牙をむいて闘いを話題にしたその瞬間に、闘いそのものが提示されてしまう。闘いに言及することが闘いを仕掛けることになってしまう。否定を表現する手軽なイコン的方法はない。『オレハオマエヲ《噛マナイ》』に当たる簡単な表現を動物はもっていない」(ベイトソン「精神の生態学・P.565~566」新思索社)
「しかし否定の命令ーーー『噛ムナ』ーーーを伝える方法はある。相手がその行動を取ろうとしたそのときに、相手を脅すとか、相手の期待を裏切る行動をとるとかすれば、don’tを伝えることができるわけだ。ただその禁止されるべき行動を、自分の方から示すことはできない。一方が差し出した相互作用のパラダイムをもう一方が打ち破るーーーというのが動物における否定の形なのだ」(ベイトソン「精神の生態学・P.566」新思索社)
「しかしdon’tとnotとはだいぶ違う。動物の場合、『オレハオマエヲ噛マナイ』という相互関係の上で非常に大切なメッセージは、ふつうは(現実または儀礼上の)闘いが終わった後の両者の《合意》として発生する。つまり『噛マナイ』という結論を得るためにその逆である咬み合いを演じ、その咬み合いが実らなかった結果として『噛マナイ』を得る。この手続きは、証明における帰謬法と同じである」(ベイトソン「精神の生態学・P.566」新思索社)
「こうして得た合意の上に、動物たちは友好関係や支配関係や性的関係を築く。かれらが行なう『ごっこ』としての闘いは、おそらく、こうして得た否定形の合意をテストし、再確認するものなのだろう。動物にとって、否定を得るのは、こんなにも厄介なことなのだ」(ベイトソン「精神の生態学・P.566」新思索社)
だからニーチェはベイトソンに先立ってこういっている。
「猿どもは、人間が彼らから由来しうるにしては、あまりにも気だてがよすぎる」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・二九六・P.170」ちくま学芸文庫)
ーーーーー
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
BGM