フランスはドイツからフランスをほぼ取り戻した。ドイツ軍と対独協力兵らは孤立を深める。孤立は一方で、たちまち「減少する力の感情」ばかりを感じさせる。多くの場合、その感情を受け止めることで敗北を認め投降する。また一方、孤立することで逆に燃え上がる執念というものがあり、この炎は「増大する力の感情」をより一層湧き立たせる。ジュネは後者の側を愛する。
「おおむねみなドイツの札に勝ち目はないと知りつつも、まだこっそりそれに賭けていた。弾丸がそこから雨あられと飛び出してくる壁という壁に手配書が貼り出されている自動車に乗って、彼らはパリ市中や地方を駆けめぐるのだった」(ジュネ「葬儀・P.373」河出文庫)
なぜジュネがそうなのかは繰り返し述べられる。といっても脈略なく唐突に説明として挿入される。それはジュネ固有の「詩」(ポエジー)から到来するのだ。
「詩(ポエジー)は、彼の、泥棒という境涯への最も深い自覚にあるのだ。もちろん、泥棒以外のいかなる境涯でも、その人間に名称を与えるほどに本質的になることができる自覚ならば、それもまた同様に詩(ポエジー)であろう。しかし、いずれにしろ、わたしの独異性への自覚が、盗みという一つの非社会的活動によってよばれるということはよいことである」(ジュネ「泥棒日記・P.358」新潮文庫)
したがって次のような意識の流れを取る。意識がそのように流れたとしても何の不思議もない。
「なんの愛情も感じていない落ちぶれた主人のために地下に潜ってまで戦闘を続けるならず者たちに私はいまもって感嘆の念を禁じえない」(ジュネ「葬儀・P.373」河出文庫)
濃厚な血の臭いが漂うパリ。結末は誰もが知っている通りだが、その前に流血というものもあるわけだ。ジュネの回想の中でジャンの葬儀のシーン、聖餐の場面が還ってくる。というのは、ジュネはこれからジャンを自分の一部分に含む、というよりジャンの一部分に《なる》からである。
「木のテーブルにひとり腰かけて私は、死んだ裸のジャンが、自分で自分の死体を両腕にかかえ、私のところへ運んでくるのを待っていた。フォークとナイフを手にして、私は奇妙な宴会の主賓をつとめていた、この席で私はこれから特上の肉を平らげにかかるところだった」(ジュネ「葬儀・P.377~378」河出文庫)
一方ベイトソンは、パターン化された形式において常に起こり得る「土地と地図」との混同というような過失を犯さないよう、ひとこと注意を促している。次のように錯覚が修正を受けないまま記憶されるというような場合。
「人間の様々な行動、とりわけ精神の一次過程が強く発現される宗教的・儀礼的な場においては、ものの名前と名づけられたものとが、しばしば同一になる。パンは聖体そのものになり、ブドウ酒はキリストの血そのものになる」(ベイトソン「精神の生態学・P.536」新思索社)
ーーーーー
さて、アルトー。ヘリオガバルスは「民衆」の裏切りに直面する。だからといって民衆を虐殺しようとするわけではない。反乱を起こすだけだ。太陽信仰の皇帝であるヘリオガバルスは地下工作に長けた不実なキリスト教徒ユリア・マンマエアとは違うのである。
「彼ははじめて反乱を起こすが、しかし彼、ヘリオガバルスを愛し、彼の気前のよさにつけ込んだ民衆、さらにその貧困に彼が涙したこともあった民衆をこの若い童貞の皇帝に抗して扇動する代わりに、あいかわらずひとりの踊り子が指揮する親衛隊によって彼を暗殺させようとするのだ、しかし親衛隊の謀叛の口火が切られていることに気づきもせずに」(アルトー「ヘリオガバルス・P.204~205」河出文庫)
ヘリオガバルスはこのとき一命を取り留める。その際、両者の間に入り、もったいぶって仲介するのはユリア・マンマエアである。自分でじわじわ煽り立て組織化した軍隊を用いてこっそりヘリオガバルスを包囲することに成功していたからこそ仲介に入ることができたわけだが。
「ヘリオガバルスは既成事実を受け入れることもできただろうし、自分が嫉妬しているこの蒼白い皇帝、民衆の愛を勝ちとってはいないにしても、少なくとも軍人や警察やお歴々の愛を得ているこの皇帝を自分のそばに置いて我慢することもできただろう」(アルトー「ヘリオガバルス・P.205」河出文庫)
なるほどヘリオガバルスにはマンマエアに大幅に譲歩することで生き延びていくという方法が残されていた。しかし一旦皇帝になった身分で、一体どこの誰が生涯に渡ってそのような途方もない屈辱を舐めさせられ徹底的に嘲笑され、宮廷の中で雑巾掛けを命じられればただちにそれに従うといった生き方ができるだろうか。既成事実を受け入れるかどうか。しかしヘリオガバルスにとって問題にならない。
「それどころかまさにここでヘリオガバルスは彼のすべてを見せるのである。すなわち規律を守らぬ狂信的精神、真の王、反逆者、猛り狂った個人主義者を」(アルトー「ヘリオガバルス・P.205」河出文庫)
皇帝というのは、周囲から見て「狂信的」であろうとなかろうと「真の王」でなくてはならない。ヘリオガバルスは全力で「反逆者」に《なる》。体制がマンマエアの側に裏返されたからそうなったわけだが、そのことでヘリオガバルスは、本当の、「猛り狂った個人主義」を見せつけるのだ。皇帝とはそうでなくてはならない。そして最後まで「反逆」として、「移動する強度/強度の移動」として振る舞わなければならない。惨めな死に方をしたことは有名だとしてもなお、ローマ帝国を皇帝自らの手で転倒させた力への意志として、ヘリオガバルスは永遠にアナーキーをまっとうすることになる。他のどの皇帝にそこまでできる力があったというのだろうか。「いい子」ぶって見せても何一つ始らないのだ。
ーーーーー
バリ島演劇で噴出する過剰な力の氾濫。にもかかわらずそれは奇妙な統制を受けているように見える。アルトーはバリ島演劇について「正面から近づくことのできない何かである」という。それは「われわれがその鍵をもっていないらしい言語でできている」。そこでは「別様の感じ方」が実際に生きられているということだ。
「どれもが互いにより豊かであろうとする過剰な印象によってわれわれに襲いかかるこのスペクタクルは、正面から近づくことのできない何かであるが、しかしそれはわれわれがその鍵をもっていないらしい言語でできている」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.90』河出文庫)
正面から近づくことはできない。言い換えれば、「われわれがその鍵をもっていないらしい言語でできている」。ニーチェなら「別様の感じ方」というだろう。欧米ではすでに手厚く排除され破滅させられてしまったものである。
「私は、戸外へ歩み出て、どんなすばらしい明確さをそなえて一切のものが私たちに作用をおよぼすか、たとえば森がそうであり山もそうである、と考えて、また、一切の感覚に関して、私たちのうちにはまったくなんらの混乱、見誤り、躊躇もないということを考えて、いつも驚くのである。それにもかかわらず、はなはだしい不確実性と何か混沌としたものが現存していたにちがいなく、途方もなく長い時間をかけて初めてそういった一切のものはそのように《確固とした》相続物になったのである。空間的間隔、光、色等々に関して本質的に別様の感じ方をした人間たちは、排除されてしまい、うまく繁殖することができなかったのだ。こういう《別様の》感じ方は、何千年もの長い間『《狂気》』と感じられて忌避されたに《ちがいない》のだ。人々はもはや互いに理解し合わず、『例外』を排除し、破滅させたのだ。一切の有機的なものの始まり以来或る途方もない残酷さが現存してきた、つまり『《別様の感じ方をした》』一切のものが排除されてきたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・八九・P.63」ちくま学芸文庫)
とはいえ、絶えず流動して止まないすべての力はどこへ行ったのか。どこへ行ってどんな姿形で生き延びているのか。もし生き延びていないとすれば欧米はとっくの昔にありとあらゆる強度を失い消滅していたに違いないからである。力は流動している。そしてそれは絶え間ない変化を遂げている。どういうことか。要するに、有り余る力の流れは、自然と人間との新陳代謝を通して、自然力の一部分としての労働力へ置き換えられた。だから資本主義は世界を絶え間ない祝祭空間へ変えたという意味で、資本の人格化としてのただ単なる資本家より遥かに高度な頭脳を持っていたわけだ。この点についてマルクスはこういっている。
「《自然》もまた労働と同じ程度に、諸使用価値の源泉である(じっさい、物象的な富はかかる諸使用価値からなりたっているではないか!)。そしてその労働はそれじたい、ひとつの自然力すなわち人間的な労働力の発現にすぎない」(マルクス「ゴータ綱領批判・P.25」岩波文庫)
バリに戻ろう。
「そこにはわれわれがその鍵をもたない儀式的身振りの集積があって、しかもそれは極端に厳密な音楽的限定に従っているようなのだが、普通は音楽に属さず、思考を包み込み、それを追いかけ、錯綜した確実な組織網のなかにそれを導くように定められた何かをさらにともなっている」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.92』河出文庫)
音楽的というだけでなく「極端に厳密な音楽的限定」があるようにおもわれると述べる。「確実な組織網」へ導かれるよう規程されているのだが、しかし一方でそれは「錯綜」している。ベルクソンの記述を思い起こさせないだろうか。
「多様性の二つの形式、持続のまったく異なる二つの評価、意識的生活の二つの様相を区別することにしよう。注意深い心理学は、真の持続の延長的記号たる等質的持続の下に、その異質的な諸瞬間が相互に浸透し合う持続を見分ける。また、それは、意識的諸状態の数的多様性の下に質的多様性を、はっきり規定された諸状態にある自我の下に継起が融合と有機的一体化を含むような自我を、見分ける」(ベルクソン「時間と自由・P.153~154」岩波文庫)
「多様性/統一性」の融合という運動状態。ベルクソンは異質でありながらも相互に浸透し合う多様性について述べているわけである。
「たしかにこの演劇におけるすべては素敵な数学的綿密さをもって計算されている。偶然や個人的自発性に委ねられるものは何もない。それは一種の高度なダンスであり、ダンサーは何よりもまず俳優なのだ」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.92』河出文庫)
アルトーが驚きをもって言う「俳優」としての「ダンサー」。これはニーチェがヨーロッパ文化をからかって述べた「俳優」の意味とは根本的に違っている。もっとも、ニーチェの場合は欧米人の傲慢さを最初から熟知していたがゆえにそう言って揶揄することができたわけだが。それでもなおアルトーは改めて驚嘆せずにはおれない。「個人的自発性に委ねられるものは何もない」だけでなく「数学的綿密さをもって計算されている」と。ゆえにバリ島演劇におけるあらゆる身振り仕草の中に、それを演じる俳優の個人的感情が自分本位に侵入してくることは厳密に禁じられている。「感情を交えずとり行なう」ことがとことん要求される。欧米のキリスト教との比較においてベイトソンはいう。
「バリ島の宗教を調査すれば、その外観は(ひざまづいて祈り、香を焚き、吟唄の合間に鐘の音をさしはさむなど)われわれのとよく似ているのに、儀式に臨む感情のあり方は根本から違っていることが見て取れる。キリスト教では、宗教儀式にしかるべき感情をもって臨むことが重要視されるのに対し、バリでは、あらかじめ決まった行為を機械的に、感情を交えずとり行なうのがよいとされる」(ベイトソン「精神の生態学・P.240」新思索社)
形式的な身振り仕草が要求されている点では同じように見えていても、その内容はまるで違う。バリでは祝祭にともなうトランス状態に重きが置かれている。それは明らかだとしてもなおそこには「数学的」に見えるほどの規則性、周期性、回帰性を見出すことができる。ただ単なる形式ばかりのものではない。祝祭を通して定期的に更新される自然と人間との新陳代謝は、規則的な「同一的なもの」を保ちつつ同時に「差異的なもの」をも反復させるという慎重な計算に基づく儀式性を生きることで達成されるのである。
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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「おおむねみなドイツの札に勝ち目はないと知りつつも、まだこっそりそれに賭けていた。弾丸がそこから雨あられと飛び出してくる壁という壁に手配書が貼り出されている自動車に乗って、彼らはパリ市中や地方を駆けめぐるのだった」(ジュネ「葬儀・P.373」河出文庫)
なぜジュネがそうなのかは繰り返し述べられる。といっても脈略なく唐突に説明として挿入される。それはジュネ固有の「詩」(ポエジー)から到来するのだ。
「詩(ポエジー)は、彼の、泥棒という境涯への最も深い自覚にあるのだ。もちろん、泥棒以外のいかなる境涯でも、その人間に名称を与えるほどに本質的になることができる自覚ならば、それもまた同様に詩(ポエジー)であろう。しかし、いずれにしろ、わたしの独異性への自覚が、盗みという一つの非社会的活動によってよばれるということはよいことである」(ジュネ「泥棒日記・P.358」新潮文庫)
したがって次のような意識の流れを取る。意識がそのように流れたとしても何の不思議もない。
「なんの愛情も感じていない落ちぶれた主人のために地下に潜ってまで戦闘を続けるならず者たちに私はいまもって感嘆の念を禁じえない」(ジュネ「葬儀・P.373」河出文庫)
濃厚な血の臭いが漂うパリ。結末は誰もが知っている通りだが、その前に流血というものもあるわけだ。ジュネの回想の中でジャンの葬儀のシーン、聖餐の場面が還ってくる。というのは、ジュネはこれからジャンを自分の一部分に含む、というよりジャンの一部分に《なる》からである。
「木のテーブルにひとり腰かけて私は、死んだ裸のジャンが、自分で自分の死体を両腕にかかえ、私のところへ運んでくるのを待っていた。フォークとナイフを手にして、私は奇妙な宴会の主賓をつとめていた、この席で私はこれから特上の肉を平らげにかかるところだった」(ジュネ「葬儀・P.377~378」河出文庫)
一方ベイトソンは、パターン化された形式において常に起こり得る「土地と地図」との混同というような過失を犯さないよう、ひとこと注意を促している。次のように錯覚が修正を受けないまま記憶されるというような場合。
「人間の様々な行動、とりわけ精神の一次過程が強く発現される宗教的・儀礼的な場においては、ものの名前と名づけられたものとが、しばしば同一になる。パンは聖体そのものになり、ブドウ酒はキリストの血そのものになる」(ベイトソン「精神の生態学・P.536」新思索社)
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さて、アルトー。ヘリオガバルスは「民衆」の裏切りに直面する。だからといって民衆を虐殺しようとするわけではない。反乱を起こすだけだ。太陽信仰の皇帝であるヘリオガバルスは地下工作に長けた不実なキリスト教徒ユリア・マンマエアとは違うのである。
「彼ははじめて反乱を起こすが、しかし彼、ヘリオガバルスを愛し、彼の気前のよさにつけ込んだ民衆、さらにその貧困に彼が涙したこともあった民衆をこの若い童貞の皇帝に抗して扇動する代わりに、あいかわらずひとりの踊り子が指揮する親衛隊によって彼を暗殺させようとするのだ、しかし親衛隊の謀叛の口火が切られていることに気づきもせずに」(アルトー「ヘリオガバルス・P.204~205」河出文庫)
ヘリオガバルスはこのとき一命を取り留める。その際、両者の間に入り、もったいぶって仲介するのはユリア・マンマエアである。自分でじわじわ煽り立て組織化した軍隊を用いてこっそりヘリオガバルスを包囲することに成功していたからこそ仲介に入ることができたわけだが。
「ヘリオガバルスは既成事実を受け入れることもできただろうし、自分が嫉妬しているこの蒼白い皇帝、民衆の愛を勝ちとってはいないにしても、少なくとも軍人や警察やお歴々の愛を得ているこの皇帝を自分のそばに置いて我慢することもできただろう」(アルトー「ヘリオガバルス・P.205」河出文庫)
なるほどヘリオガバルスにはマンマエアに大幅に譲歩することで生き延びていくという方法が残されていた。しかし一旦皇帝になった身分で、一体どこの誰が生涯に渡ってそのような途方もない屈辱を舐めさせられ徹底的に嘲笑され、宮廷の中で雑巾掛けを命じられればただちにそれに従うといった生き方ができるだろうか。既成事実を受け入れるかどうか。しかしヘリオガバルスにとって問題にならない。
「それどころかまさにここでヘリオガバルスは彼のすべてを見せるのである。すなわち規律を守らぬ狂信的精神、真の王、反逆者、猛り狂った個人主義者を」(アルトー「ヘリオガバルス・P.205」河出文庫)
皇帝というのは、周囲から見て「狂信的」であろうとなかろうと「真の王」でなくてはならない。ヘリオガバルスは全力で「反逆者」に《なる》。体制がマンマエアの側に裏返されたからそうなったわけだが、そのことでヘリオガバルスは、本当の、「猛り狂った個人主義」を見せつけるのだ。皇帝とはそうでなくてはならない。そして最後まで「反逆」として、「移動する強度/強度の移動」として振る舞わなければならない。惨めな死に方をしたことは有名だとしてもなお、ローマ帝国を皇帝自らの手で転倒させた力への意志として、ヘリオガバルスは永遠にアナーキーをまっとうすることになる。他のどの皇帝にそこまでできる力があったというのだろうか。「いい子」ぶって見せても何一つ始らないのだ。
ーーーーー
バリ島演劇で噴出する過剰な力の氾濫。にもかかわらずそれは奇妙な統制を受けているように見える。アルトーはバリ島演劇について「正面から近づくことのできない何かである」という。それは「われわれがその鍵をもっていないらしい言語でできている」。そこでは「別様の感じ方」が実際に生きられているということだ。
「どれもが互いにより豊かであろうとする過剰な印象によってわれわれに襲いかかるこのスペクタクルは、正面から近づくことのできない何かであるが、しかしそれはわれわれがその鍵をもっていないらしい言語でできている」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.90』河出文庫)
正面から近づくことはできない。言い換えれば、「われわれがその鍵をもっていないらしい言語でできている」。ニーチェなら「別様の感じ方」というだろう。欧米ではすでに手厚く排除され破滅させられてしまったものである。
「私は、戸外へ歩み出て、どんなすばらしい明確さをそなえて一切のものが私たちに作用をおよぼすか、たとえば森がそうであり山もそうである、と考えて、また、一切の感覚に関して、私たちのうちにはまったくなんらの混乱、見誤り、躊躇もないということを考えて、いつも驚くのである。それにもかかわらず、はなはだしい不確実性と何か混沌としたものが現存していたにちがいなく、途方もなく長い時間をかけて初めてそういった一切のものはそのように《確固とした》相続物になったのである。空間的間隔、光、色等々に関して本質的に別様の感じ方をした人間たちは、排除されてしまい、うまく繁殖することができなかったのだ。こういう《別様の》感じ方は、何千年もの長い間『《狂気》』と感じられて忌避されたに《ちがいない》のだ。人々はもはや互いに理解し合わず、『例外』を排除し、破滅させたのだ。一切の有機的なものの始まり以来或る途方もない残酷さが現存してきた、つまり『《別様の感じ方をした》』一切のものが排除されてきたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・八九・P.63」ちくま学芸文庫)
とはいえ、絶えず流動して止まないすべての力はどこへ行ったのか。どこへ行ってどんな姿形で生き延びているのか。もし生き延びていないとすれば欧米はとっくの昔にありとあらゆる強度を失い消滅していたに違いないからである。力は流動している。そしてそれは絶え間ない変化を遂げている。どういうことか。要するに、有り余る力の流れは、自然と人間との新陳代謝を通して、自然力の一部分としての労働力へ置き換えられた。だから資本主義は世界を絶え間ない祝祭空間へ変えたという意味で、資本の人格化としてのただ単なる資本家より遥かに高度な頭脳を持っていたわけだ。この点についてマルクスはこういっている。
「《自然》もまた労働と同じ程度に、諸使用価値の源泉である(じっさい、物象的な富はかかる諸使用価値からなりたっているではないか!)。そしてその労働はそれじたい、ひとつの自然力すなわち人間的な労働力の発現にすぎない」(マルクス「ゴータ綱領批判・P.25」岩波文庫)
バリに戻ろう。
「そこにはわれわれがその鍵をもたない儀式的身振りの集積があって、しかもそれは極端に厳密な音楽的限定に従っているようなのだが、普通は音楽に属さず、思考を包み込み、それを追いかけ、錯綜した確実な組織網のなかにそれを導くように定められた何かをさらにともなっている」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.92』河出文庫)
音楽的というだけでなく「極端に厳密な音楽的限定」があるようにおもわれると述べる。「確実な組織網」へ導かれるよう規程されているのだが、しかし一方でそれは「錯綜」している。ベルクソンの記述を思い起こさせないだろうか。
「多様性の二つの形式、持続のまったく異なる二つの評価、意識的生活の二つの様相を区別することにしよう。注意深い心理学は、真の持続の延長的記号たる等質的持続の下に、その異質的な諸瞬間が相互に浸透し合う持続を見分ける。また、それは、意識的諸状態の数的多様性の下に質的多様性を、はっきり規定された諸状態にある自我の下に継起が融合と有機的一体化を含むような自我を、見分ける」(ベルクソン「時間と自由・P.153~154」岩波文庫)
「多様性/統一性」の融合という運動状態。ベルクソンは異質でありながらも相互に浸透し合う多様性について述べているわけである。
「たしかにこの演劇におけるすべては素敵な数学的綿密さをもって計算されている。偶然や個人的自発性に委ねられるものは何もない。それは一種の高度なダンスであり、ダンサーは何よりもまず俳優なのだ」(アルトー「バリ島の演劇について」『演劇とその分身・P.92』河出文庫)
アルトーが驚きをもって言う「俳優」としての「ダンサー」。これはニーチェがヨーロッパ文化をからかって述べた「俳優」の意味とは根本的に違っている。もっとも、ニーチェの場合は欧米人の傲慢さを最初から熟知していたがゆえにそう言って揶揄することができたわけだが。それでもなおアルトーは改めて驚嘆せずにはおれない。「個人的自発性に委ねられるものは何もない」だけでなく「数学的綿密さをもって計算されている」と。ゆえにバリ島演劇におけるあらゆる身振り仕草の中に、それを演じる俳優の個人的感情が自分本位に侵入してくることは厳密に禁じられている。「感情を交えずとり行なう」ことがとことん要求される。欧米のキリスト教との比較においてベイトソンはいう。
「バリ島の宗教を調査すれば、その外観は(ひざまづいて祈り、香を焚き、吟唄の合間に鐘の音をさしはさむなど)われわれのとよく似ているのに、儀式に臨む感情のあり方は根本から違っていることが見て取れる。キリスト教では、宗教儀式にしかるべき感情をもって臨むことが重要視されるのに対し、バリでは、あらかじめ決まった行為を機械的に、感情を交えずとり行なうのがよいとされる」(ベイトソン「精神の生態学・P.240」新思索社)
形式的な身振り仕草が要求されている点では同じように見えていても、その内容はまるで違う。バリでは祝祭にともなうトランス状態に重きが置かれている。それは明らかだとしてもなおそこには「数学的」に見えるほどの規則性、周期性、回帰性を見出すことができる。ただ単なる形式ばかりのものではない。祝祭を通して定期的に更新される自然と人間との新陳代謝は、規則的な「同一的なもの」を保ちつつ同時に「差異的なもの」をも反復させるという慎重な計算に基づく儀式性を生きることで達成されるのである。
さらに、当分の間、言い続けなければならないことがある。
「《自然を誹謗する者に抗して》。ーーーすべての自然的傾向を、すぐさま病気とみなし、それを何か歪めるものあるいは全く恥ずべきものととる人たちがいるが、そういった者たちは私には不愉快な存在だ、ーーー人間の性向や衝動は悪であるといった考えに、われわれを誘惑したのは、《こういう人たち》だ。われわれの本性に対して、また全自然に対してわれわれが犯す大きな不正の原因となっているのは、《彼ら》なのだ!自分の諸衝動に、快く心おきなく身をゆだねても《いい》人たちは、結構いるものだ。それなのに、そうした人たちが、自然は『悪いもの』だというあの妄念を恐れる不安から、そうやらない!《だからこそ》、人間のもとにはごく僅かの高貴性しか見出されないという結果になったのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・二九四・P.309~340」ちくま学芸文庫)
ニーチェのいうように、「自然的傾向を、すぐさま病気とみなし」、人工的に加工=変造して人間の側に適応させようとする人間の奢りは留まるところを知らない。昨今の豪雨災害にしても防災のための「堤防絶対主義」というカルト的信仰が生んだ人災の面がどれほどあるか。「原発」もまたそうだ。人工的なものはどれほど強力なものであっても、むしろ人工的であるがゆえ、やがて壊れる。根本的にじっくり考え直されなければならないだろう。日本という名の危機がありありと差し迫っている。
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