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白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・オルガの説明が語る<置き換え>とスターリニズムの蔓延

2022年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム
オルガの説明にこんな言葉が差し挟まれている。

「『お役人たちは、たいてい代理しあっています。だから、ひとりひとりの役人の管轄事項がよくつかめないんです』」(カフカ「城・P.313」新潮文庫 一九七一年)

城の役人たちは一つの職務を<代理>しあうことができる。一つの職務について、或る役人を別の役人に置き換えることはたいてい可能である。そうオルガは語る。しかしオルガは「だから、ひとりひとりの役人の管轄事項がよくつかめない」と思い込んでいる。ところが一つのポストについて他の役人でも置き換え可能なのは、そうすることで「管轄事項がよくつかめない」状態に陥るというわけではなく、逆に「管轄事項がよくつかめない」他の役人でも置き換え可能な程度の職務内容ばかりだらだら揃っているからである。しかしなぜ置き換え可能になったのか。あらかじめ前提条件が出来上がっていなくてはならない。言い換えれば、どの役人も<人間>であるという条件が前提されていなくてはならない。それはどのように達成されたのか。ニーチェはいう。

「これこそは《責任》の系譜の長い歴史である。約束をなしうる動物を育て上げるというあの課題のうちには、われわれがすでに理解したように、その条件や準備として、人間をまずある程度まで必然的な、一様な、同等者の間で同等な、規則的な、従って算定しうべきものに《する》という一層手近な課題が含まれている。私が『風習の道徳』と呼んだあの巨怪な作業ーーー人間種族の最も長い期間に人間が自己自身に加えてきた本来の作業、すなわち人間の《前史的》作業の全体は、たといどれほど多くの冷酷と暴圧と鈍重と痴愚とを内に含んでいるにもせよ、ここにおいて意義を与えられ、堂々たる名分を獲得する。人間は風習の道徳と社会の緊衣との助けによって、実際に算定しうべきものに《された》」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.64」岩波文庫 一九四〇年)

ニーチェが「算定しうべきものに《された》」というのは資本主義国家であろうとなかろうと、ソ連、中国、日本、アメリカ、いずれの国家であっても同様に、もともと自然に存在していた土地であれ人間自身であれ、辺りかまわず「数値化しうべきものに《された》」ということを意味している。数値化されなければそもそも労働力の価値も価格も算出することができない。自然の景観を見るためになぜ入場料や拝観料がいるのか。入場料や拝観料という規定はその土地の景観が自然にできたものであってもすぐさま人間社会の基準で計測され「数値化」された上でその維持管理が図られている限りで必要不可欠な価値物として貨幣に換算された価格である。基準の導入と現場の「数値化」がなされていないところはもはやどこにもない。世界中どこでも不動産として交換可能である。公共的維持管理がほとんど図られていない放置状態の場所でも公的調査を済ませていない土地はなく、従って所有権が成立しており、ゆえにいつどこの誰であれ買い手が現れることはできるし、また領土問題に差し障りのない限りその土地は実際に買われていく。要するに「数値化すること」は「均質化すること」だ。

例えば、いったん「人間」として承認されるや<人間>としては「均質である」とされるがゆえに或る女性と別の女性、さらには第三、第四の女性たちを並べ立てて比較し大騒ぎする「ミスコン」も始めて可能となった。いっとき「女性アナウンサーの登竜門」と言われた「ミスコン」。ニーチェに言わせれば「洗練されて元の意味が覆い隠されてしまった人身売買」に過ぎないと嘲笑うだろう。<真理>とは何かについてニーチェがこう述べたように。

「真理とは、錯覚なのであって、ただひとがそれの錯覚であることを忘れてしまったような錯覚である。それは、使い古されて感覚的に力がなくなってしまったような隠喩なのである。それは、肖像が消えてしまってもはや貨幣としてでなく今や金属として見なされるようになってしまったところの貨幣なのである」(ニーチェ「哲学者の書・哲学者に関する著作のための準備草案・P.354」ちくま学芸文庫 一九九四年)

またフロイトが或る人間を<正気>とし別の人間を<狂気>として「分割する」ことができたのはなぜか。両者ともにあらかじめ<人間>としては「均質である」とされていたからである。フーコーはいう。

「十九世紀の精神医学全体が実際にフロイトという一点へ集中する。彼こそ、医師-病人の組み合せの現実をまじめに受けいれた最初の人であり、その現実から自分の視線と研究とをそらせないことに同意し、その現実を多少とも他の医学的認識と釣合いを保っている一つの精神医学理論のなかに隠そうと努めなかった最初の人、この現実のもたらす結論をきわめて厳密にたどってきた最初の人である。フロイトは、保護院の他のすべての構造の欺瞞を解いた。すなわち、例の沈黙と視線をなくしてしまい、自分自身の光景をうつす鏡のなかでの、狂気じたいによる狂気の認識をやめさせ、有罪宣告をおこなう審判を中止させた。だがそのかわりに、医学的人間をつつむ構造を充分に活用して、その人間の魔術師としての力を増加し、その全能の力にほとんど神のごとき地位をあたえた。この医学的人間のうえに、つまり、完全な現存であるのに不在という形をとって、病人のかげで、そして病人のうえに目をつかむようにしているこの唯一の現存のうえに彼が移しかえたのは、狂人保護院の集団生活のなかにばらばらに区分けされてきた、すべての力であった。彼はそれらを、絶対的な<視線>、純粋でいつも表に出さぬ<沈黙>、言語活動にまで達しない審判によって罰し償う<審判者>に化した。彼はそうした力を鏡、そこでは狂気がほとんど不動の動きのなかで自分に夢中となり、そして自分から離れる鏡と化した。ピネルとテュークが監禁のなかで模様替えしてしまったすべての構造を、フロイトは医師のほうへ移動させたのである。彼ら《解放者たち》が実は病人を疎外してきた保護院の生活から、フロイトは病人を解きはなった。とはいっても、この生活のなかにあった根本的なものから解きはなったのではない。彼はその生活のさまざまの力を集めなおし、それらを最大限に緊張させて、医師の手のなかで結びあわせた。彼は精神分析という状況をつくりだしたのであり、そこでは天才的な一種の短絡的手段によって、錯乱(=疎外)がその解消になるのである。なぜなら、医師において、それは主体となるのだから」(フーコー「狂気の歴史・第三部・第四章・P.530」新潮社 一九七五年)

このようなのっぴきならない事情を「ミスコン」に相当するものとしてそのイデオロギーを引き直してみる操作はいともたやすい。女性としては同じでもグランプリは「正気」であり準ミスは「やや狂気」でありその他おおぜいは正気を失いかけて「もはや狂気に等しい」ということになるだろう。そして審査に関わったすべての関係者は参加者の「錯乱(=疎外)」につけこんでこっそり<主体>の位置を占めていると十分言うことができる。参加者が<主体>を奪われている限りで市場価格は参加者の身体を離れて乱高下する。一度グランプリや準ミスになってしまうとそれが履歴に登録される。登録されるやその履歴は参加者の<身体を離れて>世界中で売りに出される。しかも売りに出されているのは<本人の身体>である。自分の身体は自分から乖離してもはや商品として貨幣換算されていくばかりだ。しかし参加者自身は自ら<主体的に>参加していると思い込んで疑うということを知らない。その程度で大学生になってしまえる事情が今の日本の教育水準の救いようのない低さと甘さとを自己暴露して余すところがない。

明治近代日本が極貧だった頃に大量発生した<からゆきさん>や一九八〇年代バブル期に東南アジアで大量発生した<ジャパゆきさん>は貧困ゆえに生じてきたあからさまな人身売買だった。ところが今の日本の「ミスコン」は貧困ゆえに開催しなくてはならない必要不可欠な行事なのだろうか。疑問でしかない。これまで何度も指摘されてきたわけだが、にもかかわらずなぜ主に東京に集中するブランド化した私立大学では日本政府の私学助成金を受け取っておきながら、さらに変われる機会が何度もありながらすっかり変わっておかなかったのだろうか。理事会も教授会もともに腐り切っているかのようだ。

さてオルガは、或る日に村で恒例行事があった時、妹のアマーリアが城の役人・ソルティーニの呼び出しに応じなかった経緯について語る。手紙によるソルティーニの要求はすぐ縉紳館(しんしんかん)へ来るようにというもの。アマーリアの体はすでにソルティーニのものになったとソルティーニ自身が書いたも同然であり、その手紙がどれほど出し抜けに思えてもソルティーニの要求をむげに断ることはオルガも含めて一家の破滅を意味する。だがオルガの弟バルナバスは城の機構への出入りが許されている。余計にバルナバスは一家のために慎重に振る舞うよう強いられる。バルナバスは自分の周囲のどれ一つ取っても過剰なほど疑い深い目を向けずにはいられない。一家と城とを繋ぐ家の一員として、Kとクラムとの関係も考えられ得る限り良好な状態に保っておかなくてはならない。何重にも拘束された精神状態のまま村八分になった一家を支えるほかない。村八分になったのはアマーリアが城の役人・ソルティーニの性奴隷になることを断ったからだ。アマーリアにすればもっともな態度に思える。しかしソルティーニが城の役人である以上、アマーリアが取った態度は村全体から見れば途方もない思い上がりでしかなく軽蔑に値するというわけだ。

「『ええ、それをまだ申しあげていませんでしたわね。手紙は、ソルティーニから来たもので、ざくろ石のネックレスをしていた娘さんにというあて名になっていました。わたしは、その内容をいまそっくり申しあげることはできませんわ。要するに、縉紳館(しんしんかん)にいる自分のところに来るようにという要求で、それも、すぐに来てもらいたい、自分は半時間後にはここを出ていかなくてはならないのだから、というものです。文面は、おそろしく下品な表現がしてあって、わたしは、それまでにこんな言葉を耳にしたこともなく、前後関係からこういうことなのだろうと半分ぐらい推量するのが、関の山でした。アマーリアを知らない人がこの手紙だけを読んだら、こんな手紙を男からもらうような娘は、よしんば男に手をふれられていないとしても、ふしだら娘だと考えてしまうにちがいないでしょう。それに、これは、愛の手紙というようなものではありませんでした。女性をうれしがらせるような言葉は、どこにも書いてないのです。むしろソルティーニは、アマーリアを見てこころをとらえられ、仕事ができなくなってしまったので、あきらかにそのことに腹にすえかねたにちがいありません。わたしたちは、あとでこの手紙を解釈して、ソルティーニはたぶんすぐにお城へ帰るつもりでいたのだけど、アマーリアのことがあったので村に残ることにした、ところが、夜になってもアマーリアのことを忘れ去ることができなかったので、翌朝腹だちまぎれにこの手紙を書いたのだろう、と考えることにしました。こんな手紙をもらったら、どんなに冷血なひとだって、最初は憤慨するにちがいないでしょうが、アマーリア以外の女性なら、やがてその意地わるい、おどすような調子が心配になって、怖ろしいという気持のほうがたぶん優勢になったにちがいありません。けれども、アマーリアの場合は、いつまでも憤慨したままでした。あの子は、自分のためにせよ、ほかの人たちのためにせよ、不安や心配というものを知らないのです。やがてわたしは、まだベッドにもぐりこんで、尻(しり)切れとんぼになっている手紙の結びの文句ーーー<だから、すぐに来てもらいたい。さもないとーーー!>という文句を何度もくりかえしていました。そのあいだ、アマーリアのほうは、窓ぎわの長椅子にすわったまま、まだまだ使者が来るのを待っていて、来ればどの使者だって最初の使者とおなじ目にあわせてやるぞといわんばかりに、外をながめつづけていました』」(カフカ「城・P.320~321」新潮文庫 一九七一年)

手紙の文章についてオルガが少しばかり述べている。「<だから、すぐに来てもらいたい。さもないとーーー!>」。そう聞かされたKはそれこそ役人のやり方なんだと非難する。けれどもオルガにしてみればKの言葉はまるでむなしい。なぜだろうか。カフカはソ連の内部を知らない。だが官僚制というものがどういうものかは嫌というほど熟知していた。ボヘミアの労働者傷害保健協会が職場だったカフカは労働現場で事故が起きた際に様々なチェック項目を逐一査定していく。自分自身の身体がその身体のままで一つの官僚制度を代表していた。今の日本でも保険会社と契約する際や事故が発生した際には「何これ?」と首をひねらざるを得ないような煩雑この上ない質問事項が幾重にも打ち重なっている。さらに規定が実にしばしばころころとよく変わる。言語と金銭とを取り扱う機関の規定が自惚れきった政治家の言葉のようにめまぐるしく移り変わっていいものだろうか。「民間の官僚化と官僚の民間化」の実態について、日本政府はまるで知らないか知っていてもそんなものだろうという程度にしか映って見えていないのかもしれない。だがそれぞれにごく普通の暮らしを営んでいる市民の目にはあたかも戦国時代末期の生存競争のような下品な方法があちこち往来している光景に直面している。そして問題の「<だから、すぐに来てもらいたい。さもないとーーー!>」。カントはいう。

「何びとかが彼の情欲について、『もし私の愛する対象とこれを手に入れる機会とが現われでもしたら、そのとき私は自分の情欲を制止し兼ねるであろう』と揚言しているとする。しかし彼がこのような機会に出会った当の家の前に絞首台が立てられていて、彼が情欲を遂げ次第、すぐさまこの台の上にくくりつけられるとしたら、それでも彼は自分の情欲を抑制しないだろうか。これに対して彼がなんと答えるかを推知するには、長考を要しないであろう。しかしこんどは彼にこう問うてみよう、ーーーもし彼の臣事する君主が、偽りの口実のもとに殺害しようとする一人の誠忠の士を罪に陥れるために彼に偽証を要求し、もし彼がこの要求を容れなければ直ちに死刑に処すると威嚇した場合に、彼は自分の生命に対する愛着の念がいかに強くあろうとも、よくこの愛に打ち克つことができるか、と。彼が実際にこのことを為すか否かは、彼とても恐らく確言することをあえてし得ないだろう、しかしこのことが彼に可能であるということは、躊躇なく認めるに違いない。すなわち彼は、或ることを為すべきであると意識するが故に、そのことを為し得ると判断するのである、そして道徳的法則がなかったならば、ついに知らず仕舞であったところの自由を、みずからのうちに認識するのである」(カント「実践理性批判・第一部・第一篇・第一章・第六節・P.71~72」岩波文庫 一九七九年)

カントの立論についてラカンは次のように述べる。第一の命題はカントがいかに「お人好し」かを証明することになってしまっている点でほほえましいといえるが、第二の命題は政治がらみであるがゆえにただならぬ問題系と接続されており極めて今日的な意義を持っている。とりわけ日本で。

「彼の例証が二つの寓話からなることを思い出してください。最初の寓話は、欲望している婦人と不法に情交を結ぶなら出口で処刑されてしまう男の話です。『不法に』ということを強調しておくことは無駄ではありません。見たところ最も単純な細部がここで罠の役割を果しているからです。第二の寓話は、専制君主の宮廷で生活している男が、ある人が命を落とすことになる偽証をするか、偽証を拒んで自分が処刑されるか、という二者択一の立場におかれるというものです。

これについてカントは、カント先生は、全く無邪気に、彼の無邪気な手管でもって、最初の話には、良識のある人ならば誰でも否と答えると言います。誰も美女と一夜を過すために自分の命を賭けたりはしない、なぜならこれは美女を賭けた決闘ではなく、絞首刑にされるのだから。カントにとって、これはあたりまえのことです。

後のケースでは別です。偽証から得られる快楽とか、偽証の拒絶によって課せられる刑罰の残酷さとはまったく別に、主体がここで立ち止まり、思案することは確実であり、偽証するぐらいなら主体がいわゆる至上命令の名のもとに死を受容することも考えられる、とカントは言います。実際、他人の財産(善)、生命、名誉の侵害が、普遍的な規則になるや、人間の世界すべては混乱と悪のうちに投げ込まれるだろう、と彼は言うのです。

ここで立ち止まってこれを批判することはできないでしょうか。

最初の寓話がハッとされられるのは、女性との一夜がパラドキシカルにも、被るべき罰と天秤にかけられ、この刑罰と釣り合う快楽として提示されているからです。快楽にはプラスの快楽とマイナスの快楽があります。最悪の例は挙げませんが、カントは『負量の概念』において、名誉の戦死をとげた息子の死を伝えられたスパルタ人の母親の感情について語っていて、そこで一門の栄誉という快楽から息子の死という苦痛を差し引くという算術計算を行っています。なかなか可愛いものです。しかしながら、見方を変えれば、女性との一夜を、快楽という項目から享楽という項目へと、つまり死の受容を含意する享楽へとーーーしかもこのため昇華は必要ありませんーーー移行させれば、この寓話は成立しなくなります。

言いかえますと、享楽が悪であるというだけで事態の局面は全く変り、道徳的法則の意味が完全に変えられるのです。お解りでしょう。道徳的法則がここで何らかの役割を果たしているとしたら、道徳的法則がこの享楽の支えとなり、罪が、聖パウロが並外れた罪人と呼ぶものになることの支えとなるからです。これをカントはここで見落としているのです。

もう一つ見落としがあります。その論理には、ここだけの話ですが、微細な誤謬があり、これを誤認してはなりません。後者の話は前者とは少し異なった条件で提示されています。第一の場合は、快楽『と』刑罰をひとまとめにして、やるか、やらぬか、が問題です。だから人は危険には身をさらさず享楽を断念するわけです。第二の場合は快楽か『それとも』刑罰かどちらかです。これを強調しておくのは重要です。というのは、この選択は『ましてやafortiori』という効果を宿命的に付加し、問題の真の射程という点で皆さんを罠にかけるからです。

問題は何でしょう。普遍的規則の言表に則れば私が、私の同胞という限りでの他者の権利を侵害することなのでしょうか。それとも、偽証それ自体がいけないことなのでしょうか。

ちょっと例を変えて見るとどうなるでしょう。次のような場合の証言について考えてみましょう。国家の安全保障を侵害するという活動のかどで、私の隣人、私の兄弟を告発するよう命令されたとすると、私の良心はどうなるでしょう。これだけで普遍的規則に置かれたアクセントをずらすことになるでしょう。

さて、善の法則は悪においてのみ悪によってのみあるとさしあたり主張している私は、この証言をすべきでしょうか。

この<法>によって、隣人の享楽が、こういう証言において私の義務の意味が動揺し揺れ動く要の点となります。私は真理という私の義務へ向かうべきでしょうか。義務は私の享楽の本来的な場を、たとえその場が空であれ、保護します。それとも私は嘘に甘んじるべきでしょうか。嘘は、私の享楽という原則を善と入れ代えさせ、私に時によって相手によって言を左右にすることを命じます。つまり、私はたじろいで隣人を裏切り同胞を生かすか、それとも私は、私の同胞を守るという口実で自分の享楽を諦めるか、いずれかということになります」(ラカン「精神分析の倫理・下・14・隣人愛・P.36~38」岩波書店 二〇〇二年)

オルガの口から漏れた手紙の文面「さもないと」。ラカンがカントの命題の中に見出した第二の場合とそっくりそのままであるにもかかわらず今さら誰一人驚かない。少なくとも日本では「驚くということ」を余りにも忘れ去り過ぎてしまっているように思える。不思議なことだ。例えば或る職場で、はっきり発語されてはいなくても、慣例上、一人の国家公務員に向けて上司が「さもないと」、という意味の圧力をかけた場合、次に続く言葉の意味は「《ましてや》」どんなおぞましい事態が待ち受けているか、というスターリニズムが一挙に満開になるようなケースである。この種の問題の問題性には大企業か中小企業か官公庁かなどまるで関係がない。「《ましてや》」を意味する空気が漂った瞬間、すでにその場はスターリンの高笑いに支配されているのと何ら違わないからである。なお、中国の人権問題は何もウイグル自治区だけに限った話ではない。一つ一つ慎重に解決していけばいくほど今度はアメリカの人権侵害が大きく目立ってくる。ロシアも日本も北朝鮮も。

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