女性教師の怒りが少しおさまったところでKの側も猫に引っかかれた手の甲を生徒たちに見せてみる。しかし「引っかいた/引っかかれた」関係が直接的に子供たちの関心を引くわけではない。Kは与えられた仕事へさっさと戻ることにする。
「『さあ、仕事にかかりなさい』と、彼女は、いらいらした調子で言って、ふたたび猫のほうにかがみこんだ。助手たちといっしょに並行棒のうしろからなりゆきを見守っていたフリーダは、血を見ると、悲鳴をあげた。Kは、学童たちに手を見せながら、『ごらん、あの意地のわるい、ずる賢い猫のしわざだよ』。むろん、子供たちをおもしろがらせるために言ったのではなかった。子供たちのわめき声や笑い声は、もうとどまるところを知らず、これ以上さそい水をかけたり、油をそそいだりする必要はなかったし、なにか言ったところで、言葉がきこえるわけでもなければ、反響をよぶわけでもなかった。しかし、女教師のほうも、ただちらりと横眼をつかってKの侮辱に答えただけで、あとは猫の世話にかかりきり、したがって、どうやら最初の怒りは、罰に血をながさせたことで満足できたようだったので、Kは、フリーダと助手たちを呼びだし、仕事がはじまった」(カフカ「城・P.219~220」新潮文庫 一九七一年)
この箇所で子供たちは精一杯の喚き声と笑い声とで応じる。「子供たちのわめき声や笑い声は、もうとどまるところを知らず」というふうに。<子ども>の系列から忽然と湧き起こる意味のない無意味な騒音に等しいノイズの反響。まるで意味のない無意味なノイズは、しかしKの言葉とは違い女性教師の発言とも異なっている点で<子ども>にのみ許された紛れもない特権的ノイズであることを見逃すわけにはいかない。「審判」のKは画家のアトリエへ入るため、是非とも画家の部屋の前辺りで遊び廻っている<子ども>たちを無視するわけにはいかない。というのも画家の住居がどこにあるのか正確に知っているのはなぜか<子ども>たちだけに絞られているからである。騒音に過ぎずノイズに過ぎない風のようなもの。それは瞬時にどっと吹きつけどよめき叫ぶ。荘子はいう。
「子游曰、敢問其方、子綦曰、夫大塊噫気其名爲風、是唯无作、作則萬竅怒号、而獨不聞之翏翏乎、山陵之畏佳、大木百圍竅穴、似鼻、似口、似耳、似枅、似圈、似臼、似洼、似汚、激者、号者、叱者、吸者、叫者、号者、深者、咬者、前者唱于、而隨者唱喁、泠風則小和、飄風則大和、厲風濟則衆竅爲虚、而獨不見之調調之刀刀乎
(書き下し)子游(しゆう)曰わく、敢(あ)えて其の方(さま=状)を問わんと。子綦曰わく、夫(そ)れ大塊(たいかい)の噫気(あいき)は其の名を風と為(な)す。是(こ)れ唯(ただ)作(お=起)こるなし、作これば則(すなわ)ち万竅怒号(ばんきょうどごう)す。而(なんじ)は独(まさ)にこの翏翏(りゅうりゅう)たるを聞かざるか。山陵の畏佳(いし)たる、大木百囲の竅穴(きょうけつ)は、鼻に似、口に似、耳に似、枅(さけつぼ)に似、圈(さかずき)に似、臼(うす)に似、洼(あ)に似、汚(お)に似たり。激(ほ=噭)ゆる者あり、号(よ)ぶ者あり、叱(しか)る者あり、吸(す)う者あり、叫(さけ)ぶ者あり、号(なきさけ)ぶ者あり、深(ふか)き者あり、咬(かなし)き者あり、前なる者は于(う)と唱(とな)え、而して随(したが)う者は喁(ぎょう)と唱う。泠(零)風は則ち小和し、飄風は則ち大和す。厲風濟(や=止)めば則ち衆竅も虚と為る。而(なんじ)独(まさ)に之(こ)の調調(ちょうちょう)たると之の刀刀(とうとう)たるを見ざるかと。
(現代語訳)子游がいった、『ぜひとも、そのことについてお教え下さい』。子綦は答える、『そもそも大地のあくびで吐き出された息、それが風というものだ。これはいつも起こるわけではないが、起こったとなると、すべての穴という穴はどよめき叫ぶ。お前はいったいあのひゅうひゅうと鳴る〔遥かな風〕音を聞いたことがないか。山の尾根がうねうねと廻(めぐ)っているところ、百囲(ひゃくかか)えもある大木の穴は、鼻の穴のような、口のような、耳の穴のような、細長い酒壺の口のような、杯(さかずき)のような、臼(うす)のような、深い池のような、狭い窪地(くぼち)のような、さまざまな形である〔が、さて風が吹きわたると、それが鳴りひびく〕。吼(ほ)えたてるもの、高々と呼ぶもの、低く叱りつけるもの、細々と吸いこむもの、叫(さけ)ぶもの、号泣するもの、深々とこもったもの、悲しげなもの。前のものが<ううっ>とうなると、後のものは<ごおっ>と声をたてる。微風(そよかぜ)のときは軽やかな調和(ハーモニー)、強風のときは壮大な調和(ハーモニー)。そしてはげしい風が止むと、もろもろの穴はみなひっそりと静まりかえる。お前はいったいあの〔風の中の樹々が〕ざわざわと動きゆらゆらと揺れるさまを見たことがないか』」(「荘子(第一冊)・内篇・斉物論篇・第二・一・P.42~44」岩波文庫 一九七一年)
しかしKは近代知識人がしょっちゅう犯しがちな過ちをここでも繰り返してしまっている。<子ども>たちが発する騒音のようなノイズのようなざわめきについて、<子ども>たちこそ自然に最も近いところにいる人間だということをすっかり忘れてしまっている。Kは「〔風の中の樹々が〕ざわざわと動きゆらゆらと揺れるさま」をあまりにも軽く見下してしまっている。意味のない無意味という逆説的で、しかしそれなしでは意味のない意味とか意味のある無意味とか瞬時に入れ換わる両者〔意味と無意味〕の変換など、他のどんな意味も起こり得ず、むしろそのことによって逆に極めて重要な要素を社会の中で湧き起こさせる「騒音/ノイズ」のざわめき。それは今や<子ども>たちを除いてKや女性教師が百回も千回も逆立ちしてみたとしても決して引き起こすことができない不可能な領域の実在を示すものだというのに。次の事態への転回はすぐ後に男性教師の登場とともに生じる。
ところで山崎朋子が述べていた<からゆきさん>発生の諸条件とその対策について。後半。
(1)維新政府のイデオローグとして福沢諭吉が論じた「脱亜論」。東アジア植民地政策。その具体的な方法を実現させた女衒たちは次のようにどこにでもありがちな極めて泥臭い手法で<からゆきさん>の大量動員を達成した。
「女衒の村岡伊平治は、『村岡伊平治自伝』のなかで、自分の手下の誘拐者やからゆきさんたちにたいして次のように言っている。ーーー『女どもは、国元にも手紙を出し、毎月送金する。父母も安心して、近所の評判にもなる。すると村長が聞いて、所得税を掛けてくる。国家にどれだけ為になるかわからない。主人だけでなく、女の家も裕福になる。そればかりでなく、どんな南洋の田舎の土地でも、そこに女郎屋がでけると、すぐ雑貨店がでける。日本から店員がくる。その店員が独立して開業する。会社が出張所を出す。女郎屋の主人も、ピンプ(嬪夫)と呼ばれるのが嫌で商店を経営する。一ヶ年内外でその土地の開発者がふえてくる。そのうちに日本の船が着くようになる。次第にその土地が繁昌するようになる』。この言葉は、女衒の伊平治が自分の反道徳的な仕事を何とか合理化しようとしたものであるが、期せずして、福沢諭吉がその根幹を示した日本国家の植民政策の具体的な方法を説明している」(山崎朋子「サンダカン八番娼館・からゆきさんと近代日本・P.260~261」文春文庫 二〇〇八年)
(2)第二次世界大戦で「中国や東南アジア諸国へ侵略に出かけた日本の軍隊が、<慰安婦>と呼ばれる日本女性や朝鮮女性を一緒に連れて行った」のを「知っている」ことについて。さらに敗戦後、「アメリカ兵を中心とする連合軍が進駐して来たとき、彼らに媚(こび)を売る<パンパン・ガール>が雨後の筍(たけのこ)のように簇生(そうせい)した」のを「知っている」ことについて。前者についての誤認は他の膨大な資料によって補う必要性があるものの、後者はなるほどそうであるに違いない。
「わたしたちは知っているーーー第二次世界大戦のときに、中国や東南アジア諸国へ侵略に出かけた日本の軍隊が、<慰安婦>と呼ばれる日本女性や朝鮮女性を一緒に連れて行ったのを。また、わたしたちは知っているーーー日本が第二次世界大戦に敗れてアメリカ兵を中心とする連合軍が進駐して来たとき、彼らに媚(こび)を売る<パンパン・ガール>が雨後の筍(たけのこ)のように簇生(そうせい)したのを。そしてさらに、もうひとつわたしたちは知っているーーー講和条約をむすんで独立国になったというのに、沖縄を含めて日本には今なお厳然としてアメリカ軍の基地が在り、その基地の周辺に群がってわれとわが身を鬻(ひさ)ぐ<特殊女性>が大勢いるという事実を。日本人軍隊慰安婦が相手とした男性は外国人でなくて同じ日本人であったけれど、しかし海外に流浪してその肉体を売らねばならなかった点では、かつてのからゆきさんといささかも変わらなかった。いわゆるパンパン・ガールや現在の特殊女性は、からゆきさんのように遠く海外へ出かけて行きこそしないけれど、白人と黒人を含むアメリカ人ーーーすなわち外国人をその相手としているという点において、まさしく今日のからゆきさんにほかならない」(山崎朋子「サンダカン八番娼館・からゆきさんと近代日本・P.264」文春文庫 二〇〇八年)
(3)貧困という問題。この問いについて山崎朋子のいうように単純化することはできない。単純化は危険だし山崎の論理ではそもそも困難がある。さしあたり山崎の主張する「廃娼と更生策」は必要不可欠としなければならないが。
「彼女たちをしてそのような歩みを余儀なからしめた貧困が何に由来しているのかといえば、それは彼女らおよびその家族の怠惰よりも、少数の独占資本家に厚く労働者や農民に薄い現代の日本政府の政策に起因している。ーーーとすれば、現代のからゆきさん問題を根本から解決するためには、日本民衆の生活から、女性が身を売らねばならぬような貧困をなくすこと、そういう貧困を放置してかえりみない政府の更迭が必要だということになる。いな、それだけではまだ不十分で、もう一歩をすすめて、日本民衆にそのような貧困を不可避的にもたらす現行の国家や社会体制を変革し、真に民衆の意思を体現し得るような社会を築かなくてはならないーーーとまで言うべきであるかもしれぬ」(山崎朋子「サンダカン八番娼館・からゆきさんと近代日本・P.265」文春文庫 二〇〇八年)
山崎朋子は世界がもっと豊かになり貧困が消滅すれば<からゆきさん>のような悲惨も消滅するに違いないと考えたタイプの一人だ。ところが国家変革が実現されたとしてもソ連や中国(香港含む)では闇売春が横行した。アメリカや日本でも闇売春はおさまらなかったし、とりわけ高度経済成長期の日本では国内から率先して外国へ買春ツアーに出かける恒例行事さえ発生するようになった。金持ちになればなるほど今度は買う側へ回った。逆にネット社会の世界化によってむしろとことん貧しい地域の貧困層はもちろんのこと、逆にそれほど貧困していないにもかかわらず、いつでもどこでも売買春可能な世界へがらりと再編されつつある。赤松啓介から以前引いた。
「文化庁とか教育委員会などというタテマエだけを後生大事にするところに、ほんとうの民衆の『文化財』の価値などわかるものでない。いわゆる文化史家とか、建築史家とかいうのはバカモンばかりで、研究費や調査費のもらえそうな城郭、社寺、宿場、異人館などの町並は残せというが、お前、少しここがおかしいのと違うか、といわれかねない女郎屋街やスラム街になると見向きもしないのである。城郭、社寺、本陣、異人館、豪農、豪商の邸宅、どの一つでもわれわれ民衆にとって『文化財』といえるものがあるか。昔のマルクス・ボーイにかえっていえば、みんな民衆の膏血をしぼりとった記念碑ばかりである。女郎屋も、貧農の子女を犠牲にした記念碑ではないかと女性闘士は怒るかも知れぬが、東京の吉原、京の島原その他でも大名や豪商を相手というのはそれほどあるまい。まあ殆ど九十九パーセントまでは、われわれ民衆が買い手であった。われわれも公認売春を喜ぶわけではないが、おかげでトルコ、スナックその他の一時的恋愛売春が増えたり、団地夫人など家庭主婦のバイトが繁昌では、どういうことでしょうか、と女性闘士たちに問いたくなる」(赤松啓介「性・差別・民俗・二・村の祭礼と差別・三・ムラとマツリ・P.166」河出文庫 二〇一七年)
このような事態を含めて改めてドゥルーズ=ガタリのいう「アンチ・オイディプス〔欲望する諸機械〕」/「千のプラトー」というテーマ系と向き合う必要性が出現するのである。そしてまたフーコーは「権力は遍在する」といったが、いまや「売買春もまた遍在する」という認識へ速やかに移動しなくてはならない。
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「『さあ、仕事にかかりなさい』と、彼女は、いらいらした調子で言って、ふたたび猫のほうにかがみこんだ。助手たちといっしょに並行棒のうしろからなりゆきを見守っていたフリーダは、血を見ると、悲鳴をあげた。Kは、学童たちに手を見せながら、『ごらん、あの意地のわるい、ずる賢い猫のしわざだよ』。むろん、子供たちをおもしろがらせるために言ったのではなかった。子供たちのわめき声や笑い声は、もうとどまるところを知らず、これ以上さそい水をかけたり、油をそそいだりする必要はなかったし、なにか言ったところで、言葉がきこえるわけでもなければ、反響をよぶわけでもなかった。しかし、女教師のほうも、ただちらりと横眼をつかってKの侮辱に答えただけで、あとは猫の世話にかかりきり、したがって、どうやら最初の怒りは、罰に血をながさせたことで満足できたようだったので、Kは、フリーダと助手たちを呼びだし、仕事がはじまった」(カフカ「城・P.219~220」新潮文庫 一九七一年)
この箇所で子供たちは精一杯の喚き声と笑い声とで応じる。「子供たちのわめき声や笑い声は、もうとどまるところを知らず」というふうに。<子ども>の系列から忽然と湧き起こる意味のない無意味な騒音に等しいノイズの反響。まるで意味のない無意味なノイズは、しかしKの言葉とは違い女性教師の発言とも異なっている点で<子ども>にのみ許された紛れもない特権的ノイズであることを見逃すわけにはいかない。「審判」のKは画家のアトリエへ入るため、是非とも画家の部屋の前辺りで遊び廻っている<子ども>たちを無視するわけにはいかない。というのも画家の住居がどこにあるのか正確に知っているのはなぜか<子ども>たちだけに絞られているからである。騒音に過ぎずノイズに過ぎない風のようなもの。それは瞬時にどっと吹きつけどよめき叫ぶ。荘子はいう。
「子游曰、敢問其方、子綦曰、夫大塊噫気其名爲風、是唯无作、作則萬竅怒号、而獨不聞之翏翏乎、山陵之畏佳、大木百圍竅穴、似鼻、似口、似耳、似枅、似圈、似臼、似洼、似汚、激者、号者、叱者、吸者、叫者、号者、深者、咬者、前者唱于、而隨者唱喁、泠風則小和、飄風則大和、厲風濟則衆竅爲虚、而獨不見之調調之刀刀乎
(書き下し)子游(しゆう)曰わく、敢(あ)えて其の方(さま=状)を問わんと。子綦曰わく、夫(そ)れ大塊(たいかい)の噫気(あいき)は其の名を風と為(な)す。是(こ)れ唯(ただ)作(お=起)こるなし、作これば則(すなわ)ち万竅怒号(ばんきょうどごう)す。而(なんじ)は独(まさ)にこの翏翏(りゅうりゅう)たるを聞かざるか。山陵の畏佳(いし)たる、大木百囲の竅穴(きょうけつ)は、鼻に似、口に似、耳に似、枅(さけつぼ)に似、圈(さかずき)に似、臼(うす)に似、洼(あ)に似、汚(お)に似たり。激(ほ=噭)ゆる者あり、号(よ)ぶ者あり、叱(しか)る者あり、吸(す)う者あり、叫(さけ)ぶ者あり、号(なきさけ)ぶ者あり、深(ふか)き者あり、咬(かなし)き者あり、前なる者は于(う)と唱(とな)え、而して随(したが)う者は喁(ぎょう)と唱う。泠(零)風は則ち小和し、飄風は則ち大和す。厲風濟(や=止)めば則ち衆竅も虚と為る。而(なんじ)独(まさ)に之(こ)の調調(ちょうちょう)たると之の刀刀(とうとう)たるを見ざるかと。
(現代語訳)子游がいった、『ぜひとも、そのことについてお教え下さい』。子綦は答える、『そもそも大地のあくびで吐き出された息、それが風というものだ。これはいつも起こるわけではないが、起こったとなると、すべての穴という穴はどよめき叫ぶ。お前はいったいあのひゅうひゅうと鳴る〔遥かな風〕音を聞いたことがないか。山の尾根がうねうねと廻(めぐ)っているところ、百囲(ひゃくかか)えもある大木の穴は、鼻の穴のような、口のような、耳の穴のような、細長い酒壺の口のような、杯(さかずき)のような、臼(うす)のような、深い池のような、狭い窪地(くぼち)のような、さまざまな形である〔が、さて風が吹きわたると、それが鳴りひびく〕。吼(ほ)えたてるもの、高々と呼ぶもの、低く叱りつけるもの、細々と吸いこむもの、叫(さけ)ぶもの、号泣するもの、深々とこもったもの、悲しげなもの。前のものが<ううっ>とうなると、後のものは<ごおっ>と声をたてる。微風(そよかぜ)のときは軽やかな調和(ハーモニー)、強風のときは壮大な調和(ハーモニー)。そしてはげしい風が止むと、もろもろの穴はみなひっそりと静まりかえる。お前はいったいあの〔風の中の樹々が〕ざわざわと動きゆらゆらと揺れるさまを見たことがないか』」(「荘子(第一冊)・内篇・斉物論篇・第二・一・P.42~44」岩波文庫 一九七一年)
しかしKは近代知識人がしょっちゅう犯しがちな過ちをここでも繰り返してしまっている。<子ども>たちが発する騒音のようなノイズのようなざわめきについて、<子ども>たちこそ自然に最も近いところにいる人間だということをすっかり忘れてしまっている。Kは「〔風の中の樹々が〕ざわざわと動きゆらゆらと揺れるさま」をあまりにも軽く見下してしまっている。意味のない無意味という逆説的で、しかしそれなしでは意味のない意味とか意味のある無意味とか瞬時に入れ換わる両者〔意味と無意味〕の変換など、他のどんな意味も起こり得ず、むしろそのことによって逆に極めて重要な要素を社会の中で湧き起こさせる「騒音/ノイズ」のざわめき。それは今や<子ども>たちを除いてKや女性教師が百回も千回も逆立ちしてみたとしても決して引き起こすことができない不可能な領域の実在を示すものだというのに。次の事態への転回はすぐ後に男性教師の登場とともに生じる。
ところで山崎朋子が述べていた<からゆきさん>発生の諸条件とその対策について。後半。
(1)維新政府のイデオローグとして福沢諭吉が論じた「脱亜論」。東アジア植民地政策。その具体的な方法を実現させた女衒たちは次のようにどこにでもありがちな極めて泥臭い手法で<からゆきさん>の大量動員を達成した。
「女衒の村岡伊平治は、『村岡伊平治自伝』のなかで、自分の手下の誘拐者やからゆきさんたちにたいして次のように言っている。ーーー『女どもは、国元にも手紙を出し、毎月送金する。父母も安心して、近所の評判にもなる。すると村長が聞いて、所得税を掛けてくる。国家にどれだけ為になるかわからない。主人だけでなく、女の家も裕福になる。そればかりでなく、どんな南洋の田舎の土地でも、そこに女郎屋がでけると、すぐ雑貨店がでける。日本から店員がくる。その店員が独立して開業する。会社が出張所を出す。女郎屋の主人も、ピンプ(嬪夫)と呼ばれるのが嫌で商店を経営する。一ヶ年内外でその土地の開発者がふえてくる。そのうちに日本の船が着くようになる。次第にその土地が繁昌するようになる』。この言葉は、女衒の伊平治が自分の反道徳的な仕事を何とか合理化しようとしたものであるが、期せずして、福沢諭吉がその根幹を示した日本国家の植民政策の具体的な方法を説明している」(山崎朋子「サンダカン八番娼館・からゆきさんと近代日本・P.260~261」文春文庫 二〇〇八年)
(2)第二次世界大戦で「中国や東南アジア諸国へ侵略に出かけた日本の軍隊が、<慰安婦>と呼ばれる日本女性や朝鮮女性を一緒に連れて行った」のを「知っている」ことについて。さらに敗戦後、「アメリカ兵を中心とする連合軍が進駐して来たとき、彼らに媚(こび)を売る<パンパン・ガール>が雨後の筍(たけのこ)のように簇生(そうせい)した」のを「知っている」ことについて。前者についての誤認は他の膨大な資料によって補う必要性があるものの、後者はなるほどそうであるに違いない。
「わたしたちは知っているーーー第二次世界大戦のときに、中国や東南アジア諸国へ侵略に出かけた日本の軍隊が、<慰安婦>と呼ばれる日本女性や朝鮮女性を一緒に連れて行ったのを。また、わたしたちは知っているーーー日本が第二次世界大戦に敗れてアメリカ兵を中心とする連合軍が進駐して来たとき、彼らに媚(こび)を売る<パンパン・ガール>が雨後の筍(たけのこ)のように簇生(そうせい)したのを。そしてさらに、もうひとつわたしたちは知っているーーー講和条約をむすんで独立国になったというのに、沖縄を含めて日本には今なお厳然としてアメリカ軍の基地が在り、その基地の周辺に群がってわれとわが身を鬻(ひさ)ぐ<特殊女性>が大勢いるという事実を。日本人軍隊慰安婦が相手とした男性は外国人でなくて同じ日本人であったけれど、しかし海外に流浪してその肉体を売らねばならなかった点では、かつてのからゆきさんといささかも変わらなかった。いわゆるパンパン・ガールや現在の特殊女性は、からゆきさんのように遠く海外へ出かけて行きこそしないけれど、白人と黒人を含むアメリカ人ーーーすなわち外国人をその相手としているという点において、まさしく今日のからゆきさんにほかならない」(山崎朋子「サンダカン八番娼館・からゆきさんと近代日本・P.264」文春文庫 二〇〇八年)
(3)貧困という問題。この問いについて山崎朋子のいうように単純化することはできない。単純化は危険だし山崎の論理ではそもそも困難がある。さしあたり山崎の主張する「廃娼と更生策」は必要不可欠としなければならないが。
「彼女たちをしてそのような歩みを余儀なからしめた貧困が何に由来しているのかといえば、それは彼女らおよびその家族の怠惰よりも、少数の独占資本家に厚く労働者や農民に薄い現代の日本政府の政策に起因している。ーーーとすれば、現代のからゆきさん問題を根本から解決するためには、日本民衆の生活から、女性が身を売らねばならぬような貧困をなくすこと、そういう貧困を放置してかえりみない政府の更迭が必要だということになる。いな、それだけではまだ不十分で、もう一歩をすすめて、日本民衆にそのような貧困を不可避的にもたらす現行の国家や社会体制を変革し、真に民衆の意思を体現し得るような社会を築かなくてはならないーーーとまで言うべきであるかもしれぬ」(山崎朋子「サンダカン八番娼館・からゆきさんと近代日本・P.265」文春文庫 二〇〇八年)
山崎朋子は世界がもっと豊かになり貧困が消滅すれば<からゆきさん>のような悲惨も消滅するに違いないと考えたタイプの一人だ。ところが国家変革が実現されたとしてもソ連や中国(香港含む)では闇売春が横行した。アメリカや日本でも闇売春はおさまらなかったし、とりわけ高度経済成長期の日本では国内から率先して外国へ買春ツアーに出かける恒例行事さえ発生するようになった。金持ちになればなるほど今度は買う側へ回った。逆にネット社会の世界化によってむしろとことん貧しい地域の貧困層はもちろんのこと、逆にそれほど貧困していないにもかかわらず、いつでもどこでも売買春可能な世界へがらりと再編されつつある。赤松啓介から以前引いた。
「文化庁とか教育委員会などというタテマエだけを後生大事にするところに、ほんとうの民衆の『文化財』の価値などわかるものでない。いわゆる文化史家とか、建築史家とかいうのはバカモンばかりで、研究費や調査費のもらえそうな城郭、社寺、宿場、異人館などの町並は残せというが、お前、少しここがおかしいのと違うか、といわれかねない女郎屋街やスラム街になると見向きもしないのである。城郭、社寺、本陣、異人館、豪農、豪商の邸宅、どの一つでもわれわれ民衆にとって『文化財』といえるものがあるか。昔のマルクス・ボーイにかえっていえば、みんな民衆の膏血をしぼりとった記念碑ばかりである。女郎屋も、貧農の子女を犠牲にした記念碑ではないかと女性闘士は怒るかも知れぬが、東京の吉原、京の島原その他でも大名や豪商を相手というのはそれほどあるまい。まあ殆ど九十九パーセントまでは、われわれ民衆が買い手であった。われわれも公認売春を喜ぶわけではないが、おかげでトルコ、スナックその他の一時的恋愛売春が増えたり、団地夫人など家庭主婦のバイトが繁昌では、どういうことでしょうか、と女性闘士たちに問いたくなる」(赤松啓介「性・差別・民俗・二・村の祭礼と差別・三・ムラとマツリ・P.166」河出文庫 二〇一七年)
このような事態を含めて改めてドゥルーズ=ガタリのいう「アンチ・オイディプス〔欲望する諸機械〕」/「千のプラトー」というテーマ系と向き合う必要性が出現するのである。そしてまたフーコーは「権力は遍在する」といったが、いまや「売買春もまた遍在する」という認識へ速やかに移動しなくてはならない。
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