Kに対する宿屋のお内儀(かみ)の言葉から。差し当たり次の三点について注目したい。(1)「結婚の同意」。(2)「他国者」。(3)「娘がどうしてあなたにからだを許してしまったか」。
「『測量師さんがわたしにおたずねになった。だから、わたしは、お答えしなくてはならないんだよ。クラムさんは、けっしてこの人と話をしないだろうーーーこれは、わたしたちにはわかりきったことなんけど、それをこの人に理解してもらうには、ほかにどうしたらいいんだね。いや、クラムさんはけっしてこの人と話をしないだろうと言ったけど、ほんとうは、けっしてこの人と話をすることができないのさ。まあ、お聞きなさいよ、測量師さん!クラムさんは、城の人です。それ以外のあの人の地位のことは全然抜きにしても、これだけでももうあの人の身分が非常に高いということです。ところが、わたしたちは、いまここであなたにうやうやしく結婚の同意を求めていますが、そのあなたは、いったい何者でいらっしゃるのでしょう!あなたは、お城の人でもなければ、村の人間でもない。あなたは、何者でもいらっしゃらない。でも、お気の毒なことに、あなたは、やはり何者かでいらっしゃる。あなたは、つまり他国者なのです。不必要な、どこへ行っても邪魔になる人、たえず迷惑の種になる人、おかげで雲をつかむようで、わたしたちのかわいいフリーダをかどわかし、こころならずもこの子を奥さんにあげなくてはならない羽目におとされてしまう人ーーーあなたは、そういう他国者でいらっしゃる。こんなことを言ってお気にさわったかもしれませんが、これは、べつにあなたを責めているわけじゃありません。あなたは、ありのままのあなたでいらっしゃるかもしかない。わたしは、これまでの生涯にたくさんのものを見てきましたからね、いまさらこんなところを見せつけられて耐えられないというようなことはありません。ただ、よく思案していただきたいのは、ご自分でなにをのぞんでいらっしゃるかということです。クラムのような人と話をしたいなんて!フリーダは、あなたを覗(のぞ)き穴からクラムの部屋をのぞかせたそうですね。その話を聞いて、痛々しい思いがしました。この子は、あなたにのぞかせたとき、すでにあなたに誘惑されていたのです。ところで、あなたはどうしてクラムを平気で見ておれたのか、それをお訊きしたいとおもいます。いいえ、お答えくださらなくても、わかっています。あなたは、平気で彼をごらんになったのです。だけど、ほんとうに彼を見ることは、とてもできないでしょう。これは、わたしが思いあがって言っているんじゃありませんよ。そういうわたし自身だって、とてもできっこないのです。あなたは、クラムと話をしたいとおもっていらっしゃる。しかし、彼は、村の人たちとさえ話をしません。いままでに一度だって、村のだれからと口をきいたことがないんです。あの人は、すくなくともフリーダの名前はいつも呼んでいますし、フリーダも、好きなときにクラムに話しかけることができ、覗き穴から見ることも許されています。これは、たしかにフリーダの特別な名誉ですし、わたしは、死ぬまでこの名誉を自分の誇りにおもうでしょう。だけど、クラムは、フリーダとも話をしたことはないのです。それに、あの人がときどきフリーダを呼ぶということも、世間では意味をつけたがっておりますが、意味なんか全然ないんです。あの人は、たんにフリーダという名前を呼んだだけなのですーーーあの人の腹のなかなぞ、だれにもわかりはしませんーーーそして、もちろんフリーダは彼のところへ急いでいきますが、これとても、この子の仕事にすぎないのです。この子が自由にクラムのもとへ出入りすることを許されていることも、クラムの好意にちがいありませんが、クラムがちゃんとした考えがあってこの子を呼んだのだとは、だれも断言できますまい。もっとも、これも、いまでは過去のことで、永久に過ぎ去ってしまいました。たぶんこれからもクラムは、フリーダという名前を呼びつづけることでしょう。これは、十分考えられることです。しかし、この子は、もうクラムの部屋に出入りすることは許されないにちがいありません。なにしろ、あなたにからだをまかせてしまった娘ですからね。ところで、ひとつだけ、わたしのにぶい頭ではどうにも合点のいかないことがあります。それは、クラムの恋人といわれたほどの娘がーーーついでながら、わたしに言わせると、恋人などというのは誇張もはなはだしいとおもいますがねーーーとにかく、それほどの娘がどうしてあなたにからだを許してしまったかということですわ』」(カフカ「城・P.87~89」新潮文庫 一九七一年)
(1)「結婚の同意」。フリーダとKとの間にできた性関係をどのような形で安定させるべきかという問いに対する一つの答え。宿屋のお内儀(かみ)はいう。「この子は、あなたにのぞかせたとき、すでにあなたに誘惑されていたのです」。Kの側がむしろフリーダに誘惑されたとしか思えないのだが、お内儀には逆に見える。その理由は「フリーダは、あなたを覗(のぞ)き穴からクラムの部屋をのぞかせた」のが何よりの証拠だというもの。村民の誰一人として考えられもしないようなことをフリーダがやってしまったというのは、とてもではないがKの側ではなくフリーダの側がKに誘惑されたと断定するしかない。二人の間ですでにできてしまった性関係と同時に行われたクラムの部屋を覗かせるという行為は普通なら聞かされただけで卒倒して気を失ってしまっても何らおかしくない行為なのだ。フリーダの保護責任者的な立場に位置するお内儀にすれば当然Kに責任を負ってもらわねばならない。そこでKはフリーダと結婚すると確約してもらわなくては収まるものも収まらないという。Kにすれば異論はない。しかしKに異論があろうとなかろうとこの箇所でお内儀をこうまでけたたましくまくし立てさせているものは何なのかという点に注目したい。それは村民の中におけるお内儀の位置である。宿屋のお内儀はフリーダやKの助手たちとはまったく違い、城の機構の中でフリーダの<父母>の機能を代表する<諸断片>の一つだからである。しかしフリーダとKとの間に性関係が成立した以上「結婚」という形で事態を収集してもらわねば困るという論理の進め方は、特にソ連型官僚主義的かナチス型ファシズム的かアメリカ型資本主義的かと決定できるようなものではなく、いずれの体制でもありがちでごく普通にどこにでも転がっているヘーゲル弁証法的なありふれた主張である。Kはもちろん異存はない。しかし結婚のために必要な手続きはどこまで行っても引き延ばされていくばかりで結婚相手のフリーダは同意の上で限りなく近くにいるにもかかわらず手続きの側は限りなく遠ざかっていく。城の機構の中でフリーダの<父母>の機能を代表する<諸断片>の一つとして宿屋のお内儀はKにフリーダとの「結婚の同意」を取り付けた一方、しかしその実現については始めから絶望している。娘のように可愛がり育ててきたフリーダがKと結婚して自分の手元から離れることになるので絶望する、というような感情的レベルではまるでなく、Kが城の機構についてまったく無知としか言いようのない言動をいつまで経っても繰り返していくだろうし、実際に無知であるほかないからである。
(2)「他国者」。Kは他国からやって来た異邦人だというのは確かだが、問題はそういうことではなく生活様式がまるで異なる点にある。城の<諸断片>として承認される機会を持たないまますでに<諸断片>として城の機構の中に留まってしまっているという分裂した二重性。「変身」でグレーゴル・ザムザが置かれた位置に似ている。グレーゴルは或る日突然それまでの生活様式をやめた。均質で凡庸で平板で成績優秀な会社員という社会的立場を放棄した。その瞬間からグレーゴルは会社の支配人を始めとしてグレーゴルの<父母>ともまるで違った対話しか不能になる。グレーゴル・ザムザ一家はグレーゴルがいきなり生活様式をオイディプス三角形型家庭とは全然異なる生活様式を始めたことにより社会の中で孤立するほかなくなる。作者カフカがユダヤ系だとかヨーロッパに生息する異邦人だとかいった事情とは全然関係がない。ユダヤ系であろうとなかろうとオイディプス三角形型家庭を営むことが常識だった欧米では、グレーゴルによる生活様式の劇的変容がない限り、ユダヤ系だとか異邦人だという理由が一挙に家族崩壊をもたらすような破壊的インパクトを持つ理由は一つもない。「城」のKも城という機構の<諸断片>の一つとしてぴたりと収まるに等しい生活様式の持ち主なら問題はないのだが、Kの場合、その言動はどこからどう見ても村民に衝撃・落胆・恐れを抱かせるものばかりであり、Kと関われば関わるほど関わった側の村民を城に対する恐怖へと駆り立ててしまわずにはおかない厄介極まりない人間として登場する。Kはともかく他所者だが同時にともかく人間だ。Kはすでに城の<諸断片>の一つだし村民もそのことは認めている。しかしいつどんなふうに村全体を破滅させてしまうかわからない測り知れない危険物でもある。
(3)「娘がどうしてあなたにからだを許してしまったか」。フリーダは<娼婦・女中・姉妹>の系列に属する。宿屋のお内儀は城の機構の<父母>を代表する形でしかKと接触することはできない。しかしフリーダは<娼婦・女中・姉妹>として、城の機構の<父母>を代表するお内儀から「派遣」された<非定住民>の位置を占める。<父母>を代表する<諸断片>の一つ「お内儀」は生活様式も思想・信条もまるで異なるKと接するにあたって直接的ではなく<非定住民>としてのフリーダを往来させて間接的に情報を伝達する立場を獲得する。フリーダがもはやすでに厄介な余所者と性関係を持ってしまっている以上、<娼婦・女中・姉妹>の系列=<非定住民>としてのフリーダを介して間接的に城の<諸断片>「お内儀」は新しく割り込んできた城のもう一つの<諸断片>Kと繋がりを維持することができる。「娘がどうしてあなたにからだを許してしまったか」という言葉はなるほど苦痛の表明に見えはする。けれどもそれは城の機構の<諸断片>の一つ「お内儀」に対して不意に与えられた鞭打ちの刑であって、その言葉の中には鞭打ちの痛みにもかかわらず罰としての鞭打ちを無効化する「悦び」がひそんでいる。そしてまたこの種の「悦び」は城の機構を構成するすべての村民が分かち持たされる限りで機構そのものが叫び上げる「悦び」でもある。宿屋のお内儀の悔恨にも似た言葉は「審判」で笞刑に遭わされ叫びを上げていた「監視人フランツ」の言葉に等しい。お内儀はこの場面で「娘がどうしてあなたにからだを許してしまったか」という言葉でカフカの机に置かれた原稿用紙をせっせと埋めにやって来て長々と演説するばかりである。城の<諸断片>の一つとしての「お内儀」がこの場面で果たす機能は、これまではただ単なる宿の女中に過ぎなかったフリーダが<娼婦・女中・姉妹>の系列=<非定住民>としてのフリーダへものの見事に転化したことをただひたすら見届けることに限定されている。
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「『測量師さんがわたしにおたずねになった。だから、わたしは、お答えしなくてはならないんだよ。クラムさんは、けっしてこの人と話をしないだろうーーーこれは、わたしたちにはわかりきったことなんけど、それをこの人に理解してもらうには、ほかにどうしたらいいんだね。いや、クラムさんはけっしてこの人と話をしないだろうと言ったけど、ほんとうは、けっしてこの人と話をすることができないのさ。まあ、お聞きなさいよ、測量師さん!クラムさんは、城の人です。それ以外のあの人の地位のことは全然抜きにしても、これだけでももうあの人の身分が非常に高いということです。ところが、わたしたちは、いまここであなたにうやうやしく結婚の同意を求めていますが、そのあなたは、いったい何者でいらっしゃるのでしょう!あなたは、お城の人でもなければ、村の人間でもない。あなたは、何者でもいらっしゃらない。でも、お気の毒なことに、あなたは、やはり何者かでいらっしゃる。あなたは、つまり他国者なのです。不必要な、どこへ行っても邪魔になる人、たえず迷惑の種になる人、おかげで雲をつかむようで、わたしたちのかわいいフリーダをかどわかし、こころならずもこの子を奥さんにあげなくてはならない羽目におとされてしまう人ーーーあなたは、そういう他国者でいらっしゃる。こんなことを言ってお気にさわったかもしれませんが、これは、べつにあなたを責めているわけじゃありません。あなたは、ありのままのあなたでいらっしゃるかもしかない。わたしは、これまでの生涯にたくさんのものを見てきましたからね、いまさらこんなところを見せつけられて耐えられないというようなことはありません。ただ、よく思案していただきたいのは、ご自分でなにをのぞんでいらっしゃるかということです。クラムのような人と話をしたいなんて!フリーダは、あなたを覗(のぞ)き穴からクラムの部屋をのぞかせたそうですね。その話を聞いて、痛々しい思いがしました。この子は、あなたにのぞかせたとき、すでにあなたに誘惑されていたのです。ところで、あなたはどうしてクラムを平気で見ておれたのか、それをお訊きしたいとおもいます。いいえ、お答えくださらなくても、わかっています。あなたは、平気で彼をごらんになったのです。だけど、ほんとうに彼を見ることは、とてもできないでしょう。これは、わたしが思いあがって言っているんじゃありませんよ。そういうわたし自身だって、とてもできっこないのです。あなたは、クラムと話をしたいとおもっていらっしゃる。しかし、彼は、村の人たちとさえ話をしません。いままでに一度だって、村のだれからと口をきいたことがないんです。あの人は、すくなくともフリーダの名前はいつも呼んでいますし、フリーダも、好きなときにクラムに話しかけることができ、覗き穴から見ることも許されています。これは、たしかにフリーダの特別な名誉ですし、わたしは、死ぬまでこの名誉を自分の誇りにおもうでしょう。だけど、クラムは、フリーダとも話をしたことはないのです。それに、あの人がときどきフリーダを呼ぶということも、世間では意味をつけたがっておりますが、意味なんか全然ないんです。あの人は、たんにフリーダという名前を呼んだだけなのですーーーあの人の腹のなかなぞ、だれにもわかりはしませんーーーそして、もちろんフリーダは彼のところへ急いでいきますが、これとても、この子の仕事にすぎないのです。この子が自由にクラムのもとへ出入りすることを許されていることも、クラムの好意にちがいありませんが、クラムがちゃんとした考えがあってこの子を呼んだのだとは、だれも断言できますまい。もっとも、これも、いまでは過去のことで、永久に過ぎ去ってしまいました。たぶんこれからもクラムは、フリーダという名前を呼びつづけることでしょう。これは、十分考えられることです。しかし、この子は、もうクラムの部屋に出入りすることは許されないにちがいありません。なにしろ、あなたにからだをまかせてしまった娘ですからね。ところで、ひとつだけ、わたしのにぶい頭ではどうにも合点のいかないことがあります。それは、クラムの恋人といわれたほどの娘がーーーついでながら、わたしに言わせると、恋人などというのは誇張もはなはだしいとおもいますがねーーーとにかく、それほどの娘がどうしてあなたにからだを許してしまったかということですわ』」(カフカ「城・P.87~89」新潮文庫 一九七一年)
(1)「結婚の同意」。フリーダとKとの間にできた性関係をどのような形で安定させるべきかという問いに対する一つの答え。宿屋のお内儀(かみ)はいう。「この子は、あなたにのぞかせたとき、すでにあなたに誘惑されていたのです」。Kの側がむしろフリーダに誘惑されたとしか思えないのだが、お内儀には逆に見える。その理由は「フリーダは、あなたを覗(のぞ)き穴からクラムの部屋をのぞかせた」のが何よりの証拠だというもの。村民の誰一人として考えられもしないようなことをフリーダがやってしまったというのは、とてもではないがKの側ではなくフリーダの側がKに誘惑されたと断定するしかない。二人の間ですでにできてしまった性関係と同時に行われたクラムの部屋を覗かせるという行為は普通なら聞かされただけで卒倒して気を失ってしまっても何らおかしくない行為なのだ。フリーダの保護責任者的な立場に位置するお内儀にすれば当然Kに責任を負ってもらわねばならない。そこでKはフリーダと結婚すると確約してもらわなくては収まるものも収まらないという。Kにすれば異論はない。しかしKに異論があろうとなかろうとこの箇所でお内儀をこうまでけたたましくまくし立てさせているものは何なのかという点に注目したい。それは村民の中におけるお内儀の位置である。宿屋のお内儀はフリーダやKの助手たちとはまったく違い、城の機構の中でフリーダの<父母>の機能を代表する<諸断片>の一つだからである。しかしフリーダとKとの間に性関係が成立した以上「結婚」という形で事態を収集してもらわねば困るという論理の進め方は、特にソ連型官僚主義的かナチス型ファシズム的かアメリカ型資本主義的かと決定できるようなものではなく、いずれの体制でもありがちでごく普通にどこにでも転がっているヘーゲル弁証法的なありふれた主張である。Kはもちろん異存はない。しかし結婚のために必要な手続きはどこまで行っても引き延ばされていくばかりで結婚相手のフリーダは同意の上で限りなく近くにいるにもかかわらず手続きの側は限りなく遠ざかっていく。城の機構の中でフリーダの<父母>の機能を代表する<諸断片>の一つとして宿屋のお内儀はKにフリーダとの「結婚の同意」を取り付けた一方、しかしその実現については始めから絶望している。娘のように可愛がり育ててきたフリーダがKと結婚して自分の手元から離れることになるので絶望する、というような感情的レベルではまるでなく、Kが城の機構についてまったく無知としか言いようのない言動をいつまで経っても繰り返していくだろうし、実際に無知であるほかないからである。
(2)「他国者」。Kは他国からやって来た異邦人だというのは確かだが、問題はそういうことではなく生活様式がまるで異なる点にある。城の<諸断片>として承認される機会を持たないまますでに<諸断片>として城の機構の中に留まってしまっているという分裂した二重性。「変身」でグレーゴル・ザムザが置かれた位置に似ている。グレーゴルは或る日突然それまでの生活様式をやめた。均質で凡庸で平板で成績優秀な会社員という社会的立場を放棄した。その瞬間からグレーゴルは会社の支配人を始めとしてグレーゴルの<父母>ともまるで違った対話しか不能になる。グレーゴル・ザムザ一家はグレーゴルがいきなり生活様式をオイディプス三角形型家庭とは全然異なる生活様式を始めたことにより社会の中で孤立するほかなくなる。作者カフカがユダヤ系だとかヨーロッパに生息する異邦人だとかいった事情とは全然関係がない。ユダヤ系であろうとなかろうとオイディプス三角形型家庭を営むことが常識だった欧米では、グレーゴルによる生活様式の劇的変容がない限り、ユダヤ系だとか異邦人だという理由が一挙に家族崩壊をもたらすような破壊的インパクトを持つ理由は一つもない。「城」のKも城という機構の<諸断片>の一つとしてぴたりと収まるに等しい生活様式の持ち主なら問題はないのだが、Kの場合、その言動はどこからどう見ても村民に衝撃・落胆・恐れを抱かせるものばかりであり、Kと関われば関わるほど関わった側の村民を城に対する恐怖へと駆り立ててしまわずにはおかない厄介極まりない人間として登場する。Kはともかく他所者だが同時にともかく人間だ。Kはすでに城の<諸断片>の一つだし村民もそのことは認めている。しかしいつどんなふうに村全体を破滅させてしまうかわからない測り知れない危険物でもある。
(3)「娘がどうしてあなたにからだを許してしまったか」。フリーダは<娼婦・女中・姉妹>の系列に属する。宿屋のお内儀は城の機構の<父母>を代表する形でしかKと接触することはできない。しかしフリーダは<娼婦・女中・姉妹>として、城の機構の<父母>を代表するお内儀から「派遣」された<非定住民>の位置を占める。<父母>を代表する<諸断片>の一つ「お内儀」は生活様式も思想・信条もまるで異なるKと接するにあたって直接的ではなく<非定住民>としてのフリーダを往来させて間接的に情報を伝達する立場を獲得する。フリーダがもはやすでに厄介な余所者と性関係を持ってしまっている以上、<娼婦・女中・姉妹>の系列=<非定住民>としてのフリーダを介して間接的に城の<諸断片>「お内儀」は新しく割り込んできた城のもう一つの<諸断片>Kと繋がりを維持することができる。「娘がどうしてあなたにからだを許してしまったか」という言葉はなるほど苦痛の表明に見えはする。けれどもそれは城の機構の<諸断片>の一つ「お内儀」に対して不意に与えられた鞭打ちの刑であって、その言葉の中には鞭打ちの痛みにもかかわらず罰としての鞭打ちを無効化する「悦び」がひそんでいる。そしてまたこの種の「悦び」は城の機構を構成するすべての村民が分かち持たされる限りで機構そのものが叫び上げる「悦び」でもある。宿屋のお内儀の悔恨にも似た言葉は「審判」で笞刑に遭わされ叫びを上げていた「監視人フランツ」の言葉に等しい。お内儀はこの場面で「娘がどうしてあなたにからだを許してしまったか」という言葉でカフカの机に置かれた原稿用紙をせっせと埋めにやって来て長々と演説するばかりである。城の<諸断片>の一つとしての「お内儀」がこの場面で果たす機能は、これまではただ単なる宿の女中に過ぎなかったフリーダが<娼婦・女中・姉妹>の系列=<非定住民>としてのフリーダへものの見事に転化したことをただひたすら見届けることに限定されている。
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