Kとフリーダとが言い争っているところにイェレミーアスが現れる。つい昨日までの助手の面影はまるで無くもはや別人の様相だ。
「そのとき、脇(わき)廊下のほうでわめき声がした。イェレミーアスだった。彼は、脇廊下へ降りていく階段のいちばん下に立っていた。シャツを着ただけだが、その上にフリーダの肩掛けを羽織っていた。髪はくしゃくしゃで、薄いひげはぬれ、哀願と非難をこめて眼をかろうじて大きく見ひらき、黒い頬(ほお)は、赤らんでいたが、ぶよぶよの肉でできているみたいだった。寒さのあまりむきだしの脚をがたがたふるわせるので、それにつれて肩掛けの長いふさも、いっしょにふるえた。そんな格好で立っているところは、まるで病院を脱けだしてきた患者そっくりだった」(カフカ「城・P.418」新潮文庫 一九七一年)
しかしイェレミーアスは一体どこから現れたか。カフカはしっかり書いている。「脇廊下へ降りていく階段のいちばん下」。或る部屋と別の部屋との<あいだ>にある「廊下」。この事情はすぐさま「審判」の次の箇所を思い起こさずにはいない。
「『ぜんぜん気にしちゃいないさ』、と廷吏は言った、『まあこの待合室を見てごらんなさい』。それは長い廊下なのだった、そこに荒っぽいつくりのドアがいくつもついていて、屋根裏の各部屋に通じているのだ。直接光の入りこむ口はないけれどもそこはまっくらではなかった。というのはいくつかの部屋が、廊下に面して、均一の板壁のかわりにむきだしのしかも天井までとどく格子(こうし)になっていて、そこからいくらか光が洩(も)れてきたからだ。そこからはまた中の役人を見ることもできた。机にむかって物を書いたり、ぴったり格子にへばりついて、隙間から廊下の人びとをじろじろ眺めたりしている。日曜日だったせいか、廊下には少数の人がいるだけだった。かれらはみな非常に慎しみ深い人びとという印象を与えた。たがいにほとんど規則正しい間隔をおきあって、廊下の両側に置かれた二列の長い木のベンチに腰かけている。かれらはみなだらしのない服装をしていたけれども、そのくせほとんどの者は、顔の表情とか、態度、ひげの恰好(かっこう)、その他しかと言うことのできぬ多くのこまかな点から、上流階級の連中だとわかった。帽子掛けがなかったのでかれらは帽子を、たぶんだれかがだれかの真似(まね)をして、みなベンチの下においていた。ドアのそばにいた者たちがKと廷吏の姿を認めて挨拶(あいさつ)のために立上ると、それを見て次の者たちは自分らも挨拶しなければならぬと思いこみ、全員が二人の通りすぎるときに立上った。かれらは決して完全に直立したわけではなくて、背中はかがみ、膝(ひざ)は折れ、まるで往来の乞食のようだった」(カフカ「審判・P.92~94」新潮文庫 一九九二年)
「城」では「まるで病院を脱けだしてきた患者そっくりだった」とあり「審判」では「まるで往来の乞食のようだった」とある。イェレミーアスの姿ががらりと変わっているのを見たKは、しかしなぜ見ることができたのか。イェレミーアスが現れた廊下は廊下であるにもかかわらずまったくの暗闇ではなく、かといって煌々と電灯に照らし出されているわけでもない。<薄暗がり>だったからである。「審判」で描かれた「廊下」はそれをやや細かく描写した形になっている。「直接光の入りこむ口はないけれどもそこはまっくらではなかった。というのはいくつかの部屋が、廊下に面して、均一の板壁のかわりにむきだしのしかも天井までとどく格子(こうし)になっていて、そこからいくらか光が洩(も)れてきた」と。
またイェレミーアスが現れた場所はただ単なる廊下ではなく「階段のいちばん下」となっていることから、かつては階級闘争の暗喩を読み取る読者が少なからずいた。そう読むことは可能である。しかしその種の<読み>は「審判」で描かれている廊下の様相ですでに無効化されている。「ほとんどの者は、顔の表情とか、態度、ひげの恰好(かっこう)、その他しかと言うことのできぬ多くのこまかな点から、上流階級の連中」であり、そういう人々自身がもはやすでに「まるで往来の乞食のよう」でしかないからだ。もし階級闘争がまだ可能だったならカフカはこのような記述方法を取らなかっただろう。カフカは極めて今日的世界について書いている。階級闘争がなくなった世界というわけではない。事情はもっと絶望的だ。階級闘争というものはいつまで待ってももう二度とやってこなくなった世界のありさまを描いている。
ますます増大する貧困からの脱却不可能性は競争への意志をあらかじめくじいてしまう方向を強靭化する。従って次々と現れてくる現象はこうなる。希望の消滅。競争の消滅。歴史の消滅。融資も投資も意味がなくなる。そして資本主義的ダイナミズムの消滅。銀行はただ単なる貯金箱へと解消され、金融取引機関としては無意味化する。また資本主義が生き残った理由についてはドゥルーズ=ガタリから何度も引いてきた。どのようにしてロシア革命を消化したか。
「資本主義は、古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができたのだ。ところが、資本主義は、またさらに別の種々の事情のために(本当に極めて小さい、全くとるにたらない種々の事情のために)、常に種々の公理を付け加える用意があり、またじっさいに付け加えている。これは資本主義の固有の受難であるが、この受難は資本主義の本質を何ら変えるものではない。こうして、《国家》は、公理系の中に組み入れられた種々の流れを調整する働きにおいて、次第に重要な役割を演ずるように規定されてくることになる。つまり、生産とその企画に対しても、また経済とその『貨幣化』に対しても、また剰余価値とその吸収(《国家》装置そのものによるその吸収)に対しても」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第三章・第十節・P.303~304」河出書房新社 一九八六年)
ロシア革命の衝撃から学んだ資本主義は労働組合活動を認めることで誰にでも社会進出のためのチャンスを与える基礎を築いた。だが労働運動はともすればアナーキーな爆発を起こしがちな傾向を持っている。そこでどの国の政府も警察権力を用いて注意深い監視を行いながら、資本主義自身は傷一つ付かないようわざわざ「労働組合のための<公理>」を与え、いつどこからでも湧き起こってくる欲望の流れを<公理系>という整流器に流し込んですんなり処理してしまう方法を案出した。今の日本でこの「労働組合のための<公理>」に乗ったのが「連合」であり、一度手を結んだ以上、日本政府の御用組合と化するのにそれほど年月はかからなかった。国鉄が解体されてJRとなり「国労」から「連合」へ転向した瞬間、今に至る成り行きはすでに決定されていたと十分に言える。
選挙権の拡充や男女雇用機会均等法もまたそうだ。とりわけ男女雇用機会均等法は当初懸念されていたように劣悪な結果をもたらしつつある。言うまでもなくその恩恵を受けることができたのは均等法施行以前からの富裕層の子女がほとんどであり、以前からの貧困層は均等法施行以後もなお驚くべき賃金格差に晒されている。さらにパンデミック禍で不意に加速しつつ顕在化してきたテレワークの功罪のように、とっととネット環境を整えることができる比較的裕福な家庭の子供たちと、整えるどころか子どもたちの面倒を見る時間すらまともに取れない低賃金重労働に喘ぐ貧困世帯の子供たちとの教育格差は日に日に開いていくばかり。
荒れ果てた貧困家庭の子どもたちはしばしば不必要にマッチョ化する傾向が見られる。それはかつてのドイツでナチスに忠誠を誓う暴力団員や殺人請負人となって出現した。ユダヤ系最下層階級の人々や同性愛者、無防備に政治的中立性を訴える中間層や富裕層の若い男女たちを捕まえてリンチに処し肉体をずたずたにして強制収容所へ送り込んだ。しかしなぜそうなるのか。貧困家庭の子どもと富裕層の子どもとはいつも比較対照される状態に置かれている。ただ単に学力に限った話ではなく、特に身体において計測され数値化される。一度計測され数値化された人間の身体は生き生きとした生身の肉体ではあり得ず、すでに数値化され登録された「物」=「死物」でしかない。なかでも貧困層の子どもたちは周囲から受ける仰天するほど過酷な差別によって自分の身体はすでに「死物」でしかなく、ゆえにどこまでも差別視されていくほかないことに底なしの絶望感と異様に鋭くなった敏感さとを受け取らざるを得ない。するとその中からよりいっそうマッチョになって自分を差別した中間層や富裕層に属する男女の<生>=<性>をずたずたにしたあげく、「ガス室に送り込め」というナチスの呼び声がとても身近に感じられる子どもたちが出現するようになってくる。実際そうなった。下層労働者階級の子どもたちはナチス党のヒットラー総統の呼び声が自分たち虐げられた者たちの心の叫びを代弁してくれているかのような錯覚にすんなり陥る。一方、中間層や富裕層に属する男女たちは相変わらず、もはや計測され数値化されて「死物」でしかなくなってはいても、貧困層の子どもたちとはまるで違う自由が保証され<生>=<性>を堪能し遊び回っている。中間層や富裕層に属する男女たちの<生>は生き生きしており彼らは好き放題に<性>を堪能し合って人生を謳歌している。憎悪が憎悪を呼ぶ装置ができあがるのにそれほど時間はかからなかった。
なかでも中間層がリンチの標的にされたのは特徴の一つである。政治的中立などというものは始めからあり得ないからだ。貧困層の子どもたちが幼少期から身をもって知らされたのは、政治的中立という立場はただ単に多数派の政治的横暴を見て見ぬふりに過ぎないものだからである。さらに同性愛者迫害について。同性愛者は何も特別な存在ではなくヨーロッパにはそれこそギリシャの昔から一定数いる。だが同性愛者は富裕層の異性愛者と同じように<性>を堪能することができる。決して「死物」化されることなく自分たちの<性>を生き生きと快楽することができる。それがナチスに忠誠を誓う暴力団員や殺人請負人にとっては許し難い生活様式に写って見える。ナチス党は労働者階級にわだかまるそのような事情のすべてを動員してアウシュヴィッツに代表される強制収容所をどんどん成立させていった。その教訓から戦後世界は国連の名において「教育の平等」や「貧困撤廃」を掲げたわけだが今や風前の灯でしかない。
「『やめて、もうたくさんよ』と、フリーダは言って、イェレミーアスの腕を引っぱった。『この人は、熱にうなされて、自分の言っていることもわからないんですわ。でも、K、あなたはいらっしゃらないで。お願いします。あれは、わたしとイェレミーアスとの部屋ですのよ。というよりか、むしろわたしだけの部屋です。あなたがおいでになることを、わたしがお断りします。あら、K、ついていらっしゃるわね。どういう理由があってついていらっしゃるの。わたしは、もうけっしてあなたのところになんか帰りませんよ。そんなことを考えただけでも、身ぶるいしますわ。さあ、あなたの娘さんたちのところへ行ってらっしゃい。あのズベ公たちは、ストーヴのそばの長椅子にシャツを着たきりであなたとならんで腰をかけているって聞きましたわ。それに、あなたを迎えにいくと、猫のようなうなり声を吹っかけるんですってね。あの娘たちに惹(ひ)かれていらっしゃるんですから、あそこなら居心地がいいでしょう。わたしは、あそこへ行かないようにいつもあなたを引きとめました。あまり成功はしませんでしたが、何度も引きとめました。それも、もう過ぎたことです。あなたは、自由の身です。すてきな生活があなたを待っていますわ』」(カフカ「城・P.419」新潮文庫 一九七一年)
そうフリーダはいう。フリーダの言葉はもう二度とKに会うことはないし会う気持ちもないと告げている。そんなフリーダの恋愛感情にもかかわらずフリーダはそう宣言することでKに場所移動する絶好の機会を与えている。思い出そう。<娼婦・女中・姉妹>の系列はどのような機能を演じるか。作品「アメリカ」でカールをアメリカへ移動させたのはほかでもない「女中」である。
「そこらあたりの女中に誘惑されたあげく、あまつさえ二人の間に子供までできてしまった因果に、十六歳の若い身空ではるばるアメリカ三界へ貧乏な両親の手で厄介ばらいされることになったカール・ロスマンは、いましも汽船が速力を落としてゆるゆるとニューヨークの港へ入って行ったとき、ずっと前から目をそそいでいた自由の女神の像がとつぜん一段とつよくなった日光にまぶしく照らし出されたような気がしたものだ」(カフカ「アメリカ・P.5」角川文庫 一九七二年)
カールの冒険は場所をアメリカへ移動させたところから始まる。だがアメリカはカールをあちこち場所移動させるばかりで決して定住させることはない。
BGM1
BGM2
BGM3
「そのとき、脇(わき)廊下のほうでわめき声がした。イェレミーアスだった。彼は、脇廊下へ降りていく階段のいちばん下に立っていた。シャツを着ただけだが、その上にフリーダの肩掛けを羽織っていた。髪はくしゃくしゃで、薄いひげはぬれ、哀願と非難をこめて眼をかろうじて大きく見ひらき、黒い頬(ほお)は、赤らんでいたが、ぶよぶよの肉でできているみたいだった。寒さのあまりむきだしの脚をがたがたふるわせるので、それにつれて肩掛けの長いふさも、いっしょにふるえた。そんな格好で立っているところは、まるで病院を脱けだしてきた患者そっくりだった」(カフカ「城・P.418」新潮文庫 一九七一年)
しかしイェレミーアスは一体どこから現れたか。カフカはしっかり書いている。「脇廊下へ降りていく階段のいちばん下」。或る部屋と別の部屋との<あいだ>にある「廊下」。この事情はすぐさま「審判」の次の箇所を思い起こさずにはいない。
「『ぜんぜん気にしちゃいないさ』、と廷吏は言った、『まあこの待合室を見てごらんなさい』。それは長い廊下なのだった、そこに荒っぽいつくりのドアがいくつもついていて、屋根裏の各部屋に通じているのだ。直接光の入りこむ口はないけれどもそこはまっくらではなかった。というのはいくつかの部屋が、廊下に面して、均一の板壁のかわりにむきだしのしかも天井までとどく格子(こうし)になっていて、そこからいくらか光が洩(も)れてきたからだ。そこからはまた中の役人を見ることもできた。机にむかって物を書いたり、ぴったり格子にへばりついて、隙間から廊下の人びとをじろじろ眺めたりしている。日曜日だったせいか、廊下には少数の人がいるだけだった。かれらはみな非常に慎しみ深い人びとという印象を与えた。たがいにほとんど規則正しい間隔をおきあって、廊下の両側に置かれた二列の長い木のベンチに腰かけている。かれらはみなだらしのない服装をしていたけれども、そのくせほとんどの者は、顔の表情とか、態度、ひげの恰好(かっこう)、その他しかと言うことのできぬ多くのこまかな点から、上流階級の連中だとわかった。帽子掛けがなかったのでかれらは帽子を、たぶんだれかがだれかの真似(まね)をして、みなベンチの下においていた。ドアのそばにいた者たちがKと廷吏の姿を認めて挨拶(あいさつ)のために立上ると、それを見て次の者たちは自分らも挨拶しなければならぬと思いこみ、全員が二人の通りすぎるときに立上った。かれらは決して完全に直立したわけではなくて、背中はかがみ、膝(ひざ)は折れ、まるで往来の乞食のようだった」(カフカ「審判・P.92~94」新潮文庫 一九九二年)
「城」では「まるで病院を脱けだしてきた患者そっくりだった」とあり「審判」では「まるで往来の乞食のようだった」とある。イェレミーアスの姿ががらりと変わっているのを見たKは、しかしなぜ見ることができたのか。イェレミーアスが現れた廊下は廊下であるにもかかわらずまったくの暗闇ではなく、かといって煌々と電灯に照らし出されているわけでもない。<薄暗がり>だったからである。「審判」で描かれた「廊下」はそれをやや細かく描写した形になっている。「直接光の入りこむ口はないけれどもそこはまっくらではなかった。というのはいくつかの部屋が、廊下に面して、均一の板壁のかわりにむきだしのしかも天井までとどく格子(こうし)になっていて、そこからいくらか光が洩(も)れてきた」と。
またイェレミーアスが現れた場所はただ単なる廊下ではなく「階段のいちばん下」となっていることから、かつては階級闘争の暗喩を読み取る読者が少なからずいた。そう読むことは可能である。しかしその種の<読み>は「審判」で描かれている廊下の様相ですでに無効化されている。「ほとんどの者は、顔の表情とか、態度、ひげの恰好(かっこう)、その他しかと言うことのできぬ多くのこまかな点から、上流階級の連中」であり、そういう人々自身がもはやすでに「まるで往来の乞食のよう」でしかないからだ。もし階級闘争がまだ可能だったならカフカはこのような記述方法を取らなかっただろう。カフカは極めて今日的世界について書いている。階級闘争がなくなった世界というわけではない。事情はもっと絶望的だ。階級闘争というものはいつまで待ってももう二度とやってこなくなった世界のありさまを描いている。
ますます増大する貧困からの脱却不可能性は競争への意志をあらかじめくじいてしまう方向を強靭化する。従って次々と現れてくる現象はこうなる。希望の消滅。競争の消滅。歴史の消滅。融資も投資も意味がなくなる。そして資本主義的ダイナミズムの消滅。銀行はただ単なる貯金箱へと解消され、金融取引機関としては無意味化する。また資本主義が生き残った理由についてはドゥルーズ=ガタリから何度も引いてきた。どのようにしてロシア革命を消化したか。
「資本主義は、古い公理に対して、新しい公理⦅労働階級のための公理、労働組合のための公理、等々⦆をたえず付け加えることによってのみ、ロシア革命を消化することができたのだ。ところが、資本主義は、またさらに別の種々の事情のために(本当に極めて小さい、全くとるにたらない種々の事情のために)、常に種々の公理を付け加える用意があり、またじっさいに付け加えている。これは資本主義の固有の受難であるが、この受難は資本主義の本質を何ら変えるものではない。こうして、《国家》は、公理系の中に組み入れられた種々の流れを調整する働きにおいて、次第に重要な役割を演ずるように規定されてくることになる。つまり、生産とその企画に対しても、また経済とその『貨幣化』に対しても、また剰余価値とその吸収(《国家》装置そのものによるその吸収)に対しても」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第三章・第十節・P.303~304」河出書房新社 一九八六年)
ロシア革命の衝撃から学んだ資本主義は労働組合活動を認めることで誰にでも社会進出のためのチャンスを与える基礎を築いた。だが労働運動はともすればアナーキーな爆発を起こしがちな傾向を持っている。そこでどの国の政府も警察権力を用いて注意深い監視を行いながら、資本主義自身は傷一つ付かないようわざわざ「労働組合のための<公理>」を与え、いつどこからでも湧き起こってくる欲望の流れを<公理系>という整流器に流し込んですんなり処理してしまう方法を案出した。今の日本でこの「労働組合のための<公理>」に乗ったのが「連合」であり、一度手を結んだ以上、日本政府の御用組合と化するのにそれほど年月はかからなかった。国鉄が解体されてJRとなり「国労」から「連合」へ転向した瞬間、今に至る成り行きはすでに決定されていたと十分に言える。
選挙権の拡充や男女雇用機会均等法もまたそうだ。とりわけ男女雇用機会均等法は当初懸念されていたように劣悪な結果をもたらしつつある。言うまでもなくその恩恵を受けることができたのは均等法施行以前からの富裕層の子女がほとんどであり、以前からの貧困層は均等法施行以後もなお驚くべき賃金格差に晒されている。さらにパンデミック禍で不意に加速しつつ顕在化してきたテレワークの功罪のように、とっととネット環境を整えることができる比較的裕福な家庭の子供たちと、整えるどころか子どもたちの面倒を見る時間すらまともに取れない低賃金重労働に喘ぐ貧困世帯の子供たちとの教育格差は日に日に開いていくばかり。
荒れ果てた貧困家庭の子どもたちはしばしば不必要にマッチョ化する傾向が見られる。それはかつてのドイツでナチスに忠誠を誓う暴力団員や殺人請負人となって出現した。ユダヤ系最下層階級の人々や同性愛者、無防備に政治的中立性を訴える中間層や富裕層の若い男女たちを捕まえてリンチに処し肉体をずたずたにして強制収容所へ送り込んだ。しかしなぜそうなるのか。貧困家庭の子どもと富裕層の子どもとはいつも比較対照される状態に置かれている。ただ単に学力に限った話ではなく、特に身体において計測され数値化される。一度計測され数値化された人間の身体は生き生きとした生身の肉体ではあり得ず、すでに数値化され登録された「物」=「死物」でしかない。なかでも貧困層の子どもたちは周囲から受ける仰天するほど過酷な差別によって自分の身体はすでに「死物」でしかなく、ゆえにどこまでも差別視されていくほかないことに底なしの絶望感と異様に鋭くなった敏感さとを受け取らざるを得ない。するとその中からよりいっそうマッチョになって自分を差別した中間層や富裕層に属する男女の<生>=<性>をずたずたにしたあげく、「ガス室に送り込め」というナチスの呼び声がとても身近に感じられる子どもたちが出現するようになってくる。実際そうなった。下層労働者階級の子どもたちはナチス党のヒットラー総統の呼び声が自分たち虐げられた者たちの心の叫びを代弁してくれているかのような錯覚にすんなり陥る。一方、中間層や富裕層に属する男女たちは相変わらず、もはや計測され数値化されて「死物」でしかなくなってはいても、貧困層の子どもたちとはまるで違う自由が保証され<生>=<性>を堪能し遊び回っている。中間層や富裕層に属する男女たちの<生>は生き生きしており彼らは好き放題に<性>を堪能し合って人生を謳歌している。憎悪が憎悪を呼ぶ装置ができあがるのにそれほど時間はかからなかった。
なかでも中間層がリンチの標的にされたのは特徴の一つである。政治的中立などというものは始めからあり得ないからだ。貧困層の子どもたちが幼少期から身をもって知らされたのは、政治的中立という立場はただ単に多数派の政治的横暴を見て見ぬふりに過ぎないものだからである。さらに同性愛者迫害について。同性愛者は何も特別な存在ではなくヨーロッパにはそれこそギリシャの昔から一定数いる。だが同性愛者は富裕層の異性愛者と同じように<性>を堪能することができる。決して「死物」化されることなく自分たちの<性>を生き生きと快楽することができる。それがナチスに忠誠を誓う暴力団員や殺人請負人にとっては許し難い生活様式に写って見える。ナチス党は労働者階級にわだかまるそのような事情のすべてを動員してアウシュヴィッツに代表される強制収容所をどんどん成立させていった。その教訓から戦後世界は国連の名において「教育の平等」や「貧困撤廃」を掲げたわけだが今や風前の灯でしかない。
「『やめて、もうたくさんよ』と、フリーダは言って、イェレミーアスの腕を引っぱった。『この人は、熱にうなされて、自分の言っていることもわからないんですわ。でも、K、あなたはいらっしゃらないで。お願いします。あれは、わたしとイェレミーアスとの部屋ですのよ。というよりか、むしろわたしだけの部屋です。あなたがおいでになることを、わたしがお断りします。あら、K、ついていらっしゃるわね。どういう理由があってついていらっしゃるの。わたしは、もうけっしてあなたのところになんか帰りませんよ。そんなことを考えただけでも、身ぶるいしますわ。さあ、あなたの娘さんたちのところへ行ってらっしゃい。あのズベ公たちは、ストーヴのそばの長椅子にシャツを着たきりであなたとならんで腰をかけているって聞きましたわ。それに、あなたを迎えにいくと、猫のようなうなり声を吹っかけるんですってね。あの娘たちに惹(ひ)かれていらっしゃるんですから、あそこなら居心地がいいでしょう。わたしは、あそこへ行かないようにいつもあなたを引きとめました。あまり成功はしませんでしたが、何度も引きとめました。それも、もう過ぎたことです。あなたは、自由の身です。すてきな生活があなたを待っていますわ』」(カフカ「城・P.419」新潮文庫 一九七一年)
そうフリーダはいう。フリーダの言葉はもう二度とKに会うことはないし会う気持ちもないと告げている。そんなフリーダの恋愛感情にもかかわらずフリーダはそう宣言することでKに場所移動する絶好の機会を与えている。思い出そう。<娼婦・女中・姉妹>の系列はどのような機能を演じるか。作品「アメリカ」でカールをアメリカへ移動させたのはほかでもない「女中」である。
「そこらあたりの女中に誘惑されたあげく、あまつさえ二人の間に子供までできてしまった因果に、十六歳の若い身空ではるばるアメリカ三界へ貧乏な両親の手で厄介ばらいされることになったカール・ロスマンは、いましも汽船が速力を落としてゆるゆるとニューヨークの港へ入って行ったとき、ずっと前から目をそそいでいた自由の女神の像がとつぜん一段とつよくなった日光にまぶしく照らし出されたような気がしたものだ」(カフカ「アメリカ・P.5」角川文庫 一九七二年)
カールの冒険は場所をアメリカへ移動させたところから始まる。だがアメリカはカールをあちこち場所移動させるばかりで決して定住させることはない。
BGM1
BGM2
BGM3