白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・<娼婦・女中・姉妹>の系列と<子ども=悦ばしき好奇心>の系列

2022年01月06日 | 日記・エッセイ・コラム
カフカ「城」に出てくる「フリーダ」は<娼婦・女中・姉妹>の系列に属する。スターリン主義ソ連にもナチス・ドイツにもアメリカ型資本主義にもできないことをフリーダはやって見せる。ただしそれができるのはフリーダがKを相手にしている場合に限ってである。なぜKと接している時にはそれが可能なのか。Kはいつも必ずヘーゲル弁証法的な行動を選択するからである。誰もそのすべてを知らない「城」を畏怖してやまない町の中で他の住民たちも〔Kと接する時以外は〕ヘーゲル弁証法的に振る舞う〔主人でなければ奴隷として振る舞う〕ほか生きていく方法を知らない。だが<娼婦・女中・姉妹>としてのフリーダはまるで違う。とはいえフリーダはそれを理論化した上で計画的に動くことであらかじめKを別の水路へ置き換え生かしてやるのではなく、フリーダが町の中で<娼婦・女中・姉妹>としての機能を果たしている以上、思いがけず、しかし必ず、Kのための逃走線を不意に用意してしまうのである。フリーダはソ連型官僚主義的にであれアメリカ型資本主義的にであれ、いずれにしても計画性などてんで持っていない。ただ<娼婦・女中・姉妹>しか持ち得ない性的「獣性」と共にKと行動する限りでいとも容易にKの致命的行きづまりを回避させ逃走させてやる。逃走といってもKは走って逃げるわけではさらさらない。町の中にいながらにしてKはそれまで突き進んでいた路線からふいに別の路線へと変更・移動する。フリーダはKの路線を切り換えるポイントとして機能する。また「城」の全貌について誰もが少しずつしか知らない限りですべての村民は「城」の<諸断片>でしかない一方、すべての村民がその<諸断片>でしかない限りで始めて成立し思うがまま暴虐を振るうことができるようになる「城」なのだ。

「『あら、測量師さんのことは、すっかり忘れてしまっていましたわ』。フリーダは、そう言いながら、小さな足をKの胸の上にのせた。『とっくに出ていってしまったのじゃないかしら』。『しかし』と、亭主は言った。『さっきからほとんど玄関にばかりいたんだが、彼の姿は見かけませんでしたよ』。『でも、ここにはいませんわ』。フリーダの答えは、まるでそっけなかった。『ひょっとすると、どこかに隠れておられるかもしれませんね。わしが受けた印象じゃ、あの男は、あれでなかなかのすご腕のようですよ』。『そんな大胆なことをできそうな人ではなさそうですわ』と、フリーダは、さらにつよく足をKのからだに押しつけた。これまではまったく気がつかなかったのだが、フリーダという女には、どこかお茶目で奔放なところがあって、それがいま急に表面に出てきたらしい。というのは、突然笑いながら、『もしかしたら、この台の下にでも隠れているのじゃないかしら』と言って、Kのほうに身をまげて、すばやくキスをするなり、さっと立ちあがり、いかにもしょげきったように、『ここにはいませんわ』と、しらをきったからである。しかし、亭主は亭主で、Kをびっくりさせるようなことを言った。『あの男が出ていったかどうかが確かにわからないのは、じつにいやな感じです。なにもクラムさんのことだけでそうなのでなく、宿の規則のためです。しかも、フリーダさん、この規則は、わしに当てはまるだけでなく、あなたにも適用されるのですぞ。酒場のことは、あなたが責任をもってください。わしは、これからほかの部屋を見てまわります。じゃ、お疲れさま。よくおやすみなさい!』亭主がまだ部屋を出ていくかいかないうちに、フリーダは、はやくも電燈のスイッチを切るなり、カウンター台の下のKのそばに来ていた。『好きな人!わたしの大好きな人!』と、彼女は、ささやいたが、Kのからだにはふれなかった。恋のために気が遠くなったみたいに仰向けに寝ころんで、両腕をのばしていた。これからはじまる愛の陶酔をまえにしては、時間も無限であるらしかった。なにやら小唄(こうた)を口ずさんだが、うたっているというよりもため息をついているという感じだった。やがて、Kがいつまでもだまって考えごとにひたっているので、やにわに身を起すと、子供がするようにKを引っぱりはじめた。『いらっしゃい。こんなところじゃ、息がつまってしまってよ』。ふたりは、抱きあった。Kの腕のなかで、小さなからだが燃えた。彼らは、失神したような状態でころげまわった。Kは、この失神状態からたえず抜けだそうとこころみたが、どうにもならなかった。しばらくころげまわっているうちに、どすんとにぶい音をあててクラムの部屋のドアにぶつかった。それからは、こぼれたビールの水たまりや床一面にちらばったごみのなかに寝ころんでいた。そうして、ふたりの呼吸と心臓の鼓動がひとつになった何時間かがすぎていった。そのあいだじゅうKは、自分は道に迷っているのかもしれない、あるいは、自分以前にはまだひとりの人間も足をふみ入れたことがないような遠い異郷の地に来てしまったのかもしれないという感じ、ここでは空気ですらも故郷の空気とは異質で、その異質な空気のために息がつまりそうでありながらも、その妖(あや)しい魅力にたぶらかされてこのまま歩きつづけ、道に迷いつづけることしかできないという感じをたえずもちつづけていた。だから、クラムの部屋からふとくて低い、命令口調のぶっきらぼうな声でフリーダの名前を呼ぶのがきこえたときも、すくなくとも最初は驚愕(きょうがく)というよりも、ほっと安堵(あんど)に似た気持がしたものだった。『フリーダ!』と、彼は、女の耳にささやいて、彼女を呼ぶ声がするたびに、それを伝えてやった。フリーダは、ほとんど生れつきのような従順さでさっと起きあがったが、自分がどこにいるかを思いだすと、また寝そべって、声をたてずに笑いながら、『でも、わたしは、行ったりなんかしないわ。あの人のところへは絶対に行かないわ』。Kは、それに反対して、むりにでも彼女をクラムのところへ行かせようとおもい、ちらかったブラウスなどを集めにかかったが、それを口に出して言うことはできなかった。フリーダを腕に抱いていると、無上に幸福だった。不安なほど幸福でもあった。というのは、もしフリーダに去られたら、自分がもっているすべてのものを失ってしまうような気がしたのである。フリーダも、Kの同意に力づけられたかのように、こぶしを握りしめると、ドアをたたいて、叫んだ。『わたしは、測量師といっしょにいるのよ!測量師さんといっしょなのよ!』これで、クラムは、とにかく静かになった。しかし、Kは、起きあがると、フリーダとならんで膝(ひざ)をつき、ほの暗い夜あけまえの光のなかを見まわした。なんということになってしまったのだろうか。彼の希望は、どこへ行ってしまったのだろうか。フリーダがすべてを打明けてしまったいまとなっては、彼女からどれだけのことを期待できようか。敵の手ごわさと自分の目標の大きなにふさわしい細心の慎重さをもって歩一歩すすんでいくはずだったのに、こんなところで一晩じゅうビールの水たまりのなかをころげまわってしまったのだ。ビールの匂(にお)いは、いまもむかつきそうだった。『なんということをしてしまったんだ』と、彼は、だれに言うともなしにつぶやいた。『これで、ふたりともおしまいさ』。『ちがうわ』と、フリーダが言った。『おしまいになったのは、わたしだけよ。そのかわり、あなたを自分のものにしたわ。あんまりくよくよなさらないで。でも、見てごらん、あのふたりが笑ってるわ』」(カフカ「城・P.74~77」新潮文庫 一九七一年)

フリーダは絶望的な言葉を漏らす。しかしフリーダは決して死んだりするわけではなく、相変わらず<娼婦・女中・姉妹>の系列の中を往来しつつ何でもなかったかのように何度も繰り返しKの前に登場する。その意味でフリーダは城の<諸断片>の一つであるにもかかわらずその機構を代表する<父母>的かつ直接的<代理人>ではなく、むしろ直接的<代理人>とKとの<あいだ>を往来する<娼婦・女中・姉妹>的<非定住民>として動く。従って、行きづまったKの進路の、別の路線への移し換えはこのような結節点(ポイント)の役割を演じる<娼婦・女中・姉妹>としてのフリーダにしかできない。

さて、戦前の日本の事情。年末年始でぼろ儲けする神社仏閣について。赤松啓介は「女たち」についてこう述べる。

「戦前の女たちが最も恐れたのは厄どしで、それを払う厄落としに熱心であった。女の厄は七、十三、十九、三十三、三十七、四十二などであるが、とくに十九、三十三を一生の大厄とする。詳しいことは各地方によって、また宗派、教団でも多少の差はあるが、だいたいそういうことになっていた。大厄には前厄(まえやく)、本厄(ほんやく)、後厄(あとやく)と三年間連続する。また当人の星廻りとか、えとによって重厄、大厄、小厄など深浅の差があり、本厄が重厄とかさなると生命も危いというわけだ。これだけ脅かされると、よほど気の強い女でもなんとか脱出の方法がないかと心配する。そこで昔からいろいろの厄落としの方法があり、通常は年頭に信仰の神仏へ参り厄払いを祈願した。また親類、近所の人たちを招いて『年祝い』したり、櫛や銭など所持品を道の辻へ落とすなど、土俗的信仰は各地に多い。民間信仰型教会、とくに大阪などでは諸国の信者の風習が、いろいろと持ちこまれてくる。これがまた行者や祈禱師たちの、よい金儲けのネタになった。うんと脅しておけば、それだけ儲けも大きくなる」(赤松啓介「性・差別・民俗・三・土俗信仰と性民俗・二・土俗信仰と性民俗・P.248~249」河出文庫 二〇一七年)

ところが一九九〇年代後半から長期化した不況〔日本国内の経済的諸条件〕は、赤松が生きていた頃に日本が置かれていた経済的諸状況へと国家丸ごと加速的に急接近させた。その意味では今年もまた日本で暮らすすべての住人にとって「厄年」に当たるに違いない。一般的な経済学では「市場経済」という用語で語られるけれども、そうではなく「資本主義」として考えなければなぜそうなるかという理由など見えてくるはずはないのだ。といえばいいのか、たとえ見えはしても経済学の教科書に載っている「市場経済」という専門用語が資本主義の<流れ>を常に覆い隠し見誤らせてしまうようにできているため、悪循環がさらなる悪循環を描きにやって来るのは仕方がない。荘子はいう。

「老聃死、秦失弔之、三號而出、弟子曰、非夫子之友邪、曰、然、然則弔焉若此可乎、曰、然、始也、吾以爲其人也、而今非也、向吾入而弔焉、有老者哭之哭其子、少者哭之如哭其母、彼其所以會之、必有不求言而言、不求哭而哭者、是遁天倍情、忘其所受、古者謂之遁天之刑、適來夫子時也、適去夫順也、安時處順、哀樂不入也、古者謂是帝之縣解

(書き下し)老聃(たん)死す。秦失(しんいつ)これを弔(ちょう)し、三たび号して出(い)づ。弟子曰わく、夫子(ふうし)の友に非ずやと。曰わく、然りと。然らば則ち弔するおと此(か)くの若(ごと)くにして可(か)ならんや。曰わく、然り。始めは、吾れ以て其の人と為せるも、而(しか)も今は非(ひ)なり。向(さき)に吾れ入(い)りて弔せるに、老者のこれを哭(こく)すること其の子を哭するが如く、少者のこれを哭すること其の母が哭するが如きあり。彼れ其のこれに会する所以(ゆえん)は、必ず言(とむらい=唁)を求(もと)めざるに而も言(とむら)い、哭を求めざるに而も哭する者あらん。是れ天を遁(のが)れ情に倍(そむ=背)きて其の受くる所を忘る。古者(いにしえ)は、これを天を遁るるの刑と謂えり。適々(たまたま)来たるは夫子(ふうし)の時なり、適々去るは夫子の順なり。時に安んじて順に処(お)れば、哀楽も入る能わず。古者(いにしえ)は是れを帝の県解(けんかい)と謂えりと。

(現代語訳)老聃(ろうたん)が死んだ。秦失(しんいつ)はその弔(とむら)いにゆくと、型どおり三度の号泣をしただけで退出した。〔老聃の〕門人が〔いぶかしく思って〕『あなたは先生の友人ではないのですか』というと、〔秦失は〕『そうだ』と答えた。『それなら、あんな型どおりの弔いかたで良いものでしょうか』。〔秦失は〕答えた、『あれで良い。以前はわしは〔あの人を〕老聃という人物と考えて〔友人になって〕いたが、しかし今ではそうでない。さきほどわしが部屋に入って弔(とむら)ったとき、老人ではまるで自分の子をなくしたときのように哭泣(こくきゅう)し、若者はまるで自分の母をなくしたときのように哭泣しているものがあったが、彼らが老聃のために集まっていることは、きっと〔その教えにそむいて〕お弔(とむら)いを求められもしないのにかってに弔い、哭泣を求められもしないのにかってに哭泣しているものであろう。これは〔生死という〕自然の道理からはずれて人生の実情にそむき、天から受けた本分を忘れたものである。むかしの人は、こういうのを遁天(とんてん)の刑ーーー自然の道理からはずれる罰ーーーとよんだ。あの先生がたまたまこの世にやって来たのは、生まれるべき時にめぐりあっただけのことだし、あの先生がたまたまこの世を去ってゆくのも、死すべき道理に従っていくということなら、〔生まれたからといって喜ぶこともなく、死んだからといって悲しむこともなく〕喜びや悲しみの感情が入りこむ余地はない。こうした境地を、むかしの人は帝の県解(けんかいーーーーすなわち絶対者による束縛からの解放)とよんだのだ』」(「荘子(第一冊)・内篇・養生主篇・第三・五・P.98~100」岩波文庫 一九七一年)

しかし荘子がここで述べている「縣解(けんかい)」は「絶対者による束縛からの解放」。ところがニーチェのいうように今や「神は死んだ」。絶対者などどこにもいないしありもしない。だからといって「縣解(けんかい)」=「束縛からの解放」も同時に失われたかといえばそうではない。資本主義に取って換わったというばかり。そこで資本主義社会の中には無数のフリーダ・<娼婦・女中・姉妹>の系列がひしめいていることを思い出そう。ポイントの切り換えはいつも行われている。さらに<娼婦・女中・姉妹>の系列のすぐ脇に<子ども>の系列がある。系列は多岐に渡り多様性のうちに曖昧模糊としている。犯人かと思って追い込んでみたら実はどこにでもいる子どもが遊びで造って放ったらかしにしておいた案山子(かかし)に過ぎなかったという案件が大量に発生してきた。そして子どもたちの中には不意打ち的に「どうして王様は裸なの?」と声に出して大人に尋ねたがるというケースが後を絶たない。義務教育課程に入れば、多少なりともいずれニーチェのいう「悦ばしき知識」へ接続されることになる「悦ばしき好奇心」を子どもたちは胸一杯に抱き、その小さな身体の言語で大いに語るのである。

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