白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・おそろしく古いKの周囲の官僚制と現代日本資本主義社会の共通点

2022年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム
カフカの<諸断片>で突然出現する恐ろしく古いアニミズムのような世界。例えば「審判」の次の箇所。Kは作品冒頭、身に覚えのない罪で逮捕されたため、逮捕しに来た二人を訴えていた。しばらくしてKが務める銀行事務所の「廊下」を歩いていたら、「廊下」に面した物置場で監視人が二人とも「笞刑」に遭っている。「監視人フランツ」を訴えたはKの側だ。しかし「笞刑」に処してほしいとはひとこともいっていないし「笞刑」が決定されたことも「笞刑」がすでにこんな場所で実施されていることも何一つKには知らされていない。訴訟を起こしたのはなるほどKの側に違いない。にもかかわらず被告の側がいつ「笞刑」相当とされたばかりかもう「笞刑」実施に及んでいるなど、K自身にはまったく覆い隠されているという事態。あまりにひどいとKの側から二人の監視人に対する「笞刑」の停止を笞刑官に申し出る。ところがすでに決まったことだしもう実行されていると笞刑官は答える。見てのとおりというわけだ。「監視人フランツ」もKを逮捕しに来た時とはまるで見違えるほど諦めに満ちた様子で自分の置かれた立場について説明する。説明しても仕方がないという諦念をどこかから申し送ってくる何ものかに対してもはや無力であるという態度をありありと漂わせながら。もう一人の監視人はKが監視人を訴えたからこんなみっともないことになった、自分は監視人としての義務を忠実に果たしただけに過ぎないというのにと述べつつ、もう自分は破滅だという意味のことを述べ立てるばかり。そこで対話が長いと感じた笞刑官が間に割って入った。

「『これ以上待てんぞ』、と言うなり笞刑吏は笞を両手でつかんでフランツに打ちおろした。ヴィレムのほうは隅(すみ)っこにうずくまったまま顔を向けることさえできずにこっそり様子をうかがっている。フランツの発した叫びが上った。切れ目もなく変化もなく、とても人間の喉から出たものとは思えぬ、拷問(ごうもん)にかかった楽器からでも出たような叫びであった。声は廊下じゅうにびびいた。建物全体にきこえたに違いなかった」(カフカ「審判・P.121」新潮文庫 一九九二年)

司法と刑罰機構の横暴が何を目指しているのかここでは不明だが、一つはっきりしているのは「笞刑」に遭っている「監視人フランツ」が笞を振り下ろされた際に発した「叫び」である。「痛み」のせいなのかそれとも「快楽」のせいなのかはっきりしないということがはっきりしている。どちらかであるにせよ両方ともにであるにせよフランツの叫びは「建物全体にきこえたに違いなかった」。どれほど大声だったかはわからないが「建物全体」というからにはよほどの絶叫で<なくてはならない>。おそろしく古い原始的アニミズムの世界ではこういうことが年中行事として行われていた。それが「審判」でも行われている点に注目しよう。とすれば「建物全体にきこえたに違いなかった」フランツの「叫び」はもちろん「痛み」ゆえではなく「快楽」ゆえでもなく、端的に「快楽」を<欲望する機械>が発する<悦び>の「叫び」でなくてはならない。そうであってようやく資本主義も本格的に根付いてきたというものだからである。もう一つは短編「万里の長城」にある次のような世界。これまた原始的アニミズム世界の風習の延長上で起こってくる事態。

「村はずれの小さな石柱の上に聖竜像がのっていて、はるかな昔から燃えるような恭順の吐息を帝都に向けて吐きつづけている。だが、帝都北京それ自体が村人にとっては彼岸よりももっと見知らないところである」(カフカ「万里の長城」『カフカ短編集・P.251』岩波文庫 一九八七年)

この事情は現在の日本の政財官界に今なお当てはまる同様の事情であることは論を待たない。さらに輪をかけて、おそろしく古い原始的風習の<保存>という点で日本の右に出る国家はもはや急速に少数派化してきた。

これら二つのケースに共通する原始的アニミズムについて六個の文章を引いておこう。エリアーデから二箇所、フレイザーから四箇所。

(1)「シャーマンになろうとする者は、奇妙な行動によって人目をひくようになる。いつも夢見がちになる、孤独を求める、森や荒地を好んで徘徊する、ヴィジョンを見る、眠りながら歌を歌う、等々である。ときには、こうした準備期はかなり激しい症状で特徴づけられる。ヤクート人のあいだでは、そうした若者は性格が狂暴になり、容易に意識を失い、森にひきこもり、木の皮を食らい、水や火の中に飛び込み、ナイフで身体に傷をつけたりする。世襲シャーマンの場合でも、シャーマン候補者が選定される前には、その者になんらかの行動の変化が見られる。祖先のシャーマンの魂が、一族中からある若者を選ぶ。すると、その若者はぼんやりした状態になり、夢見がちになり、孤独を求めるようになり、預言的なヴィジョンを見たり、ときには意識を失うほどの発作を起こす。この失神のあいだ、ブリヤート人の言うところでは、魂は精霊に拉致されて神々の宮殿に迎えられるのである。魂はそこで、祖先のシャーマンからシャーマン職の秘密や神々の姿と名前、精霊の名前とその儀礼等について教えを受ける。この最初のイニシエーションがすんで、ようやく魂は肉体に戻ることができる」(エリアーデ「世界宗教史5・第三十一章・P.40」ちくま学芸文庫 二〇〇〇年)

(2)「エクスタシーに陥る前の至福感(ユーフォリー)が叙事詩のひとつの源泉となっていることも、充分あり得る。シャーマンはトランス状態に入ろうとする際に、太鼓をたたき、守護の精霊たちを呼び出し、『秘密の言葉』ないし『動物の言葉』をしゃべり、動物の鳴き声、とりわけ鳥たちの歌声をまねる。こうして彼は、言語的創造活動や叙事詩の韻律(リスム)が活性化してくる意識の『第二次状態』を獲得するのである。また、シャーマンや演技がもつドラマ的な性格も忘れてはならない。これは日常生活の世界には匹敵するもののない《スペクタクル》〔見物〕ともなっている。みごとな魔術(火の芸はじめさまざまな『奇蹟』)は、別の世界への幕を開く。そこは神々や魔術師たちの仮想の世界、それでは《すべてが可能》な世界である。そこでは死者たちが蘇り、生者たちが死んで再び蘇る。人が瞬時に消えたり、現われたりできる。『自然法則』は破棄され、超人間的な『自由』がすばらしい形を与えられて、目の前に《現実化》されている。こうした《スペクタクル》が『未開の』共同体にどんな効果を与えているかは、いまや充分にみてとることができよう。シャーマンの行う『奇蹟』は、伝統的宗教の構造を再確認し、強固にするばかりでなく、人々の想像力を刺激し、養って、夢と直接的現実とのあいだの隔壁を取り払い、神々や死者や精霊の住むいろいろな世界へと通ずる窓を開くものなのである」(エリアーデ「世界宗教史5・第三十一章・P.53~54」ちくま学芸文庫 二〇〇〇年)

(3)「クオラ川〔ニジェール川〕に臨むオニチャでは、この土地から罪を拭い去るために、毎年二人の人間が生贄にされる。この生贄は公的な寄付で購入される。過去一年の間に、放火や窃盗、不義、魔術等の大罪を犯した者はすべて、二十八グガ、つまり二ポンド少々を寄付することになっている。こうして集められた金は国の内政に供され、二人の病人を買うために使われる。二人は、『これら忌まわしい犯罪の一切を償うための生贄として捧げられる。ひとりは土地のため、ひとりは川のためである』。二人を殺すために、近隣の町からひとり雇われる。J.C.テイラー司祭は一八五八年二月二十七日、この生贄のひとりが捧げられるのを目にした。生贄は十九=二十歳の女であった。女は生きたまま、顔を伏せ、王の家から二マイル離れた川まで地面を引き摺られた。彼女を取り囲む群集は『邪悪なるもの!邪悪なるもの!』と叫び声を上げた。その目的は、『不正をこの土地から拭い去ることである。遺体は残酷に引いて行かれた。あたかも人々の残酷さの一切の重みが、これによって運び去られるかのようにである』」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十五節・P.250~251」ちくま学芸文庫 二〇〇三年)

(4)「カフカス地方東部のアルバニア人は『月』の神殿に聖なる奴隷を数多く囲い、その中の多くの者が霊感を受けて予言を行った。ひとりがいつも以上に霊感の兆しを見せ、ちょうど密林を彷徨うゴンド族の男のように、森をひとりであちこちうろつきまわると、大祭司が彼を聖なる鎖で拘束し、一年間彼に贅沢な暮らしをさせる。一年が終わると彼は軟膏を塗られ、生贄として引き出される。そして、このような人間の生贄を殺すことが仕事となっている男、経験によってこれが手馴れたものとなっている男がひとり、群衆の中から進み出て、聖なる槍で生贄の脇腹を刺し、心臓を一突きにした。殺される男の倒れ方によって、国の繁栄の吉凶を占ったのである。その後遺体はある場所に埋められ、清めの儀式としてすべての人々がその上に立った。この最後の行為は明らかに、人々の罪がこの生贄に移し替えられたことを示している」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十五節・P.256~257」ちくま学芸文庫 二〇〇三年)

(5)「聖なる存在をスケープゴートとして用いることは、以前述べた。『死神の追放』というヨーロッパの習俗にまつわる曖昧な部分を、消し去ってくれる。この儀式において『死神』と呼ばれるものが、本来は植物霊であったと考える根拠はすでに述べた。この植物霊は、再び若い活力を備えて蘇るようにと、毎年春に殺されたのだった。だが、すでに見たように、この仮説だけでは説明不可能なある種の特徴が、この儀式にはある。『死神』の像が運び出されて埋葬され、もしくは焼かれる際の、歓喜という特徴、そしてまたその担ぎ手たちが見せる、恐怖と憎悪という特徴である。だが、『死神』は単に植物の死にゆく神であるのみならず、同時に、過去一年の間に人々を苦しめた一切の害悪が負わせられる、公共のスケープゴートでもある、と考えれば、これらの特徴は即座に理解可能なものとなる。このような機会に歓喜が伴うのはもっともなことである。そして、死にゆく神が恐怖と憎悪の対象であるように見えたとしても、それは正確には神に対するものではなく、神が負わされている罪と不幸に対するものであって、その恐怖と憎悪は単に、荷を追う者とその荷を区別することが難しい、あるいは少なくとも、両者の違いをはっきりと目にすることが難しい、という原因によるものである。重荷が不吉な性格のものであれば、その担ぎ手は、それら危険物の特性をわが身に染み込ませているぶんだけ、恐れられ、また遠ざけられる。彼はたまたまその媒体となったに過ぎない。ーーーまた、これらの風習において、『死神』が聖なる植物霊を表すのみならずスケープゴートでもあるという見解は、この追放がつねに春に行われ、それもおもにスラヴ民族によって行われるという事実からも裏付けられる。スラヴの一年は春に始まるからである」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十五節・P.261~262」ちくま学芸文庫 二〇〇三年)

(6)「ギリシアの植民地の中でもっとも賑やかで華やかな町マッサリア(マルセイユ)が疫病に襲われたときは、つねに貧民階級の男がひとり、スケープゴートとしてわが身を捧げた。彼はまる一年間公費で養われ、選り抜きの清い食事を与えられた。そして期限が来ると、神聖な衣装を着せられ、聖なる枝葉で飾られ、人民のすべての害悪がこの男の上に下るようにと祈りが唱えられるなか、町中を連れ回された。そしてこの町から追い出されたのである。アテナイ人はつねに大量の堕落した無用な人間たちを公費で養っていた。そして疫病や旱魃や飢饉といったなんらかの災難が町を襲うと、これらの浮浪者の中から二人をスケープゴートとして生贄に捧げた。ひとりは男たちのため、ひとりは女たちのために捧げられた。前者は首に黒いイチジクを通した紐を、後者は白いイチジクを通した紐を巻いた。ときには女たちのために殺される生贄が、女となることもあったらしい。生贄は町を連れ回された後に殺されるが、町の外で、石で殺されたように思われる。しかしこのような生贄の儀式は、なにも大きな災害が起こった場合だけに限られてはいなかった。毎年五月のタルゲリア祭〔アテナイでタルゲリオン月ーーー現行の太陽暦では五月から六月に当たるーーーに行われたアポロンとアルテミスの祭り〕では、男女ひとりずつの二人の生贄がアテナイの町から追い出され、石に打たれて殺された」(フレイザー「金枝篇・下・第三章・第十五節・P.264~265」ちくま学芸文庫 二〇〇三年)

次にカフカが小説を書くに当たって採用した二つの方法について。一つは「万里の長城」の次の箇所が参考になる。「指導部は考慮したのだ」とある「指導部」を「カフカ」と置き換えればこの操作はすぐに済む。

「指導部は考慮したのだ。その結果、工区分割方式が採用された。十分ありうることである。われわれ、つまりその他大勢組は指導部よりの指令を反復咀嚼(そしゃく)するうちにようやく自分自身に気がついたわけであり、指導部なしにはいくら机上の学問と世間並みの常識を動員しても、大工事のなかで担っているささやかな任務を遂行するのさえおぼつかなかったかもしれない。指導部のおかれている部屋ではーーーそれがどこにあるのか、またそこにはいかなる人がましますのやら、誰にたずねても一人として答えられなかったがーーーその部屋では必ずやありとあらゆる人間的思念と願望が渦を巻き、またこの渦と逆方向に、すべて人間のはたすべき目標と実現の渦がさか巻いていただろう。何種類もの設計図を引いている指導者たちの手に、神々の世界の残光が高窓から射し落ちていたのではなかろうか」(カフカ「万里の長城」『カフカ短編集・P.241』岩波文庫 一九八七年)

これこそカフカが創作に際して選び抜いた方法の「一つ」である。なお、重要なのは「指導者たち」と主語が複数形になっている点。ニーチェから二箇所引こう。

(1)「《主観を一つだけ》想定する必要はおそらくあるまい。おそらく多数の主観を想定しても同じくさしつかえあるまい。それら諸主観の協調や闘争が私たちの思考や総じて私たちの意識の根底にあるのかもしれない。支配権をにぎっている『諸細胞』の一種の《貴族政治》?もちろん、互いに統治することに馴れていて、命令することをこころえている同類のものの間での貴族政治?

肉体を信ずることは『霊魂』を信ずることよりもいっそう基本的である。すなわち後者は、肉体の断末魔を非科学的に考察することから発生したものである。

《肉体》と生理学とに出発点をとること。なぜか?ーーー私たちは、私たちの主観という統一がいかなる種類のものであるか、つまり、それは一つの共同体の頂点をしめる統治者である(『霊魂』や『生命力』ではなく)ということを、同じく、この統治者が、被統治者に、また、個々のものと同時に全体を可能ならしめる階序や分業の諸条件に依存しているということを、正しく表象することができるからである。生ける統一は不断に生滅するということ、『主観』は永遠的なものではないということに関しても同様である。また、闘争は命令と服従のうちにもあらわれており、権力の限界規定が流動的であることは生に属しているということに関しても同様である。共同体の個々の作業や混乱すらに関して統治者がおちいっている或る《無知》は、統治がおこなわれる諸条件のうちの一つである。要するに、私たちは、《知識の欠如》、大まかな見方、単純化し偽るはたらき、遠近法的なものに対しても、一つの評価を獲得する。しかし最も重要なのは、私たちが、支配者とその被支配者とは《同種のもの》であり、すべて感情し、意欲し、思考すると解するということーーーまた、私たちが肉体のうちに運動をみとめたり推測したりするいたるところで、その運動に属する主体的な、不可視的な生命を推論しくわえることを学んでいるということである。運動は肉眼にみえる一つの象徴的記号であり、それは、何ものかが感情され、意欲され、思考されているということを暗示する。

主観が主観に《関して》直接問いたずねること、また精神のあらゆる自己反省は、危険なことであるが、その危険は、おのれを、《偽って》解釈することがその活動にとって有用であり重要であるかもしれないという点にある。それゆえ私たちは肉体に問いたずねるのであり、鋭くされた感官の証言を拒絶する。言ってみれば、隷属者たち自身が私たちと交わりをむすぶにいたりうるかどうかを、こころみてみるのである」(ニーチェ「権力への意志・下巻・四九〇~四九二・P.34~36」ちくま学芸文庫 一九九三年)

(2)「どうして、私たちが私たちのより弱い傾向性を犠牲にして私たちのより強い傾向性を満足させるということが起こるのか?それ自体では、もし私たちが一つの統一であるとすれば、こうした分裂はありえないことだろう。事実上は私たちは一つの多元性なのであって、《この多元性が一つの統一を妄想したのだ》。『実体』、『同等性』、『持続』というおのれの強制形式をもってする欺瞞手段としての知性ーーーこの知性がまず多元性を忘れようとしたのだ」(ニーチェ「生成の無垢・下巻・一一六・P.86」ちくま学芸文庫 一九九四年)

ではカフカは独裁者なのか。作者としては間違いなく独裁者である。そうでなければ何一つ書けはしない。小説家というのはそもそもそうでなくては一言半句すら書くことができない。実際のカフカがただ単なる成績優秀な会社員でしかなかったにせよ。ともあれ他の小説家とカフカとの間に決定的違いがあるとすれば、カフカはニーチェのいう「多元性」について十分知った上であえてそう書くことを演じたということだろう。それに気づかなくてはカフカ作品のどこをどう読んでみたとしても、残酷なほどリアルでなおかつ極めて今日的な<読み>は可能になってこない。もう一つの方法についてはもう少し後の機会で述べるだろう。しかしもっとほかにあるかも知れない。だが差し当たり押さえておきたいのはその二種類。ドゥルーズ=ガタリが論じてはいるが。しかしただ単にドゥルーズ=ガタリにばかり依拠していていいものかという問いはもう発生している。二十一世紀ネット社会の全体主義化にともなってその系列や異種が世界中のあちこちで出現し出したことによる。

さて、赤松啓介による「性の民俗学」。日本に村落共同体という形式が成立して以来、今から二〇〇〇年ばかり前からずっと、ムラの女性が被ってきた悲惨というほかない歴史の一端について。

「山伏、修験行者などという連中の間では、真言立川流の教儀が広く行われており、こんなのにひっかかると女はひとたまりもなかった。自分の身体はともかく、二人の娘まで食いものにされ、丑満どき女三人が裸で自宅の井戸の水をくみ上げて水行したという例もあり、ほとんど財産をしぼりあげられていたらしく、親類が警察へ説諭を頼んだため表沙汰になったが、本人が承知の上のことなので戦前の警察でもしようがなかったらしい。その頃、河内あたりの農村で、年に二人か三人ぐらい、狐が憑いた、狸が憑いたというので先生に追い出しを頼み、ゴマや湯立ての煙でいぶり殺された記事が出たものである。詳しいことは他の機会にして、こうした祈禱には行者と験者とがあり、若い験者は行者と同性愛関係があって、それでないと祈禱がうまく進まぬという。女の祈禱師、つまり先生は若い男の助教を連れたがるが、これも同じく性的関係が緊密でないと、うまいこと祈禱が進まぬといい、いわゆる阿吽の息を合わせるためには確かに理由もあった。先生たちも商売であるから、いろいろ新しい販売方法を考えなあかんねやろ、ということである」(赤松啓介「性・差別・民俗・三・土俗信仰と性民俗・二・土俗信仰と性民俗・P.247~248」河出文庫 二〇一七年)

怪しげな新興宗教に入信する人々が後を絶たなかった理由は、平安時代以来の大手宗教団体に行ってもただ単なる「お説教」の繰り返しに遭遇するばかりでお金のない大量の民衆には何一つ「現世利益」にならないため。そこでたまらず新興宗教に飛び込んだケースが数限りなく見られる。何かのっぴきならぬ事情で家を出た女性が娘二人を連れて入信したりすれば、「自分の身体はともかく、二人の娘まで食いものにされ、丑満どき女三人が裸で自宅の井戸の水をくみ上げて水行したという例もあり、ほとんど財産をしぼりあげられていたらしく、親類が警察へ説諭を頼んだため表沙汰になったが、本人が承知の上のことなので戦前の警察でもしようがなかったらしい」、ということが多発した。むしろまたこの手の事件かというくらい多かった。そこで注目したいのは、この文章の中に「狐が憑いた、狸が憑いた」という理由のため「煙でいぶり殺された」とある箇所。どういうことか。

「田舎の媒酌業者が、徹底的にマークするのは、被差別部落と関係がないか、否か。またカッタイや狂人などの病系でないか、否か。あるいは地域によってキツネツキ、イヌガミモチなどの憑(たた)り物筋でないか、否か。だいたい三点が主要課題であって、それが問題なければ家の格とか筋の評判になり、次いで財産や管理状況を調べ、最後に本人の学歴、性格、将来性ということになる。根本的な三点に問題なければ、どこの、どんな家であろうと欠点のない家などないので、後は口先一つでどうにでもなるというのが、まあベテランの口上であった」(赤松啓介「性・差別・民俗・二・村の祭礼と差別・二・農村の結婚と差別の様相・P.123~121」河出文庫 二〇一七年)

この種の身元調査はヒロシマ・ナガサキで原爆投下を見た後もなお収まらず、一九八〇年代バブルの時期でもまだ口やかましく必死になって徹底的な身元調査をやらない前に結婚するなど考えられもしないという家は幾らもあった。一九九〇年代に入ってようやく部落解放同盟も日本共産党もどちらとも同和対策基本法を濫用しすぎたことと、解放同盟の側がより多くの援助金を得ていたために告発され、いったん両者の関係に変化が生じた。では自民党は?両者の対立関係が泥沼化して収集不能に陥るのを見越して黙って眺めて実質的に放置していたに等しい。「漁夫の利」は形ばかりの同和対策団体「全日本同和会」を組織していた自民党の懐に入った。

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