白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・<からゆきさん>から二十一世紀へ届いた手紙

2022年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム
或る時、山崎朋子はこう述べた。

「昭和二十年、第二次世界大戦における敗戦によって日本帝国主義が崩壊し、女性にも政治的・社会的な諸権利が保障されるようになってはじめて、<女性史>というものが成立するようになるのだが、しかしわたしに言わせれば、それらの女性史は、ごく少数の例外のほかは、いずれも一部のエリート女性の歴史であって、決してそれ以外のものではないのである」(山崎朋子「サンダカン八番娼館・底辺女性史へのプロローグ・P.10~11」文春文庫 二〇〇八年)

赤松啓介はその後の山崎朋子の文章をフォローしてこう書いている。

「『サンダカン八番娼館』を書いた山崎朋子が、朝日新聞夕刊に『底辺を生きる女たちのこと』を記している。天草島の元からゆきさんが彼女に、かつて取材と称して訪問したあるマスコミ関係者について、『あんときは面白かったなあ。みんなしていいかげんに<ほら>吹いてやったら、それがそのまんまテレビに出よったよ』『ほんなこつ。手みやげひとつ持たんと、自動車で乗りつけて来おって、帳面片手にフンフン言いながら人の話聞くようなやつに、なんでおれらがほんまのことしゃべらなならん義理があるか!』。あのときの、部屋を揺るがすような老女たちの哄笑を、わたしは肝に銘じて忘れまいと思うーーーと山崎が書いている。これは元からゆきさんにとどまらず、農村のどん百姓、部落、ドヤ、スラム街などの人たちも、役所や学者、余所者と見るとずいぶんとまやかし、ていさいのよいことをいう。師範学校の郷土調査というので同行したら、よんべ夜這いした奴がぬけぬけとおじいさん、おばあさんの代にはやったらしいがといいながら横を向いて舌をペロッと出してみせた。ドヤ、スラム街、零細市場街などの実態調査というのも、あれほどデタラメ、インチキなのはあるまい。土方鉄『差別への凝視』(一九七四年三月、創樹社刊)一〇二頁に『私は(部落の)実態調査に何回か立合ってもみたが、面接による質問に<ウソ>を答えているのを目撃したことがある』と書いており、よほど書き廻しに苦労している。ムラに五年や十年住んだところでほんとうのことがわかるものでなく、ムライリして三代、漸くムラの人間にしてもらえた。いわんやただ通り過ぎて行くだけの連中に、ホンネなど出すものでない。ただの統計材料ならともかく、これは民俗慣行、宗教意識、家族構成、社会構造の素材となると致命的だろう。アフリカや南洋の人たちが、かれやかれらが引上げた後で、どのような『笑い』を笑っているか、目に見えるような気がする。なにをつまらんことをいっているのか。要は現地で暮したこと、学術論文に仕上げたことを業績にすれば、それでよいのだ。この他に、なにが必要なんだ、ということになれば、その通りである。定石通りのいい方にすれば、南洋やアフリカの土人どもに商品を売りつけ、かれらの資源を掠奪する資本のために、先導の道をつけてやれば、それで目的は達せられている。これが真の意味での業績だというなら、その通りだろう。科学とはそういうものとすれば、私たちにはなにか虚しいものが残る」(赤松啓介「性・差別・民俗・一・民俗境界論序説・三・非定住民の世界・P.33~35」河出文庫 二〇一七年)

そもそも両者はずっと立場の異なる世界で暮らしていた。しかし或る時、山崎朋子の文章が赤松啓介の眼に止まった。だが両者の文章はいずれも<断片>に留まる。だからといって無理に繋ぎ合わせる必要性はまるでない。逆に慌てて無理矢理引き離す必要性も全然ない。或る<断片>ともう一方の<断片>との間に直接的繋がりは一つもない。ところがしかし両者による二つの<断片>を目にした読者の頭の中では瞬間的に何かが繋がる。おそらく山崎も赤松も同じ思いがしただろう。というより思いも寄らなかった連続性がまたたく間に出現したことに最も驚いたのは二人の執筆者自身だったかもしれない。そしてそれは余りにも突然のようにカフカの小説に似るのである。かけ離れた場所がいきなり隣接した場所へと接続される。

『全部つつんでください!』、と彼は叫んで画家のおしゃべりを遮(さえぎ)った、『あした小使にとりに来させます』。『その必要はありません』、と画家は言った、『いますぐあなたと行ける運び手を見つけられるでしょう』。そしてようやく彼はベッドの上にかがみこみ、ドアの鍵を開けた。『遠慮なくベッドに上ってください』と画家は言った、『ここに来る人はみんなそうするんですから』。そうすすめてくれなくてもKは遠慮なぞしなかっただろう。それどころか彼はすでに片足を羽根ぶとんにのせてさえいたのだが、開いたドアから外を見て、またその足をひっこめてしまった。『あれはなんです?』、と彼は画家にきいた。『何を驚いてるんです?』、と画家のほうでも驚いてきき返した、『裁判所事務局ですよ。裁判所事務局がここにあるのをご存じなかったんですか?ほとんどこの屋根裏にだって裁判所事務局があるのに、ここにあっていけないわけがないでしょう?わたしのアトリエも本来裁判所事務局の一部なんですが、裁判所がわたしに使わしてくれてるんですよ』。Kはこんなところにまで裁判所事務局を見出(みいだ)したことにそれほど驚いたのではなかった。それより彼は自分にたいし、自分の裁判所に関する無知にぞっとしたのだった」(カフカ「審判・P.220~229」新潮文庫 一九九二年)

カフカ作品の世界では「審判」に限らずこのような事態が何度も繰り返し起こる。そこで気づくのはカフカはただ単にほのめかすに過ぎないエキセントリックな寓話を描いたわけではいささかもないという極めてリアルでなおかつ非常に今日的な事態である。画家のアトリエに隣り合って裁判所事務局がある。<断片>は<断片>のまま立ちどころにリアルである。カフカ作品の世界は今や現実世界と化して世界中あちこちで訴訟の暴風雨を巻き起こして止む気配一つない。さて事態がこうなってくるともはや逃走線はなくなってしまったかのように見える。けれどもそういうわけでもない。荘子はいう。

「罔兩問景曰、曩子行、今子止、曩子坐、今子起、何其無特操與、景曰、吾有侍而然者邪、吾所侍又有侍而然者邪、吾侍蛇虫付蜩翼邪、悪識所以然、悪識所以不然

(書き下し)罔兩(もうりょう)、景(かげ)に問いて曰わく、曩(さき)には子(し)行き、今は子止(とど)まる。曩には子坐し、今は子起(た)つ。何ぞ其れ特操(とくそう)なきやと。景曰わく、吾れは待つ有りて然(しか)る者か。吾が待つ所は又た待つ有りて然る者か。吾れは蛇虫付(だふ)・蜩翼(ちょうよく)を待つか。悪(いず)くんぞ然る所以(ゆえん)を識(し)らん、悪くんぞ然らざる所以を識らんと。

(現代語訳)罔両(うすかげ)が影(かげ)にむかって問いかけた、『君はさきほどは歩いていたのに今はたち止まり、さきほどは坐っていたのに今は立っている。何とまあ定まった節操のないことだね』。影は答えた、『僕は〔自分の意思でそうしているのではなくて〕頼るところ(人間の肉体)に従ってそうしているらしいね。〔ところが〕僕の頼るところはまた別に頼るところに従ってそうしているらしいね。僕は蛇の皮や蟬(せみ)のぬけがら〔のようなはかないもの〕を頼りにしていることになるのだろうか。さて、なぜそうなのか分からないし、なぜそうでないのかも分からないね』」(「荘子(第一冊)・内篇・斉物論篇・第二・十三・P.87~88」岩波文庫 一九七一年)

或る瞬間にはAでありすぐ次の瞬間にはすでにBである。そしてBはAへと回帰することなくさらにその次の瞬間にもうCへと変態していく。だから要するにこの種の連続性と非連続性とについて可視化されねばならないという緊急事態が生じている。もし司法制度が<掟>として存在するとすれば、そして少なくとも日本では存在している以上、とりわけ公的機関が率先してすぐさま取りかからなくては誰しも腑に落ちないという問いがあかるみに出てきた。

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