白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・深刻なKと伸縮自在な官僚<ごっこ>

2022年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム
そもそもKは測量師として城の村へ招聘された。そしてKはやってきた。ところがKはなぜかフリーダと結婚する保証を手に入れることに奔走しなければならない立場に陥っている。測量師としての仕事は何一つしていないばかりか、まだその内容を聞かされてはいないし、そもそも測量を依頼してきた城の機構の責任者と接触できてさえいない。本末転倒した場面を次々と移動しているばかり。じたばたしているうちにKは第五章までやって来た。ちょうど百頁を少し過ぎた頃だ。ようやくというべきかそこで始めて村長と面会することができた。村長はいう。

「『それは、しごく簡単なことです。あなたは、まだわれわれの役所とほんとうに接触されたことは一度もないのです。あなたがおっしゃるような接触あるいは交渉は、すべて見せかけだけのものにすぎないのですが、あなたは、事情をご存じでないから、それをほんとうの接触や交渉だと思いこんでいらっしゃるのです。それに、電話のことですが、役所とほんとうに折衝しなくてはならない用事がいっぱいあるわたしのところには、ごらんのとおり、電話がありません。酒場とか、それに類した場所では、電話も、お金を入れたら音楽の鳴りだす自動ピアノとおなじように大いに役にたつかもしれませんが、それ以上のものじゃありません。こちらへ来てから、すでに電話をなさったことがおありですな。それじゃ、たぶんおわかりのはずです。城では、電話は、すばらしい働きをしているようです。話によると、城内では、ひっきりなしに電話をかけているそうです。むろん、そのために仕事は、大いにはかどるわけです。城内でたえまなしにかけているこの電話の声は、村の電話で聞くと、なにかざわめきの音や歌ごえのようにきこえるのです。これは、確かあなたも聞かれたにちがいありません。ところが、このざわめきと歌ごえこそ、村の電話がわれわれに伝えてくれる唯一の正しいもの、信頼するに値するものでしてね。それ以外は、すべてあてにはならんのです。こちらと城とのあいだには、きまった電話回線もないし、こちらからの呼びだしをつないでくれる交換台もありません。こちらから城のだれかに電話をかけると、あちらでは下級の課のあらゆる電話のベルが鳴りだすのです。というよりはむしろ、これはわたしがよく知っていることなのですが、ほとんどすべての電話機はベルの鳴る装置をはずしてあるからいいようなものの、もしそうでなかったら、城じゅうの電話という電話が全部鳴りだすところです。ところが、疲れきった役人が、ときどきちょっと気ばらしでもしてやろうという気を起して、とくに夕方や夜分に多いのですが、ベルの鳴る装置をつないでおくことがあるのです。こういうときは、返事をしてくれます。もちろん、冗談以外のなにものでもない返事ですがね。こういうことは、実際よく理解できることです。と言いますのは、きわめて重要な仕事がたえず猛烈なスピードで進行している最中にですよ、たかが自分一個のとるに足りない心配ごとのために電話をかけて相手の邪魔をするようなまねがだれに許されましょうか。これもわたしには不可解なことなのですが、他国から来たばかりの人のくせして、たとえばソルディーニに電話をかけて、むこうで返事しているのがほんとうにソルディーニであるなどと、どうして信じられるのでしょうかね。むしろ、まったくべつの課の下っぱの記録係なんかかもしれないんですよ。他方、むろんごくまれにですがね、下っぱの記録係に電話をかけて、ソルディーニ自身が出るというようなこともあります。こういうときは、最初のひと声を聞くよりもさきに、電話機のそばから逃げだしたほうがよろしい』。Kは、『もちろん、そういうことだとは、思いもかけませんでした。そんなこまかな点まではわかりかねましたのでね。しかし、わたしは、もともとこういう電話での会話にはたいして信頼をよせていませんでしたし、ほんとうに重要なのは城で経験したり達成したりすることだけであるということを、いつも念頭においていました』。『そうじゃないのです』と、村長は、聞き捨てならぬ言葉だとばかりに、『ほんとうに重要なのは、じつはそういう電話での返事なのですよ。城の役人からあたえられた知らせが無意味だなんてことが、どうしてありましょう。このことは、すでにクラムの手紙の折に申しあげたとおりです。こうした発言には、すべて職務上の意味はありません。それに職務上の意味づけなどなさると、迷路にはいりこんでしまうだけです。そのかわり、そういう発言がもっている個人的な重要さは、好意から出たにせよ、敵意からにせよ、非常に大きいのです。たいていは、職務上の意味なんかよりずっと大きいのです』」(カフカ「城・P.124~127」新潮文庫 一九七一年)

村長のいう次のフレーズ。

「あなたがおっしゃるような接触あるいは交渉は、すべて見せかけだけのものにすぎないのです」

だとしたら本当の接触・交渉は村長のいう事情を知ればできるということは本当なのか。「見せかけ」は消え失せて本当の接触・交渉のテーブルに付けるということなのか。ドゥルーズはカフカ作品と関係のないまったく別のところでこう述べている。

「すべては見せかけ(シミュラクル)へと生成したのだ。それというのも、わたしたちは、見せかけ(シミュラクル)という言葉によって、たんなるイミテーションではなく、むしろ範型(モデル)つまり特権的な地位という考えそのものが或る行為によって異議を唱えられ、転倒されるようなまさにその行為〔現実態〕を理解しなければならないからである。見せかけ(シミュラクル)とは、即自的な差異を含む審廷である。それはたとえば、(少なくとも)二つの発散するセリーであり、そこでは当の見せかけ(シミュラクル)が遊び戯れ、あらゆる類似は廃止され、したがってオリジナルとコピーの存在をそれとして示すことができなくなる」(ドゥルーズ「差異と反復・上・第一章・P.195~196」河出文庫 二〇〇七年)

Kが望んでいるような「本当の」接触・交渉というものは始めから<ある>とは言えず、だからといって<ない>とも言えない。事情というのはそういうことであるほかない。複雑に混み入っているとかいないとかいう次元ではなく「本当の」接触・交渉があるに違いないとKが思っている限りどこまで行っても手続きが複雑かどうかなどわかりはしない。手続きがどのような形式でなされるのかもわからないままいたずらに時間ばかりが経過していく。「本当の」接触・交渉という手続きがあるのかどうかさえのっけから疑わしい。しかし何らの手続きもなしに測量師としていつどこで何をどうすればいいのかという仕事の内容は伝えられずKは途方に暮れるほかない。村長はこうもいう。

「城内では、ひっきりなしに電話をかけているそうです。むろん、そのために仕事は、大いにはかどるわけです。城内でたえまなしにかけているこの電話の声は、村の電話で聞くと、なにかざわめきの音や歌ごえのようにきこえるのです。これは、確かあなたも聞かれたにちがいありません。ところが、このざわめきと歌ごえこそ、村の電話がわれわれに伝えてくれる唯一の正しいもの、信頼するに値するものでしてね。それ以外は、すべてあてにはならんのです」

城内では「ひっきりなしに・たえまなしに」電話を使用している。それを村の電話で聞くと「ざわめきの音や歌ごえのようにきこえる」が「このざわめきと歌ごえこそ、村の電話がわれわれに伝えてくれる唯一の正しいもの、信頼するに値するものでしてね。それ以外は、すべてあてにはならんのです」とのこと。ノイズのようなもの・歌声のようなもの。それこそが「唯一の正しいもの、信頼するに値するもの」だという。Kにとっては何のことだかさっぱり。ところが紀元前の古代中国で荘子はこういっている。

「子游曰、敢問其方、子綦曰、夫大塊噫気其名爲風、是唯无作、作則萬竅怒号、而獨不聞之翏翏乎、山陵之畏佳、大木百圍竅穴、似鼻、似口、似耳、似枅、似圈、似臼、似洼、似汚、激者、号者、叱者、吸者、叫者、号者、深者、咬者、前者唱于、而隨者唱喁、泠風則小和、飄風則大和、厲風濟則衆竅爲虚、而獨不見之調調之刀刀乎

(書き下し)子游(しゆう)曰わく、敢(あ)えて其の方(さま=状)を問わんと。子綦曰わく、夫(そ)れ大塊(たいかい)の噫気(あいき)は其の名を風と為(な)す。是(こ)れ唯(ただ)作(お=起)こるなし、作これば則(すなわ)ち万竅怒号(ばんきょうどごう)す。而(なんじ)は独(まさ)にこの翏翏(りゅうりゅう)たるを聞かざるか。山陵の畏佳(いし)たる、大木百囲の竅穴(きょうけつ)は、鼻に似、口に似、耳に似、枅(さけつぼ)に似、圈(さかずき)に似、臼(うす)に似、洼(あ)に似、汚(お)に似たり。激(ほ=噭)ゆる者あり、号(よ)ぶ者あり、叱(しか)る者あり、吸(す)う者あり、叫(さけ)ぶ者あり、号(なきさけ)ぶ者あり、深(ふか)き者あり、咬(かなし)き者あり、前なる者は于(う)と唱(とな)え、而して随(したが)う者は喁(ぎょう)と唱う。泠(零)風は則ち小和し、飄風は則ち大和す。厲風濟(や=止)めば則ち衆竅も虚と為る。而(なんじ)独(まさ)に之(こ)の調調(ちょうちょう)たると之の刀刀(とうとう)たるを見ざるかと。

(現代語訳)子游がいった、『ぜひとも、そのことについてお教え下さい』。子綦は答える、『そもそも大地のあくびで吐き出された息、それが風というものだ。これはいつも起こるわけではないが、起こったとなると、すべての穴という穴はどよめき叫ぶ。お前はいったいあのひゅうひゅうと鳴る〔遥かな風〕音を聞いたことがないか。山の尾根がうねうねと廻(めぐ)っているところ、百囲(ひゃくかか)えもある大木の穴は、鼻の穴のような、口のような、耳の穴のような、細長い酒壺の口のような、杯(さかずき)のような、臼(うす)のような、深い池のような、狭い窪地(くぼち)のような、さまざまな形である〔が、さて風が吹きわたると、それが鳴りひびく〕。吼(ほ)えたてるもの、高々と呼ぶもの、低く叱りつけるもの、細々と吸いこむもの、叫(さけ)ぶもの、号泣するもの、深々とこもったもの、悲しげなもの。前のものが<ううっ>とうなると、後のものは<ごおっ>と声をたてる。微風(そよかぜ)のときは軽やかな調和(ハーモニー)、強風のときは壮大な調和(ハーモニー)。そしてはげしい風が止むと、もろもろの穴はみなひっそりと静まりかえる。お前はいったいあの〔風の中の樹々が〕ざわざわと動きゆらゆらと揺れるさまを見たことがないか』」(「荘子(第一冊)・内篇・斉物論篇・第二・一・P.42~44」岩波文庫 一九七一年)

荘子のいう「ひゅうひゅうと鳴る〔遥かな風〕音・吼(ほ)えたてるもの、高々と呼ぶもの、低く叱りつけるもの、細々と吸いこむもの、叫(さけ)ぶもの、号泣するもの、深々とこもったもの、悲しげなもの・〔風の中の樹々が〕ざわざわと動きゆらゆらと揺れるさま」。それが聞こえないのかと。むしろそれこそ重要な部分ではないのかと。Kは書類・署名・印鑑といったものが手続きを決定するすべてだと思い込んでいるけれども、それと同等あるいはそれ以上にこれら「ノイズのようなもの・歌声のようなもの」を無視してしまって果たしていいものか。さらに官僚組織に関する言及もある。

「たとえばソルディーニに電話をかけて、むこうで返事しているのがほんとうにソルディーニであるなどと、どうして信じられるのでしょうかね」

ずっと後に出てくる言葉の短縮形に思えないだろうか。城に勤務する役人たちの<娼婦>として登場するオルガはこういう。

「『確かに、彼は、官房にはいっていきます。でも、これらの官房は、ほんとうのお城でしょうか。官房がお城の一部だとしても、バルナバスが出入りを許されている部屋がそうでしょうか。彼は、いろんな部屋に出入りしています。けれども、それは、官房全体の一部分にすぎないのです。そこから先は柵(さく)がしてあり、柵のむこうには、さらにべつの部屋があるのです。それより先へすすむことは、べつに禁じられているわけではありません。しかし、バルナバスがすでに自分の上役たちを見つけ、仕事の話が終り、もう出ていけと言われたら、それより先へいくことはできないのです。おまけに、お城ではたえず監視を受けています。すくなくとも、そう信じられています。また、たとえ先へすすんでいっても、そこに職務上の仕事がなく、たんなる闖入者(ちんちゅうしゃ)でしかないとしたら、なんの役にたつのでしょうか。あなたは、この柵を一定の境界線だとお考えになってはいけませんわ。バルナバスも、いくどもわたしにそう言ってきかせるのです。柵は、彼が出入りする部屋のなかにもあるんです。ですから、彼が通り越していく柵もあるわけです。それらの柵は、彼がまだ通り越したことのない柵と外見上ちっとも異ならないのです。ですから、この新しい柵のむこうにはバルナバスがいままでいた部屋とは本質的にちがった官房があるのだと、頭からきめてかかるわけにもいかないのです。ただ、いまも申しあげました、気持のめいったときには、ついそう思いこんでしまいますの。そうなると、疑念は、ずんずんひろがっていって、どうにも防ぎとめられなくなってしまいます。バルナバスは、お役人と話をし、使いの用件を言いつかってきます。でも、それは、どういうお役人でしょうか、どういう用件でしょうか。彼は、目下のところ、自分でも言っているように、クラムのもとに配置され、クラムから個人的に指令を受けてきます。ところで、これは、たいへんなことなのですよ。高級従僕でさえも、そこまではさせてもらえないでしょう。ほとんど身にあまる重責と言ってよいくらいです。ところが、それが心配の種なのです。考えてもごらんなさい。直接クラムのところに配属されていて、彼とじかに口をきくことができるーーーでも、ほんとうにそうなのでしょうか。ええ、まあ、ほんとうにそうかもしれません。しかし、ではバルナバスは、お城でクラムという名前でよばれている役人がほんとうにクラムなのかということを、なぜ疑っているのでしょうか』」(カフカ「城・P.291~292」新潮文庫 一九七一年)

<娼婦・女中・姉妹>の系列の中で最も役人たちの内情に通じているオルガでさえそう問いかける。そしてこの問いはなるほど形式的には問いのふりをしているものの、城の官僚機構は「可動的」だといっているのであって、その意味ではKにとって致命的なまでにリアルな事情が横たわっているとオルガはいっていることになる。Kに向かって内部暴露という形でこっそり伝達しているわけなのだ。<非定住民>としての娼婦・オルガはこのような方法で城の役人とKとの<あいだ>を往来することができる。

ところでKは村長の長い演説のような話を聞いて思ったことを嫌味まじりに村長に言ってみる。するとすぐさま村長は答える。

「『そうすると、結果としては、万事は雲をつかむようで未解決であるという状態がつづき、最後にはおはらい箱ということですな』。『だれがあなたをおはらい箱にするなどと言いましたか、測量師さん。あなたの招聘問題が曖昧(あいまい)なままになっているということは、とりもなおさずあなたにこの上なく丁重な待遇を保証しているのですよ』」(カフカ「城・P.127」新潮文庫 一九七一年)

永遠に引き延ばされていく決済。「おはらい箱」という一つの結果が待っているわけではなくむしろ事態が「曖昧(あいまい)なままになっているということ」こそKが「この上なく丁重な待遇」に置かれていることを「保証している」と村長は請け合う。Kは「未解決」という。ところが「未解決」という言葉は「解決」を前提としている限りで始めていえる言葉である。だが村長の言葉を聞く限り問題はそういう次元にはまるでないと告げている。「解決か未解決か」ではない。そもそも決済というのは常にすでに延々と引き延ばされていくだろうというわけである。Kとすればますます雲をつかむような話になってきたので村長のところから引き上げることにする。城から派遣された二人の助手がドアを開ける。

「助手たちは、例のいつもとんちんかんな勤勉ぶりを発揮して、Kの言葉を聞くなり、ドアを二枚ともすでにあけてしまっていた」(カフカ「城・P.129」新潮文庫 一九七一年)

二人の助手は監視人としてKを見張っているかと思えば、Kが他の誰かと深刻な対話をかわしている間にフリーダと遊びほうけてまるで対話を聞いてなどおらず、とてもではないが監視人にふさわしくない。時としてフリーダやオルガのような<娼婦・女中・姉妹>の系列かと思えばそうではなく監視人であり、監視人なのかと思えば全然その機能を果たしていない。しかしいつも<娼婦・女中・姉妹>の系列のすぐ脇にいる。とすれば<子ども>の系列だろうか。時としてそうでもある。しかしKの行手を阻害したりダメージを与えたりは決してしない。どこまで行っても「とんちんかん」でなおかつ「勤勉」な助手の位置にひたすら留まる。助手たちについて村民も助手たち自身も、城の官僚機構からKの助手の位置を与えられたからやって来たとしか思っていないし、そういうことならそういうこと以外の何ものでもないとしか考えていない。だからかどうかはわからないがKの深刻さとは裏腹に、フリーダは助手たちと他愛ない遊びで時間潰ししていたりする。<ごっこ>の系列というべきかも知れない。

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