白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・五十五歳からのブルワーカー

2023年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム

母の膵臓癌が発覚する五ヶ月ほど前。今年に入ってほぼすぐということになるが、いずれ始まる後期高齢者介護を見越しほぼ四半世紀ぶりにブルワーカーを用いて少しずつ筋力復活増強を計ってきた。主に大腿筋、下腿筋、背筋、腹筋、上腕二頭筋。

 

ボディビルではないので必要最低限の部位に狙いを定め、なおかつしなやかな柔軟性を重視する。またインフルエンザやコロナ等感染症には十分注意する。

 

手首のスナップはできる限り軽快さを失わないよう心がける。というのは細かな動作を行う際にぎくしゃくしていては小回りの効く介護ができないというだけでなく、介護する側の趣味(ギター演奏)の技術に支障が出てしまってはこれまでの蓄積が台無しになり本末転倒なので。

 

ちなみに中学高校時代に身に付けたギター演奏時の指先のちょっとした技術は障害者介護の意外な面で役立つ。視覚聴覚ともに不自由な障害者(特に障害児)の場合、皮膚のタッチのわずかばかりの度合いの違いを通して意思疎通を図るのに使える。セクハラにならないよう互いに気を付けるのは言うまでもない。

 

ブルワーカー使用時のBGMについて。好みの音楽なら何でもいいとおもう。ジョー・サトリアーニ、アイアン・メイデン、デフ・レパード、MSG、レッド・ツェッペリン、ザ・ローリング・ストーンズ、クイーン、ポリス、U2、ジャーニー、メガデス、YMO、高中正義、その他。歌詞に意味のあるものは気が散って危険なので、どうでもいいエンターテイメントに徹した洋楽がおすすめかもしれない。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ84

2023年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年八月七日(月)。

 

深夜(午前三時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

朝食(午前五時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

ほんの少しお腹が出てきた様子。食事の種類も量もともに変更したが食欲は変わらず旺盛。予備的に多少の脂肪は付けておいていいかも知れない。だんだん近づいてきた去勢手術の後もなおエネルギーはいろいろ必要。

 

名前は「タマ」だが一方「黒べ」と呼びかけるのがしっくりくると言う人もいる。気ままに呼びかけても身に付きそうにないので、シチュエーションごとに決まりを設けて呼び分けることができれば。


Blog21・自転車を乗せたポスター

2023年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム

自転車に乗る女性たちの姿がパリの風景を刷新したことがあった。

 

「前世紀の最後の十年間に女性たちが男たちにそのもっとも魅惑的な姿をさらし、その姿が男たちを大いに期待させたのはどこであったのかを、いまでも誰が知っていよう。それは、人々が自転車に乗るのを覚えた、あの屋根つきのアスファルト舗装のされた広場でのことだ。自転車に乗った女性は、絵入りポスターでシャンソン歌手と張り合うようになり、モードの進むべきもっとも大胆な方向を示した」(ベンヤミン「パサージュ論1・P.162」岩波文庫 二〇二〇年)

 

それにしても電動車椅子の普及はあまりに遅かった。今でも電気を食いすぎる。しかし「自転車に乗った女性」が画期的だったのは「絵入りポスターでシャンソン歌手と張り合うようにな」った点にある。人々はシャンソン歌手と自転車に乗った女性とを見比べていたわけでは必ずしもなく両者の「ポスター」がかわるがわる置き換えられることに新鮮な驚きを覚えた。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて505

2023年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は四国化工機「にがり充てん」。二分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはナスの漬物。あらかじめ長さ6センチ程度に切り分けたもの。おかずはキュウリの糠漬け。

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個を粥と一緒に食する。

 

昨日スーパーへ買い出し。わらび餅粉が置いていない。去年の夏は買ってきて自宅で好みの柔らかさのわらび餅を作ることができた。糖分も体質に合わせて混ぜ込んだきな粉をまぶして調節できたのだが。仕方なくパック物のわらびもちを試しに購入。あらかじめ砂糖入りで形も既製のもの。嫌な予感。皿に開けてみるときな粉をまぶす以前すでにねちっこい甘さ。形状も重々しい。体にもたれ過ぎる。母には向かず、ひと口でスプーンを置いてしまった。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・延び縮みできる戦争

2023年08月07日 | 日記・エッセイ・コラム

ドイツの劣勢が決定的になってくると「講和の促進を求め」始めた。逆にフランスは「戦争の長期化を求め」出し可能な限りの戦後賠償をドイツに負わせてフランスをヨーロッパ随一の強国にしてしまおうとする。

 

「『そしてボッシュがもはや勝利を確信できなくなってからというもの、ドイツは講和の促進を求め、フランスは戦争の長期化を求めているのが見え見えだ』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.278」岩波文庫 二〇一八年)

 

フランス一強化に懸念を抱くイギリスが戦後フランスを牽制しフランス人の顰蹙を買ったことは有名。しかしシャルリュスがいうのはそういうことではない。ドイツにせよフランスにせよ戦況次第で戦争を引き延ばすことができるという事情である。ドイツが引き延ばそうとすればフランスは短縮しようとし、フランスが引き延ばそうとすればドイツは短縮しようとする。さらに実際そういうことがしてしまえるという珍妙不可解な事情。必要労働を短縮して剰余労働を延長することはできるが必要労働と剰余労働との境界線はいつも揺れ動いておりどちらがどちらか位置決定不可能なことと恐ろしく似ている。