白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・マス-コミの判断を自分自身の判断と取り違える世間

2023年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

シャルリュスの言説の中には幾つもの鋭い洞察がちりばめられている。例えば「戦争ごっこ論」に夢中になる社交界や世間の人々は、しかし、いったい何を根拠に自説を大げさに語って見せているのだろうか。というよりもむしろその種の人々が口にしたがる戦争に関する数々の判断や断言は果たしてその人自身の思考から生じてきたものなのかと。戦前戦中戦後にわたってころころと立場を置き換えることができるのはそもそも根拠のない表層からの無数の引用が可能だからではないかと。ごてごてと切り貼りしセンスのないパッチワークを演じている限りに過ぎないのではとシャルリュスはいう。

 

「それでも氏は、ずっと正当な指摘をして話を締めくくった。『不思議なのは』と氏は言った、『そんなふうに戦争にまつわる人間や事物について新聞の報じることによってのみ判断をくだしている世間の人が、自分自身で判断をくだしていると想いこんでいることですな』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.255」岩波文庫 二〇一八年)

 

社交界や世間が連発する数々のおしゃべりは、人々が日々せっせと仕入れることを忘れないマス-コミ情報のモザイク以上のものにはなり得ない。新聞しかなかった時代には新聞が提供する情報がその素材。二〇二三年の世界ではマス-コミ、雑誌、インターネットその他の提供をいとも安易に受け止め勝手放題に加工する。しかしそんな人々が何かを人前で断言し自分の立場の輪郭をより一層明確にしようとする際、いつも忘れ去られてしまうのは、その種の作業を通して何か大発見でも成し遂げたかのような無邪気な熱狂のうちに、ともすれば情報の受け手は「自分自身で判断をくだしていると想いこんでいる」勘違いに、実にしばしば陥ってしまって留まるところを知らない。

 

情報はあらかじめすでに一つの判断/断言である。情報発信者が先に判断/断言した上で流通させるもろもろの素材だけが情報の受け手のもとに届けられる。両者はまるで異なる位置にいる。両者のあいだは切断されていていつも断続的かつ間歇的な関係しか持ちえない。情報の浮上とともに両者は瞬時に出会うことになりはするけれども、この出会いは、いつもすでに出会い損ねという形での繋がりでしかない。

 

にもかかわらず情報の受け手はどういうわけか「自分自身で判断をくだしていると想いこ」む。無限かつ多層的に打ち重ねられていく様々な情報という形をとった判断/断言の洪水。ただ単にそれら恣意的な情報を受け止めているに過ぎないにもかかわらず何をどうすれば自分自身の判断/断言へすり換え勘違いし思い込むことまでできるのか。シャルシュスはそれを「不思議なのはーーー」と見下ろし腹の中でせせら笑う。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ82

2023年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年八月五日(土)。

 

深夜(午前三時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

朝食(午前五時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

しかりつけないといけないようなことはもうほとんどない。タマと名を呼べば尻尾を振って返事する。反応速度は初代タマの場合と変わらないように思う。遊んでほしい時は玩具を口でくわえて飼い主のそばへ持ってきたりこちらと目が合った瞬間毛を逆立てて「やんのかポーズ」を見せたりする。

 

「やんのかポーズ」は猫によりけりで成猫になろうがなるまいがしばしば見られる。そのさい四本足同時に独特のステップを踏む。ところが二代目タマの場合、このステップの使い道が少々へんてこ。というか遊んでほしい時だけでなくケージの外へ出るさいにもこのステップで出てきたりする。走り回っている途中、このステップが不意にさしはさまれたと見えたその瞬間もうふつうの走り方に戻っている。日常生活のあちこちでふと出現してすぐ消える。もしサバンナの黒豹とかならもっとのびのびできるのかもしれない。

一昨日の夜。夕食後の運動を終えたあとに出ていた月。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて503

2023年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は豆光「にがり絹とうふ」。三分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはナスの漬物。あらかじめ長さ6センチ程度に切り分けたもの。おかずはキュウリの糠漬け。

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個を粥と一緒に食する。

 

抗癌剤の作用はそろそろ落ちてきてもいい時期。ところが平行線を描いているように思える。もし栄養補給できるとしても下手に栄養補給したりすればますます重篤な全身倦怠感が出現するため考えどきかもしれないとはおもう。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・オデットの場合

2023年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

ヴェルデュラン夫人やゲルマント公爵のエピソードが出てきてもおかしくないならと思っていたところふと滑り込んできたオデットのエピソード。生きていたオデット。ただし戦時中。熱狂的愛国者へ変貌している狂態はしばらくおくも、だからこそ連発される大小取り混ぜた身振り(言葉遣い・振る舞い)にプルーストは注目する。

 

「『いいえ、あの人たちがワルシャワを占領するとは思えません』、『二度目の冬を越せる気がしませんのでね』、『わたしが嫌なのは中途半端でして』、『わたしが怖れているのは、こんなこと申し上げてもよろしければ、議会ですわ』、『いえ、それでもやはり突破口を開くことはできると思いますの』。オデットはこんなことを言うのにも科(しな)をつくったが、それを極端にやるのはこう言うときだった、『ドイツ軍の戦いはだらしがないとは申しませんが、いわゆる肝っ玉(クラン)を欠いていますね』。この『肝っ玉』(クラン)を発音するとき(単に『覇気』(モルダン)と言うときでさえ)、オデットは片手で粘土をこねるような仕草をしてみせ、アトリエ用語を使う画学生のような目配せを両目でした。とはいえオデット自身のことば遣いには、以前にもましてイギリス人にたいする賛美のしるしが際立っていた。もはや昔のようにイギリス人を『海峡の向こうのお隣さん』としか、せいぜい『わたしどものお友だちのイギリスのかたがた』とか呼ぶことに甘んじる必要はなくなり、『わたしどものお友だちの誠実な連合国のかたがた』と呼べるのだった。言うまでもなくオデットは、イギリス人がドイツ人を無礼な競技者だとみなしていることを示すべく、ことあるごとにかならず《フェア・プレイ》なる言いまわしを持ち出し、『勇敢な連合国のかたがたがおっしゃるように、必要なのは戦争に勝つことですわ』と言うのだ」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.256~257」岩波文庫 二〇一八年)

 

例えばオデットが「『肝っ玉』(クラン)を発音するとき」。「片手で粘土をこねるような仕草をしてみせ、アトリエ用語を使う画学生のような目配せを両目でした」。オデットは社交界の一員であるだけでなく「画学生のよう」でもあり「目配せ」一つで軍事動員を煽る。オデットはジルベルトの母でありサン=ルーの義母であり「画学生のよう」であり「目配せ」であり軍国主義者である。

 

イギリスについて語るオデットの変化を見てみよう。

 

(1)「海峡の向こうのお隣さん」/「わたしどものお友だちのイギリスのかたがた」

 

(2)「わたしどものお友だちの誠実な連合国のかたがた」

 

戦争の始まる少し前。すでにおぞましい意味へすっかり置き換え整えられた「お友だち」とか「誠実な」とかいう言葉を積極的かつべらべら口にし流通させる無神経。

 

しかしプルーストが読者を差し向けるのは社交界の内幕についてだけではない。むしろ(1)から(2)へすんなり模様替えできてしまえる人々がいるという驚きについてだ。また戦後すぐまるで違う別人へ模様替えできてしまえる人々までいたという人間の中身のからっぽさについてでもある。さらにこのからっぽさはモレル一人に限ったことでは全然ない。できてしまえるのはどうしてなのかという問いかけを含んでいる。