白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・言葉の宇宙的交通

2023年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

都市が言葉の宇宙になったのはどうしてだろう。

 

「都市は、普通ならごくわずかな単語、すなわち単語の中の特権階級というべき単語だけに可能なことを、すべてのとは言わないまでも、多くの言葉に対して可能にした。つまり名前という言葉の貴族身分へと引き上げることを可能にしたのである。言語革命がもっともありふれたもの、すなわち街路によって遂行されたのであるーーー都市は街路名によって言葉の宇宙となる」(ベンヤミン「パサージュ論3・P.370~371」岩波文庫 二〇二一年)

 

もし言葉がなかったらパリはもっと早く死に瀕していたに違いない。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ92

2023年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年八月十五日(火)。

 

深夜(午前三時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

降ったり止んだりで室内はじとじとと蒸し暑い一日。しかしタマは平気なようだ。母の食事中は邪魔にならないようケージに入ってもらうが慣れたもので、暇そうに仰向けでお股おっぴろげになり目だけ動かしてみたりそのまま居眠ってしまったり。

 

リビングで気ままにごろりと横になる時も増えてきた。リラックスできているようだ。体長が伸びたと思う。三ヶ月前は尻尾の長さほどもない手乗り子猫だった。

 

ご飯をねだる時の鳴き声が「んわん」という感じで「ごはん」に聞こえなくもない。家族は「ご飯」だと思いたがっているようだが初代タマも食事時は「んわん」と発音していたのでただ単にそう聞こえるというだけだろう。それでも食事時に限ってということなのでなるほどご飯を要求していることには違いない。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて513

2023年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は京禅庵「はんなり湯葉おぼろ」。三分二のを椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはナスの糠漬け。

 

(1)タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたナスの漬物を二片取り出す。(2)水洗いして手でよく絞り塩分を落とす。(3)皮を剥く。(4)俎板の上に置き包丁で六等分。十二片に切り分ける。(5)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。(6)温めた粥の下に置き入れて粥の熱で少し温める。今朝は十二個とも完食。

 

母は酸っぱいものが食べられないのだが皮を剥いたトマトなら食べられる。そこで昨夜は母の就寝後、鮭フレークとトマトのパスタを作って味見。鮭フレークもパスタも食べられそうにないがその程度に温まったトマトなら食べられるだろう。仕上げにフライパンで絡めるのでほんの僅かばかり油分を含むことになるが酸味が抜けるため行けそうな気はする。

 

食事の支度を済ませ自室へ引き上げ音楽。ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ六~九番」。九番は昔に嫌というほど聴いたのでここ十五年くらい一度も聴いたことがなかった。懐かしい。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・「偉大なボッシュ」とは誰か

2023年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

戦争終結が近づくと「反ドイツ的でないさまざまな芸術上の見解が広まって」くる。

 

面白いのはどこの国でもマス-コミがやり出す手法。

 

「ある教授がシラーにかんする注目すべき本を書き、新聞各紙にその書評が出た。しかしこの本の著者として紹介する前に、まるで印刷許可証のように記されていたのは、教授がマルヌやヴェルダンの戦いに加わっていたこと、五回も軍事表彰を受けたこと、ふたりの息子が戦死したことである」

 

そこまで軍事動員へ加担をしてきたことや「ふたりの息子」の「名誉の戦死」を書き立ててなお掲載許可が出るには手間を要した。

 

「窒息気味の人心にひと息つかせようと、戦争の初期ほどには反ドイツ的でないさまざまな芸術上の見解が広まっていた。しかしそうした見解をあえて発表するには、公民証を必要とした。ある教授がシラーにかんする注目すべき本を書き、新聞各紙にその書評が出た。しかしこの本の著者として紹介する前に、まるで印刷許可証のように記されていたのは、教授がマルヌやヴェルダンの戦いに加わっていたこと、五回も軍事表彰を受けたこと、ふたりの息子が戦死したことである。それではじめてシラーにかんする教授の著作の明晰さ、深遠さを賞賛することができ、シラーを偉大だと評価する際にも、『この偉大なドイツ人』とは言わず『この偉大なボッシュ』と言いさえすればよかった。これが文章を書くときの合言葉で、そうすればすぐに掲載が許可された」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.367~368」岩波文庫 二〇一八年)

 

必要だった手間。

 

「『この偉大なドイツ人』とは言わず『この偉大なボッシュ』と言いさえすればよかった」

 

「ドイツ人」という言葉をドイツ人を名指す差別語へ置き換えれば通じるということに驚く。


Blog21・こんなところへ

2023年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

語り手がジュピアンの男娼館の様子を通して語っている言語活動の多義性。「《こんなところへ》」という言葉が連発される。どんなところへ、なのだろう。

 

「もっとも社交人士たちは、自分たちの快楽に奉仕してくれるしがないドアマンや工員たちとは違って、この悪所通いをあまり隠そうとはしなかった。そのことは察しのつく多くの理由のほかに、こんな理由を考えれば納得できるはずだ。工員や召使いにとって、この手の場所へ行くのは、堅気と思われている女が娼家へ行くようなものである。そこへ行ったことがあると告白した連中も、けっして二度とは行かなかったと言い張り、ジュピアン自身も、連中の評判に傷をつけないためか競合をさけるためか嘘をつき、こう断言した、『いや、とんでもない、あの人はうちには来ません、《こんなところへ》来たくないのでしょう』。社交人士にとって、ことはさほど重大ではない。《こんなところへ》来ないほかの社交人士たちは、こんなところがどんなところか知らず、こんなところの生活などに関心がないだけに、なおのこと重大ではないのだ。それにひきかえ飛行機製造工場では、《こんなところへ》行く者がいたとしても、それを見張っていた仲間たちは、自分が見つかるのを怖れて金輪際《こんなところへ》行こうとはしないものである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.365」岩波文庫 二〇一八年)

 

(1)「ドアマン、工員や召使いにとって」の「こんなところへ」

 

(2)「社交人士にとって」の「こんなところへ」

 

(3)「ジュピアン」のいう「こんなところへ」

 

(1)(2)はいずれも小遣い稼ぎのためかあるいは性的志向ゆえ。一方通行的で融通が効かない。(1)は貨幣獲得のため。(2)は快楽追求のため。どちらにしてもあえて融通を効かせる必要がない。

 

注目したいのは(3)ジュピアンの場合。「いや、とんでもない、あの人はうちには来ません」というのは男娼館を訪れる種々雑多な人々のプライバシー保護のための「嘘」なのだが、すぐさま続ける「《こんなところへ》来たくないのでしょう」とある中の「こんなところへ」という言葉は(1)(2)の場合とは天地の違いで切り離された重層性の打ち立てを瞬時に担う。

 

一方で「ドアマン、工員や召使いにとって」の「こんなところへ」という一義性がありもう一方で「社交人士にとって」の「こんなところへ」という一義性がある。ジュピアンは一方の一義性ともう一方の一義性とを合体させることで生じる第三項としての「こんなところへ」を採用する。この第三項は第一項と第二項との対立が止揚されて生じるような新しい第三項ではない。その種の重々しさは一つもない。前の二つの層を寄せ集め合体させつつ瞬時に第三の層として重層的な組み換えを果たして消え去りさらなる多層性を描き出していく言語の軽快なパッチワークの無限の系列としてのみ存在する。

 

若い底辺労働者たちの小遣い稼ぎのための第一項がありパリ有数の社交人士の性的志向を満足させるための第二項があり両者のどちらもを寄せ集め組み換えさせてやる第三項としてジュピアンのいう「こんなところへ」が打ち重なる。貧困に陥った若い底辺労働者たちに救いの手段を開けておくとともに上流社交界人士たちの性的志向の満足を保証するための、いわば「言語的エコノミー」を引き出す詩人の言葉がジュピアンのいう「こんなところへ」なのだ。