十九世紀パリの下水道について。「パリーはそれを侮辱してトル・ピュネー(臭気孔)と呼んでいた。科学も迷信も同じ嫌悪の情をいだいていた」。科学の側からも信仰の側からも嫌悪すべき醜悪さを放っていた。
「大入道がムーフタールの下水道の臭い穹窿(きゅうりゅう)の下に閉じ込められていた」あるいは「マルムーゼ(ルイ十五世紀の時陰謀をはかった青年諸侯)の死体はバリユリーの下水道に投ぜら」た。また「ファゴンの説によると、一六八五年の恐ろしい熱病は、マレーの下水道にできた大きな割れ目から起こったものとのこと」。さらに「モルテルリー街の下水道の口は、疫病(ペスト)の出口として有名だった」。
「ローマは汚水の溝渠(こうきょ)に多少の詩味を与えてゼモニエ(階段)と呼んでいたが、パリーはそれを侮辱してトル・ピュネー(臭気孔)と呼んでいた。科学も迷信も同じ嫌悪の情をいだいていた。臭気孔は、衛生にとっても伝説にとっても共に嫌悪すべきものだった。大入道がムーフタールの下水道の臭い穹窿(きゅうりゅう)の下に閉じ込められていた。マルムーゼ(ルイ十五世紀の時陰謀をはかった青年諸侯)の死体はバリユリーの下水道に投ぜられていた。ファゴンの説によると、一六八五年の恐ろしい熱病は、マレーの下水道にできた大きな割れ目から起こったものとのことである。その割れ目は、一八三三年まで、サン・ルイ街の風流馬車の看板が出てる前の方に、大きく口を開いたままであった。またモルテルリー街の下水道の口は、疫病の出口として有名だった」(ユーゴー「レ・ミゼラブル4・第五部・第二編・怪物の腸・P.299~300」岩波文庫 一九八七年)
種々雑多な疫病は下水道から出現するとともに時の行政に批判的な人々の死体は下水道に投げ込まれる。暗い情念と疫病の出現地帯はいつも等価物として取り扱われた。古代ローマ皇帝ヘリオガバルスの惨殺死体が下水溝へ投げ込まれたように。
ともかく一八〇〇年代のパリでは我慢の限度を超えて荒れ果てきった下水道について綿密な調査の必要性が高まる。ブリュヌゾーが志願してパリ一体の下水道調査に乗り出す。
「大溝渠(だいこうきょ)の入り口の所で、最も意外なものに出会った。その入り口は、昔の鉄格子(てつごうし)で閉ざされていたのであるが、もう肱金(ひじがね)しか残っていなかった。ところがその肱金の一つに、形もわからないよごれた布が下がっていた。おそらく流れてゆく途中でそこに引っかかって、やみの中に漂い、そのまま裂けてしまったものだろう。ブリュヌゾーは角燈をさしつけて、そのぼろを調べていた。バチスト織りの精巧な麻布で、いくらか裂け方の少ない片すみに、冠の紋章がついていて、その上にLAUBESPという七文字が刺繍(ししゅう)してあった。冠は侯爵の冠章だった。七文字はLaubespine(ローベスピヌ)という女名の略字だった。一同は眼前のその布片がマラーの棺布(ひつぎぎれ)の一片であることを見て取った。マラーには青年時代に情事があった。それは獣医としてアルトア伯爵の家に寄寓(きぐう)していた頃のことである。歴史的に証明されてるある一貴婦人との情事から、右の敷き布が残っていた。偶然に取り残されたのか、あるいは記念として取って置かれたのか、いずれかはわからないがとにかく、彼が死んだ時家にある多少きれいな布と言ってはそれが唯一のものだったので、それを棺布(ひつぎぎれ)としたのであった。婆さんたちは、この悲劇的な《民衆の友》を、歓楽のからんだその布に包んで、墳墓へ送りやったのである。
ブリュヌゾーはそこを通り越した。一同はぼろをそのままにしておいて手をつけなかった。それは軽蔑からであったろうか、あるいは尊敬からであったろうか?ともあれマラーはそのいずれをも受けるの価値があった。その上宿命の跡はあまりに歴然としていて、人をしてそれに触れることを躊躇(ちゅうちょ)さしたのである。もとより、墳墓に属する物はそれが自ら選んだ場所に放置しておくべきである。要するにその遺物は珍しいものであった。侯爵夫人がそこに眠っており、マラーがそこに腐っていた。パンテオンを通って、ついに下水道の鼠(ねずみ)の中に到着したのである。その根所の布片は、昔はワットーによってあらゆる襞(ひだ)まで喜んで写されるものであったが、今はダンテの凝視にふさわしいものとなり果てていた。
パリーの地下の汚水溝渠(おすいこうきょ)を全部検分するには、一八〇五年から十二年まで七年間を要した。進むにしたがってブリュヌゾーは、種々の大事業を計画し、指揮し、成就した」(ユーゴー「レ・ミゼラブル4・第五部・第二編・怪物の腸・P.303~305」岩波文庫 一九八七年)
ブリュヌゾーは「ついに下水道の鼠(ねずみ)の中に到着した」。コレラを発生させる環境的条件を突き止めた。そしてこの事情はその後のパリ地下水道の大規模改造を容易に可能としていく。言い換えれば、パリ全域の大規模都市改造に当たってコレラの流行は非常に役立った。