白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・大規模都市改造計画と疫病との奇妙な共犯

2023年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

十九世紀パリの下水道について。「パリーはそれを侮辱してトル・ピュネー(臭気孔)と呼んでいた。科学も迷信も同じ嫌悪の情をいだいていた」。科学の側からも信仰の側からも嫌悪すべき醜悪さを放っていた。

 

「大入道がムーフタールの下水道の臭い穹窿(きゅうりゅう)の下に閉じ込められていた」あるいは「マルムーゼ(ルイ十五世紀の時陰謀をはかった青年諸侯)の死体はバリユリーの下水道に投ぜら」た。また「ファゴンの説によると、一六八五年の恐ろしい熱病は、マレーの下水道にできた大きな割れ目から起こったものとのこと」。さらに「モルテルリー街の下水道の口は、疫病(ペスト)の出口として有名だった」。

 

「ローマは汚水の溝渠(こうきょ)に多少の詩味を与えてゼモニエ(階段)と呼んでいたが、パリーはそれを侮辱してトル・ピュネー(臭気孔)と呼んでいた。科学も迷信も同じ嫌悪の情をいだいていた。臭気孔は、衛生にとっても伝説にとっても共に嫌悪すべきものだった。大入道がムーフタールの下水道の臭い穹窿(きゅうりゅう)の下に閉じ込められていた。マルムーゼ(ルイ十五世紀の時陰謀をはかった青年諸侯)の死体はバリユリーの下水道に投ぜられていた。ファゴンの説によると、一六八五年の恐ろしい熱病は、マレーの下水道にできた大きな割れ目から起こったものとのことである。その割れ目は、一八三三年まで、サン・ルイ街の風流馬車の看板が出てる前の方に、大きく口を開いたままであった。またモルテルリー街の下水道の口は、疫病の出口として有名だった」(ユーゴー「レ・ミゼラブル4・第五部・第二編・怪物の腸・P.299~300」岩波文庫 一九八七年)

 

種々雑多な疫病は下水道から出現するとともに時の行政に批判的な人々の死体は下水道に投げ込まれる。暗い情念と疫病の出現地帯はいつも等価物として取り扱われた。古代ローマ皇帝ヘリオガバルスの惨殺死体が下水溝へ投げ込まれたように。

 

ともかく一八〇〇年代のパリでは我慢の限度を超えて荒れ果てきった下水道について綿密な調査の必要性が高まる。ブリュヌゾーが志願してパリ一体の下水道調査に乗り出す。

 

「大溝渠(だいこうきょ)の入り口の所で、最も意外なものに出会った。その入り口は、昔の鉄格子(てつごうし)で閉ざされていたのであるが、もう肱金(ひじがね)しか残っていなかった。ところがその肱金の一つに、形もわからないよごれた布が下がっていた。おそらく流れてゆく途中でそこに引っかかって、やみの中に漂い、そのまま裂けてしまったものだろう。ブリュヌゾーは角燈をさしつけて、そのぼろを調べていた。バチスト織りの精巧な麻布で、いくらか裂け方の少ない片すみに、冠の紋章がついていて、その上にLAUBESPという七文字が刺繍(ししゅう)してあった。冠は侯爵の冠章だった。七文字はLaubespine(ローベスピヌ)という女名の略字だった。一同は眼前のその布片がマラーの棺布(ひつぎぎれ)の一片であることを見て取った。マラーには青年時代に情事があった。それは獣医としてアルトア伯爵の家に寄寓(きぐう)していた頃のことである。歴史的に証明されてるある一貴婦人との情事から、右の敷き布が残っていた。偶然に取り残されたのか、あるいは記念として取って置かれたのか、いずれかはわからないがとにかく、彼が死んだ時家にある多少きれいな布と言ってはそれが唯一のものだったので、それを棺布(ひつぎぎれ)としたのであった。婆さんたちは、この悲劇的な《民衆の友》を、歓楽のからんだその布に包んで、墳墓へ送りやったのである。

 

ブリュヌゾーはそこを通り越した。一同はぼろをそのままにしておいて手をつけなかった。それは軽蔑からであったろうか、あるいは尊敬からであったろうか?ともあれマラーはそのいずれをも受けるの価値があった。その上宿命の跡はあまりに歴然としていて、人をしてそれに触れることを躊躇(ちゅうちょ)さしたのである。もとより、墳墓に属する物はそれが自ら選んだ場所に放置しておくべきである。要するにその遺物は珍しいものであった。侯爵夫人がそこに眠っており、マラーがそこに腐っていた。パンテオンを通って、ついに下水道の鼠(ねずみ)の中に到着したのである。その根所の布片は、昔はワットーによってあらゆる襞(ひだ)まで喜んで写されるものであったが、今はダンテの凝視にふさわしいものとなり果てていた。

 

パリーの地下の汚水溝渠(おすいこうきょ)を全部検分するには、一八〇五年から十二年まで七年間を要した。進むにしたがってブリュヌゾーは、種々の大事業を計画し、指揮し、成就した」(ユーゴー「レ・ミゼラブル4・第五部・第二編・怪物の腸・P.303~305」岩波文庫 一九八七年)

 

ブリュヌゾーは「ついに下水道の鼠(ねずみ)の中に到着した」。コレラを発生させる環境的条件を突き止めた。そしてこの事情はその後のパリ地下水道の大規模改造を容易に可能としていく。言い換えれば、パリ全域の大規模都市改造に当たってコレラの流行は非常に役立った。


Blog21・裏切る言葉

2023年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

シャルリュスは作品を通して実に多くを語る。言い間違える自由と不自由とについても語る。最低限に絞り込んだとしても「ふたりのシャルリュス氏が存在したと言える」状況下。

 

「そもそもこの場合、それ以外の氏をべつにすれば、ふたりのシャルリュス氏が存在したと言える。ふたりのうち知的なほうのシャルリュス氏は、自分が失語症になるのではないかと心配し、なんらかの語や文字を口にしようとするとかならずべつの語や文字を言ってしまうと嘆いていた。ところが実際にそんな事態がおこると、もうひとりの潜在意識下のシャルリュス氏が、さきのシャルリュス氏が憐憫を買おうとするのとは対照的に羨望をそそろうとし、さきのシャルリュス氏なら軽蔑した媚まで売って、演奏家たちがもたつくのを見てとったオーケストラの指揮者よろしく、出だしの文言をただちに停止し、すでに口にした語をこれから発すべきことがらへときわめて巧みに移行させ、実際には言い違えて口にした語をまるで正しく選ばれた語であるかのように見せてしまうのだった」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.419~420」岩波文庫 二〇一八年)

 

しばしば見かける。老いたシャルリュスでなくとも。

 

「実際には言い違えて口にした語をまるで正しく選ばれた語であるかのように見せてしまう」

 

だからといってその言葉遣いが意図的かどうかということになると、(1)発語者/記述者にしかわからないことが多い。もっとわからないのは(2)発語者/記述者ゆえにわからないような場合。(2)の場合なら山積している。では山積しているのがわかるのはどうしてだろう。

 

古典的推理小説の探偵のような特権的立場は必ずしも必要でない。むしろありふれた日常生活の中の様々な場面でちょくちょく遭遇する。発見者はいつも身近にいるとは限らないけれどもそれに気づき「目くばせ」で伝えることができる人々はたくさんいる。言語学者でなくても全然構わない。たくさんいる。

 

例えば平日のほぼ閑散とした二両編成の電車の中。そんなところでさえ何人かはいつもいる。何食わぬ顔で。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ94

2023年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年八月十七日(木)。

 

深夜(午前三時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

飼い主が横になりうとうとしているとどこにいたのかたたたと走り出て駆け寄り片方の足にもたれかかる。ん?

 

もたれながらせっせと毛繕いし始める。飼い主は思う。無造作な指圧のようだと。それにしても長い。疲れないのだろうか。

 

後ろ足から胴体を上がってきて前足までぺろぺろ。したと思えばそのまま飼い主の足も舐めてくれる。こそばい。

 

意味はいろいろらしい。初代タマの場合、自分の毛繕いは小まめにやっていたが飼い主を舐めることはほとんどなかった。気が向けば通りすがりに軽く触れる程度。二代目タマはやや頻繁。もっと遊んでほしい年頃かなとは思う。

 

夕食後。飼い主はようやく音楽を聴くことができた。ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」。


Blog21・今年も変わった境界線

2023年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

プルーストが繰り返しいっていること。過去は「相異なる」複数の過去から「成り立」つ。決して単数ではない。

 

とともに常に忘れ去られていないことがある。「原因」というものを追求すればするほどそれに相当するものはどこまでも延長できる無数の系列として出現してくるという事情。

 

「もっともその過去は、相異なる多くの過去から成り立っていたから、それを想い出した私がもの悲しくなった原因を特定するのは容易ではなかった。その原因は、それがジルベルトは来ないのではないかと心配しながら迎えに行った通りだったからなのか、アルベルチーヌがアンドレといっしょに訪れていたと人から聞かされた家がそのそばにあったからなのか、それとも私が昼食後、まだ糊も乾かない『フェードル』や『黒いドミノ』のポスターを見ようと熱に浮かされたように駆けつけた道と同じく、何度も何度もたどったにもかかわらずその情熱は長つづきせず実を結ぶこともなかった道が示すように、それが哲学的な空しさを意味しているからなのか、判然としなかった」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.413~414」岩波文庫 二〇一八年)

 

(1)「ジルベルトは来ないのではないかと心配しながら迎えに行った通りだったから」

 

(2)「アルベルチーヌがアンドレといっしょに訪ねていたと人から聞かされた家がそのそばにあったから」

 

(3)「哲学的な空しさを意味しているから」

 

どれも決定的でない。しかしどれも当てはめて考えることができる。並置することはできても絶対的な優位性はもはや失われてどこにもない。

 

仮に原因と結果とを設定したとしよう。ところが両者はいつも相互に折り重なり合い入れ換わり組み換えられつつ延々引き延ばされていく。決定的な位置を追求しようとすればするほど逆に位置決定不可能性を証明することになってしまうという逆説。「公」と「私」との間の境界線が移動する瞬間に今年もまた誰もが立ち会ったように。