白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ87

2023年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム
二〇二三年八月十日(木)。

深夜(午前三時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

朝食(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

その他のカリカリは今のところロイヤルカナン(子猫用)とニュートロ(子猫用チキン)とを混ぜ込んだもの。これまでヒルズが主だったが今朝からリーズナブルなピュリナワンが主へ。幾つかの混合期間を経つつ後者への移行は無理なく済ませることができそう。


Blog21・群衆の人の多重性

2023年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム
退屈なのだろうか。忙しいのだろうか。群衆の中にいるということは。

「一方では、この男は、誰からも注目されていると感じていて、まさにいかがわしさそのもの。他方では、まったく人目に触れない、隠れこもった存在」(ベンヤミン「パサージュ論3・P.103」岩波文庫 二〇二一年)

安部公房のようでもありなるほどポーのようでもある。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて508

2023年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は四国化工機「にがり充てん」。二分の一を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずは昨日作っておいたカボチャの煮付けを小さく切り分けたもの。

 

カボチャの煮付けは抗癌剤治療を始める前にも食べることができていた。抗癌剤治療が始まって四日後退院してきたがほとんど食べられなくなっていた。一週間経つと食べられたとしても柔らかい部分さえ小さじのスプーン一口くらい。二口いければラッキーなくらい。そんな状態がほぼ二週間。下痢が激しい。夜間は約一時間半間隔で下痢痛を起こすためまとまった睡眠が取れない。二週間経過し抗癌剤の効果がほぼ終わるとようやく食べることができるほどには回復。

 

昨日の診察で医療スタッフと今後の治療方針について確認してきた。お医者さんはどの先生もそれぞれ癖があって当り前なのだが頭のいい先生方と話ができるのは短い時間とはいえ結構楽しい。

 

それでもスーパーに置いてある既製のわらび餅は固くねちっこ過ぎて体にもたれる甘さのためまるで話にならない。昨日は仕方なく来客用に置いてあるごく薄味の辻利「宇治抹茶わらび餅」を試してみたところ、おやつ程度の量なら食べることができた。辻利でなくても他にお店はいろいろあるのでそれらの中から患者に合い手の届く価格帯の和菓子を時折り調達するのがいいかもしれない。とはいえ家で簡単に調節できるわらび餅粉が近くのスーパーから姿を消して既製品にばかり偏っているのはなぜだろう。わらび餅粉一つ取ってみてもそんな状況。

 

癌治療はさておき。分野の異なる話題はたくさんある。ところがもはやマス-コミは他に何が起こっていようがいまいが全然違う記事で埋め尽くしてはばからない。あったこともなかったことにしてしまうのに懸命のようだ。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・モレルの目鼻立ちの切り貼りと代用

2023年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム

シャルリュスが買い上げジュピアンに経営させている男娼館でシャルリュスの好みの二人の青年の風貌を見ていた語り手は、その二人がモレルに似ていることにふと気づいた。「ひとりは宝石店の店員、もうひとりはホテルの従業員」。ただ単に似ているというだけではない。

 

「モレルにかんする私の想い出から借りてきた目鼻立ちをもとに、べつの人にはモレルがどう見えるかという雛形(ひながた)を脳裡につくりあげたとたん私は、ひとりは宝石店の店員、もうひとりはホテルの従業員であるこのふたりの若者が、モレルの漠然とした代用であることに気づいた」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.325~326」岩波文庫 二〇一八年)

 

(1)「モレルにかんする私の想い出から借りてきた目鼻立ち」。

 

ほかの人々と比較して始めて浮き彫りになる幾つかの特徴的な部分を切り取り切り離し頭の中で「雛形(ひながた)を脳裡につくりあげ」ることができる。諸断片へばらばらに切断しあらためて組み合わせ直すことができてしまえる。絶対的モレルというものはどこにも存在しない。もし存在するとすればそれこそ神は死んでいないということになり二十世紀になってなお近代はまだやって来ていないという不可解な状況が捏造されてしまう。

 

(2)「モレルの漠然とした代用」

 

シャルリュスにとって宝石店の店員とホテルの従業員とモレルとはいずれも置き換えることができる。宝石店の店員との出会いが先行していたらホテルの従業員とモレルとが宝石店の店員の「漠然とした代用」になっていただろう。またホテルの従業員との出会いが先行していたら宝石店の店員とモレルとがホテルの従業員の店員の「漠然とした代用」になっていたに違いない。シャルリュスにすればこの三人の間に優先順位は存在しない。どれも「代用」でしかない。唯一絶対的で一回限りの恋愛というものが存在しないように。もし唯一絶対的な恋愛だけしか存在しなかったとしたら、各々の性的志向の違いにもかかわらず、人類はもっと早く人口減少を果たし絶滅していただろう。