白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・童子になること

2023年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

帰省していた人々が日常生活の場へ戻ってきた。なかでもこんな忙しい世の中でラッキーにも帰省する機会に恵まれた子どもたちは、そこへ移動することでどんな経験をし、持って戻ってくることができただろう。宮沢賢治「ざしき童子のはなし」に次のエピソードがある。

 

「それからまたこういうのです。ある大きな本家では、いつも旧の八月のはじめに、如来(にょらい)さまのおまつりで分家の子供らをよぶのでしたが、ある年のその中の一人の子が、はじかにかかってやすんでいました。『如来さんの祭へ行くたい』と、その子は寝(ね)ていて、毎日毎日云いました。『祭延ばすから早くよくなれ』本家のおばあさんが見舞に行って、その子の頭をなでて云いました。その子は九月によくなりました。そこでみんなはよばれました。ところがほかの子供らは、いままで祭を延ばされたり、鉛(なまり)の兎(うさぎ)を見舞にとられたりしたので、何ともおもしろくなくてたまりませんでした。あいつのためにめにあった。もう今日は来ても、何たってあそばないて、と約束(やくそく)しました。『おお、来たぞ、来たぞ』みんながざしきであそんでいたとき、にわかに一人が叫びました。『ようし、かくれろ』みんなは次の、小さなざしきへかけ込(こ)みました。そしたらどうです、そのざしきのまん中に、今やっと来たばかりの筈(はず)の、あのはしかをやんだ子が、まるっきり痩(や)せて青ざめて、泣き出しそうな顔をして、新らしい熊(くも)のおもちゃを持って、きちんと座っていたのです。『ざしきぼっこだ』一人が叫んで遁(に)げだしました。みんなもわあっと遁げました。ざしきぼっこは泣きました。こんなのがざしきぼっこです」(宮沢賢治「ざしき童子のはなし」『注文の多い料理店・P.166』新潮文庫 一九九〇年)

 

童子性とは何か。おとなになると失われてしまうものだという一般論では何一つ語ったことにはならない。「おとな/こども」の二元論で簡単に割りきってしまうことは今なおできない。

 

童子性。言い換えれば、子供っぽさ。稚気。大江健三郎は生涯を通して子供っぽかった。島田雅彦もその姿勢はデビュー当時からさほど変わったと思えない。子供っぽさを武器にできる数少ない日本の文学者の一人だろう。安部公房にはもっと長生きしてほしかったなあ。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ95

2023年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年八月十八日(金)。

 

深夜(午前三時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

今日の玩具はこれ。以前使っていた自転車のベル。

 

携行ライトと一緒に置いておいた。これまで目に入るところにあったのだがなぜか今朝は持ち出してきて遊び始める。

 

玩具といっても猫の気分次第。いっときの流行りで終わる場合はよくある。一日持たないこともしばしば。

 

ベルの金属部分は床を傷つけるため投げ上げたりしない。猫自身がころころ転がして遊ぶ。音が鳴り光を反射し手ごろな大きさということもあり、もしかしたらしばらく持つかもしれない。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて516

2023年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は太陽食品「金胡麻とうふ」。1カップを椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、付属の味噌たれを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはナスの糠漬け。

 

(1)タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたナスの漬物を二片取り出す。(2)水洗いして手でよく絞り塩分を落とす。(3)皮を剥く。(4)俎板の上に置き包丁で六等分。十二片に切り分ける。(5)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。(6)温めた粥の下に置き入れて粥の熱で少し温める。今朝は十二個とも完食。

 

何種類か数え上げることはまだできないが幾つかの果物なら昼食時に少しずつ食べることができる。カボチャの煮付けのように酸味がなく中身の柔らかいもの。季節ごとに探ってみようとおもう。

 

今朝のうちは温度が下がってきた。上がるまでに風呂に入りたいらしい。なのでこれから風呂掃除。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・新しい共鳴へ

2023年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

ずいぶんひどい鬱状態に陥っていた「私」。ゲルマント邸の中庭の敷石を踏んだとたん、ある幸福感が「私」を包み込み、救いへの開かれを感じ取る。

 

「今しがた述べたような悲しい想いをめぐらしながらゲルマント邸の中庭へはいっていった私は、ぼんやりしていて、一台の車の進んでくるのが目にはいらなかった。運転士(ワットマン)の大声に、私はかろうじて脇へよけたが、あとずさりした拍子に、思わず物置の前のかなりでこぼこした敷石につまずいた。ところが、転ばぬよう身体を立て直そうとして、片足をその敷石よりもいくぶん低くなった敷石のうえに置いたとたん、それまでの落胆は跡形もなく消え失せ、私はえもいわれぬ幸福感につつまれた。これはほかでもない、わが生涯のさまざまな時期に、たとえばバルベックの周辺を馬車で散策していたとき以前に見たことのある気がした木々の眺めとか、マルタンヴィルの鐘塔の眺めとか、ハーブティーに浸したマドレーヌの味とか、そのほかこれまでに語った多くの感覚が私に与えてくれたのと同じ幸福感で、その感覚は私にはヴァントゥイユの晩年の作品に総合化されているように思われたものだった」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.430」岩波文庫 二〇一八年)

 

何ら重要でない中庭の敷石。「私」が追い求める芸術とはまるで関係がなさそうな「物質的な」敷石が瞬時に呼び寄せた印象。敷石はそれ以前からあったにもかかわらず「ヴァントゥイユの晩年の作品に総合化されているように思われたもの」としてやおら新しく出現したといえる。