白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ98

2023年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年八月二十一日(月)。

 

深夜(午前三時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

今日は朝早くからテーブルの上がお気に入り。文房具入れにもたれかかりあくびをしたり伸びをしたり。文房具入れにはボールペンのほかに幾つかの蛍光ペン、さらに色鉛筆が十本ほど入れてある。主に商品チェックのための色分けに使う。

 

ところでタマの好みはといえば、色とりどりの色鉛筆ではなくもっぱら何の変哲もない普通の鉛筆。いかにも昭和の事務室の匂いをたたえたロングロングロングセラー。消しゴム付きでオレンジ色のトンボのHB。理由は不明。それだけを口にくわえて上手く取り出しテーブルの下へぽとと落とす。猫ならではの無造作この上なく玩具に対する敬意一つ見られないどこか冷酷な気ままさ。同時にタマも床へ降りて転がして遊んでいることが多い。

 

噛み心地でいえば他の色鉛筆でもぜんぜん構わない気がするのだがしかしなんでなんだろう。おそらくだが、飼い主の匂いが一番濃く付いているのが消しゴム付きでオレンジ色のトンボのHB、だからなのでは。飼い主は今なお秘密のメモ書きの際にパソコン等OA類は一切用いずモメを取ることにしている。タマはそれを家の住民みんなに暴露するのだ。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて519

2023年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は相模屋「とろける生とうふ」。1カップを椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはナスの糠漬け。

 

(1)タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたナスの漬物を二片取り出す。(2)水洗いして手でよく絞り塩分を落とす。(3)皮を剥く。(4)俎板の上に置き包丁で六等分。十二片に切り分ける。(5)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。(6)温めた粥の下に置き入れて粥の熱で少し温める。今朝は十二個とも完食。

 

末梢神経のしびれや痛み。ここ数日目立つ痛みは奇妙な感じをともなうようだ。痛みが場所移動する。例えば着替えの際に腕の皮膚を何かに引っかけてごく僅かな傷ができるような場合。しばらくすると体内がちくちく痛む。痛み止めを服用して治まるのを待つ。

 

今朝の音楽はショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第一番」。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・単一神話の墓標と賠償

2023年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム

不意打ちはいつやってくるかわからないからこそ不意打ちとしての意義を持つ。

 

例えば「ある感覚ーーーフォークやハンマーの音とか、本の同一のタイトルとかーーーを過去のなかにきらめかせて想像力にその感覚を味わわせると同時に、それを現在のなかにもきらめかせ、音を聞いたり布に触れたりすることによって私の感覚を実際に震わせたことで、想像力の夢に、ふだんは欠けている存在感が付与された」というような場合。

 

「それは過去の一瞬、というだけのものであろうか?はるかにそれ以上のものかもしれない。むしろ過去にも現在にも共通し、この両者よりもはるかに本質的なものであろう。これまでの人生において、現実があれほど何度も私を失望させたのは、私が現実を知覚したとき、美を享受しうる唯一の器官である私の想像力が、人は不在のものしか想像できないという避けがたい法則ゆえに、現実にたいしては働かなかったからである。ところが突然、自然のすばらしい便法のおかげで、この厳格な法則が無効とされ、停止され、自然がある感覚ーーーフォークやハンマーの音とか、本の同一のタイトルとかーーーを過去のなかにきらめかせて想像力にその感覚を味わわせると同時に、それを現在のなかにもきらめかせ、音を聞いたり布に触れたりすることによって私の感覚を実際に震わせたことで、想像力の夢に、ふだんは欠けている存在感が付与されたのだ。そしてこの巧妙なからくりのおかげで、わが存在は、ふだんはけっして把握されることのできないもの、すなわち純粋状態にある若干の時間をーーーほんの一瞬の持続にすぎないがーーー手に入れ、それだけを切り離し、不動のものにすることができたのである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.442~443」岩波文庫 二〇一八年)

 

ところで現在と過去とが共鳴し合うのはどうしてか。

 

「わが存在は、ふだんはけっして把握されることのできないもの、すなわち純粋状態にある若干の時間をーーーほんの一瞬の持続にすぎないがーーー手に入れ、それだけを切り離し、不動のものにすることができ」るがゆえにである。

 

切り離し組み換えることができる。言い換えれば、時系列的にも空間的にも絶対的唯一性は無効化されている。

 

「というのもわれわれが愛や嫉妬と思っているものは、連続して分割できない同じひとつの情念ではないからである。それは無数の継起する愛や、無数の相異なる嫉妬から成り立っており、そのひとつひとつは束の間のものでありながら、絶えまなく無数にあらわれるがゆえに連続しているという印象を与え、単一のものと錯覚されるのだ」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.401」岩波文庫 二〇一一年)

 

無数に継起する愛も無数に相異なる嫉妬も、あっけなく単一のものとして錯覚するというお目出たいステレオタイプ。大勢の人々が事物を単一化しようとすればするほど世界の複数性を駆逐してしまい、世界の複数性が駆逐されればされるほどかえって自分で自分自身の首を絞めることになるという必然性に気づかないお粗末。

 

ここ二十年以上隆盛を誇り続けている様々なネット記事にしても、いつもお花畑ばかりだったりとか、いつも料理ばかりだったりとか、いつも旅行ばかりだったりとか、いつもネットゲームばかりだったりとか。もっとも、それ自体は何一つ問題ない。だが世間に軍事的な臭いが漂い広がってくるに従って多くの人々は徐々に、お花畑ならお花畑だけ、料理なら料理だけ、旅行なら旅行だけ、ネットゲームならネットゲームだけ、という比較的狭い枠組みに偏りがちになる。この傾向はいずれ料理も旅行もネットゲームも駆逐し、気づけばただ単なる花だけしか許されず、ほかの話題は厳重な監視管理の対象にされるという危険きわまりない全体主義の成立に貢献することになるのはまず間違いない。少なくともその方向へ打ってつけの条件の提供へ意味のすり換えを行うための道具として利用されるだろう。

 

一方で政治・軍事にかかわる話題を述べることへの恫喝めいたマス-コミの陰湿な動きがある。もう一方で政治・軍事にかかわる話題を述べることへの恫喝めいたマス-コミの動きの陰湿さに巻き込まれまいとして自閉的な趣味にばかり陥りがちなネット利用者の増殖がある。国家はそこに付け込む。

 

単一性への意志は現実の差異性と切断性とを無視したところで空転する宗教にほかならず、その限りで唯一絶対的物語を作り上げようと妄想にふける権力意志でしかない。近代以後どの国家も多大な犠牲を払ってそれに失敗してきたしむしろ逆のことばかり証明してきた。なおかつ単一民族国家神話を振り回した敗戦国の場合はまだ見渡せぬ戦後賠償問題が不気味に横たわっていて第二次世界大戦終結百周年に向けて足元からにじり寄ってくるけれども、その対応に当たるのは約十五年後政府の中枢にいる人々。対応できうるとすればだが。一方プルースト作品の語り手はしごく穏当な態度で、単一性とか絶対的な基準とか、そんなものは二十世紀初頭すでに一つもないと繰り返すことをやめない。