社交界で成り上がったヴェルデュラン夫人にとってもはやブリショは利用価値がない。衒学趣味に満ちたブリショの無意味で退屈な文章につき合うのは沽券に関わる。だがヴェルデュラン夫人ほどには成り上がっていないほかのサロンではブリショの利用価値を求めて招待する。
「フォーブール・サン=ジェルマンの人士は、ヴェルデュラン夫人に叱責され、最初は夫人邸でブリショをあざ笑ったが、ひとたび小派閥を出ると相変わらずブリショを賞賛しつづけた。やがてブリショを嘲笑することが、かつて賞賛することがそうであったように流行となり、その文章を読んでいた時期にはブリショを密かに賛美していた婦人でさえ、仲間といっしょになったとたん、ほかの婦人たちほど利口ではないと思われぬように、賛美するのをやめてあざ笑った。この時期ほどブリショの話題が小派閥を席巻したことはなかったが、それは愚弄の対象とされただけである。ブリショの文章をどう評価するかということが新入りの聡明さを測る指標とされ、新入りが最初にヘマな答えをすると、人びとはなにをもって人が聡明とされるかを教えこまずにはいなかった」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.266」岩波文庫 二〇一八年)
ヴェルデュラン夫人のサロンの流行。「ブリショを嘲笑することが、かつて賞賛することがそうであったように流行となり、その文章を読んでいた時期にはブリショを密かに賛美していた婦人でさえ、仲間といっしょになったとたん、ほかの婦人たちほど利口ではないと思われぬように、賛美するのをやめてあざ笑った」。今やブリショは「愚弄の対象」。しかしそもそも衒学趣味横溢するブリショがステレオタイプな文章を書くと両者が入り混じりあう。どんな文章になるのだろう。
「ドイツ人はもはやベートーヴェンの彫像を正視することはできないだろう」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.260」岩波文庫 二〇一八年)
「シラーは墓のなかで身を震わせたにちがいない」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.260」岩波文庫 二〇一八年)
「レーニンは語るが、その声はステップの風とともに去るだろう」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.260」岩波文庫 二〇一八年)
もっとありふれた文章も出てくる。学者でなくても書ける気取ったもの。
「二万の捕虜、これはなかなかの数字である」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.260~261」岩波文庫 二〇一八年)
「われらが司令部は怠りなく監視するであろう」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.261」岩波文庫 二〇一八年)
「われわれは勝利を欲する、ただそれだけだ」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.261」岩波文庫 二〇一八年)
さらに予言者ぶった鼻持ちならないもの。ヴェルデュラン夫人が辛辣な口調で叱責した「私は」の連発。
「私は早くも一八九七年から糾弾していた」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.264」岩波文庫 二〇一八年)
「私は一九〇一年に指摘していた」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.264」岩波文庫 二〇一八年)
「私は今や稀覯本(きこうぼん)となった小冊子(書物ニハソノ運命アリ)において警告していた」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.264」岩波文庫 二〇一八年)
ブリショの文章の特徴をことごとく知っているヴェルデュラン夫人はその一つ一つをサロンの信者たちの前で嘲笑する。信者たちはすぐさま一緒に嘲笑する。ヴェルデュラン夫人から見てブリショの文章がどこからの引用なのかよくわからない時はよくわからないくらい衒学趣味をひけらかしているという点でさらに嘲笑の的になる。そんなわけでヴェルデュラン夫人のサロンではこんな事態が発生していた。
(1)「ブリショの文章をどう評価するかということが新入りの聡明さを測る指標」
(2)「新入りが最初にヘマな答えをすると、人びとはなにをもって人が聡明とされるかを教えこまずにはいなかった」
ブリショの発表する文章が役割を終えたということではまるでなく逆に(1)「ブリショの文章をどう評価するかということが新入りの聡明さを測る指標」の位置を占めることになった。同時に(2)「新入りが最初にヘマな答えをすると、人びとはなにをもって人が聡明とされるかを教えこまずにはいなかった」。
戦時中にブリショが発表するあらゆる文章はサロンの新入りの資質を見抜くための試験問題へ化けて流通した。戦争前の十五年間とはまったく違う価値を持つ文章へがらりと変化したし嘲笑の対象へ変化することができてしまう。また「人びとはなにをもって人が聡明とされるかを教えこまずにはいな」い。そうできるのは人々の聡明さを示唆する絶対的な基準というものがもはや消え失せてどこにも見あたらないからである。ブリショの社会的利用価値は無に等しい。けれどもその文章は新入り向けの試験問題として利用価値を持つことになった。