柳田國男の「先祖の話」は「先祖/盆」から書き起こされている。「霊/魂」が主たるテーマ。執筆は一九四五年四月上旬から五月にかけて。次に引く文章の小見出しは「七生報国」。
「人生は時あって四苦八苦の衢(ちまた)であるけれども、それを畏(おそ)れて我々が皆他の世界に往ってしまっては、次の明朗なる社会を期するの途はないのである。我々がこれを乗り越えていつまでも、生まれ直して来ようと念ずるのは正しいと思う。しかも先祖代々くりかえして、同じ一つの国に奉仕し得られるものと、信ずることのできたというのは、特に我々にとっては幸福なことであった」(柳田國男「先祖の話」『柳田國男全集13・P.206』ちくま文庫 一九九〇年)
ところが序文が付された日付は同じ年の十月二十二日。戦争は終わっていた。
盆休みは姿形を置き換えながら今なお年中行事の中に組み込まれて残っている。その意味はずいぶん変わってきた。今後も変わっていくだろう。先祖の「英霊の前にひれ伏す」という軍国主義的復古主義的な「同一の意味」を与え続けることに対する注意深い態度があればあるほど、今後やって来るかもしれないしすでにやって来ているかもしれない全体主義を回避するためのいい機会を間違いなく提供してくれる。
しかしマス-コミは相変わらずだ。「みんなで移動」し「みんなで先祖供養」する「みんなの姿」ばかり大々的に捕獲し取り上げ読者視聴者の目の前へぶちまけ突きつけ、同じことをやらない連中はどうなっても知らないと言いたげな恫喝まがいの態度一つ崩そうとはしない。
世界はもはや複数であって不用意にまとめるべきではなくまとめようにもまとめようがないのが実状ではと思われるにもかかわらず。もしまとめることができるというのならなぜやらないで放置・棚上げしたままの諸問題があれこれあるのか不思議でならなくなってくる。
なぜ「祈り」なのか。「祈り」とはなんなのか。霊的なものを前提している。「宗教」だろう。下手をすればカルトにほかならなくなる。かつて「祈り」が「七生報国」へ変わるのはいとも簡単だったのではなかったか。だがしかし、「祈り」とは?