白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ80

2023年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年八月三日(木)。

 

深夜(午前三時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

朝食(午前五時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ヒルズのカリカリ(キトン12ヶ月まで まぐろ)その他の混合適量。

 

午前午後の遊び時間を合わせてみると昨日より多くも少なくもない。一昨日と比べてもほとんど変わらない。目につくのはむしろ深夜のリビングで時々はしゃぎ回っていること。昼寝が増えたように思うのはそのためかもしれない。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて501

2023年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は聖食品「高野山ごまどうふ」。1パックを椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはキュウリの糠漬け。

 

(1)糠を落とし塩分を抜くため一度水で揉み洗い。(2)漬物といっても両端5ミリほどは固いので包丁で切り落とす。(3)皮を剥く。(4)一本の半分のままの細長い状態で縦に三等分する。(5)三等分した細長いキュウリを今度は5ミリ程度の間隔で横に切り分けていく。(6)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。今朝はそのうち十八個を粥と一緒に食する。

 

少量ずつながら朝食を残すことはまずない。昼食はといえば、入院前も退院後も通して食べられているものは、カボチャの煮付けやスイカの小さな角切り、皮を剥いたトマトを小さく切り分けたものなど。柔らかく煮込んだニンジンも食べる。

 

しかし夕食は相変わらず辛そうだ。タンパク質を摂ってほしいところだがなかなか難しい。今のところカレイの干物を焼いて柔らかくしたものとかなら食べる。もっとほかの食材も工夫できればしようとおもう。

 

とはいえ。今のような消費社会では売る側が売りさばきたいと思う既製品ばかり並んでいて、どれだけ死者を大量生産できるかが至上命題になっている。お客の側にはほどんど余裕を与えないような構造的悪循環が存続している。いくら気持ちを切り換えろと言われても切り換えたその先もまた同じような荒涼たる風景が延々続いているばかり。陰々滅々とした失敗政策があちこちにごろごろ。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・致命的発言

2023年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

新聞記事が情報伝達の主流だった頃。「そんな文章が世間の熱狂をかき立てるとは、いったいどういうことか?」とシャルリュスは疑問を呈して見せる。

 

「 『いやはや』とシャルリュス氏は私に言った、『コタールやカンブルメールのことはあなたもご存じでしょう。あのふたりは、会うたびに、ドイツ人には人の気持がわからんなどと言う始末。ここだけの話、あのふたりがこれまで人の気持を思いやったことがあるなんて、あるいは今なら思いやることができるなんて、信じられますかな?いや、私はなにも大げさに言ってるんじゃありませんぞ。どれほど偉大なドイツ人についても、たとえニーチェやゲーテについてさえ、コタールが<チュートン族の特徴たる人の気持への無理解ゆえ>などとほざくのが聞こえてくる。もちろん戦争にはもっと辛いことがいくらでもあるが、だがこれだけは癇(かん)にさわる。ノルポワはもう少し利口で、それは私も認めるにやぶさかではないが、しかし言ってることは最初から間違ったことばかり。そんな文章が世間の熱狂をかき立てるとは、いったいどういうことか?』」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.233~234」岩波文庫 二〇一八年)

 

第一次第二次世界大戦とも戦地・銃後へ国家総動員するのに新聞は最大限役立った。どこの国でもやっていることはさほど違わない。二〇二三年の世界ではマス-コミ(特にテレビ)だけでなく各種雑誌やネット記事、さらには溢れかえる広告がいろいろな人々の発言を取り上げることで精神主義的軍事利用へ煽り立てて止まない。「強い気持ち」や「強いメンタル」という言葉で美談化され戦地へ持ち込まれる自己犠牲の精神などはその典型例。戦争している同盟国も相手国もそれをほいほい利用する。

 

美談で食っている人々は無数にいる。美談に励まされた人々も無数にいる。ところがどこまでも付いていくのではなく今や切り換える動作が大事だと感じた人々は、段階的に舞台から降りるだけでなく、別の生活様式へすみやかに移動しつつ生き延びる技術を手探りしていく。

 

シャルリュスはヴェルデュラン夫人のサロンから排除された。むしろそれゆえヴェルデュラン夫人のような人々とは無縁の、暮らしを味わう余裕がある。しかしヴェルデュラン夫人とその信者たちは大金持ちであるにもかかわらず暮らしを味わう余裕がない。プルーストが取り上げて見せる事例は百年以上も前すでに見境いなく流通していた。

 

「どれほど偉大なドイツ人についても、たとえニーチェやゲーテについてさえ、コタールが<チュートン族の特徴たる人の気持への無理解ゆえ>などとほざくのが聞こえてくる」

 

チュートン族。古代ゲルマン民族の古称。研究者しか用いないような恐ろしく古い名称を掘り返してきて誹謗中傷し悦に入る。性差別や人種差別や国籍差別に没入してうっとりする。戦争の始まる少し前から顕著に見られる光景をプルーストは丹念に書き込んでいる。戦時中は言わずもがな。

 

ヴェルデュラン夫人のサロンは熱狂的愛国者の巣窟と化していた。しかしシャルリュスのようなドイツにもフランスにもまたがるトランス(横断的)系列の人々は「ニーチェやゲーテについてさえ、コタールが<チュートン族の特徴たる人の気持への無理解ゆえ>などとほざく」ことなく逆に揶揄してわらうほかない。戦争終結と同時に今度は誹謗中傷した人々の居場所が一挙になくなるのは目に見えている。勝利したとしても傍若無人に連発された無数の活字や発言のすべてを消し去ることはできない。戦後もなお利用価値があればまた話は違ってくるとはいえ。