白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて529

2023年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は四国化工機「にがり充てん」。1パックの三分の二を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはナスの糠漬け。

 

(1)タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたナスの漬物を二片取り出す。(2)水洗いして手でよく絞り塩分を落とす。(3)皮を剥く。(4)俎板の上に置き包丁で六等分。十二片に切り分ける。(5)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。(6)温めた粥の下に置き入れて粥の熱で少し温める。今朝は十二個とも完食。

 

視力急変を受けて母は昨日、皇子山駅近くにある有名なショッピングセンターヘ眼鏡の新調に出かけた。まずまず納得できるものを見つけることができたようだ。

 

店内のフードコートで昼食。軽いものだが外食で完食したのは膵臓癌発覚以来始めて。食料品コーナーに立ち寄ると家の近くに色々あるスーパーやコンビニでは一つも置いていない「わらびもち粉」を発見。これなら自宅のキッチンで固さや味の調節も簡単にできる。

 

ところがこのショッピングセンターは年内か来年には廃業になるのではと巷でもっぱらの噂。あくまで噂なので今ひとつ信憑性に欠けるものの解雇された人々の口を封じ込めるのは至難の技かもしれない。

 

今朝の音楽はショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第十番」。

 

参考になれば幸いです。


Blog21・芸術への「翻訳」と狂気

2023年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

語り手はいう。「あることがらがなんらかの印象を与えるとき、そのとき実際に生じていることを私が把握しようと努めていたならば、本質的な書物、唯一の真正な書物はすでにわれわれひとりひとりのうちに存在している」。

 

そこで残る作業は「ただそれを翻訳すればいいのだということに、私は気づいたはずである。作家の義務と責務は、翻訳者のそれなの」だと。

 

「あることがらがなんらかの印象を与えるとき、そのとき実際に生じていることを私が把握しようと努めていたならば、本質的な書物、唯一の真正な書物はすでにわれわれひとりひとりのうちに存在しているのだから、それを大作家はふつうの意味でなんら発明する必要がなく、ただそれを翻訳すればいいのだということに、私は気づいたはずである。作家の義務と責務は、翻訳者のそれなのである」(プルースト「失われた時を求めて13・第七篇・一・P.480」岩波文庫 二〇一八年)

 

文学への「翻訳」。活字化への意志。エルスチールなら絵画化でありヴァントゥイユなら音楽化であったような作業。

 

とはいえ。文学にせよ音楽にせよ絵画にせよ「印象」それ自体の無媒介的伝達ではありえない。文学なり音楽なり絵画なり、ある形式への「翻訳」(置き換え)を通して始めて他者との交換関係へ入ることができるというのが確かだとしても、その前提として「翻訳」(置き換え)作業を踏まないわけにはいかないし、踏まなければどんな交換も不可能に思える。この事情に十分意識的であればあるほど、語り手のいう「翻訳」の有効性を肯定する態度にはほとんど何らの異議も感じない。むしろ逆に無媒介的であるとすればそれこそ支離滅裂な分裂性を炸裂させてしまうことになるだろう。

 

だからといって、ともすれば露呈してしまう支離滅裂性を全否定してしまう気持ちにはなれそうにない。語り手自身の言葉が織り成す「切断/接続」の反復はどうなのかと、語り手の所作からしてもっぱら狂気の肯定ではないのかと、思うからである。

 

さらにもう一つ。「翻訳」もひょっとすると一つの「迂路」ではないのか。発明・発見であることにさしたる異存は感じない。けれどもその一方でまたしても一つの「迂路」への差し向けなのではと。


Blog21(番外編)・二代目タマ’s ライフ106

2023年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二三年八月二十九日(火)。

 

深夜(午前三時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

朝食(午前五時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(子猫用)その他の混合適量。

 

二十七日(日)の大掃除の折、消えた玩具が思いも寄らぬところから幾つか出てきた。すべて玩具置き場に集め直した。今日のタマはかつて遊んだ玩具を見つけて取っ替え引っ替え大いに一人遊びを満喫。

 

ヤマキ「白だし」のキャップ。

 

ミステリ本の帯。

シリンジ。

シリンジはしっかり管理していたつもり。が、二代目タマを迎えてしばらくした頃なぜか数が合わなくなっていた。治療薬投与に用いるものなので三度も使えば新品に変える。なのでもう、てっきり捨てたと思っていた。

 


Blog21(ささやかな読書)・「池の中の」/「ハンチバック」

2023年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は少し時間をつくって読書。

 

井戸川射子「池の中の」(『群像・2023・09・P.146~153』講談社 二〇二三年)

 

短編。

 

しかし芥川賞受賞作「この世の喜びよ」より好ましく読めた。なぜだろう。

 

市川沙央「ハンチバック」(『文藝春秋・2023・09・P.224~260』文藝春秋 二〇二三年)

 

第百六十九回芥川賞受賞作。

 

読み手に向けて露悪的あるいは挑発的という前評判があちこちに流通しているため、ひとまずそれらを忘れることから始めなくてはならない。

 

読者としては、ともすれば安易な露悪/挑発と受け取られることの「ない」書き込みができるスペースがあれば、その部分をこそもっと見たい気がした。一方、矢継ぎ早に繰り出される露悪的あるいは挑発的な箇所について、もっと盛り込むか盛り込まないかという量的な課題は別として、もしこの方向を取るとすれば、露悪的かつ挑発的レベルにおける倫理的一貫性とでも言うべきものを持たせて欲しいと思う。例えばジュネ「泥棒日記」に世俗的「善」は一つもないが、ジュネ自身にしか成し得ない倫理的一貫性ならどこを見てもすぐに見つかるように。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて528

2023年08月29日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

母の朝食の支度。今朝は母が準備できそうなのでその見守り。

 

午前六時。

 

前夜に炊いておいた固めの粥をレンジで適温へ温め直す。今日の豆腐は四国化工機「にがり充てん」。1パックの三分の二を椀に盛り、水を椀の三分の一程度入れ、白だしを入れ、レンジで温める。温まったらレンジから出して豆腐の温度が偏らずまんべんなく行き渡るよう豆腐を裏返し出汁を浸み込ませておく。おかずはナスの糠漬け。

 

(1)タッパーに移して冷蔵庫で保存しておいたナスの漬物を二片取り出す。(2)水洗いして手でよく絞り塩分を落とす。(3)皮を剥く。(4)俎板の上に置き包丁で六等分。十二片に切り分ける。(5)その上にティッシュを乗せてさらに沁み込んでいる塩分を水とともに吸い上げる。(6)温めた粥の下に置き入れて粥の熱で少し温める。今朝は十二個とも完食。

 

昨日の夕食はエテカレイの焼いたの。小ぶりだが一尾丸ごと食べることができた。カレイなら煮付けでも焼き物でもまあまあ食べられるようだ。もっとレパートリーも増やしたいと思うけれども本人の体が受け付けないのではどうしようもない。

 

また「にがり充てん」豆腐について、二日前、ただ単に柔らかいだけでなく「つるん」とした感触がいいと漏らしている。これまでひたすら摂取することにのみ専念してきた食事だが、その「味わい」について感じることができたのはささやかではあるものの収穫だといえるだろう。

 

今朝の音楽はショスタコーヴィチ「弦楽四重奏曲第九番」。

 

参考になれば幸いです。