「懸案の鶴岡市の街歩きを決行 #6」のつづきは、致道博物館で観た「手のひらに、江戸 檜細工師 三浦宏の粋」展の途中から。
私、「棟割長屋」と「割長屋」との区別がつかなかったのですが、この展覧会でようやくその違いを知ることができました
手前が「棟割長屋」で、奥が「割長屋」です。
一棟の長屋に、背中合わせに2列に部屋が並んでいるのが「棟割長屋」で、1列に部屋が並んで入口と反対側に裏庭があったりするのが「割長屋」です。
こちらのサイトによれば、「棟割長屋」1戸の平均的な広さは、9尺(約2.7m)×2間(約3.6m)で、土間と4畳半の部屋があって家賃は300~500文。一方の「割長屋」は2間四方で、土間と6畳間と屋根裏部屋(4畳)があって家賃は800~1000文だったそうな。
「棟割長屋」なんて、今どきは苦学生か独身者でも住まなそうな狭さですが、ここに家族で暮らしていたというのですから、江戸の住宅事情はなんともpoorだったんですねぇ
考えてみれば、私の本宅は「現代版割長屋」だ もちろん、江戸時代の割長屋よりずっと広いけれど…
江戸時代には、寿司や天ぷらは屋台でひょいっとつまむものだったと聞きますが、その屋台がまたよくできてる
江戸東京博物館には実物大の寿司の屋台が展示されていましたけれど、当時の寿司は酢飯が茶色(赤酢を使っていた)で、握りの一つ一つが大きかったなぁ。
「三浦宏の粋」展では、「現代の寿司屋」(回らない寿司屋)のミニチュアも展示されていました。
食べ物つながりでは、
湯豆腐桶(左)と冷や奴桶(右)だそうで、こんな道具を使って食べたら、豆腐をいっそう美味しく食べられそうな気がします
さらに、街道を徒歩きしていて、こんなのを見たらすぐに食事したくなりそうな「めし屋(煮売り屋)」。
右側の看板には「品川宿 煮うりや 㐂助」と書かれていました。
そして、最後に紹介するのは「木戸番小屋」です。
「木戸番」は「町の門番」みたいなもののはずですが、なにやら「商店」のような雰囲気が漂っています。
これというのも、Wikipediaから引用しますと、
木戸番の賃金は少なかったため、彼らは駄菓子・蝋燭・糊・箒・鼻紙・瓦火鉢・草履・草鞋などの荒物(生活雑貨)を商ったり、夏には金魚、冬には焼き芋などを売ったりして副収入としていた。特に焼き芋屋は番太郎(=木戸番)の専売のようになっていた。そのため、番太郎は本職より内職の方で知られており、木戸番屋は「商番屋」とも呼ばれていた。
だそうです。
確かに、真ん中の樽状の竃(?)の中に入っているのはサツマイモっぽいし、傍らには笊に入れられたサツマイモがあります
三浦さん、芸が細かい
ほんとはもっと紹介したいところですが、なにせ、「約70点を展示する、過去最大級の展覧会」ですから、キリがありませんので、「三浦宏の粋」展のことはここまでにして、美術展覧会場を出ましょう
そして、美術展覧会場のとなりにあったのは、、、私が「おひょう~」と欣喜雀躍した建物だったのですが、その話は「#8」で…
つづき:2024/12/10 懸案の鶴岡市の街歩きを決行 #8